8日 エレウス様にこにこ大作戦
故郷の面白小咄を聞かせてみたり子羊さまご協力のもと変な踊りを披露したりしてみたのですが、無反応。うわの空。せいぜいため息をつきながら首を横に振るくらい。
恥ずかしいからせめて、冷たい目で「君は一体何をやっているんだ？」って突っ込むくらいのことはしていただきたいのですが！ それっぽっちのサービス精神もありません！ どーしたんですかエレウス様！ いつもの余計なヒトコトはどこへ！？
そんな感じで、エレウス様にこにこ大作戦は難航しています。
と言うよりむしろ、いつも以上に不機嫌です。あ、いつものあれはエレウス様のふつうなのか。不機嫌とか言っちゃいけませんね。
でもここ二、三日のエレウス様はほんとに不機嫌。ばりっばりに不機嫌です。
あんまり難しいお顔ばっかりされていては、眉間のシワがとれなくなってしまうんじゃないかと心配です。
それでは笑わせがいがないじゃありませんか。せっかく決意したというのに。せっかく笑っていただくなら！ 満面の笑みじゃないと！
そうです、あの時のようにとっても朗らかな笑顔じゃないと、わたくし満足できません。
最終手段としては、やっぱりくすぐってみるとか効果てきめん実証済みの笑いキノコ（被験者わたくし）とかが考えられますでしょうか。邪道なのであんまりしたくないのですが。っていうか怒られるよそれはー！
14日 噂話？
今日も羊さまをのっぱらに送り出していたら、エレウス様がぼそりとおっしゃいました。
「最近君の噂を良く聞く」
「エレウス様も噂話に加わったりするのですか？」
それって、なんだかとっても意外です。
「いや……一方的に話していくのだ。ルッテラや城の皆が……」
「ルッテラちゃん！？」
わたくし、びっくりして思わず叫んでしまいました。
「お知り合いなんですか？」
「知り合い……というか、姪、なんだが」
ああ、そうでした！ そういえば聞いたことありました。エレウス様のお姉様の娘さんは、お城でよく羊さまと遊んでいる女の子。
……そうですよね。やっぱり、思い当たる節はルッテラちゃんだけですもの。当然の結論でした。ルッテラちゃんに聞こう聞こうと思いながら、すっかり失念してしまっておりました。不覚不覚でございます。
「優しそうな人間が好きなのだと聞いたが」
エレウス様がそういうところに興味を持つなんてこれまた意外なことでしたけど、誤解はきちんと正さなければ、ってことでちゃんとお答えしましたよ。
「優しそうというより、優しい方が好きです」
「そうか」
その後もしばらく好みの人間のタイプ（男性に限らず）をお話ししていたのですが、エレウス様ったら、まるっきりひとごとのようでした。
エレウス様のことだって、私はちゃんと優しい方だってわかってるんですけど……本人には自覚、なさそうですね。やれやれです。どうやったらわかってもらうことができるんでしょう？
23日 シワシワ
エレウス様は相変わらず、私のことを「ミス・メーメエ」とお呼びになります。せっかく仲良くなったというのに、なんだか他人行儀じゃありませんか。
あの方、私がエレウス様恐怖症を克服する前はちゃんと個人名で呼んでくださってたんですよ。
なのになぜ。つくづく納得が行きません。……いや、私が悪いのはわかってるんですが、せっかく仲良くなったのですから、そろそろ戻してくれたって良いじゃありませんか。
そのことがずーっと気になっていたので、今日も羊さまをのっぱらに送り出してから、さりげなくズヴァリと聞いてみたのです。
「いや……何と言うか……別に他人行儀にしているつもりはないのだが。以前、不快にさせてしまったようなので、遠慮していた」
エレウス様の答えです。
「べ、別に不快だったわけでは。その、なんと申しますか、ちょっとびっくりしちゃっただけで……」
なんだか照れてしまって、わたくし、思わずエプロンの裾をつかんだりにぎったりつまんだりしてしまいました。
「そ、そうか」
エレウス様もつられて照れてらっしゃいました。二人してもう、顔も合わせられないくらい真っ赤っかです。あー恥ずかしい。
