第六話 終わりの始まり

 6-1 家族のかたち

 ジュリアンが積極的に訪問を決意したと知ったフェイルとエリックが張り切ってスケジュールを調整したらしく、翌日のレイ家訪問はあっさり決まった。予定が決まる前の早朝からものすごい勢いで一日のノルマを片付けたり調整したりしたジュリアンは何とか常識的な時間に仕事を切り上げて帰ってきて、フィラと一緒にレイ家へ向かった。平然としているように見えるけれど、寝不足の上ここしばらくの多忙に加えて二日連続で無理なスケジュールをこなしているのだから、疲労はかなり蓄積されているはずだ。今日も遅くまで話しそうだが、明日は休む暇があるのだろうか。
 ――すごく、なさそうな気がする。
 ぼんやりとティナを撫でながら疲れを取る良い方法がないだろうかと考えていたら、いつの間にかレイ家についていた。
「久しぶり! 良かった、元気そうね」
 車を降りるとすぐに、エリックより先に出迎えに出てきたセレスティーヌが嬉しそうにフィラの手を取る。モニター越しにはほとんど毎日話していたのだが、実際に顔を合わせるとまた違う実感が湧くらしい。
「ニーナとリーゼルも心配していたのよ」
 家庭教師のリーゼルとも毎日モニター越しに顔を合わせていたけれど、レイ家のお手伝いのニーナとは本当に結婚式の前日以来会えていない。
「明日は早めに来るって言ってたから、顔だけでも見せてあげてね」
 それからセレスティーヌは視線を巡らせて、エリックに車を預けてこちらへ歩いてきたジュリアンを見上げる。
「ジュリアンも、お帰りなさい。二人が無事で本当に良かったわ」
 ほっとしたように微笑むセレスティーヌは、思わず見惚れてしまうくらい綺麗だった。
「それでね、疲れているところ悪いんだけど、ランベールが話したいことがあるそうなの」
「わかりました。行ってきます。父上は書斎に?」
「ええ」
 微笑むセレスティーヌに頷いたジュリアンは、フィラに「また後で」と声をかけてから先に邸の中へ入っていく。
「フィラは……どうかしら? 私のおしゃべりにつきあってもらえたら嬉しいのだけれど」
「はい、もちろんです!」
 久しぶりにセレスティーヌと顔を合わせて話せるのが嬉しくて、思わずすごい勢いで頷いてしまった。肩の上のティナが若干引いてしまうくらいの勢いだった。
「良かった。積もる話がいっぱいあるのよ」
 セレスティーヌも嬉しそうに両手を打ち合わせる。
「今日は私が夕食当番だから、準備しながらになるけど」
「手伝います。久しぶりですね」
 セレスティーヌと笑い合いながら邸の中へ入り、部屋に置かなければならないような荷物もないので真っ直ぐ厨房へ向かった。
「ふふ、ありがとう。ちょっと期待してたの」
 悪戯っぽく笑うセレスティーヌは、何だか幸せそうだ。
「今日来るって聞いてね、ランベールほどのご馳走は作れないけど、私も頑張ってみようと思って」
「楽しみです」
 出された途端に思わず拍手したくなるようなランベールの料理も、じんわりと懐かしさがこみ上げてくるようなセレスティーヌの料理も、同じくらい好きなフィラは心の底からの感想を告げた。

 夕食の準備は近況報告会の様相を呈した。モニター越しに話すときは、いくら専用回線だとわかっていても誰かに聞かれる可能性がありそうで、ここまで話は弾まない。ちゃんと栄養と睡眠は取れているか、疲れは溜まっていないだろうかとジュリアンのことを心配するセレスティーヌに一つ一つ答えながら、「お母さん」なんだなあと思う。
 記憶を取り戻しても、フィラの過去の中に母親の姿はない。エステルは確かにフィラを育ててくれたけれど、彼女は最初から最後まで「母」ではなく「師匠」だった。だからフィラの中で母親のイメージはエディスだったのだが、最近ではセレスティーヌも同じくらいフィラの中で母親のイメージに影響を与えている。いろいろな家族の形があることは知っているし、初めて来た時はここも少し歪なところがあったけれど、最近は見ていて眩しくなるくらい素敵な家族の形を見せてもらっていると思う。リタがここにいれば良かったのにと思ってしまうくらいに。
 近況報告から魔術の訓練と料理の話を行ったり来たりして盛り上がっているうちに、あっという間に夕食の時間になった。フィラが知らない仕事中のジュリアンのことを補足してくれていたティナが、ジュリアンとランベールの話がそろそろ終わると知らせてくれたので、フィラとセレスティーヌも話を切り上げて食卓を整え始める。
