第三話 不確定要素の雨

 3-4 約束の日

 炎が全て消し止められる頃には、もう夜明けが来ていた。フィラは消火は手伝えなかったので、交代で食事に来る僧兵たちのために深夜まで食堂でジェフと共に働き、その後はずっとフィアの手伝いをしていた。
 一番重症なのはレイヴン・クロウで、フィアはほとんどそちらにつきっきりだったので、フィラは意識のないダストの側についていた。頼まれたのは三十分おきにダストの『音』を測定して、変化があるようなら人を呼ぶこと。測定するためにはさっき渡された魔竜石のペンダントを使う必要があったため、魔術の発動はティナが担当してくれることになった。複雑な魔術式は全てペンダントにセットされているので魔術の発動自体はほぼ誰にでも出来るのだが、補助機器なしでの正確な測定には熟練を要するのだとフィアは説明してくれた。フィラは魔力を音として聞き取り、その音を正確に記憶しておくことが出来るので、改めて魔力測定のための訓練をする必要がないらしい。
「聴覚型の人は調整向きなんです。フィラの場合は魔力値がゼロに近いせいで、魔力を魔力として知覚できなかったため、聴覚型になったんでしょう。魔力値が低い場合はほとんどが視覚型になるので、聴覚型は主に先天的に目が見えない方に発現するんですけど、フィラの場合、音楽のために耳を鍛えていたから聴覚型になったのかもしれませんね」
 フィラが聴覚型だと聞いたフィアはそう説明して、ダストの魔力測定を依頼してきた。補助機器を使えるような僧兵はできれば消火とユリンの住民の避難誘導に回したいので、というのがその理由だった。もちろん、何か少しでも手伝いたかったフィラには断る理由などない。だからフィラは、ティナと共に夜明けまでダストのベッドの傍らで過ごした。
 深夜、一度様子を見に来たフィアが、魔女の再襲撃に備えてユリンの全住民を城内の地下に避難させることになったと教えてくれた。城の地下には、荒神や天魔の襲撃があったときのために住民全てを収容できるだけの冷凍睡眠《コールドスリープ》の装置が設置されているのだという。保護するためと余計なものを見せないため、両方の意味があるとのことだったが、今回は最終的に聖騎士を除く僧兵も皆そこに収容する予定だとフィアは言った。
 あの魔女に対抗できるだけの戦闘能力を持っているのは、聖騎士団のメンバーだけだ。だからそれ以外の人間は全員眠らせて、魔女の襲撃に備える。魔女の目的ははっきりしているから、眠っている人々にわざわざ手を出すことはないだろう、というのが、フィアの話の概要だった。
 魔女の目的がフィラであることは、ジュリアンと魔女が交戦したときの状況からしてもう間違いない。だからフィラは地下に避難することなく、このまま聖騎士団の保護下に置かれることになっている。
「どうして、魔女は……」
 窓の外の白んでいく空を眺めながら、フィラはぽつりと呟いた。ダストの枕元で丸くなっていたティナがぴくりと耳を動かして顔を上げる。
「……私を、狙うのかな。私の中にある力って、いったい何なんだろう」
「もうわかってるんだったらそのうち向こうから話してくれると思うよ」
 そんな気はする。そしてその時はそう遠くないだろうということも。
 でも、聞いたときに取り乱さずにいられるかどうかは自信がなかった。とんでもない力に違いないということは、もうフィラにも予想できている。
「どうして私は、こんな力を持つことになったんだろう。自分で選んだのかな」
 ウィンドや魔女から言われたことを考えればそういう結論に達するけれど、記憶を失う前の自分がどんな覚悟を持ってそう決めたのかわからないから、不安になる。
「もし私が選んだことだとしたら、ダストさんが暴走させられたのは……私のせいかもしれない」
 そう考えると怖かった。でも魔女は言ったのだ。フィラに『見せる』と。何のために、何を――?
