第四話 光の名前

 4-1 魔力制御訓練

 何の夢を見ていたんだろう。
 目覚めてからしばらくの間、目を閉じたままぼんやりと考えていた。懐かしいような切ないような気持ちが胸を締め付けているけれど、それがどこから来るものなのかわからない。思い出そうとしても夢の残滓は捕まらなくて、フィラは諦めてゆっくりと瞳を開く。
 見慣れない風景。窓から差し込む光は短くて、今が正午に近いことを示している。ここはどこだろう。旅先のホテルだろうか。目の前にあるローテーブルもその先にある二人掛けのソファも、先生《エステル》が取るホテルにしては高級すぎる気がするけれど。
 ――違和感。
 勢いよく起き上がって周囲を見回す。羽織った団服に触れて、混乱していた記憶がようやく鮮明になってくる。ここはユリンだ。閉ざされた町。旅先なんかじゃない。先生がいるはずもない。なぜなら先生は。
(……先生?)
 って、誰だろう。
 思い出そうとすると、目の奥が重く痛んだ。蘇ったはずの記憶は、あっという間に意識をすり抜けて無意識の闇の中へ消えていってしまう。痛む頭を押さえながら、フィラはただ思い出せないという事実だけを噛みしめた。踊る小豚亭での生活に戻れないとわかってから、思い出したい気持ちは増している。例え帰る場所がないのだとしても、せめてなぜこの力を得ることになったのか、それを知りたかった。
 痛みに耐えながら考え込んでいたフィラは、執務室へ続く扉がノックされてはっと顔を上げる。
「……起きたのか」
 入ってきたジュリアンはこめかみを押さえているフィラを見て微かに眉をしかめた。
「何かあったのか?」
「いえ、ちょっと夢を」
「魔力が乱れている」
 ジュリアンはフィラの隣に腰掛けると、「触れるぞ」と一言声をかけてからフィラの額に手を当てた。目を閉じると聞こえる気がする。金属が触れ合うような魔力の音。フィラの中で不協和音を奏でていたそれは、一瞬で調律される。昨夜フィラがやった調律とは、比べものにならない早さだった。不協和音と共に頭痛も消える。
「カルマが夢に出てきた、わけではないな?」
「はい……たぶん」
 夢の内容は覚えていないけれど、数日前の悪夢のような恐怖は感じなかった。
「どんな夢だったかは覚えてないんですけど、目が覚めたとき一瞬ここがどこだかわからなくて、それで……先生が取ったホテルにしては家具が高級すぎるって思ったんですけど、先生が誰なのか……」
「お前を引き取って育てたピアニストだろう。エステル・フロベールという名の女性だ」
 手を下ろしたジュリアンが、冷静な声で答える。
「エステル……?」
 聞いたことがある、ような気がする。脳裏に浮かぶのは断片的なイメージだ。お酒の匂いと、狭いトレーラーハウスに詰め込んだ二台のピアノ。ピアノの奥から笑いかける、人を食ったような微笑。
 その顔を思い出そうとした途端、また頭が内側から叩かれるように痛む。息を止めて痛みをやり過ごそうとするフィラの額に手を当てて、ジュリアンはまた『調律』した。
「無理に思い出さなくて良い。どうやら思い出そうとすると魔力が乱れるみたいだな」
「どうして……?」
 痛みは引いたけれど、頭の後ろ辺りがぼんやりと痺れているような感じがする。
「お前の中にある力が光の巫女の力だとしたら、封じたのは先代の巫女だ。意図は不明だが、リラの魔力と共にお前の記憶も封じたんだろう」
「封印が解けたときが、記憶が戻るときってことですか?」
 上手く働かない思考を叱咤してどうにか話について行こうとする。
「確言は出来ないが、恐らくそういうことだ。封印が解けない理由も封じた人間に聞かなければわからないが、たぶん今解いても魔力を制御することが出来ないからだろう」
「制御できなかったら……?」
 聞くのは怖かったが、勇気を振り絞った。今更怖がっている場合ではない気がする。
「それがリラの魔力だとしたら、制御できないと相当悲惨なことになるだろうな。最悪の場合、周囲の者も巻き込んで消滅《ロスト》する可能性もなくはない。まずは魔力制御の訓練を受けてもらった方が良さそうだ」
「ま、周りも巻き込んでって……」
「そこまで酷いことにはそうそうならないはずだ」
 困惑した視線を向けるフィラにジュリアンは微笑を返す。安心させようとしているのがわかる、完璧で穏やかな笑みだった。嘘くさい笑顔に何となく騙されているような気分になりながらも、その言葉に耳を傾ける。