 エリックも加えた久しぶりの食卓は、前回よりもリラックスした雰囲気で進んだ。ランベールもセレスティーヌももう気兼ねなくジュリアンに話しかけるし、ジュリアンの方も尋ねられるままに自分の日々の生活や聖騎士団内にとどめておきたい機密事項以外の仕事について話している。何となく、フィラが居候を始める前の酷い住環境と食生活については意図的に伏せている気配を感じないでもなかったが。
 夕食とその片付けが終わると、ランベールは改まってジュリアンに向き直った。
「先ほどの話の続きがしたい」
 食堂に漂う何となく張り詰めた空気に、フィラは落ち着かない気分で肩の上のティナを撫でる。
「フィラを同席させて構いませんか?」
 ジュリアンの方もどこか緊張しているようだ。一体何の話なのだろう。首を傾げるフィラをちらりと見て、ジュリアンはまたランベールへ視線を戻した。
「サーズウィアの話ならば……光の巫女である彼女にも関係のあることです」
 セレスティーヌが微かに息を呑む。ランベールも一瞬言葉に詰まった様子だったが、すぐにいつも通りの無表情を取り戻した。
「……お前が良いと判断するならば」
「ありがとうございます」
 頷いたランベールは不安そうに成り行きを見守っているセレスティーヌに微かに笑いかける。
「お前も聞くか?」
「ええ、聞くわ。何も……言えることはないかもしれないけど」
 少しだけ青い顔で、けれどはっきりとセレスティーヌは頷いた。
 それから一同は応接間に移動して、少し遅れて入ってきたエリックが淹れた紅茶を前に互いに様子を伺う。
「さて、どこから話せば良いのか……」
「先ほどの話の続きから」
 言い淀んだランベールに、ジュリアンが静かに答えた。ランベールの視線が一瞬困惑したようにフィラに向けられたが、ジュリアンは真っ直ぐに父を見つめたまま再び口を開く。
「先ほど父上には説明しましたが、サーズウィアを呼んだ後、生還することを考えています」
 セレスティーヌとエリックがまじまじとジュリアンを見つめた。
「問題はその手段だ。方法があるのか」
 困惑する二人に代わって、ランベールが冷静にその先を促す。
「……フィラを、連れて行きます」
 完全に感情を押し殺した平坦な声でジュリアンは答えた。おろおろとフィラとジュリアンを見比べるセレスティーヌを落ち着かせるように、ランベールは静かにその手を握り、また離す。エリックも動揺しているようだが、必死で表に出さないようにしているようだった。あらかじめ聞いていたティナだけがフィラの膝で丸くなったまま片眼で皆の様子を伺っている。
「その理由は?」
 セレスティーヌとエリックの様子が落ち着いたのを見計らって、ランベールはいっそ穏やかにすら見えるほど見事に感情を押し殺して先を促した。
「竜化症の進行を食い止めるためと、それから……私を呼び戻してもらうためです。それができるのは、彼女だけだ」
「実績からすれば、そうだな」
 ランベールの言葉にフィラは実績とは何だろうと考え込む。
「リラの力が暴走した時のことだ。あの時の記録は、サーズウィアを呼ぶ際のシミュレーションデータとして利用できる。実際にはさらに長時間耐えなければならないのだろうが」
 その様子を目にとめたランベールは淡々と説明して、それからまた真っ直ぐジュリアンに向き直った。
「守り切る自信があるのか」
「そうするほかに道はないと思っています」
 探るようにじっと見つめるランベールを、ジュリアンも強い視線で見つめ返す。
「俺は、生きて帰らなければならない。絶対に。そのために、彼女の力が必要です」
 いつの間にか、セレスティーヌとエリックも真剣な瞳でジュリアンを見つめていた。その意思の固さを確かめるような長い沈黙の後で、ランベールは静かに目を伏せる。
「……そうか」
 そこに込められた感慨のような感傷のようなものが何なのか、フィラにはよくわからない。
「ランベール……」
 心配そうに呼びかけるセレスティーヌに、ランベールは視線をやってふっと微笑んだ。
「いや、昔のことを思い出しただけだ」
 ジュリアンが何かに驚いたような気配を見せたが、ランベールが改まって向き直るとすぐに平静を取り戻す。
「お前が二人で生き延びるために最善の方法を考えたのだろうということはわかる。だから他の手段については尋ねるまい」
「……ありがとうございます」
 予想と違う返答だったせいか、ジュリアンは一瞬言葉に詰まった。
「問題は別にある。今、光王庁はお前のことも光の巫女のことも手放すつもりはないだろう」
「そうですね」
