第五話 挿話

 5-8 愛と勇気と希望と無謀

 珍しい人間から連絡が入った。ようやく会議の後始末が終わって、聖騎士の宿舎でシャワーを浴び、そろそろ寝るかとベッドに横になったところだった。連絡してくるのも珍しければこんな時間に電話をかけてくるのも珍しい。登録だけはしておいたものの、一度も使っているのを見たことがない個人用のアドレスに一体何事かと思う。
 とにかく、本人に聞いてみるのが一番だ。ランティスは枕元に置いていた個人用の携帯端末を取り上げて、通話許可を出す。寝転がったままなので映像通信は遠慮させてもらうことにした。声だけで充分だろう。
「どうした、カイ」
『……夜分遅くに申し訳ありません』
 友人に連絡を取るくらいでそこまでかしこまる必要もないと思うが、声の調子からすると深夜に騒がせたことを本気で反省しているようだった。
「気にすんな。何かあったのか?」
 カイが個人用の端末で連絡してくるということは、間違いなく個人的な用事なのだろう。カイが個人的な用事、と考えるだけでまったく何の話なのか予想がつかないが。
『……ミズキという賞金稼ぎと会いました』
「あ〜……あいつか」
 第三特殊任務部隊《レイリス》からの情報で、リサが賞金稼ぎとしてその名を名乗っていることは知っている。まったく予想のつかなかった用事の内容が、それだけでだいたい予測出来た。
「どうだった」
『振られました』
 思わず咳き込みそうになる。
「いや、あれか、断られたのか、聖騎士団入りを」
 スカウトに行って振られたなんてごく普通の表現なのに思わず言い直してしまった。
『はい』
 ランティスの動揺には全く気付かない様子で、カイは律儀に返事を寄越す。こんなふうだからカイにはあまり交渉事を任せられないのだが、これが戦闘になると伏兵や夜襲や陽動など、あらゆる可能性を考慮して信頼性の高い戦術を組み立ててくれる上に、ランティスより余程臨機応変に対応出来るのだから人間わからないものだ。リサと違って作戦の根拠がはっきりしているので、僧兵たちに戦術を理解した上で行動してもらうことが出来るのも大きい。
『その後、彼女と行動を共にしている賞金稼ぎとも話しました。その、彼も知り合いだったので』
「ああ、こっちでも把握はしてる。なかなか厄介な経歴の持ち主みたいだな」
 さすがに元聖騎士が|再生されし子等《リジェネレイテッド・チルドレン》だったなどということは最高機密を知る立場の者にもおいそれと知られるわけにはいかなかったから、専用回線の通じていない地域にいるカイにもなかなか連絡出来なかった。
『そちらはスカウトはしませんでしたが』
「ま、そりゃそうだわな」
 どこまでも生真面目なカイにランティスは思わずふっと笑う。
「で、わざわざ|個人用の端末《こっち》からかけてきたってことは仕事の話じゃないんだろ? 本題は?」
 端末の向こうで、カイが躊躇う気配がした。
『リサに、殺してくれと言われました』
「お前らどうなってるんだよ……」
 思わず本気の呟きが零れてしまって、ランティスは慌てて咳払いをする。とりあえず、リサが今どこで何をしているのかさえ話さなければ盗聴を心配する必要はない。ほとんど現実逃避のようにそれを脳内で確認して気持ちを落ち着ける。
「あー、お前はどうしたいんだ?」
『……わかりません』
 心底困り切った様子のカイに、ランティスは思わず天井を仰いだ。何だかこういう相談を、大学時代によくされていた記憶がある。主に女性から。
 しかし相手はリサだし、この二人に関して言えばなんかもう言葉が足りないとかそういうレベルの話でないことはよくわかっている。
「まずそれがわかんねえとなあ……」
『わからないのはリサのことだと思っていたんですが』
 堅苦しい口調で迷うカイに、ランティスは深々とため息をついた。
「とりあえず敬語やめようぜ。プライベートなんだしな。リサ相手にしてたんだから出来るだろ?」
『……努力しま……努力する』
「そうしてくれ」
 話しにくくてかなわない。こっちはベッドに横になってぐだぐだ話しているというのに、まるでZazenでも組みながら話されているような気分になる。
『リサとジュリアンはどちらも生きていたいと願うようになった。でも、何かが決定的に違う。それが何か知りたいんだ』
 若干ぎこちないながらも、カイは律儀に敬語をやめた。
「なかなか良い線行ってるっぽいじゃねえか。で、何が違うと思うんだ?」
『思い当たるのは、フィラ・ラピズラリの存在くらいだ。ただ、それを考えるとダストのことが理解出来ない』
「ああ、あれな……」
 言ってしまって良いものか迷ったが、もう過去の話だしそれを説明しなければカイは納得しそうにない。ランティスは腹をくくった。
「ダストにとっては、ジュリアンは自分の鏡みたいなもんだったんだよ」
 端末の向こうの沈黙が、わけがわからないと訴えてくる。
「ジュリアンが愛と幸せを掴んだから、自分もそれを手に入れられるんじゃないかと思ったってわけだ」
 直球で恥ずかしいことを言ったせいで、無意味に頬が熱くなった。これは絶対カイ以外には言えない。言ったら恥ずかしくて死ぬ。
