第一話 帰郷

 1-5 近況報告と予定変更

 たぶん聖騎士団の機密に関する話だからだろう。キースの懇願するような視線を受けて、フィラはリサに飲み物だけ届けて一階へ戻った。ティナは話し合いに参加するつもりらしく、フィラの肩から飛び降りてジュリアンの元へ歩いて行った。踊る子豚亭へ来てすぐに二階へ上がっていったバルトロは、話し合いに使っている部屋の隣の小部屋(もともとは納戸代わりに使われていた)にこもっているようだ。エルマーは厨房で仕込み、エディスは買い物に出かけたから、何だかぽっかりと時間が空いてしまった。どうしようかと考えながらフィラが一階へ降りていくと、一人取り残されたレックスがさっきと同じ席に座ってぼんやりしているのが目に入ってくる。
「……あれ? フィラは会議に参加しなかったんだ?」
 フィラに気付いたレックスは、まだどこかぼんやりとした表情で顔を上げた。
「うん。たぶん、私に話すかどうかも相談してると思うから……」
「そっか」
 レックスはやはりどこか上の空な様子で頷いて、目の前に置いてあった氷の溶けかけたオレンジジュースを一口飲む。
「時間あるんだったらさ、ちょっと話さない?」
 そう言ったレックスは、もういつも通りだった。
「うん、ちょっと待ってね」
 そのことに少しほっとしながら、フィラはカウンターの中に入り、自分の分のコーヒーと新しいオレンジジュースを用意してからレックスの前に座った。
「さっき領主様……じゃないや、ジュリアンさんと話してたんだけど」
 フィラが落ち着くのを待ってから、レックスはのんびりと話し出す。団長、という呼び名にすぐ慣れた元僧兵や聖騎士たちと違って、レックスやソニアは未だにジュリアンのことを領主様と呼んでしまうようだ。
「えっと、何を……?」
 フィラは戸惑いながら首を傾げる。レックスとジュリアンがどんな話をするのか、ちょっと想像しづらい。
「向こうでのフィラの話。他に話題もないしね」
「そうだよね……」
 確かに他に共通する話題なんてないだろう。納得しつつもどこか落ち着かない気分だ。ジュリアンはユリンで生活していた頃のフィラを知らないし、レックスは中央省庁区でのフィラを知らない。共通の話題と言えばそうなのだが、二人の中でそれがどう結びつくのかと考えると、どうにもいたたまれない気分だった。
「まあ、あんまり話してはもらえなかったんだけど。最初はジュリアンさんの実家にいたんだって?」
「うん。すごい綺麗なお屋敷でね。お父様もお母様も優しい方で」
 二人とも有名人みたいだし、たぶん、そのことだったら話しても大丈夫だろう。そう思ってフィラは微笑んだ。
「お母様は昔歌手だったんだって。すごく声が綺麗でね」
 それに話していれば、さっき感じた不安を忘れることが出来る。ジュリアンたちが情報交換して何らかの結論を出さない限り、フィラが不安に思っていても出来ることは何もない。だから今はこうして話していたかった。
「練習のとき伴奏してたけど、聞き惚れそうで大変だったんだよ」
「うんうん、エルマーさんからこないだ聞いたけど、レコードここにもあるらしいね。今度聞かせてもらおうかな」
「ぜひ聞いてみて。私はちゃんと聴けたの、練習のときだけだったけど、本番だったらきっともっとすごいと思う」
 モニター越しに、落ち着かない状況の中で聴いただけでも、セレスティーヌの歌声は心に残った。戻ってきたら、今度はもっとちゃんと聴きたい。出来れば、ジュリアンも一緒に。
「お父さんの方はどんな人? なんか見た目は母親似っぽいよね、ジュリアンさん」
「うん。見た目は……でも、中身は父親似だと思うよ」
 思い返してみると、第一印象からそうだった。だからランベールとも話しやすかったのだと思う。
「結構凝り性なとことかも似てるかな」
「凝り性なんだ?」
 レックスが興味深そうに目を見開いた。懐かしい感じがするいつも通りのレックスとの会話に、少し気持ちが落ち着いてくる。
「うん。お父様、料理が趣味なんだけど、それがすっごく本格的なフランス料理でね」
「へえ〜。何だかすごそうだな」
 レックスは想像を巡らせるように視線を斜め上に向けて、心の底から出てきたような感想を漏らす。
「私もちょっと教えてもらったけど……ちゃんと覚えようと思ったらもっと時間が必要だったなあ」
「なるほど、気が合いそうな人だったんだね」
「うん。すごく良くしてもらったし」
 気が合うかどうかは向こうの意見も聞かないとわからないけれど、話しやすかったことは確かだ。またちゃんと教わる機会があれば良いと思う。
「で、ジュリアンさんはどの辺が凝り性?」
 テーブルに肘をついて顎を支えながら、レックスは楽しそうに首を傾げた。
「魔術の研究とか、あと歴史もなのかな。始めたのはたぶん必要に駆られて、だったんだと思うんだけど」
 普段のジュリアンの行動を思い出すと、必要もあるけれど趣味の部分もなくはなかったように思う。最近は夜本を読んだり何か研究をしたりしているときには、楽しそうに見えることも多かった。
「勉強してわからないところ、何を聞いても答えてくれるくらい博識なんだけど、それでも魔術の研究はずっとしてるから」
「それは……僕はついて行けなさそうだね」
「魔術の世界は奥が深いのです」
 自分も全然ついて行けていないフィラは、わざとらしくそう言ってからレックスと顔を見合わせて笑う。
「なんか、フィラにこんなに話してもらったの初めてな気がするな」
 ひとしきり笑った後で、レックスはしみじみと呟いた。
「そ、そうだっけ?」
「うん。いつも僕が話聞いてもらうばっかりだったからさ」
 そういえばここに来たばかりの頃は、右も左もわからなくてレックスとソニアにあちこち案内してもらっていた。ユリンの街には基本的には電気もガスも通っていないから、火の点け方一つわからなくていろいろ教えてもらったものだ。
「記憶、なかったもんね。ありがとう、いろいろ教えてくれて」
「いやあ、それほどでも……」
 良い機会だからと改めてお礼を言うと、レックスは照れたように頭を掻いた。

