第二話 自分で自分がわからない

「あ、アルバート」
 数日後の午後、城下町の騎士団詰め所に書簡を運ぶ途中で王城前広場を通りがかったアルバートは、淡々とした調子で呼び止められた。
「ちょうどいい所に」
 振り向けば、そこには見慣れた青い髪の少女が立っている。
「なんだ、迷ったのか?」
 いつもどおりの展開を予測して尋ねたが、グローリアは黙って首を横に振った。
「もうすぐ、冬の聖杯の月戦車の日よ」
 グローリアは左腕に下げていた買い物用のバスケットを持ち上げて示しながら、相変わらずの無表情で言う。
「あー……と、ヴァレンシア・デイか。お前も買いに行くのか?」
「その通り。察しが良いのね」
「いや……普通わかるって」
「ついでに、もうちょっと突っ込んだところまで理解してくれると、私としても助かるのだけど」
 グローリアはバスケットと肩を下ろし、小さくため息をついた。
「突っ込んだところ?」
 アルバートは軽く眉根を寄せて考え込む。
「なんでもないわ。ところでアルバート」
「ん?」
 突然真っ直ぐ視線を合わせられたアルバートは、思わず追求を忘れて問い返した。
「みかん料理、どういうのが美味しいと思う?」
「……って、お前作る気なのか」
「ええ。でも、こういう風習はこちらに来るまで知らなかったから、よくわからなくて。好きな人やお世話になった人にみかん料理をプレゼントする行事だと聞いて、せっかくだから参加してみたいと思ったのだけど」
「そ、そっか……」
 誰にプレゼントする気なのか、尋ねようとしてアルバートは口をつぐむ。なんとなく、聞きたくないような気分だった。
「そう。何を作ればいいのかよくわからないのよ。貴方の好みで良いから、意見をいただきたいわ」
「……俺の好みなあ……母さんが作ってくれたみかんケーキは喜んで食べてた記憶があるな。最近商品としてしか作ってないけど」
「商品……ああ、パン屋をされてるんだっけ。おいしそうね」
「作り方、今なら格安でみかん料理講座やってるから、教えてくれるはずだぜ。興味あるならいつでも言ってくれよ」
「ありがとう。そうさせてもらうわ。今日は……もう帰らないとだめだけど」
 グローリアは言いながら、後ろ向きに歩いてアルバートから距離を取る。
「それじゃ」
「あ、ああ」
 さっと踵を返して走り去るグローリアの背を見つめながら、アルバートは小さくため息をついた。
 この間から、グローリアの様子がおかしい。どうにも会話を打ち切るタイミングが以前より早い気がするのだ。それほど忙しいのか、それともやっぱりあのときまずいことを言ってしまったのだろうか。とすると、謝るべきなのか? どこにどう謝れば良いんだ?
「どうしました? アルバート。そんなに肩を落として」
 背後からいきなり思考を遮られて、アルバートは反射的に背筋を伸ばす。ゆっくり振り向くと、そこには見慣れた悪友の顔があった。今は何やら心配そうな表情を取り繕っている。
「ああ、アレクか。いや、別に」
「何か悩み事でも? グローリアさんに関することですか?」
 心配そうな顔を取り繕いつつもうきうきした様子は隠しきれない様子で、アレクはアルバートの顔を覗き込んだ。
「な、何でリーリアが出てくるんだよ!?」
「先ほど話していたのを見てたんですよ。ケンカでもしたんですか?」
「いや、ケンカじゃ……ねえんだけどよ」
 相談しても解決するとはとても思えないが――むしろ余計紛糾しそうな気はするのだが、かといってうまく丸め込む自信もないので、結局アルバートは正直に話してしまう。
「なんか最近、避けられてるっつーか、微妙に素っ気ないっていうか……」
「ほほう」
 アレクはついに取り繕った表情を放棄し、ものすごく嬉しそうな微笑みを浮かべた。
「それは、いわゆる恋というものでは」
「……はぁ!?」
 呆然と固まったアルバートの手から、運んでいた書簡が滑り落ちる。アレクはわざとらしく「おや」とか言いながら、優雅な動作でそれを拾い上げた。
「ところで……」
