第四話 光の名前

 4-3 類似する違和感

「なるほど。君のお姉さんならきっとすぐジュリアンも骨抜きになりますね」
「どういう意味です?」
 盗聴を恐れながらの遠回しな報告に、フランシスが出した結論はそれだった。レイヴン・クロウもダストもいなくなった治療室で、フィアはデスクトップ型の通信端末を前に眉根を寄せている。
「俺と彼は似たもの同士だから。俺が君に骨抜きなのと同様に、ジュリアンもきっと」
「フランシス様」
 少しだけ強い調子でその言葉を遮った。
「今はそのような冗談を言っている場合ではないはずです」
「わかってますよ。カルマをユリン結界内に侵入させた何者かはこちらで処理します。さすがに事が事だけにレイ家だフォルシウス家だと言っていられませんからね。ま、上手く利用すれば聖騎士団にとっては良いチャンスだと思いますが」
 端末の向こうのフランシスはいつも通り感情の読めない笑顔を浮かべている。幼い頃からこの笑顔を見慣れてきたせいか、フィア自身もずいぶんと感情を隠すのが上手くなったと思う。それでもこの人に対するときだけは、どうしても感情を上手く抑えられないことがある。本当は一番隠しておきたい相手だというのに。
「それにしても君、そんな顔して怒るんだ。初めて見たな」
「気のせいでしょう。私は貴方に対しては割と頻繁に怒りを感じています」
 笑顔を浮かべる余裕もなく、完全な無表情と平坦な声でフィアは言った。端末の向こうのフランシスの表情が、わざとらしく「やばい、怒らせた」と言いたげに引きつる。
「そんなことばかり言っていると、利用価値の高い部下があっさり本当に聖騎士団側に寝返ってしまいますよ」
「ま、まあ、そう言わずに。もう少しだけ俺のかわいい部下でいてください」
「もう少しだけ、ですか」
 わかっていたことだ。どちらにしろ、もうあまり時間がない。フランシスの願いが叶えられるにしろ叶えられないにしろ、どちらか決まった後でフランシスがフィアの力を必要とするとは思えなかった。
「そう。もう少ししたら、君にも自由ってやつをあげられると思うから」
「……いりませんよ。そんな恐ろしいもの」
 今さらそんなものを得て何をしろと言うのだろう。冷酷に利用されるよりそちらの方が余程残酷なのだと、フランシスはわかっていない。
「寝返るつもりは今のところありませんが、フランシス様のためにこの命を捧げると言った言葉はしばらく守れそうにありません」
「ああ。良いですよ。君の命を使うつもりなんて元々なかったから」
「例え必要になったとしても、という話です」
 ふと、フランシスの表情から柔らかさが消えた気がした。
「あなたのために命を使うことにためらいは覚えませんが、しばらくは死ねない理由が出来ました。……それに、死んだら姉にめちゃくちゃ怒られそうですからね」
「……もしかして、俺は怒らないとでも思ってる?」
「え……?」
 低く呟かれた言葉に目を瞬かせる。
「いえ、何でも。そろそろ切りますよ。たまにはこっそり連絡くださいね」
 フランシスの表情は、既にいつも通りの内面を押し隠した優しげな笑顔だった。
「ええ、可能であれば」
 接続が切れて、フィアはそっと息を吐く。
 思わず聞き返してしまったけれど、ちゃんと聞こえていたし意味もわかっていた。
 フランシスは、フィアが死んだら怒ってくれるのだろうか。――悲しんで、くれるのだろうか。
「困ったな……」
 呟きながら、頬が熱くなるのを感じる。
 道具以上の存在になんて、なるつもりはなかったのに。それなのに、嬉しいと思ってしまうなんて。

「終わった〜! 完了〜!」
 ジュリアンと共に食堂に移動する途中、廊下の向こうから歩いてくるリサと出会った。
「お、団長! お疲れ!」
 大きく伸びをしていたリサは、ジュリアンを見かけると軽く右手を上げて挨拶を送る。
「ユリン市街地は空になったよ。残ってる人一人もなし。結界の補修も応急手当だけど完了。午後は今城内に避難してる残りの住民と僧兵みんな眠らせてそれで終わりかな。ジェフっちも昼飯食わせたら寝るって言ってたから早めに行っといたげた方が良いよ〜」
「ああ、わかってる」
 雑談だか業務連絡だかわからない調子だったが、ジュリアンは慣れた調子で頷いた。