 ジュリアンは頷いてから、セレスティーヌとフィラを順番に見る。
「ご存知の通り、サーズウィアを呼ぶことに光王庁全体が賛成しているわけではありません。ジェラルド・フォルシウスの失脚により、和平派はやや劣勢になりましたが、未だゴルト家……つまり軍部の方は反対している」
「今の状態からコンセンサスが取れるまではかなり時間がかかるだろう。しかし、これ以上引き延ばせばサーズウィアの成功率、術者の生存率共に落ちる」
 ジュリアンの説明を引き取ったランベールは、そこで言葉を切ってまた真っ直ぐジュリアンを見つめた。
「ジュリアン。裏切り者になる覚悟はあるか」
「はい」
 フィラがその言葉の意味を理解する前に、ジュリアンは即答する。まるでその質問を予期していたみたいだった。
「WRU政府の転覆までにあと数ヶ月はかかるだろう。しかし、WRU崩壊の兆しが現れれば、和平派がサーズウィアに反対する建前はなくり、世論も動くはずだ」
 レイ家がWRU政府に対するレジスタンス活動を支援しているという話は聞いていたけれど、こんな風に決定事項のように淡々と話されると背筋が寒くなる。とんでもないことに関わっている自覚はあったはずなのに、それがますます重くのしかかってくるようだった。
「そうなれば今まで秘匿されてきたサーズウィアに関する資料、特に呼ぶまでのタイムリミットについてのデータを公表することが可能となる。そこまでお前の裏切りを公表せずにおけば、事後でもサーズウィアを呼ぶことは光王庁の公式な決定だったことにせざるを得ない状況を作り出せるだろう。出発を隠していたことは、WRUとの外交に係る問題として処理できるはずだ」
 そこまで話したところで、ランベールはゆっくり息を吐きながらソファの背もたれに背中を預ける。
「だが、戻ってきたときは、おそらくお前には『死んで』もらうことになる」
 その発言にぎょっとしたのは、フィラとセレスティーヌだけだった。まるで最初からそう言われることがわかっていたように、ジュリアンとエリックは平然としている。ティナもぴくりとしっぽを動かしただけで、それ以上は反応しない。
「フィラと生きていきたいのならな」
 付け足された矛盾する言葉にますますわけがわからなくなりながら、フィラはその続きに集中しようとした。昨夜フランシスが言っていたことを思い出せば、何となく意味はわかりそうな気がする。それを確信に変えたかった。
「サーズウィアを呼んだ英雄であり、光王庁を裏切った神祇官でもある者が生存しているとなれば、扱いは大変難しくなる。ましてその英雄がサーズウィアが来た後の一般人と同じ、魔術を使えないただの人間として帰ってくるならば、だ。死んで神格化でもされてくれた方がまだ使いようがある」
 ふと、フィラはセレスティーヌがランベールに非難がましい視線を向けているのに気付く。たぶん、「またそんな言い方をして」と思っているのだろう。何だかすごく身に覚えのある反応だった。
「それに、そうなれば……お前もフィラも、平穏な人生を歩むことは叶うまい」
 ランベールの表情は厳格なままだったのに、不思議ととても暖かい、感じがする。
「その者にしか出来ない仕事というものは確かにある。サーズウィアを呼ぶことはお前にしかできないだろう。だが、そういったごく一部の例外を除けば、絶対に替えのきかない仕事も人材もないと私は思っている」
 ランベールの瞳の奥にあるのは、紛れもなく家族にしか向けられない深い愛情だ。それが惜しげもなくジュリアンに注がれていることに、ただ側で見ているだけのフィラも泣き出したいくらい嬉しくなった。
「聖騎士団団長も光王も今まで何人もの人間が歴任してきた仕事だ。絶対にお前がやらなくてはいけないというものではない」
 注意していなければわからないくらい微かに表情を緩めて、ランベールがフィラを見る。その瞳の奥から溢れ出す何かがジュリアンを見るときと変わらなかったことに、フィラは目を見開く。ランベールはふっと微笑して、またジュリアンに視線を戻した。
「お前を大切に思っている者を大切にしてやれ」
 その隣でセレスティーヌも今はどこか嬉しそうに微笑みながら頷いている。むずがゆいような、叫び出したいような感覚が胸の奥から湧き上がってきて、フィラは思わず俯いてしまった。その肩をジュリアンが抱き寄せる。
「はい」
 答える声の調子はいつも通りだったけれど、触れた手のひらからジュリアンが喜びと幸せを感じているのが伝わってくるようで、フィラは微笑みながら泣きたくなった。