第五話 挿話

 5-5 踊る会議と危険な思想

「『魔術に匹敵するだけのテクノロジーを、我々は身につけていない。今サーズウィアを呼ぶのは時期尚早なのではないか?』」
「うわ〜、むかつく〜! あのクソオヤジ!」
 モニカがフォルシウス家の重鎮の声を真似たエセルに何かを投げつけるようなジェスチャーをしながら、口汚く罵っている。聖騎士団の機密事項を扱うこの事務室の防音設備は機密情報を守るためのものであって、そのような悪口を隠蔽するためのものではない、というような注意をするべきか否か迷った末に、結局フェイルは放置することに決めた。
 内心、共感できる部分があった、というのも理由の一つではある。
 フェイル、エセル、モニカ、ランティスの四人は、神祇官を中心とした公会議――各地の代表者が集まるリラ教会の最高会議に陪席してきたところだ。
 議題は予想されるサーズウィアの到来を前にして光王庁の方針を策定することだったはずなのだが、実質的には蚊帳の外に置かれていたフォルシウス家やゴルト家がガス抜きする場になっていた。まず最初の話題がジュリアン・レイの独断専行を追認するかどうかだ。そこからしてもう建設的ではないが、光王庁としての権威を保つためには仕方のない手続ではあった。
 強硬にことを推し進めてきた自覚があるのだろうランベールも、独裁者になるつもりはないという言葉の通りに言いたいだけ言わせていた。ただ、この危機的状況においてランベールが先頭に立たずにいることは出来ないだろう。会議の様子を見る限り、その状況はもうしばらく続きそうだった。
 会議録速成システムで作られた議事録案が早くも送られてきている。それに目を通しながら、フェイルは会議の様子を思い出していた。

「しかし、今後サーズウィアを呼べるだけの魔力を持った人材が生まれて来るという保証はない。時期尚早などと言っていては、せっかくのチャンスを逃すことになりかねん」
 沈黙を守るランベールに代わってフォルシウス家の重鎮に反論したのは、レイ家出身の祭司だった。
 光の宮殿の中にある大会議場は、百数十人の重鎮と数十人の陪席者を収容してなお広々としている。どっしりと立ち並ぶ荘重な柱と天井を支えるアーチには精緻な彫刻が施され、光王庁の威信を訪れた者全てに示してみせていた。
「あれだけの魔力を持った者とは言うが……人工的に作り出せるのではないか?」
 ゴルト家出身の祭司が訝しげに尋ねる。軍部を統括するゴルト家の家長もそれに頷いているが、魔術に関する知識のなさが露呈するからやめていただきたいものだとフェイルは内心苦々しく思った。
「難しいと思いますよ。後から手を加えられたとお思いでしょうが、あの魔力の大きさはそもそも個人の資質に大きく依存しています。統計学的には」
「風霊戦争当時のことを知らぬわけではあるまい」
 立場上は上位に当たるはずのフランシスの発言を、さっきの発言者とは別のレイ家出身の祭司が遮る。恐らくフォルシウス家に有利になるような発言をされたら困るという目算だったのだろうが、これは評価できない。ランベールがほんの一瞬だけ眉をひそめたのが見えた。フランシスの方は結論は告げたからまあ良いかと言いたげに微笑を浮かべている。
「同じ愚を繰り返すのか? 神々も人が生まれ持った魔力も何もかも思い通りに出来るという、その驕りが風霊戦争の悲劇を引き起こしたのではないか!」
「だが魔術を失って、我らはどう生きるというのだ!? サーズウィアが起こった後この空が晴れなければ、我らは飢えと寒さで死に絶えるだけだ!」
 リラ教会が設立されてから嫌という程繰り返されてきた議論に、フェイルは内心でため息をついた。サーズウィア後に空が晴れない可能性については既に充分研究されている。ごくわずかな可能性のために問題を先送りする時間はもうないはずだ。