「それは違います」
 冷たく落ちていきそうになる思考をすくい上げたのは、フィアの冷静な声だった。
「ダストさんが暴走させられたのは、もちろん魔女のせいです。他の誰も責任を負う必要はありません。あなたも、団長も。それに、あなたが持っている力は、私の予想が正しければ、団長にとっては起死回生のチャンスのはずです。迷惑をかけているなんて考える必要はないんです」
「フィア……」
 話しながら部屋へ入ってきたフィアを、フィラは呆然と見上げる。
「君もこの力の正体を知ってるの?」
 顔を上げたティナが訝しげに尋ねた。
「状況証拠から考えられることがあるだけです。私からお話しすることはできませんが、いずれ団長から話があると思います。恐らく、もう確信なさっていると思うので」
「……ふうん」
 ティナは不満げに頷いて、また身体を丸める。
「魔女――カルマがその力を狙うのは、利用価値があるからです。私たちがそれを守るのも、利用価値があるからに他なりません。迷惑をかけているのも、許しを請わなければならないのも、感謝するべきなのも私たちの方です」
 近くまで歩み寄ってきたフィアは、真っ直ぐフィラを見つめてそう言った。あくまでも冷静な表情を崩していないけれど、自分を『最低な妹』と言い切ったときと同じ空気を感じて、フィラは息を呑む。フィアの覚悟は、ときどきどこか怖い。
「感謝って……?」
「その力を、私たちの元へもたらしてくれたことを」
 静かにそう告げて、フィアはふっと肩の力を抜いた。
「で、そんな謝罪と感謝を捧げるべき相手に頼み事で申し訳ないんですが、もしダストさんの目が覚めたら私を呼んでいただけますか? 診察と、伝えておきたいことがあるので」
「あ、うん。わかった」
「よろしくお願いします」
 軽く頭を下げて、フィアは隣の診察室に戻っていく。それを見送りながら、フィラはため息をついた。責任を負う必要はないと言われても、考えずにはいられない。過去の自分はいったい何を選んだのだろうか、と。

 夜が明けきって陽光が窓から差し込み始めた頃、ダストはふっと目を開いた。
「あ……起きたんですね。気分は……?」
 明るい日差しを背景に身を乗り出しているのはフィラ・ラピズラリだ。
「最悪ね。死ぬほどじゃないけど」
 片手で目を覆いながら答えた。自分が何をやったのかは、なんとなく理解している。
「今、フィアを呼んできます」
「ええ。お願い」
 フィラに被害状況や現況を訊いたところで意味はないだろう。短く答え、フィラが隣室に去った後で深々とため息をついた。目を覆っていた手を持ち上げ、手の平を眺める。竜に変化した痕跡など認められない、人間のものでしかあり得ない弱々しい手。
「……まだ生きてる」
 苦く呟いた。
「殺してくれても良かったのに」
 今度ああなったら殺して良いとあれだけ言っておいたのに、あの男は。
「甘いわね」
 扉の外に気配がして、ダストは乱暴に手を下ろす。
「失礼します。竜化症の診察をいたしますね」
 入ってきたフィアは、落ち着いた様子でベッドの側に腰掛ける。診察しやすいように、抑えていた魔力を少しだけ解放してやる。それだけで普通の人間ならとんでもない威圧感を感じるらしいのだが、フィアは平然と診察を開始した。ダストの額や頸動脈や、魔力を感知しやすい場所に手を当てては効率よく魔力の流れを探っていく。
 後から入ってきたフィラも普通に振る舞っているが、あちらは魔力を感知できていないだけだろう。似ているようで似ていない双子だと思う。何もかもがわかりやすいフィラと違って、妹の方は読めない。
「魔力は落ち着いています。竜化症の進行も思ったほどではありません。団長の処置が早かったからでしょう」
「そう……」