「カルマがやろうとしているように無理矢理その力を引き出したりしなければ、周りを巻き込むほど酷い暴走をすることはない。仮に制御できるようになる前に封印が解けてしまっても、俺がまた封印できる。その点は安心して良い」
「それは……えーと、頼りにしてます」
 他に頼れる人などいないのだから、そう言うしかない。少しだけ不満そうだったのにはたぶん気付かれただろうが、ジュリアンは特に反応せずに立ち上がった。
「目が覚めたなら治療室に付き合ってくれ。ダストと話をする必要がある」
 ふと、その表情が曇る。
「大丈夫、ですか?」
「何がだ?」
 ちらりと視線を向けられて、フィラは返答に迷う。躊躇うような気配が気になっただけなのだが、聞き返されると答えづらかった。
「えっと、ダストさんが……団長は、自分とは会いたくないだろうって」
「……ああ。まあ、たぶん、怒られるだろうからな」
 視線を逸らしたジュリアンは、微かに眉根を寄せて呟く。
「怒られる?」
 なぜ助けた側が怒られるのか、わけがわからない。
「今度ああなったら殺してくれと頼まれていた」
 表情を消してあっさりと答えるジュリアンに、フィラは息を呑んだ。
「そんな……どうして……」
 思わず呟いてしまったけれど、同時にダストなら言うかもしれないと考えている。そしてそれは、つまりジュリアンでも言いそうなこと、のような気がした。なぜかわからないけれど、自分の命に対して投げやりなところが二人には共通してあるような気がする。リサが以前二人の間にある感情を『同族嫌悪』と評していたことを思い出す。
「自分が死んでも誰も悲しまないから構わない、と」
「そんなこと、あるわけないのに……」
 あるわけがない。絶対に頭ではわかっているはずなのに、実感できないのだろうか。
「そうだな」
 ダストのことならばあっさりと同意するジュリアンも、自分のこととして言われたら違う返事をするのかもしれない。そう思うと得体の知れない不安感が足下から立ち上ってくるような心地がした。
「お前は……ダストが死んだら泣くのか」
 ぽつりと、虚脱したような調子で疑問を向けられる。
「……泣きますよ」
 ほんの僅かな関わりだけでも、ダストが厳しいだけの人ではないことはわかっていた。たぶんダストがフィラに関わろうとしたのは、聖騎士団か、あるいはジュリアンのためなのだろうけれど。
 儚い望み、と、ダストは言っていた。ダストが踏み込んで欲しいと願った『あの男』は、たぶんジュリアンだ。ダストがジュリアンに対して抱いている感情はわからない。でも、本当は踏み込んで欲しいのはダストの方ではないのだろうか。
「団長だって……同じ、はずです」
 殺して欲しいなんて、そんなのは嘘だ。何の根拠もないけれどそう思う。ダストがジュリアンに向ける不器用な親愛の情を思えば、そんな残酷なことを本気で願うなんてあり得ない。自分は蚊帳の外の人間なのだとわかっていても、そう言うしかなかったダストの思いが悲しかった。
「俺はきっと『誰か』のうちには入らないんだろう」
「え……?」
 意味がわからなくて目を瞬かせる。
 ――誰か。ダストが死んで、悲しむ『誰か』。
 その中にジュリアンが入らないとは、どういう意味なのだろうか。
 けれどジュリアンはフィラの疑問から目を逸らし、小さく首を横に振ってなかったことにしてしまう。
「いや。何でもない。行こう。あまりのんびりしてもいられないからな」
 そう言われてしまえば、フィラも慌てて立ち上がるほかなかった。

 借りていた団服をジュリアンに返してから執務室を出て治療室に着くと、ジュリアンはダストのいる部屋へ一人で入っていってしまった。
「避けてたのになんであっちから来るのさ」
 治療室で待っていたティナがぶつくさと文句を言う。余程ジュリアンと顔を合わせたくなかったらしい。
「なんであんなに喧嘩腰なのかなあ……?」
 意味もなく扉に向かって毛を逆立てているティナを眺めながら、窓際のベンチに腰掛けたフィラは首を傾げた。
「感情的な理由はわかりませんが、感覚的に受け付けないのは恐らく酔うからでしょう」
 診察机でカルテの整理をしていたフィアが横から答える。
「団長の魔力は強すぎますから、ティナさんのような力の弱い神は影響を受けすぎるんだと思います。普段は制御されているはずですが、今は特に駄目でしょうね。魔女に対抗する結界を維持するために、いつもより放出量が多くなっているはずです」
 威嚇を止めてフィラの膝の上に飛び乗ってきたティナは、「単にあいつが気に入らないだけだよ」と不機嫌に言って身体を丸めた。