「サーズウィア以外に神々の怒りを静める手段があるとでも?」
「それを探すために時間が必要だと言っておるのだ!」
「時間などあるものか。既に大地は我々を養えるだけの力を失っている!」
 遙か昔からレイ家とフォルシウス家の対立の象徴となってきた議論。全く成長していないのではないかと思えるやりとり。ジュリアンが生まれてサーズウィアの実行可能性が議論されるようになってからはさらに白熱してきた話題でもあるが、もはや今さらだ。
「それに最近の神界との交錯の頻度を考えてもみよ! これが何の前兆かなど今さら議論するまでもない!」
 全くだ、と思いながら、フェイルは後で回ってくる議事録と照らし合わせるためのメモを無表情にとり続けた。

 アリバイ作りのための長々とした議論が終わり、ようやく建設的な意見交換が始まる頃には予定を二時間もオーバーしていた。
 最終的に会議が終了したのは予定時刻の五時間後だ。事務室に戻っては来たが、フェイルたちにとっての本番はむしろこれからだった。会議で決定した事項とさらに調査が必要な事項をまとめて、ある程度の指針を決めなくてはならない。さすがに今日は日付が変わる前に帰れるとは思えない状況だった。
 そんなわけで事務室へ戻ってきたのだが、エセルとモニカはものすごく不満そうだ。帰る途中に調達した夕食をとりながら「こんな時間に食べたら太る」だの「もう帰って寝たい」だのとぐちぐち言い合うのはいつものことだが、今日はさらに会議の内容もご不満らしかった。愚痴を言い合いながらも指示した仕事はてきぱきと終わらせていくからまあ許せるのだが。
 端で愚痴を聞いているのが嫌になったからというわけではないが、フェイルはおもむろに立ち上がった。ランティスは今人事関係の交渉で出かけているのでここにはいない。
「フェイルさん、お戻りは?」
 エセルが口と手を止めてフェイルを見上げる。
「一時間はかからないと思います」
 行き先は告げなかったが、さっき内線でアポイントを取り付けていた時に聞いていたからランベールのところへ行くのだということは二人ともわかっているはずだ。
 フェイルは事務室を出て、ふと団長執務室の方へ視線をやった。今その部屋にいるのはフランシス・フォルシウスだ。こちらの準備が整い次第打ち合わせをしなくてはならないので、それまで会議の時間に溜まってしまった通常業務を片付けているはずだった。あの部屋にジュリアンがいないということが、未だにどこか現実感がなく思える。
 しかし、現実感があろうがなかろうが前に進むしかないのだ。ここで立ち止まっていてはさっきの会議で無駄な時間を浪費させていた数人と変わりはしない。
 ついそんな意地の悪いことを考えてしまった自分にいささかうんざりしながら、フェイルは団長執務室に背を向けて歩き出した。どうやら思った以上に疲れているようだ。どこかで一度休暇を取るべきかもしれないと頭の中でスケジュールを組み立て直しながら、フェイルはランベールの執務室へ淡々と足を運んだ。

 もうだいぶ遅い時間なのだが、やはり経済部には煌々と明かりが点っていた。もともと不夜城と噂されるくらい忙しい部署だが、今はなおさらだろう。さっきの会議で、ジュリアンがサーズウィアを呼ぶために旅立ったと正式に公表することと、光の巫女と光王が共にその旅路を祝福することが決定したから、その発表が経済に与える影響を今全力で調査しているはずだ。噂のレベルではもう既に世界中にジュリアンがサーズウィアを呼びに行ったことは知られているはずだし、市場にもとっくに影響は出ていたのだが、それでも光王庁が正式に認めたとなればその影響は大きい。
 魔術が使えなくなるとは言っても、完全に魔導具が用をなさなくなるわけではないと言われている。人が持つ自らの魔力や契約していた神々の力は使えなくなるが、魔竜石に保存された魔力は恐らく使えるままだろうというのが今までの研究で予測されている未来だ。