あとで見てみたらエプロンにへんなシワシワができちゃってて、お夕食で姫様の給仕をするまえにアイロンをかけ直さなくちゃいけなくて、もー大変でした。
29日 大事件
昨日はもう、大変なことがあって、大変なことになって、本当に大変だったんです。
昨日は久しぶりに雪が止んで快晴で、換気のために乾燥室の扉を開け放っていました。相変わらず羊さまの毛が山積みになっていますから、たまに湿気を出してあげないと大変なことになってしまうんですね。
で、扉を開いているその隙に、今年生まれたばかりの子羊さまが入り込んでしまわれたのです。
それに気付いたのは夕方、エレウス様と一緒に羊さまたちをのっぱらに送り出していたときのことでした。
エレウス様が「メルがいない」とお気づきになって、それで二人でお城中を探して回って、乾燥室の前を通りかかった時、羊さまの鳴き声が聞こえてきたんです。もちろん、二人で探しに入りました。
ところが！ ところがですよ！？ ちょうどそんなタイミングで、扉が閉められてしまったんです！
その音にびっくりした羊さまは、高〜いところにある採光用の窓から飛び出ていってしまいました。無情にも。
そして私とエレウス様は、閉じこめられてしまったのです。二人っきりで。無情にも。
羊さまの恩知らず〜、恩知らず〜！
もちろん、すぐに扉に駆け寄って大声で外の人を呼びました。でも鍵をかけた人には聞こえなかったみたいで、返事はなし。反応もなし。押しても引いても縦横無尽に小突き回してみても、頑丈な扉は開きません。
「困ったことになったな」
エレウス様はおっしゃいました。
「夕食時になったら、さすがに姫が気付くだろうが」
「そ、それが……ダメなんです」
わたくし、相当しょんぼりしていたと思います。なんてタイミング悪いんだろうって。
「今日は私、姫様の給仕の担当を替わってもらっていて」
今度お休みを取る方と、今朝方急に替わったものですから、お夕食の約束もまだ誰ともしてなくて、だからたぶん誰も気付かない……。
エレウス様も、たまに黙って一人で城下町に食べに行ったりしちゃう方なので、ヘタすると明日の朝まで誰も私たちがいないことに気付かないかもしれません。
それからしばらくは、誰か来ないかなって扉の前で待っていました。
結局誰も来ませんでしたけど……。
消灯時間になって、私とエレウス様はとうとう諦めることに決めました。
「仕方がない。今日はここで夜を明かすしかないだろう」
幸いにも、寒さを防ぐものは目の前に山のように積まれています。
……問題は。
問題は、私が女の子で、エレウス様が男性だということです。
離れて寝るべきだったってことはわかってたんです。実際、エレウス様も羊さまの毛の山を挟んで別々に寝ようって提案されましたし。
でもでもでもですよ！？ 怖かったんです、恐ろしかったんです！ 恐怖に耐えられなかったんです！
糸紡ぎの間中しゃべりまくっていれば、そりゃあ話題は恋愛ゴシップ他人の噂、結婚出産家事育児、そしてもちろん妖怪怪談オバケ話にも及ぶわけなのです。ここ数ヶ月の間にわたくしが聞いたお城にまつわる怖〜いお話は、軽く三百は下らないはずです。
その場その場では笑い飛ばしてきましたけど、いざ人気のない、暗い寒いそっけない倉庫に閉じこめられてしまうと、一気に恐怖が押し寄せてきてしまうのは致し方ないことじゃありませんか！
しかも羊さまの毛のもこもこがまた、暗がりでシルエットだけ見るとこれがけっこうオバケじみてて怖いんですよ〜！ 天井近くまで積み上がっていて、圧迫感もありますしね！
だから私、ついついお願いしてしまったんです。
「手をつないでいて下さい」
って。
エレウス様はそりゃあ困り切ったご様子で固まってましたが、私があまりにも心細そうに見えたからでしょう、隣に座って、手をつないで下さいました。
ああ、もう消灯の時間です。だけどまだまだ語り足りません。また明日！
30日 大事件続き
昨日の続きです。
手をつないで二人並んで座って、それから眠くなるまで、ずーっとお話ししてました。
エレウス様は私の故郷のことをいろいろ聞きたがって、私は問われるままに妹たちやお父様のことをお話ししたんです。