「ね、フィア。魔力制御の訓練ってどうすれば良いの?」
 ふと思い出して尋ねてみる。
「そうですね……フィラの場合、とりあえず制御する魔力がありませんから、普通に魔術の基礎演習から入ってみましょうか」
 それだけで実践をしようと提案してくるフィアは、フィラが魔力を制御する必要があることに気付いていたのかもしれない。
「それで魔力を操る感覚を覚えられれば、制御するのにも役立つはずです」
 立ち上がったフィアはフィラの隣まで来て腰掛けた。
「手始めに昨夜お渡しした魔竜石の魔術を自力で発動させる練習をしましょう」
「お、お願いします」
 姿勢を正し、首にかけたままだったペンダントを左手で握りしめる。
「魔術を発動させた際、魔竜石から何かが流れ込んでくるような感覚があったと思います。その源へ遡っていって触れる感覚です。やってみてください」
「うん……」
 目を閉じてその時の感覚を思い出そうとする。魔竜石から流れ込んでくる不思議な感覚。耳を澄ませば、そこから音が聞こえてくるような気がする。音源を探るように、その源を探す。
「触れたらそこから力を引き出すんですが、これは多分に感覚的なものなので、自分に合ったやり方を見つけるしかないですね。私に触れながら試してみてください。私の方から音が聞こえたら成功です」
「わかった」
 指示されたとおり、フィアの手首に触れながらいろいろと試し始めた。どんな感覚をどういう風に使えば良いのか最初はさっぱりわからなかったが、『触れた』気がする何かにどうにか干渉しようと意識する内に、だんだん感覚の使い方がつかめてくる。
 フィラが魔術を発動させるまでに、それから三分ほどかかった。

「よく来たわね」
 本当のところ、「よくも来てくれたわね」とでも言いたかったのだろう。まったく歓迎する気のないダストにため息をつきながら、ジュリアンは病室へ入った。背後ではティナが威嚇している気配がしていたが、それを遮断するように扉を閉める。
「レイヴン・クロウの命に別状はない。ただ、カルマの再襲撃までに回復するのは不可能だろう。フェイルと共にカナンに避難してもらう」
 前置きもなく報告を始めたジュリアンに、ダストはほっとしたような不快なような複雑な眼差しを向けた。
「カルマの再襲撃までは三日ほど余裕があるはずだ。お前とクロウが反撃してくれたおかげで、時間を稼ぐことが出来た。感謝している」
「どうでも良いのよ。そんなことは」
 ダストは苛立ったように言葉を遮る。
「それで、私の処分は?」
「カルマの再襲撃を切り抜けるまで、ユリンの住民同様、眠っていてもらうことになる」
「それだけ? 良いけど、カルマ討伐の役にも立たないなら私なんて殺してしまった方が楽なんじゃないの? 中央省庁区のお偉方だって元敵方の戦略兵器なんて獅子身中の虫だとしか思っていないはずだし、誰も文句は言わないはずよ」
 予想していた意見だった。ダストはジュリアンに次ぐ魔力を持つ聖騎士団の主戦力だが、カルマに暴走させられるのであれば戦闘には参加させられない。それはここ数年カルマを追い続けていたダストにとっては、自らの存在意義すら脅かすような大きな打撃だ。それでも。
「それは出来ない」
 簡潔に拒絶すると、ダストの表情が訝しげに歪んだ。
「何故?」
「フィラが、泣くからな」
 他に与えるべき任務はあるとか、もっともらしい理由はいくらでも考えられたはずなのに、ほとんど無意識に滑り出ていたのはまったく説得力のなさそうな台詞だった。
「……は?」
 何を言っているのかわからない、という表情で、ダストは呆ける。馬鹿なことを言っていると、呆けたダストの表情を見ながら思った。慣れないことをしたせいか、さっきからどうも調子が狂っている。
「ちょっと……正気で言ってるの?」
 それでも撤回する気にはなれなかった。
「ああ。だから死にたいなどと考えるな。それに、ルーチェとの約束、果たしてないんだろう」
 ダストの表情が歪む。怒っているようにしか見えなかったが、不思議なことに泣き出す直前のようにも思えた。
「今、それを言うの? ……ずるいのね」
 ダストがその約束を、果たせるはずがないと諦めようとしていることはなんとなく知っていた。それでもダストがルーチェとの約束を諦められるはずがない。わかっていて言う自分は確かにずるいのだろう。
「結界の準備は出来ている。動けるようになったら、地下でカイに封印してもらってくれ」
 ダストは顔を伏せ、低く「了解」と呟いた。