 それによって高騰するもの、暴落するもの、対応するために各部署から申請される膨大な研究開発費……予想され得る影響と混乱は計り知れない上に、発表までの時間もそれほどない。魔術なしで天魔にどう対抗していくかを考えなければならない聖騎士団とはまた別の意味で彼らの負担は大きいはずだ。
 しかしフェイルがここを訪れたのは、経済部のトップとしてのランベールに会うためばかりではなかった。受付の僧兵に名前を告げて身分証を提示し、案内を待つ。さほど待たされることもなく、奥の執務室へ案内された。
「ご無沙汰しておりました、ランベール様」
 執務机の前で眉間に皺を寄せていたランベールは、フェイルが入ってきたのに気付いて顔を上げる。
「ああ。待たせてすまなかった」
「いえ、こちらこそお時間を取らせて申し訳ありません」
 かしこまるフェイルに、ランベールは無言で首を横に振った。どうやらずいぶんと疲れているようだ。
「それで、用件は何だ? 悪いが今日は余り時間が取れない」
「承知しております。レイ家関連企業の魔術不使用の兵器の開発状況と導入に必要な予算の見積について、資料を回していただければと思いまして」
 前置きを省略して切り出したフェイルに、ランベールは眉根を寄せる。
「それは現在聖騎士団に開示していない極秘条項まで含めて全て、ということだな」
「はい」
 経済部に属する情報だけなら話は簡単だったが、これについてはレイ家の関連企業それぞれの判断が必要だ。いかにランベールと言えど、一人の意志で決められることではない。
「聖騎士団団長がジュリアンであれば……さほど難しくはなかったが」
 深くため息をつくランベールの次の言葉をフェイルは辛抱強く待った。迷っているわけではなく、考えているのだろう。レイ家と対立するフォルシウスの跡継ぎがトップに立っている今、以前のように気軽に聖騎士団へ企業秘密を流すことには反対する者も多いはずだ。
「……確約は出来んが、必要性は認識している。もう一度説得してみよう」
「ありがとうございます」
 それでも依頼の困難さの割には素早い決断を下してくれたランベールに、フェイルは深々と頭を下げた。何より、こちらから要請するよりも前に必要性を認識して交渉してくれていたことに感謝しなくてはならない。
「できる限りのことはしたいと思っている。ジュリアンが戻ってきたときに、後悔しないですむようにな」
「私も同じ気持ちでございます」
 静かに頷いたフェイルに、ランベールはやっと淡い笑みを浮かべた。けれどその表情はすぐに力を失って、ため息に消える。
「……やはり風当たりは強かったな」
 珍しく弱気な言葉は、さっきの会議についてのものだろう。
「私は仕方がないと思っております。誰かが無理矢理にでもサーズウィアを呼ばなければ、きっと何も変わらない。人類は緩慢な滅びを迎えるだけです。問題を先送りにするとはそういうことでしょう」
 進め方が強引だったことは事実だ。このような状況でなければ決して許されるようなやり方ではなかった。しかし、今回ばかりはこうでもしなければどうしようもなかったはずだ。ジュリアンに残された時間も人類に残された時間も、もうほとんどなかった。皆が賛成するのを待っていたら間違いなく手遅れになっていたことだろう。
「人間はあまりにも強欲になりすぎたのかもしれませんね。皆自分の欲望だけで手一杯だ。種族の未来を考える余裕など、もう持ち合わせていないのかもしれない」
 ランベールの静かな視線に促されるように、フェイルは口に出すつもりがなかった考えまで話してしまっていた。
「自分さえ良ければ、自分が生きている間さえどうにかなれば。そんなことばかり考えている。そんな風にすべてを後の世代に押しつけて、にっちもさっちも行かなくなった所にだけつぎはぎを当てて急場をしのいでいる。行き着く先は見えていると思いませんか?」