「んでさ……あれ? フィラちゃんは? 護衛ジュリアンじゃなかったっけ?」
 話の途中で急にきょろきょろと辺りを見回したリサにフィラは目を丸くする。
「そこにいるだろう」
 視線で示されて、リサは「え」と声を漏らした。
「……あ、ホントだ、魔力ない。フィラちゃん、団服借りたんだ?」
「はい。サイズ一緒なので」
 一瞬の沈黙の間に魔力を感知したらしいリサに尋ねられて、フィラは不思議な気分で頷く。二人並べてみないと意外とわからないのだろうか。
「や……マジでフィアちゃんだと思ってたわ。やっぱ似てるねー。さっすが双子!」
「そんなに似てるか? 似てるならその方が助かるんだが」
 先ほど一発で見分けたジュリアンはうさんくさそうに眉根を寄せている。
「似てる似てる。魔力ないから魔力探査《サーチ》すればすぐわかるけどさ。雰囲気違うと思ってたんだけど、意外とそうでもない? なんかフィラちゃん大人っぽくなった?」
「え……? そうですか?」
 服装のせいだろうか。だとしたら、やっぱり二人並べて見ると違うのかもしれない。
「気のせいかなあ? でもそっくりだな〜」
 リサは小首を傾げながら遠慮なくフィラを観察する。その視線が落ち着かなくて、フィラは小さく身を縮めた。しばらくフィラの全身を観察していたリサの視線が、ふと廊下の向こうへ移動する。
「ていうか、ティナちゃんは何であんな離れたところにいるの? こっちいたらすぐフィラちゃんだってわかったのに」
 言われて振り向くと、かなり離れた廊下の向こうでティナが毛を逆立てていた。そういえばさっきジュリアンと廊下に出て行ったときも、そのまま遠くまで逃げてしまっていたことを思い出す。
「そいつに近付きたくないんだよ! 今日は特に!」
 会話が聞こえたらしく、ティナは威嚇するように背中を丸めながら怒鳴った。
「あー……なるほど。酔うからか。ま、がんばって」
 リサは軽い調子で手を振って、再びフィラに向き直る。
「それはさておき、フィラちゃんにジェフっちから伝言。ジェフっち寝ちゃったらまともに料理出来るのランティスと双子ちゃんだけになるから食事の面倒は頼んだ、数日分の食料は用意しとくから、お昼ご飯の後で確認してくれだってさ」
「あ、はい、わかりました」
 フィラが頷くと、リサは今度はジュリアンに向かってウィンクを飛ばした。
「んじゃ、私城内の結界強化してくるわ。設計図はさっきもらった奴で良いんだよね?」
「ああ、頼む」
 まったく動じないジュリアンに「まっかせっなさ〜い!」と歌うような調子で言って、リサはほとんどスキップするような調子で走り去る。
 リサにかかればユリンの住民を全員冷凍睡眠させることも、まるでただの午睡のようだ。緊張感がないように見えるけれど、本当のところはわからない。ダストが竜に変身していたときの様子からして、軽い調子で本心を隠してしまうのがリサの癖なのかもしれない。
 そんなことを考えながら歩いている内に、食堂に着いていた。
 昼食時の割りに食堂は空いていた。ちょうど食事を終えた僧兵のグループが、緊張した様子でジュリアンに敬礼して二人と入れ替わりに出て行く。それで食堂の中はほぼ空っぽになり、残っているのは厨房のジェフとカウンターで食事が出てくるのを待っているランティスだけになった。
「よう。そっちはどうだ?」
「問題ない」
 片手を挙げて挨拶してくるランティスの隣にジュリアンも立つ。
「今日は残り物の片付けだからメニューは選べないわよ〜」
「ああ、わかっている」
 くねくねと告げるジェフに答えて、ジュリアンはランティスに向き直った。
「城内の結界構築は完了した。今リサが現場を確認しつつ要所の強化をしている」
「流石、予定より早いな。で……あ、あれ?」
 ジュリアンに習ってカウンターに並んだフィラに目をやった途端、ランティスの表情が困惑に染まる。
「フィラちゃん? フィア?」
「……フィラに決まってるだろ」
 リサに対するより幾分不審げな表情で、ジュリアンが答えた。
「だ、だよな! いや駄目だ、団服着てると見分けつかねえ……」
「人間の視覚って騙されやすいんだね」