 しばらく後にリサと一緒に二階から降りてきたサンディが、ジュリアンから話があるから上へ行くようにとフィラへの伝言を伝えた。
 レックスたちに見送られて二階へ上がると、キースがちょうどバルトロのいる小部屋の扉を開けて、通信装置の設定がどうのこうのと話しかけているところだった。どうやらバルトロが小部屋で作業していたのは、通信装置を設置するためだったらしい。どうしても中央省庁区と連絡を取れるようにする必要があったのだろうか。
 少し気になりながらジュリアンが待っている部屋に入ると、ジュリアンは難しい表情で椅子に座ったまま腕を組み、何か考え込んでいた。黒髪のジュリアンはまだ見慣れないけれど、その佇まいは変わらないから、たぶんすぐに慣れるだろう。それよりも今は深く刻まれた眉間の皺の方が気になる。やはり、あまり良くない状況なのだろうか。
 周囲を見回してみると、ティナはテーブルの上で丸くなっていた。尻尾がいらいらと動いているから、ティナも何かあまり楽しくないことを考えているらしい。
「どう、なりましたか……?」
 顔を上げてどこか力なく微笑したジュリアンに、フィラは恐る恐る尋ねかける。
「とりあえず、僧兵とレイ家の私兵の中から数人実力者を選んで、聖騎士団の補佐として力を貸してもらえるよう要請することになった。レイヴン・クロウが戻ってくるまではその体制でどうにか凌いでもらうほかない」
 話の流れから、レイヴン・クロウが消息不明だということは何となくわかっていた。無事なのかそうでないのかは、きっとジュリアンにもわからないのだろう。だから、そこを聞くのは躊躇われる。
「神域との交錯は、中央省庁区とここの中間地点だった。その影響を遮断するため、ユリンと中央省庁区を含む周辺の居住区域は迅速に結界をメンテナンスする必要がある」
 フィラが言葉に迷っているうちに、ジュリアンは話を先に進めた。
「迅速に……」
 本来なら、結界の定期メンテナンス日は三日後だったはずだ。
「ああ。今サンディに確認に行ってもらっているが、恐らく明日になるだろうな」
 追っ手から行方をくらますためには、メンテナンス日に合わせてユリンを脱出しなくてはならない。そうすれば結界に残った痕跡がメンテナンスの作業によって消えるから、後から追跡することができなくなるのだと、キースから聞いていた。
「じゃあ、出発も?」
「明日になる。急で悪いが」
「いえ、大丈夫です。もう準備は出来てますし」
 無理矢理浮かべたような微笑に、フィラもどうにか笑い返す。旅に必要なものは、もうフィアとキースとサンディで揃えてくれているはずだった。あとはユリンの外に置いてあるキャンピングカーに乗り込んでしまえば良いだけだ。
「今夜中に、カイかランティスと連絡が取れると良いんだが」
 ジュリアンは少し視線を落として呟いた。
「バルトロさんが準備してるのは、それで……?」
 聞いてしまってから、それだとバルトロが作業を始めたタイミングと合わないことに気付く。
「いや、サンディがしばらくはこちらに常駐することになるから、念のためだったんだが、予定より早く使うことになりそうだ」
 ジュリアンは小さくため息をついた。
「通信装置の設置自体はたいしたことないんだが、問題はいかに光王庁の監視をすり抜けるかだな。バルトロ氏は腕は確かだが四年間のブランクがある。俺とキースとサンディも知識はあるが……専門ではないから、どこまでフォローできるか……」
 また難しい表情で考え込んでしまったジュリアンを、ティナがちらりと片眼を開けて窺う。何か手伝えることがあれば良いのにと思うけれど、フィラには魔術の知識も通信技術に関する知識もない。
「あの、もし必要なものがあったら……」
 ユリンの中で調達できるものなら、買い物に行くことくらいは出来るかもしれない。そう思っておずおずと言い出すと、ジュリアンはフィラを見上げて小さく微笑んだ。
「たぶん、夜食は頼むことになりそうだ」
「わかりました。美味しいもの作りますね」
 まだ少し厳しさの余韻を残してぎこちない笑顔に、フィラは意識していつも通りの笑顔を浮かべようとする。
「ああ、楽しみにしてる」
 つられたように――あるいは合わせてくれたのかもしれないけれど、ジュリアンもようやくいつもの穏やかな笑みを浮かべてくれた。