 魔力をまた抑えこむ。自分でも暴走しそうな気配は感じなかったけれど、昨日の今日では解放しっぱなしにしたいとは思えなかった。
「カルマはずいぶん力を取り戻しているみたいね。意図的に暴走を引き起こせるほどとなると……これで私が追うことは不可能になったわ」
「ええ。他に対抗できるのは団長だけですが」
「あいつをカルマ捕獲に使えるわけないじゃないの」
 吐き捨てるように言うと、フィアは神妙に頷きを返してくる。
「もちろんです。しかし、カルマを野放しにしておくわけにもいきません。チャンスがあるとすれば、今しかないでしょう」
「罠を仕掛ける気なのね。餌は……その子?」
 ちらりとフィラを見やった。素直な少女は一瞬怯えたような素振りを見せたが、すぐに気丈にこちらを見返してくる。
「他に手はありません。全力で……守るしか」
「あなた、家族なんでしょう?」
 フィア・ルカという人間が何を考えているのか、少し興味を感じて尋ねてみた。
「今囮に使わなかったとしても、カルマが力を取り戻しつつある以上、危険性は時間経過と共に増大します。これはフィラを守るための戦いでもあると、私は考えています」
「そ」
 冷静で模範的な回答だ。
「私は……戦力になれそうもないわね。どこかに結界を作って、封印しておいてもらった方が良いかも」
「団長が準備を進めていると思います」
 ダストの判断も予想済みだったようだ。一瞬の躊躇もなく返事が戻ってきた。やりにくい相手だ。敵か味方か、判断しかねるだけに、なおさら。
 ダストが考え込んでいる内に、フィアのイヤーカフスに通信が入ったようだった。魔力波形パターンからすると、相手はフェイルだ。しばらく小声でやりとりした後で、フィアはダストに向き直った。
「避難の指示、残りはカイさんとフェイルさんでするそうです。ダストさん。団長に……お会いしますか」
 たぶん自分は、あからさまに不機嫌な表情をしたのだろう。フィアの後ろにいたフィラが、心配そうにこちらを見つめた。
「……やめておくわ。あいつ今、一番私には会いたくないと思うから」
 見たくないものを見せて、やりたくないことをやらせようとした。顔を見るのも嫌なはずだ。少なくともダスト自身は今ジュリアンの顔など見たくない。どの面下げて会えと言うのか。
「それよりそっちのお嬢さんを戻した方が良いんじゃない? あなたじゃ何かあっても守り切れないはずよ。もちろん、今の私にもね」
「そうですね」
 フィアは落ち着き払った様子で頷いた。
「フィラ。すみません、外にランティスさんが来ていますから、団長執務室まで連れて行ってもらってください」
 振り返って言った内容は、完全にダストの返答を予想していたからこそ出てくるものだった。
 ――喰えない女。
 カルテに何か真剣な表情で書き込んでいるフィアを横目で見つつ、ダストはそう評価を下した。

 ランティスに連れられて団長執務室へ行く途中の廊下で、ジュリアンと出会った。
「今、そちらへ行こうとしていた。ランティス、悪いが、地下でカイを手伝ってやってくれ。フィラの護衛は私がする」
 明らかに疲労の滲む表情で、それでも淡々とジュリアンは言う。
「あ、ああ。了解」
 ランティスは何か一瞬言いたげな素振りを見せたが、すぐに踵を返して廊下を引き返していった。
「約束を果たす。ついて来てくれ」
 先に立って歩き始めたジュリアンを追いながら、フィラは「約束?」と首を傾げる。
「ベイカー夫妻が来ている。冷凍睡眠《コールドスリープ》に入る前に話しておけ。その次は、いつ会わせてやれるかわからない」
 静かな宣告に、胸が詰まるような心地がした。最後かもしれない。そう思うと、寂しさと共に言いようのない心許なさがこみ上げてくる。何か言えば泣きだしてしまいそうで、頷くことしか出来なかった。前を行くジュリアンには見えていないと、わかっていたのに。