第三話 ピアノと拳銃

 3-4 偶然と必然とジュリアン・レイ

 夏祭りの数日後、フィラは午後の酒場でソニアとカウンターを挟んで向かい合って座り、彼女の尋問を受けていた。
「ねえ、本当に本当に、偶然?」
「そう。偶然」
 眉根を寄せてカウンター席から身を乗り出すソニアに向かって、フィラは真摯な表情で頷く。
 夏祭りの日、昼食の後でジュリアンやランティスと共に現れたフィラに、ソニアはその場では何も尋ねなかった。本格的な尋問は二人きりで話す機会が訪れた今日、ついさっき始まったところだ。
「偶然、行き先が一緒だっただけ」
 ソニアがまったく納得していないことを察知して、フィラは内心ため息をついた。
「ランティスさんが音楽が好きで、私がピアノを弾くこと知ってて、弾いてくれって頼まれたの。それでここでピアノを弾いて、その後行き先が一緒だったから一緒に行った。それだけだよ」
 だらだらと言葉を続ければ続けるだけ言い訳じみて聞こえる気がする。
「ピアノかあ……」
 ソニアはしみじみと呟き、酒場の奥に置かれたピアノへ目をやった。
「何か言われた?」
「もっとちゃんと練習した方が良いんじゃないかって」
 紅茶のカップを両手で包み込みながら、フィラは小さくため息をつく。
「ああ、本格的にやった方が良いって言うのはわかるかも。上手だもんね、フィラ」
「……ありがと」
 褒めてもらえたことより追及が止んだことにほっとして、フィラは肩の力を抜いた。
「ね、フィラ。レックスにもちゃんと説明してあげた方が良いよ」
「え?」
 顔をのぞき込みながらの一言に、フィラは首を傾げる。射的大会に参加するレックスを応援しに行ったとき、確かにレックスはジュリアンとランティスが同行していることに驚いてはいたけれど、『成り行き』の一言で納得した様子に見えた。
「やっぱ気になってると思うのよ。あのときは緊張してたから特に追及しなかったみたいだけど」
「……緊張」
 してたんだ。
 いつも通りのんびりとした微笑を浮かべていたレックスを思い出して、フィラは思わず宙を見上げた。幼馴染みのソニアと違って、まだ二年しか付き合いのないフィラにはレックスの本心は少しわかりにくい所がある。
「してたしてた。結構してた。あいつ緊張すると話し始める前に自分の耳引っ張る癖があるのよ」
「でも、成績は結構良かったよね?」
「そうね、負けん気強いから。緊張しててもあまり力まないタイプらしいし」
「ふうん。そうなんだ……」
 入り口の扉にかけられた鈴が柔らかい音で鳴り、フィラは客を迎えるためにカップを置いて立ち上がった。
「いらっしゃいませ」
 軽く頭を下げてから顔を上げたフィラは、入ってきた人物を認識して動きを止める。
「あ、だ……領主様?」
 思わず漏れ出た呟きに、入り口に背中を向けていたソニアも振り返った。
「所用があって近くまで来たので……保護者の方は?」
「エルマーさんは今食材の買いつけに出ています。エディスさんが代わりに厨房に入っていますので、お話でしたらエディスさんに」
「ありがとう」
 ジュリアンは穏やかで礼儀正しく、かつ他人行儀な微笑を浮かべながら酒場の奥へ入ってくる。
「あなたは確か、花屋の……」
「ええ、ソニア・ヴィラールです。覚えていて下さったなんて光栄ですわ」
 ジュリアンはカウンター席のソニアの前で立ち止まって、優しげな調子で話しかけた。
「夏祭りには素晴らしい花をありがとうございました。城に持ち帰った後も、色と香りを楽しんでいたんですよ」
 ――なんだろう、この口調と雰囲気の違いは。
 カウンターの中でジュリアンのために濃いめのコーヒーを淹れながら、フィラは顔を伏せてむずがゆさをこらえる。ジュリアンがまるで別人のようで落ち着かない。
「皆さんに配っていたのとは別の花だったのでは? 今さらですが、もらってしまって良かったのでしょうか」
「もちろんです! あれくらいのことはさせて下さいな。私たち、領主様にお礼をしたかったんですもの」
「お礼、ですか?」
 初めて会ったときの高圧的な調子とも、夏祭りの時の不機嫌そうな様子とも違う。これがソニアが以前言っていた『優しいし、紳士的だし、親しみやすくて暖かい感じ』というやつだろうか。
「ええ。夏祭りで黄色い花を使うこと、お許し下さったでしょう? この町の花屋は皆感謝しているんですよ」
「感謝されるほどのことでは……花を愛でるのに、黄色い花を除外する必然性はありませんから。当然のことをしたまでです」
 苦笑混じりのジュリアンの声が聞こえる。今年の夏祭りでは前領主が『黄色が嫌いだから』という理由で制定した『街に黄色い花を飾ってはいけない』という条例が廃止されて、黄色い花も使用できるようになった。確かにそのおかげで、中央広場での花壇コンテストは前年よりも随分華やかなものになっていたのだ。
 感謝したいというソニアの言葉にも、それに対するジュリアンの返答にも、別に不自然なところはない。態度がちょっと違うだけだ。
 フィラは無理矢理自分を納得させながらミルクを火にかけ、厨房へ入ってエディスに声をかける。
「エディスさん、領主様がお見えになってます。何かお話があるそうで」
「領主様が? すぐ行くから、適当な席にご案内しといてくれるかい?」
「はい、わかりました」
 店内に戻ると、ジュリアンとソニアはまだ話を続けていた。
「理不尽な条例については、発見し次第撤回していくつもりです」
「嬉しいです、領主様。領主様がいて下さるなら、ユリンはきっと良い町になりますね」
「そうしたいと思っています」
 フィラは違和感を払いのけるように首を横に振り、口を開く。
「あの、領主様」
 フィラが控えめな声で呼びかけると、ジュリアンは顔を上げ、問いかけるようにフィラを見た。目が合った一瞬、作り物じみた微笑がふっと消えて、フィラはなぜだか逆に安堵を感じてしまう。
「エディスさん、すぐに来るそうですので、お好きな席にお座りになってお待ち下さい」
「ありがとう」
 ジュリアンはまた優しげな笑顔を浮かべ、カウンター近くのテーブル席の椅子を引いた。フィラはどうにか接客用の笑顔を浮かべてから、再びカウンターに入って温めたミルクを火から下ろし、表面の膜を取り除く。コーヒーポットと片手鍋を両手に持って同時にカップに注ぎ、ソーサーに乗せてジュリアンの席まで運ぶと、ソニアに背を向けていたせいか、ジュリアンは夏祭りの日に見たのと同じような無表情で目礼だけを返してきた。
「じゃあフィラ、私、そろそろ戻るね」
「あ、うん。それじゃあまた、夕食時に」
 遅い昼休みに出ていただけだったソニアは名残惜しそうに立ち上がり、酒場から出て行く彼女と入れ替わりにティナが入ってくる。ティナは店の奥にジュリアンの姿を発見して一瞬顔をしかめたが、すぐに猫の真似を続行して屋根裏へ上がっていった。
「お待たせしてすみません、領主様」
 ティナを見送っていたフィラの耳に、エディスの柔らかい声音が飛び込んでくる。
「いいえ、私の方が急に押しかけたのですから。私の方こそ、お時間を取らせてしまって申し訳なく思っています」
「いえいえ、この時間はいつも暇なんですよ。今は主人が留守にしていたもので、たまたま夕食の仕込みをしていただけですから」
 エディスはジュリアンの前の席に腰掛けながら、片手を振って笑った。
「フィラ、こっちはいいから、厨房でお鍋を見ていてくれるかい?」
「はい」
 振り向いて言ったエディスに頷き、フィラは厨房へ入る。
 エディスとジュリアンは、それからしばらくの間話し込んでいた。