『愛と、幸せ……?』
 やめろ繰り返すな、と叫びたい気持ちを一つ大きく深呼吸して抑えつける。いや大丈夫、ちゃんとこうなるとわかっていて言ったのだから。カイは悪くない。何も悪くない。少なくとも悪意だけは絶対にない。
「ただなあ、そいつの形は人それぞれだ。ジュリアンのそれがリサやお前にも当てはまるとは限らない」
 実際、当てはまらないだろうと思う。フィラが消滅《ロスト》しそうになったときにジュリアンが見せた激しさは、結局その後ジュリアンの生い立ちを考えれば不思議なほど平穏な幸せに変わっていった。そんな穏やかさは、リサとは相容れないものだろう。そしてこの生真面目な騎士にも、本当のところは相容れないのではないかとランティスは睨んでいる。
『ランティス、愛とは一体……?』
 これ冗談じゃないんだよなあ、と思うと目眩がした。寝転がっていて良かった。本当に良かった。
「そりゃ人類生まれて以来の謎だな。つーかもう哲学だな」
『答えがないということか?』
 魔術理論について質問するときと全く同じ調子でカイが問いかけてくる。
「さっきも言っただろ。そいつの形は人それぞれだって。しかし……お前も記録は見たよな? 嬢ちゃんがリラの魔力を暴走させかけたときの」
『あ、ああ。見たが……』
 なんとなく触れてはいけないような気がしたし純粋に最高機密だったこともあって、カイともその話はしたことがなかった。
「あの辺だったら理解できそうな気がするんだよな。そういう執着あるだろ? お前にも」
 カイが微かに息を呑む。
『……クロウにも、同じようなことを言われた』
 表情を見なくても、戸惑っているのがわかる。
『そう見えるのか?』
 やはり無自覚だったかとランティスは苦笑した。
「見えるな」
 はっきりと言い切って、少しだけ考える。
 ――今のカイならば、この言葉を受け入れてくれるだろうか?
 今までなら、答えはノーだった。しかし今はたぶんイエスだ。むしろカイはその言葉を言って欲しくて連絡してきたのではないかと思える。
 寝転がったまま、ランティスは密かに気合いを入れた。
「……わかってると思うが、リサは変わらないぜ」
『ああ……そうだな。私もそう思う』
 やはり待っていたのだろうか。答えるカイの声は、少しだけほっとしているようだった。
「自分の意思で変えられるのは自分だけだって思っといた方が良いもんな。で、お前はどうしたい?」
『私は……わからない。だが、少なくとも、このまま離れたくはない』
 同じ「わからない」でも、さっきよりはずいぶんとマシな調子だ。
「じゃあ追いかけるか?」
 半分冗談みたいに軽い調子で問いかける。しかし、カイはもちろんそれを冗談とは受け取らない。
『……聖騎士団での、私の役割が終わったら』
 少し考え込んだ後の、それでも迷いのない答えに、ランティスは端末に拾われないように静かに安堵の息を吐いた。
「そっか。その時が来たら応援するぜ」
 普段なら離れていく人間を追うなんて選択は応援出来ないが、リサとカイの場合は別だ。恐らく、追いかけて引き留める者がいなければ、リサはただ転がり落ちていくだけだ。どこかで本能的にそれを察知しているから、リサはカイにこだわるんじゃないかと思うことすらある。
「ま、少々きつい道になるだろうけどな」
『覚悟の上だ』
 迷いのない言葉に、それでこそカイだと笑いながら、それでも一抹の寂寥を感じた。
「……死ぬなよ」
『約束は守る』
「うん? 約束?」
 改めて言われなくてもカイが約束を破ることなどあり得ないと思っているが、一体何のことかと疑問に思う。
『結婚式。行くと言っただろう』
「あ、ああ。あれか」
 そういや言ってたなそんなことも、と思い出した。あの時はジュリアンがまだ生きて帰ってくるつもりなど欠片も持っていなかったから、ついカイに話を振ってしまったが、今なら二人一緒に来てくれそうだ。さっき愛だの幸せだの言ってしまったときとは別の意味でこそばゆい気分になる。
『その約束は、必ず守る。あと三百年は生きなければならないようでもあるし』
 つまりリサが死ぬまで追いかけるってことか。正気かと一瞬疑ってしまったが、正気の沙汰でなくともカイが本気であることだけは間違いない。
「……お前ほんとに極端に走るよな」
 冗談だと思いたかったが相手はカイだった。どうやってなんて聞いたらくそ真面目に「これから考える」と言われるに決まっているので聞きはしないが、カイがそうすると言ったら本当にそうしそうで、ランティスは苦笑する。
「ま、とりあえずは目の前の仕事だ。さっさと片付けて、出来るだけ早く自由にならねえとな」
『そうだな。ありがとう』
「どういたしまして」
 通話を切り、携帯端末を放り出して目を閉じた。ものすごくろくでもない結論を出す手伝いをしてしまった気がしたが、嫌な気分というわけでもない。面倒な会議とその後始末でうんざりしていたが、今日は良い夢が見られそうだ。そうなるしかなかったものが、なるようになっただけだと割り切れば、胸のつかえが一つ取れたような、すっきりした気分だった。