 いい加減逃げ回るのにも飽きたのか、フィラの肩に飛び乗ってきたティナが呆れた声で呟く。
「服装だけで見分けてたのがわかっちゃったわねえ」
 私も騙されかけたけど、とジェフに苦笑を向けられて、フィラも曖昧な笑みを返した。ジェフとフィラは会って間もないけれど、ジェフとフィアは毎日のように顔を合わせているはずだ。さっきリサにも間違われたことと言い、どうやら思った以上に似ているらしい。
「団服、部外者に着せて良いのか?」
「緊急事態だから構わないだろう。負傷者の体温保持にも使うくらいなんだからな」
 ジュリアンが答える間に、ジェフが三人分の昼食を持ってくる。回転テーブルからそれを受け取ると、なんとなく三人同じテーブルに着くことになった。

「ご馳走様でした。あの、私、ジェフさんにお話聞いてきますね」
 昼食を食べ終わると、フィラはまだコーヒーを飲んでいる聖騎士二人を置いて立ち上がった。
「ああ。厨房に入る際の身体検査は省略して良い。許可する」
「ありがとうございます」
 ジュリアンに頷きながら、フィラは三人分のトレイを器用に持って運んでいこうとする。
「食器なら自分で」
「ついでですから」
 立ち上がろうとしたジュリアンを言葉で制して、フィラは厨房へ歩き去った。ティナがすぐにその後を追う。その背中を、なぜかランティスは厳しい表情で見つめている。
「どうした?」
 座り直しながら尋ねると、ランティスは複雑そうな表情で口を開いた。
「泣いてるかと思ったら、意外と元気そうだな」
「……ああ」
 実際、泣いてはいたのだが、それをランティスに話す気にはなれなかった。食堂側に開いた食洗機の開口部に食器を放り込み、厨房に入っていくフィラをなんとなく二人で眺める。
「どうするんだ? カルマの言動からすると、お嬢ちゃんがアレだって可能性は高いんだろ? 違ってたら救われねえが、これ以上光王庁から隠しておくのも無理だ。今は通信線が遮断されているが、フェイルが中央に援軍を頼むって事はこれも話さないといけないんだろ?」
「そうだな。今回の神域との交差、前日の礼拝堂への転移……そこまでは報告してもらう。彼女がユリンへ来たのはラドクリフが領主をしていた頃だ。その頃の状況は光王庁に調査を依頼する。新たな情報は出ないだろうが」
 実際には聖騎士団側で調べ尽くしているのだが、それを光王庁に報告するわけにはもちろんいかない。
「まあでも、こっちが知らなかったって言い訳にはなるよな」
 事実が知られればラドクリフは相当重い処分を受けることになるだろうが、流石にそれを気にしてやれるほどの慈悲深さは持てそうになかった。
「問題はその後だろ。今のレイ家じゃ、養子に取ってもすぐにフランシスとの縁談を進められちまう。俺たちが嬢ちゃんを確保するとしたら」
「わかっている」
 厨房でジェフと話しながらクーラーボックスを用意しているフィラは、ジュリアンの求婚を受け入れてからすっかり元の調子を取り戻しているように見える。不安がないはずはないのに、一つずつ目の前の事象を受け入れようとしている彼女の強さに、甘えている自覚はあった。
「良いのか? もし承諾してもらえなかったら」
「団長!」
 厨房に通じる回転テーブルが半分だけ回されて、その隙間からフィラの呼び声がする。
「食料って五日分で大丈夫ですか?」
「ああ、充分だ。人数は五人分と一人分に分けておいてくれ」
 少しだけ声を張って答えると、フィラは「わかりました」と答えてまた中に引っ込んだ。
「……順応性高ぇ」
 ランティスが感心しきった声を上げる。
 全くだと思いながら、同時に途切れてしまったランティスの疑問の続きを考えていた。
 もし承諾してもらえなかったら、魔術でも使って彼女の心をねじ曲げるしかなかったけれど、そうなる可能性は考えられなかった。フィラに他に選択肢はないと知っていたし、ジュリアンの方にも他の選択肢がないとわかっていれば断れないくらいには、フィラはたぶんお人好しだ。
 ならば何を緊張する必要があったのか。リラ教会の最高機密を話す時よりも緊張していたなんてどうかしている。
「どうした? 眉間にすげえ縦皺できてるぞ」
「いや……何でもない」
 ジュリアンは首を横に振って、考えても意味のない疑問を振り払った。