第二話 再生されし子等

 2-2 「撃ちなさい」

 鋭い金属音と同時に、ようやくリサの姿を捉えられた。斬りかかったリサの剣を受け止めたのは、クロウの腕だ。生身の人間のもののはずなのに、リサの一撃を易々と受け止めたクロウの腕からは一際鋭い金属質の不協和音が響く。
「つーかさ、WRUよりは聖騎士団の方が雇用条件マシじゃない!?」
 振り払われて飛び退きながら、リサが怒鳴った。
「命の保証があればそうでしょうね」
「んなもんどこにもないって」
 苛立ちを隠そうともせずに、リサは乱暴に剣を構え直す。
「……わかってますよ。でも、僕は『|再生されし子等《リジェネレイテッド・チルドレン》』の中でも強い方ではない。追われる恐怖と与えられる苦痛に怯えながら生きるより、諦めてしまった方が楽なんです」
「私強いから弱い奴の考えることなんてわっかりまっせーん」
 二人が話している間に、ジュリアンはフィラの腕を引いてゆっくりと足場の外周を移動していた。
「やっぱりあなたは冷酷な人ですね」
 クロウの体内から聞こえる、金属が振動するような不思議な音――その身体を内側から食い破りそうな魔力の音圧が上がる。ジュリアンはそれを警戒するように足を止めた。その横顔は、いつになく緊張して強張っている。
 リサは逃げろと言ったけれど、難しいのかもしれない。空間が歪むような魔力の音が何を意味しているのかフィラにはよくわからないけれど、ジュリアンの反応と併せて考えると、そういう結論に達してしまう。
「じゃ、たまには慈悲深いとこも見せてあげよっか」
 リサの方からも、フィラでもそうとわかるほどの鋭い殺気とうねるような魔力の音が発せられた。ここで魔術は使えないはずなのに、使うつもりとしか思えない。
「楽になりたいなら、殺してあげる」
 リサは微かに酷薄な笑みを浮かべた。こんな怖いリサは初めて見る。冷たい言葉と殺意に当てられて、足が震えた。
「フィラ」
 ジュリアンが絞り出すような苦しげな小声で、フィラの名を呼ぶ。見上げた横顔も、痛みをこらえているように苦しそうに歪んでいた。
「どうにか神域との交錯を解除する。お前は転移して城のラインムントに保護してもらってくれ」
「出来るものなら、やってもらいましょうか」
 リサに対するクロウの返答と被せるように、早口に小声で告げられる。足手まといだからだと思いたい。そうでなければ――
 こみ上げてくる恐ろしい想像に震えながら、フィラはそれでもなんとか頷いた。神妙に頷いたフィラにジュリアンも頷き返して、それから肩に乗っているティナにちらりと視線を向ける。
「ティナ」
「わかってる」
 リサがそうしているように、ジュリアンはティナに神域と交錯した状況下でも消滅《ロスト》しないように魔力の安定化を任せるつもりらしい。フィラは短時間ではあるが、自分でどうにかしなければならない。またこちらに視線をむけたジュリアンに、大丈夫だという意思を込めてもう一度頷くと、ジュリアンの手がフィラから離れた。集中して、自分を形作る世界律の輪郭を保つように魔力を落ち着かせる。セレスティーヌと訓練してきた魔力制御の基礎だ。
 それをクロウがちらりと横目で見た瞬間を、リサは見逃さない。無言のまま、フィラの目では追いきれないスピードで斬りかかったリサを、寸前でクロウは避ける。その着地点へ向かってジュリアンが正確に突き出した剣は、透明な結界に弾かれた。やはりクロウは魔術を使っている。この神域と交錯した環境下でも、ほぼ自由に。圧倒的に不利な状況のはずなのに、ジュリアンとリサは冷静だった。
「でさ、いつから裏切ってたわけ!?」
 クロウがジュリアンとリサから間合いを取り、身構える間にリサが尋ねる。
「もちろん、最初からですよ」
 言葉と同時に、クロウの体内から聞こえる音が大きさと圧力を増した。彼の周囲の空間が歪んでいるように見えて、フィラは何度も目を瞬かせる。
「結局、僕は……」
 どこか泣き出しそうな言葉は、耳を聾するような魔力の響きに掻き消されて最後まで聞き取ることは出来なかった。内側から膨張するように、クロウの身体が変形していく。皮膚は鋼鉄のような質感の黒に染まり、下半身からは蜘蛛を思わせる六本の脚が生える。背中を突き破って現れた装甲がクロウの上半身に覆い被さるように四門の砲台のような形を作り、両腕も硬直して変形する。
