第四話 恋愛運は素直になれば吉

 悪魔とは人に取り付いて支配し、悪意や憎悪を糧に生きる種族の総称だ。異界からやって来る彼らはこの世の法則の外にいるため、この世にもともといた生物を利用しなければこちらの世界に力を及ぼせない。その代わり依り代としていた生物が死んでも悪魔自体は死ぬことはなく、次の依り代を見つければ復活できてしまう。強い魔力と狡猾な知性を持ち、普通のやり方では倒すことも出来ないため最も恐れられている一族だ。
『そうじゃ。悪魔は純粋に魔力からなる生物。じゃから、お主の父親のように魔力を破壊する力を持った者だけが悪魔を倒すことができる。よってその力を持ってすれば呪いを破壊し、魔力を破壊することも可能なわけじゃ。まぁそのためには媒介となる剣で斬りつけなければならんわけじゃが? よっぽどのことがなければ死なない程度の傷ですむんじゃないかの』
「……そう。ありがとう。あ、あと、お父様が今どこにいるかわかる?」
『……そうじゃなええと、ゴルト大陸の南の方の、魔法学園エティーニアの近くへ移動し始めておる頃かの。二日後にエティーニア近くのフォロスという村からの依頼をこなすことになっておる』
 グローリアは顎に手を当てて考え込んだ。
「出来たら二週間以内に呪いを解いて欲しいのだけど」
『……旅人と連絡を取るのは難しいからのぅ……。……まぁ何とかやってみよう。連絡取れたらテレポートの魔法で戻ってくるよう言っておくからの。エティーニアにはテレポートの呪文を使える奴もおるじゃろうし』
「わかったわ。よろしく」
『うむ。あまり期待せんで待っとれ。何かあったら賢者の学院の伝言サービスで連絡するからの。では、またな』
「ありがとう。じゃあ、また」
 グローリアは通信を終了した。
「……さて、方法、わかったことだし。リヴィウスに知らせに行きましょう」
 グローリアはさっさと魔法装置のスイッチを切って出口へ向かう。
「あ……ああ」
 まだ呆然としているアルバートに、扉に手をかけたグローリアが首をかしげた。
「どうかしたの」
「……いや……お前の父親って……」
 アルバートは首を横に振った。
「何でもない」
「そう。ならいいけど」
 グローリアはあまり納得していない表情で倉庫を出て行った。

 とりあえず寮の自室に戻ってきたグローリアは、部屋を見回して眉根を寄せた。
「……ファルの荷物がない。どういうこと?」
 きっかり0.5秒考えた後、グローリアは踵を返した。その足で真っ直ぐ寮の管理人室へ向かう。
「ミス・ネズリ。ファティマはどうしたの? 部屋からファティマの持ち物が消えているのだけど」
「グローリアさんですか。ファティマさんなら、先ほど実家の方へ帰られましたよ」
 一部の隙もなく結い上げた黒髪に、極端に露出の少ない黒いドレスを着た異国人の女性が管理人室から小窓を開けて答えた。
「おや、なぜ」
 全く驚いていない調子でグローリアは訊ねた。
「家庭の事情だそうです。詳しい事情は存じません。それよりグローリアさん、あまり生徒の皆さんにうるさく干渉するつもりはございませんけれど」
 ちらり、とミス・ネズリはアルバートに視線をやる。
「あまり男性の方を自分のお部屋へ入れないように」
「す、すいません」
 つい反射的に謝ってしまったアルバートと対照的に、グローリアは別にやましい事はしていないから大丈夫とのたまった。

「ではまず状況を整理するわ」
 翌日。国立公園のベンチで朝食のサンドイッチを片手にグローリアは宣言した。朝早いので人通りは少ない。
「ファティマは今結婚前の大切な時期なので誰とも会わせられないとファティマの母曰く。これは仮面の怪人にファティマが魅入られたという噂が外部にまで伝わったせいもあるかと思う」
 その隣でアルバートが神妙にうなずく。
「私たちはその難関を突破し、二週間以内にアンドレアの名誉に傷がつかない形でファティマとリヴィウスの仲を公認のものとしてしまうこと。ちなみに、リヴィウスの意見は――」

 大道具が収納された巨大な倉庫の中で、グローリアはよじ登っていた。モンスターを模して造られたらしい鳥女とか牛男とかの像で飾り立てられた回り舞台の装置だ。てっぺんに辿り着くと、グローリアはほどけかけた髪のリボンを結びなおし、虚空に向かって呼びかけた。
「リヴィウスー! リーヴィーウースー!」
 それほど大きな声ではなかったが、静まり返った倉庫には良く響く。声は薄闇の中にいくつかのこだまを呼びながら、高い天井に吸い込まれていった。
 グローリアはやることはやったとばかりに座り込んで待ちの姿勢に入る。大倉庫もここまで奥に来るとリヴィウスのテリトリーだから、声はきっと彼に届いているに違いない。
 待つこと三分。
 ようやく感情の流れを感じて、グローリアはあたりを見回した。
「今度は何の用だ」
 声は足元から聞こえた。グローリアは舞台装置から飛び降りてリヴィウスの前に立つ。
「報告が二つあるの。一つ目は呪いを解く方法とちゃんと歳をとれるようになる方法。私の父が両方解決できるのだそうよ」
 リヴィウスは一瞬目を見開くと、頭を抱えて座り込んだ。それを見たグローリアは何だかユカイなポーズだなぁなどとどこかずれたことを考える。
「……そんな話は信じられない」
 リヴィウスはうめいた。
「確かに。私もひどく都合の良い話だとは思うわ」
 それはもう、非現実的なまでに。
「どうして今までこんな方法が見つからなかったのかわからないわ」
 リヴィウスはむっとして立ち上がった。
「劇場から出られなかったので大した事は調べられなかった」
 確かに、劇場で呪いを解く方法を調べるなんてほとんど無理かもしれない。自分も自称「世界一の知識をもっている」親戚を頼ったりしたし。グローリアは眉一つ動かさずにそう考えた。
「……じゃ、二つ目の報告。ファティマが家に連れ戻されたわ。おまけに面会謝絶」
「……そうか」
 グローリアはじっと探るようにリヴィウスを見つめた。リヴィウスはその視線に気づいて苦笑する。
「二週間以内にお前の父親と会えるか」
 ふ、とグローリアは邪悪な笑みを浮かべた。
「素直になったご褒美に、二週間以内に何とかして差し上げるわ」