「……お前のそういう話は久々に聞くな」
 どこか面白そうに微笑まれて、フェイルは気恥ずかしさを覚える。
「年甲斐もなく申し訳ございません。しかし、本心を誤魔化してはおりませんよ」
 正直に言ってしまえば、二十五年前に戻ったような気分に少しなっていたのだ。
「ああ。そういう物言いも懐かしい」
 本当に懐かしそうに目を細めるランベールに、フェイルは苦笑した。
「私も死ぬ前に一度くらいは、本物の蒼穹を拝んでおきたい。それはずっと以前から申し上げているとおりです。正直なところ」
 ふっと漏らした笑みは、自分でもそうとわかるほど攻撃的なものだ。
「坊ちゃまが旅立つことを許されなければ、二度とチャンスはないだろうと思っておりました。時が経つほどに人は魔術に依存していく。決定権を持つのはいつだって既得権益層です。今来るか、二度と来ないか……あるいは反体制派の中に坊ちゃまほどの魔力を持った誰かがもう一度出現するか……可能性は低いですが」
「……あり得ないだろうな。人類が滅びる前に再び現れるなどということは」
 人体改造を躊躇わないWRUにすら、ジュリアンを凌ぐ魔力の持ち主は未だ現れてはいない。後にも先にも一人だけだ。あの巨大な魔力を人の身に宿し、制御してみせたのは。
「二度とチャンスがなかったとしても、それはそれで受け入れるべき運命だと思っておりました。この世界から醜い生物が一種類、他の多くの存在を巻き込んで滅びる、ただそれだけのことだと。人類さえいなくなれば、神々も怒りを収め、世界はもとの美しさを取り戻すのかもしれない」
「危険思想だな」
 両腕を組んで重々しく言い放つランベールに、フェイルはにこやかに笑いかけてみせる。
「別に人間が滅びてしまえば良いなどとは思ってはおりませんよ。思っていたら聖騎士などやっていられないでしょう」
「どうだかな……」
 他に理由があるとでも思っているのか、ランベールは小さくため息をついた。まあ確かに聖騎士団に入った理由はジュリアンが心配だったから、というのも大きい。
「これはただの僕なりの未来予測と愚痴です」
 つい昔の言葉遣いに戻ってしまっていることを自覚しながら、フェイルは軽く肩をすくめた。こんなところはジュリアンにも部下たちにも見せられない。
「今はもちろん、人類存続に大いなる希望を持っておりますとも。坊ちゃまは必ず青空を取り戻して戻っていらっしゃる。そう心から信じておりますし、願ってもいます。青空を見たいという僕の願いと……遠からず生まれてくる僕の娘のために」
「……何?」
 全くさりげなくない言葉に、期待通りにランベールは反応を寄越してくれた。
「……聞いてないぞ」
「今申し上げました」
 欲しかったとおりの反応に満足して微笑みながら、フェイルはわざとらしく首を傾げた。
「いつの間に……」
「時間とチャンスは作るものでございますよ、ランベール様」
 具体的に話すとのろけにしかならないので、フェイルは適当に言葉を濁した。
「それはそうだが」
 どう反応したら良いかわからない、と顔に書いてあるランベールに、フェイルはしてやったりとばかりに唇の端を歪めて笑う。
「それを考えると、やはり人類には存続していただかなくては。ランベール様も……そう思って坊ちゃまを送り出されたのでしょう?」
 本来の美しさを取り戻した世界で、生きて幸せになって欲しいと。
「そうだな」
 ランベールの表情がふっと緩む。
「結果次第だが、何が起ころうと後悔はない」
 ここを訪ねた当初よりだいぶ元気を取り戻したようだ。
「それはようございました」
 それでこそ恥ずかしいことを思い切り話してしまった甲斐があるというもの。
 胸に手を当てて騎士の礼を取りながら、フェイルは心からそう思った。