 いつかどこかで――きっと戦争へ向かう軍隊の映像の中で見た、蜘蛛のような六本足と二本のマニピュレーターを持つ武装多脚砲台。変形を終えたクロウの姿は、それに似ていた。人としての姿を僅かに残すのは、砲台の間に見える顔の部分だけだ。それも皮膚は黒く硬化していて、まるで仮面が貼り付いているように見える。
 記憶を失う前に、噂だけは聞いたことがある。WRUの開発した『|再生されし子等《リジェネレイテッド・チルドレン》』。既に滅びに瀕している人類は手段を選べる段階を超えているとして、人間をも道具として扱い、様々な生体兵器を作り出しているWRU。そのWRUが擁する、最高傑作と噂される改造された孤児たちの部隊。正式に存在が公表されたことはないけれど、その噂はほとんど事実として人々の間に伝わり、WRUとの交戦を望む世論に結びついていた。光王庁の内側に入って、それがWRUへの敵意を煽るために流された噂で、真実ではない可能性もあるとフィラは思うようになっていたけれど、でも、今、目の前で見せつけられた光景は――
 愕然としている間に、ジュリアンとリサが動く。魔術が使えない生身の人間が勝てるとは到底思えない相手に、二人は同時に斬りかかる。魔術の補助がないなんてとても信じられないスピードで、二人とクロウは切り結んだ。呆然と立ち尽くすフィラには、動きを目で追うことすら難しい。ジュリアンの肩にしがみついていたティナがいつの間にかクロウの砲台の上にいたけれど、いつそこに移動したのかもわからない。ティナは激しい動きに翻弄されながらも、しがみついたり飛び移ったり、あちこち移動しては何かを探しているようだった。クロウはうっとうしそうにそれを振り払おうとしているが、ティナは野生の猫でもそうはいかないだろうという運動神経と動体視力でそれを避けている。
 クロウのその隙をついてリサとジュリアンが斬りつけるけれど、硬化した皮膚には傷一つつけることが出来ていない。やはり神域との交錯を解除する以外に勝機はないのだろう。
 ――でも、どうやって。
 フィラの乏しい知識では、糸口すらわからない。何も出来ない、見守るしかない自分が歯がゆい。きつく両手を握りしめて、フィラはただ祈った。何に祈っているのかもわからないまま、ただどうか無事で、と。
 しかし、クロウの方にはだいぶ余裕があるようだった。何かタイミングを計っているようにも見えて、不安ばかりが募る。冷静に見えるジュリアンとリサも、それはわかっているのだろう。リサが微かに唇を動かすと、水の乙女が空中から滲み出るように姿を現した。ジュリアンはクロウを挟んでリサと反対の位置で、フィラに背を向けて剣を構えている。
「そろそろ決着をつけましょうか」
 砲台の間の鉄仮面が、金属を通したようにくぐもった声で言った。
「だめ……!」
 無意味だとわかっていて思わず叫んだ声は、膨れあがる魔力の轟音に掻き消される。神域との交錯によって可視化された魔力の閃光に目を灼かれて、フィラは思わず両腕で顔を庇った。一瞬見えたのは、クロウの身体がまた内側から喰い破られるように変形した場面。
 閃光が収まってすぐに顔を上げたフィラが見たものは、鋭い錐で貫かれたようにいくつもの巨大な円形の穴が穿たれた足場と、その中心に佇むクロウの姿だった。その形に変化はなかったけれど、周囲の様子からフィラが目を閉じていた間に何かが起こったのは明らかだ。慌てて見回すと、ジュリアンは広場を囲む柵に激突したように倒れていた。反対の端では、リサも倒れている。ティナとフィーネの姿はない。誰も、動かない。動くのは嵐のような魔力に煽られて木の葉のように舞う緑色の燐光と、倒れたリサの身体の下に広がっていく、赤黒い液体――それを呆然と見つめながら、フィラは手足が冷たく痺れていくのを感じていた。何が起こっているのか、まったく理解できなかった。否、感情が理解するのを拒否している。
 そのままうつ伏せにぴくりとも動かないリサには一瞥をくれただけで、クロウがゆっくりとジュリアンへ歩み寄る。左肩と右足をやられたジュリアンは、うずくまったまま動けない。右手で肩を押さえ、この空間でも暴走しないように制御しながら治癒魔術を組み立てている。