「――とこのように積極的なものなのであとはファティマが」
「ちょっと待て」
 グローリアは珍しく素直に口を閉ざす。
「ひいひいおばあさんはあまり期待するなって言ってただろ? 何とかってどうするんだよ」
「今から考えるの」
 ああやっぱりとか泣きそうな声で呟くアルバートにはかまわず、グローリアはふところから手帳を取り出して視線を落とした。
「……何とかファティマを劇場に引っ張り出さなくては」
 呟くグローリアの視線が一点で止まる。
「……十二日後、劇場の大ホールが空いてるわ……ファティマのお別れ会とか言ったら何とかならないかしら」
 アルバートはファティマの母親の気難しい表情を思い出す。
「……微妙だな」
「いっそアンドレアに頼もうかしら。ファティマが独身の気楽な状態のうちにお別れ会をどんちゃん行いたいのって」
 アルバートはグローリアがどんちゃんやっているところをつい想像してしまった。
 非常に、シュールだった。
「背に腹は替えられないしね」
 自分の想像力によってダメージを受けているアルバートの横で、グローリアは一人決意を固めた。

 それからの三日はバタバタと過ぎていった。グローリアは練習生から数人の同志を集め、ファティマのお別れ会の計画を立てて劇場に会場使用許可を申請した。計画は穴だらけで当日のシナリオも一切決まっていなかったが、劇場の上層部と、開き直った(やけくそとも言う)リヴィウスの間で熾烈な外交戦が行われた結果、無事会場の確保もできた。

 アルバートはといえば、結局それから毎日、自由時間には劇場の寮へやって来てグローリアの報告を聞く羽目になっていた。
「あとは合わせ稽古も無く当日ぶっつけでやってしまう劇のシナリオを作って配役を決めて歌う歌を決めて。あ、この歌は今まで歌ったことがあるものを組み合わせてシナリオとつじつまを合わせなくてはならないわ。練習してる暇無いもの。それから衣装を調達して舞台装置も大道具も小道具も何とかしないと。劇場を借り切って行う以上、舞台を使う必要性のある会にしなくてはダメだと支配人に釘を刺されてしまったので準備が大変だわ。普段の稽古もあるし」
 すっかり巻き込まれてしまったアルバートに、グローリアは愚痴った。
「それから、アンドレアにファティマを劇場に来させてくれるように頼みに行きたいんだけど、また道案内をお願いしてもいいかしら?」
「いまさら嫌だとも言えないだろ」
 なんだか妙に下手に出たグローリアに、アルバートは面食らいながら答える。
「まあ、確かに」
 グローリアはうなずいた。
「今日はこれから聴音のレッスンだから、そうね明日の午後お願いしたいわ。アルの方は大丈夫なの?」
「明日の午後……」
 アルバートは空中に視線をさまよわせて考える。
「ちょっと遅くなるかもしれないな……」
「暗くなる前には帰って来ないといけないんだけど」
「ああ、それなら大丈夫だ」
「ありがとう」
 グローリアが言った直後、寮の廊下をバタバタと走る音が近づいてきて、ドアの前で止まった。
「リーリアぁっ!」
 巨大な声とともにドアが開いて、少女が一人飛び込んできた。
「ペナン。どうかしたの」
「どうかしたから来たのよぉ。何すっとぼけた事言ってやがるのお嬢さん!」
(どうやら)ペナンと言う(らしい)少女は、早口でまくし立てた。その勢いに、アルバートはなんだか軽いめまいを覚える。
「あ、私、ペナンでっす。はじめまして。今回の計画ではシナリオ担当でーす」
 ペナンはアルバートに向けて頭を下げると再びグローリアに向き直った。
「でソレなんだけどソレってシナリオね、あの主人公あんたじゃない。そんでもって主人公の相手役をあんたに惚れてる誰だっけ」
「カイル。物好き」
 グローリアは冷静に答えた。
「そう物好きなカイル君。奴がやりたいって言ってるんだけどもー」
「カイルは、イルカの役」
 ペナンは顔をしかめた。
「そんなのナイわよ」
「作ればいい」
 グローリアは平然とのたまう。ペナンは大きく肩をすくめてため息をついた。
「入るもんなら入れてみるわ。わかったイルカね。でもなんでイルカなの?」
「カイルだから」
 アルバートはその腰砕けなシャレに気づいてしまって後悔した。
 ああ、気づくんじゃなかった。