妹が風邪を引いて大変だった時の話。一番下の妹が生まれた時の話。難産で亡くなってしまったお母様の代わりに、がんばって育てようって決意した時の話。お城勤めとの両立が大変で忙しくて目が回りそうだった私を、姫様が気遣ってくれて、繁忙期なんて妹の子守まで買って出てくれたってお話。
エレウス様は、「一国の王女に子守をさせたのか？」って驚いてらっしゃいましたけど、ええ、まったくもってその通りなんです。おそれおおいことですけど。一番下の妹が素直で気だての良い賢い女の子に育っているのは姫様のご指導の賜物。姫様にはいくら感謝してもしたりません。
それから、お父様のことも。隙あらば下らないイタズラをしかけてくるお父様が、「クソジジイ様」というありがたくないあだ名をちょうだいするに至った経緯とか。
あまりにもひどいイタズラにぶち切れた女中の一人が、「このクソジジイ！」と怒鳴りつけた時に「様をつけんか、様を！」と雷のような勢いで怒鳴り返したという伝説が広まったせいなんですが……。そのエピソードが脚色ゼロの真実だというのがなんと申しますか、娘としては複雑な心持ちにならざるを得ません。
しかも本人、面と向かって「クソジジイ様」と呼ばれてもまったく意に介したふうがないですし。むしろ満足そうにしてるんです。嬉しいんでしょうか。喜ばしいんでしょうか。我が親ながらそれってどうなんでしょうか。
まあ、そんなようなことをとりとめなくつらつらとお話ししたんです。私の家族の話なんて退屈なんじゃないかなと思ったんですけど、エレウス様は興味深そうに耳を傾けて下さいました。
「会ってみたい」ともおっしゃってくださいました。
エレウス様……マジなんでしょうか。妹たちはともかくとして、お父様と会ったりしたら絶対後悔しますよ？ だってアレ、クソジジイ様ですから。本当に。
お話をするうちに夜も更けて、わたくし、いつの間にか眠ってしまいました。ええ、もちろん、手をつないでもらったままですよ！ もー、思い返すだけで恥ずかしいったら！
気がついたら朝で、私はエレウス様に膝枕してもらっていて、エレウス様は一晩中座ったまま寝てたなんてことに……あわわわわ。思い出せば思い出すほどなんかもうどうしよーもない感じです。しかもエレウス様のマントが私の肩に掛けてあったりして。
エレウス様……優しすぎです。ものごっついい人じゃないですか。思わずほろりと涙が落ちこぼれそうです。
慌てて飛び起きて気配で起きたエレウス様に謝り倒したのですが、エレウス様ったら寝惚けていてちっとも聞いてませんでした。私の話を聞くよりも、私の髪の毛で三つ編みを作るのに必死だったんです。
エレウス様が正気に返るまで、私はごめんなさいごめんなさいと連呼しながら三つ編みにされてましたが、結局三つ編みは一本も完成しませんでした。とりあえずエレウス様が三つ編みを作れないってことだけは、よーくわかりました。エレウス様の手先の器用さは姫様と同レベルかもしれません……だいぶ救いようがないです。
しかしあれ、どういう寝惚け方なんでしょうね？
エレウス様がちゃんと目をお覚ましになってすぐ、乾燥室の扉は開けられました。私が朝起こしに来ないので、心配した姫様がものすごいスピードで捜索隊を組織して下さったんです。姫様のおかげで無事脱出。その日のうちにちゃんと戦線復帰して、いつもどおりお仕事することができました。
そんなこんなでいろいろありましたが、結果だけ見ると年頃の男女が一晩密室で過ごしてしまったことになるわけで。
こんなことがあると、女の子としては傷物だって後ろ指さされても仕方ないのですが、エレウス様のご人徳もありますし、王子様からもいろいろとご配慮いただきましたから、このまま変な噂も立たずにすみそうです。
……良かった。本当に良かったです。
だって、妙な噂がちょびっとでも耳に入ったりしたら、エレウス様は絶対に責任をとろうとなさるに決まってますもの。エレウス様には、こんなことで一生を棒に振ったりはしてほしくありません。
それに、私だって……そんな形での結婚は嫌です。だって、悲しすぎるじゃありませんか？