 アレクは拾い上げた書簡をアルバートに渡しながら、ふと眉根を寄せる。
「先ほどグローリアさんが駆けていった方向、新市街区の方角じゃありませんでしたか?」
「あ……そう言えば……」
 慌ててグローリアが走っていった方へ顔を向けると、渡されたばかりの書簡がするりと引き抜かれた。
「最近新市街区のあたりは治安が悪いですからね、これは私が届けておきますよ」
「ちょっと待て、治安が悪いのと任務の交代とどんな関係が」
 慌てて向き直るが、書簡はすでにアレクの懐に収まってしまった後だった。
「ま、何事もなければそれで良し。私の下宿は騎士団詰め所の近くですから、どちらにしろ帰宅のついでです」
 同僚の白騎士は、優雅な微笑を浮かべてそう言った。

 騎士二人の予想に違わず、グローリアは迷っていた。ついでに、考え事をしていたせいでいつもより性質の悪い迷い方をしていた。普段ならば迷ったとしても、明らかに雰囲気の悪い地区や薄暗い路地に足を踏み入れたりはしない。親切に道を教えてくれそうな人を探すことにかけては、場数を多く踏んでいることもあってちょっとしたものだった。それなのに。
「なあ、お嬢さん、お金持ってんだろ? 分けてくれよ、頼むよ。お酒呑む金が足りなくなっちまったんだ」
 ふと気づけば人通りの少ない裏通りにいて、柄の悪い中年の男に声をかけられていた。
「申し訳ありませんが」
 怖がる素振りを見せたら相手が調子づくだけだろう。グローリアはできる限り平静を保ちながら、目を合わせずに脇を通り抜けようとする。
「そうケチくさいこと言わないで、な? いいだろ? ちょーっとでいいんだよ、ちょーっとだけで、一杯呑めるだけでいいからさ」
 男は巧みにグローリアの進行方向に回り込み、顔を覗き込んできた。周囲に人の気配がしないのが、急に心細くなってくる。
「すみません、私、急いでますから」
 声が震えたのを、男は見逃してはくれなかった。もう一押しだと踏んだのだろう、いきなり拳を振り上げ、目を吊り上げてにらみ付けてくる。
「お高く止まりやがって、いいからさっさと出せ! もう三日も呑んでね……」
 威嚇するように振り上げられた手をいきなり後ろから掴まれて、男はぴたりと動きを止めた。
「こらこらこら、まだこんなに明るいんだぞ。呑むには早すぎるだろ?」
 のんびりした男の声に、グローリアははっと視線を上げる。
「アル……」
 アルバートは息を呑んで見上げるグローリアを見下ろし、どこか気まずそうに「よう」と挨拶して、また男へ向き直った。
「話は騎士団詰め所でじっくりするか?」
 呆然としていた男は、騎士団という単語で我に返ったらしい。喉の奥で意味のよくわからないうめき声を上げると、掴まれた手首をひねって外して脱兎のごとく逃げ出した。
 アルバートは無理に追いかけようとはせず、ため息をついてグローリアを見下ろす。
「あ……ありがとう」
 なぜかまともに顔を見ることができなかった。不思議なことに、いつも簡単に流れてくるアルバートの感情が一片たりとも読み取れない。そのせいで落ち着かないだけだと無理やり自分を納得させようとするが、この間のペナンの意見を考え合わせるともしかしたらそうではないのかもしれないとも思う。自分自身の感情すら把握することができなくて、グローリアは混乱した。
「どうした? お前、顔色悪いんじゃねえか?」
「光の具合だと思うわ、大丈夫」
 妙に早口になった。
(だめだこりゃ)
 グローリアは心の中で嘆息する。これでは何のごまかしにもなっていない。
「この辺最近治安悪いらしいからな。劇場まで送ってくよ」
「いい。大丈夫。送ってもらう必要はないわ」
 反射的に答えてしまった。思った以上に冷たい声が出た。
「大丈夫って、でもお前、迷わず帰れるのか?」
「……どうにかするわ」
 もはや後には引けないとばかり、グローリアは頑固に食い下がる。
「どうにかって……俺が送っていった方が早いんだろ?」
「そうだけど……でも、今は嫌」
「何だよそれ。俺、何かしたか?」