「まずは、あなたにとどめを刺さなくてはならないようですね」
 独り言のような呟きに、ようやく真っ白になっていた意識が動き始めた。
 ――だめだ。
 とっさにそう思って、ジュリアンと彼に歩み寄ろうとするクロウの間に立ちふさがる。
「退いてください、フィラさん。死期を早めるだけですよ。団長もあなたが自分より先に死ぬところは見たくないでしょう」
 フィラを威圧するように、わざとゆっくりとクロウは歩み寄った。重い金属質の六本分の足音が、フィラを威嚇するように響く。クロウの言葉を肯定するように背後で膨らむ攻撃的な魔力の気配を感じ取ったフィラは、黙って首を横に振った。フィラだって同じだ。そんな場面は見たくない。
「止めろと言われて止めるつもりは、僕にはありませんよ」
 圧倒されるような殺意に、膝から崩れ落ちそうになる。出来ることは何もない。この、誰かを殺すために特化された存在に勝てる可能性などあり得ない。わかっていても退くことは出来なかった。震えながら銃を抜く。以前のクロウに見せたら姿勢も持ち方も全部直されそうなひどい体勢で銃を向けるフィラに、現在のクロウは意外そうに瞠目した。
「退いてくれと言うより、銃口を向けることを選ぶんですね」
 立ち止まったクロウは、微かに皮肉げな笑みを浮かべる。
「正直、意外です。あなたのような人は、自分の手は汚したがらないものかと思っていました」
「だって、同じじゃないですか。退いてと言うのも、銃を向けるのも……クロウさんの……死を望むのと同じ」
 だからクロウは退かない。フィラも勝てるはずがないとわかっていて、退くことが出来ない。
「よくわかってますね。でも、あなたには似合わない。そんな風に震えながら人に銃を向けるのは……いや、今の僕が自分を人だと言い張るのはおこがましいですね」
 ふっと、どこか吹っ切れたようにクロウは笑って、倒れたままのジュリアンに視線を向けた。
「羨ましい人だ。こんな状況でこんな風に守ってくれる誰かがいるなんて。……吹けば飛ぶような頼りない盾ですが」
 一歩近づいたクロウに、フィラは気圧されるように身を退きそうになる。何とか堪えて見つめ返すフィラに、クロウは場違いなほど穏やかな微笑みを浮かべた。
「フィラさん、撃つならここですよ」
 腕――いや、マニピュレーターだろうか。人としての形を失ったそれが、ゆっくりと鉄仮面の下の、人間ならば喉に当たる辺りを掻きむしる。その部分の装甲が剥がれ落ちて、本体の奥の奥に隠れていた黒い宝玉が押し出されて剥き出しになった。『核』だ。もしそれが天魔の核と同じ性質のものなら、それを壊せばクロウは自らの存在を保つことが出来なくなるか、あるいはこの――天魔に似た異様な力を発揮することが出来なくなる。
「教えたでしょう」
 金属質の、けれどはっきりとクロウのものだとわかる声が穏やかに告げる。
「狙いを付けて。落ち着いて」
 拳銃の扱いを教えてくれたときと同じ言葉を、同じ調子で。
「ここを撃てば、神域との交錯は解除されます。そうしたら団長とリサさんが、魔術を使って一発逆転を狙えるかもしれない」
 一歩ずつ、一歩ずつ近づきながら、クロウは微笑む。
「この距離なら、そんなに震えていても外しませんね?」
 ほとんど銃口に触れそうな位置に自らの核をさらけ出して、クロウはやはり聞き覚えがありすぎる台詞を、訓練のときと同じ諭すような調子で言った。
「撃ちなさい」
 嫌だと叫びたかった。でも、引き金を引かなければクロウは本当にジュリアンを殺す。この人は本気だ。これは奇跡的に与えられた、気まぐれな慈悲に過ぎない。それを捕まえられなければすべてが終わってしまう。
 ほとんど睨みつけるようにクロウの瞳を見上げながら、フィラはゆっくりと引き金に指をかけた。それを見つめながら、クロウは静かに、穏やかに微笑する。春の日差しを思わせる穏やかさは、諦念から来るもの。嫌だ、と、もう一度そう思った。
 諦めてほしくなんてなかったのに。そうしたらこんな風に、銃を向けずにすんだかもしれないのに。
 でもそんな自己中心的な願いが、今更クロウに通じるわけがない。
 ――覚悟を、決めなくてはならない。
 フィラは引き金にかけた指を、ゆっくりと引き絞った。