「フィラ」
 厨房でシチューを煮込んでいたフィラは、エディスの声に顔を上げ、入り口へ振り向く。
「領主様があんたのピアノを聞いて、ぜひ援助したいって言ってくれたんだよ」
「援助……?」
 夏祭りの時言っていたことを、まさかこんなにすぐに実行に移すとは思っていなかったので、フィラは思わず呆然とエディスの言葉を繰り返してしまった。
「才能ある若者を助けることも領主としての役割なんだと。それで、酒場じゃなかなか練習できないだろうからって城にあるピアノを練習用に提供したいとさ。さすがにピアノの先生を呼ぶのは無理そうだけど、あんたは一応独学でもやっていけるんだろう? あたしは悪い話じゃないと思うんだけどね。どうする?」
 フィラは思わず視線を落とし、考え込む。
「どうするって……でも、私にはここのお手伝いもありますし……」
「そのことなんだけどね」
 入り口で立ち止まっていたエディスはフィラに歩み寄り、そっと両肩に手を載せた。
「あたしには音楽の才能云々はわからないけど、もしもあんたがピアノをちゃんと練習したいんなら、それを貫いて欲しいと思うんだよ。エルマーもきっと同じ意見だろうね。だからあんたの意見を聞かせて欲しい。きちんと時間を取って、本格的に練習したいかい?」
 エディスの瞳を見返しながら、どう答えようかと迷うフィラに、エディスはさらに言いつのる。
「酒場の手伝いのことは考えなくて良い。あんたはまだ若いんだし、自分が何をやりたいかってのが一番大事だよ」
 エディスはフィラの肩から手を離し、ふっと微笑して頷いた。
「まあ、まずは領主様と一緒にお城に行って、練習に使わせてくれるっていうピアノを見てきたらどうだい? 領主様も返事は急がないって言ってたし、帰ってきてからエルマーの意見も聞いて、ゆっくり決めれば良いさ」