 アルバートはむっとしたようだった。当たり前だと思うのに、謝罪の言葉が出てこない。
「別に。貴方にばかり、迷惑を掛けるのは心苦しいと思っているだけ」
「心苦しいって、ここは治安もそんな良くねえんだから」
「悪いけど」
 やめなさい馬鹿じゃないのそれ以上言っちゃだめだってば、と頭の後ろ側で叫ぶ良心は、なぜかペナンと同じ声をしていた。
「今は、放っておいて欲しいの」
「……そうかよ」
 ついに怒らせた、と思った。感情は流れてこないけれど、はっきりとわかる。後頭部のペナンがため息をついて沈黙する。
「おい、アレク」
 アルバートは乱暴な調子で少し離れた曲がり角に向かって呼びかけた。
「おや、見つかってしまいましたか」
 降参のポーズを取りつつ曲がり角から現れた白騎士に、アルバートは早足で歩み寄る。
「何こそこそしてるんだ? 帰宅するとか言ってなかったか? 方向違うよな?」
「いやあ、すみません。つい、性根に染みついた野次馬根性が」
 何の言い訳にもなっていない台詞と共にごまかし笑いを浮かべる白騎士の肩に、アルバートは重々しく手を置いた。
「じゃあ、俺はこの辺見回って帰るから、お前はグローリアを送ってってくれ」
 白騎士はアルバートの肩越しにちらりとグローリアを眺め、しばしの逡巡の後ため息をついて頷く。
「……わかりました、お気をつけて」
 アルバートはそのまま、こちらは振り返らずに立ち去った。
「……ごめんなさい」
 アルバートの背中に向かって低く呟く。こちらを見下ろした白騎士が、もう一度ため息をついて言った。
「貴女らしくないですね」
「私らしい……ね。少し、わからなくなったような気がするわ」
 小さく呟いて気づく。白騎士の感情も流れてこない。しゃっくりが止まった直後のような、妙に据わりの悪い気分だった。

「今日買い出しに行ったとき、アルに会ったのよ」
 夜。今度は自分からペナンの部屋に出向いたグローリアは、人心地ついてからそう切り出した。
「いつも通りの態度を取ることができなかったわ」
 ペナンに勧められて上がり込んだベッドの上で、グローリアは枕を抱えて呟く。
「つまり……どんな態度を?」
 ペナンはドレッサーに向かってブルネットの髪をくしけずりながら訊ねた。
「割と……失礼な態度」
「……え? ウソ」
 振り向いた調子に櫛を強く引っ張ってしまったらしく、ペナンから苦痛の感情が伝わってくる。今は、感情の流れを勝手に拾ってしまう魔力はしっかり働いているらしい。
「嘘ではないわ。次会うとき、どんな顔をすればいいのかわからないくらいよ」
「いつもの無表情で行けば大丈夫だと思うけど……」
「いつも……どうしていたかしら」
 グローリアのものより柔らかい枕が、抱きしめられてくびれる。
「重傷ね。大丈夫。今の顔、一応表情だけはいつも通りだから」
 ペナンは再びドレッサーに向き直り、鏡越しに頷いてきた。
「反省してるの。不愉快な思いをさせてしまったような気がする」
「それって、感情が流れてくるっていうアレで『読んだ』の?」
「いえ、違うわ。何故か最近読めなくなることが多いのよ。特にアルバートのは、先日から全く読めていないの。以前は一番わかりやすかったのに……不思議ね」
「グローリア、間違いないわ!」
 ペナンは瞳を輝かせて振り向いた。
「それは恋よ!」
 櫛を置いて踊るような歩調でグローリアの前までやって来たペナンは、上機嫌に両手を広げる。
「あ、ところでね、アルバートさんが言ってたっていうディル・グリア・パン店のみかん料理講座なんだけど、ブルーエア劇場練習生一同で申し込んでおいたから。明後日の夕方よ。外出許可もまとめて取ってあるし、楽しみね」
「そうね」
 気のない返事に、ペナンは短くため息をついた。さっき良心がついたため息とそっくりだった。
「ま、気になるんだったらさっさと会って、さっさと謝っちゃった方が後腐れなくて良いんじゃない?」
「……そうね」
 グローリアは頷きながら微かに頬を緩める。自分の良心とペナンが、言うことまでそっくりなのがなんだかおかしかった。