第零話 巨大トカゲとカゴの話

「部隊長! 向こうにバジリスクがいました! 加勢を!」
 白いマントを翻して馬を駆って来た男が大声で呼びかけた。
 森にしてはまばらな木立のそこここで、騎士たちとモンスターの戦闘が繰り広げられている。今日は年に一度行われる王都周辺の魔物討伐隊派遣の六日目だ。
「わかった! すぐ行く!」
 部隊長と呼ばれた青年は、馬首をめぐらして指し示されたほうへ馬を走らせる。王宮近衛隊の一員であることを示す青い軽板金鎧の上に、青騎士の座にあることを示す深い青のマントを羽織った青年だ。濃い茶色の髪は短く切られていて、マントの色に近い濃い青色の瞳は、優しげだが強い意志力をも宿している。
「アルバート様! 一人石化されました!」
 部下の報告に、青騎士は眉を寄せて指示を出す。
「実戦が初めての者は下がれ! バジリスクとは目を合わせるな! 石にされるぞ!」
「はっ!」
 巨大で無骨なトカゲといった風貌のバジリスクの視線は、生物を石化させる魔力を持っていた。普通なら砂漠にいる類の魔物だが、ここにいるのは森に棲む変種だ。
 アルバートの命令に従って数人の騎士達が他のモンスターの方へ加勢しに行った。
「気をつけてください」
 視線の死角に入るため回り込もうとするアルバートに、白のマントを羽織った騎士が言う。アルバートは軽くうなずき、注意深く手綱を操った。他の騎士がバジリスクの気を引いているうちに、後ろに回り込まなければならない。アルバートは慎重に馬を進め、斬りつけようと構える。
 そのとき、ふいにバジリスクが振り向いた。驚いた馬が前足を跳ね上げる。
「アルバート!」
 白騎士が叫ぶ。落馬したアルバートはとっさに受け身を取ったものの、思わずバジリスクを見上げていた。
(睨まれる……!)
 そう思った瞬間。上空からカゴが落ちてきて、見事にバジリスクの頭にかぶさった。
 あまりの出来事に、その場の全員が一瞬呆然と動きを止める。
「……い、今だ! かかれ!」
 最初に我に返った白騎士が命じて、騎士達は一斉にバジリスクに襲いかかった。

 こうしてバジリスクは倒された。

「……部隊長。このカゴは……?」
 白騎士はまだバジリスクの頭部にかぶさっているカゴを見下ろしながら引きつった表情で訊ねた。
「なんだろな? 上から降って来たように見えたが」
「何でカゴが上から降って来るんです?」
「横から降ってくるよりゃあ理にかなってんだろが」
「それはそうですが」
 二人は恐る恐る上を見上げた。
 木の上の枝には、少女が座っていた。片腕に大きな包みを抱えて、無表情に二人を見下ろしている。波打つ長い青い色の髪は薄桃色のリボンで一つに束ねられていて、瞳の色は髪と同じ透きとおるような深い海の色だった。彫像のように整った顔にはどんな感情も浮かんではおらず、まるで水の精霊のようだとアルバートは思う。
「お前、そこで何やってんだ?」
 黙っていても埒が明かないので、アルバートは少女に声をかけた。不用意に精霊に話しかけると魂を取られるとか聞いた事があるが、さっきも助けてくれたようだし、多分危険はないだろう。
「バジリスクから避難しようと木に登ったの」
 少女は澄んだ声で答えた。綺麗な声ではあったが、明らかに人間の肉声だったのでアルバートはほっと肩の力を抜く。
「何かの助けになればと思い、カゴから荷物を取り出してカゴを投げたはいいけれど、今度はその荷物に片手を占領されて木から降りられなくなってしまい、困っているところよ」
 淡々としていた。全然困っているように聞こえなかった。
「そこで、今からこの荷物を投げ下ろそうと思うのだけど、その折下の方々が布か何かを広げて荷物を受け止めてくださると非常に嬉しいわ」
「……わかりました」
 白騎士は深刻な表情でうなずくと、アルバートのマントを引っ張って広げた。少しばかりぼんやりしていたせいで、アルバートはとっさに反応しきれずあっさりとマントをつかまれてしまう。
「あっ、アレクてめぇっ! 何しやがるっ」
「許せアルバート。しかし攻撃は最大の防御と言うでしょう。私のマントは新品なんです」
「なっ! 何が攻撃だコラ。あってめぇら何加勢してうおっ!?」
 アルバートは周り中の兵士に押さえつけられ、そのマントは即席のマットにされてしまった。
 荷物を手放した少女は、敏捷そうな動作で木から降りてくる。そしていまだにじゃれあっているアルバートたちの前に来ると、軽く眉を上げ、しかしやはり淡々と
「助けてくれてありがとう。感謝するわ」
 とのたまった。

「で、お嬢さん、一体どこへ向かってたんだ?」
 破れたマントを繕いながら、アルバートは不機嫌そうに訊ねた。
「エレゼアの街よ」
 少女はアルバートの不機嫌など全く気にしていない調子で答える。
「……どこから?」
 アルバートはいぶかしげに質問を続けた。少女は「銀月の町」と簡潔に答える。
「銀月の街ィ!?」
 焚き火を囲んでいた全員が同時に顔を見合わせた。
「逆方向じゃねぇか」
 アルバートはうめいた。
「貴方達の向かう方向と?」
『違う!』
 焚き火を囲む全員が怒鳴った。
「エレゼアは、こっから、銀月の町をはさんで、対角線上にあるんだよ……!」
「変ね」
 一言一言区切りながら、噛んで含めるような調子で言ったアルバートに対して、少女は平気な表情のまま、それでも一応小首を傾げてつぶやいた。
「変なのはお前の方向感覚だ……!」
「いえ、それは違うわ。私の方向感覚は、変なのではなくて欠落しているのよ」
 アルバートは深く深くため息をつく。
「俺たちは王都エレゼアから派遣された討伐隊で、明日から帰途につく。同行するか?」
「そうね。同行させていただくわ。私の名はグローリア。呼び名はリーリアよ。貴方は?」
「アルバートだ。アルバート・ディル・グリア」
 グローリアは静かに微笑んだ。
「よろしく」
 アルバートは、不覚にもそれに見惚れてしまった。