青春レッドとマジカル☆スプリング

 大学生にもなって深夜の中学校の屋上に侵入するなんて、そうそうできることじゃない。これも魔法少女としての身体能力――壁を駆け上がったり十数メートルもジャンプしたりできる能力のおかげだ。都内中を探し回って見つけたかっこいいシルエットの赤いロングコートを翻し、屋上のフェンスに仁王立ちして校庭を見下ろしながら、蒼天海洋大学三年生青木春馬――特撮戦隊同好会会長にして高校時代から『残念なイケメン』の称号をほしいままにしている青年は満足げな笑みを浮かべた。背後に浮かぶ満月が小さすぎるのはちょっと不満だが、現実の月なんてそんなものだ。そこは妥協するしかない。
「あれが、そうか」
「そうだよ。指示語だけでしゃべるなよ」
 春馬の隣に浮かんでいる翼の生えた白猫が投げやりな口調で答える。声こそ可愛らしい少女のものだが、うんざりした様子を隠そうともしていない。
「もっと可愛げ出せよ。立派なマスコットキャラになれねえぞ」
 両腕を組んでふんぞり返りながら、春馬は偉そうに言い放った。
「うるさいなお前に可愛げ見せて何の得があるんだよ。ていうかなんで変身といてるわけ!? 今さっき変身したばかりだったよね!? 変身したら敵が来るってことも知ってるよね!? これから戦うってわかってる!?」
「うるせえな、わかってるよ。俺の美学に口出すな」
 ぱたぱたと周囲を飛びまわりながらわめく白猫を、春馬はうっとうしそうに手で払う。

 空飛ぶ白猫と出会ったのは、かれこれ三ヶ月ほど前のことだった。授業をサボって部室で昼寝していたところに、彼女はやって来た。突然ワープしてきたのか開けっ放しだった窓から入ってきたのかは、寝ていたので知らない。翼が生えたしゃべる猫の出現にさすがに動転している春馬に、彼女は言った。
「お前、魔法少女になれ。私と共に最強の魔法少女になるのだ」
 春馬と同じように謎のマスコットキャラに見出されて魔法少女になった者たちと変身道具を奪い合い、より多くの変身道具を奪えば幸せになれる、というのが白猫の主張だった。少女でなくとも変身道具さえあれば誰でも魔法少女になれるのだ、とも。
「つまりこいつを奪いに来る敵がいるってことか」
 白猫が空中に光の泡のような特殊効果と共に取り出した魔法のワンドをもてあそびながら、春馬は部室のパイプ椅子にふんぞり返った。
「そうだよ。近くに変身した魔法少女がいればそのワンドが反応する。お前が変身すれば近くにいた誰かがそれを察知できる。そういう仕組みさ」
「へえ、面白そうじゃねえか」
 にやりと笑って身を乗り出す。
「敵のいない戦隊ヒーローなんて格好がつかねえと思ってたんだ。ちょうどいいぜ」
「……いや、戦隊ヒーローじゃなくて魔法少女だから」
 半眼になった白猫のツッコミを、春馬はもちろん聞いていなかった。

「いいか春馬」
 白猫の苛立った声が春馬を回想から現実へ引き戻す。
「お前は戦隊ヒーローじゃなくて魔・法・少・女! それを忘れるな!」
 春馬が幼い頃テレビで見た宇宙海賊な戦隊レッドに憧れていることを知っている白猫は、怒りマークの見えそうな勢いで念を押してきた。
「わかってるさ。だが魔法少女は世を忍ぶ仮の姿。俺の正体は青春レッドだ!」
 ばっさーとコートの裾を翻してターン、両腕を組んでキメポーズ。実に良い気分だ。魔法少女に変身するようになってから、変身前の身体能力も上がってきている気がする。
 スーツアクターを目指し続け、今では授業の合間にバイトもしている春馬の身体能力はもともと同年代の男子と比べても高い方だが、今なら細いフェンスの上で大げさにポーズを決めても落ちる気がしない。
 わかってないお前はちっともわかってない! そもそも忍んでない忍べよ忍んでくれよ正体は秘密だって何度も言ってるだろ! と嘆く白猫の首根っこをひっつかんで、春馬は屋上の入り口に目を向けた。
「やっと来たな。待ちくたびれたぜ」
 扉を開けて入ってきた少女が、琥珀色の大きな瞳を見開く。金髪ポニーテールにひまわりを模した大きな髪飾り、やはりひまわりを思わせるカラーリングのひらひらのスカートと、黄色と白の細身のブーツ。
(魔法少女イエロー)
 勝手に内心で名前を付け、白猫を放り出すと気合いと共にフェンスから飛び降りた。もちろん空中で回転を入れるのも忘れない。
「ま、魔法少女……じゃない!?」
 イエローが戸惑った声を上げる。着地が上手く決まったことに満足しながら、春馬はゆっくりと立ち上がってイエローを見下ろした。完全に困惑した少女の表情に緊張が走る。
「変身した気配を追って来たのに……どういうことなの? あんた、いったい何者?」
 春馬はそれなりに整った顔をにやりと歪めて、コートの下のホルスターから複雑な光沢のレッドで派手にカラーリングされた無駄にでかい拳銃を取り出した。
「俺は青春レッド。お宝はいただくぜ!」
「はぁ!?」
「行くぜ青春! 変・身!」
 駆け寄りながらベルトで背後に引っかけていたヘルメットを装着し、コートを派手に脱ぎ散らかせば青春レッドへの変身は完了する。コートの下に着ていた戦隊スーツは自作だが、その辺のご当地ヒーローにだって負けないクオリティだ。そのまま勢いを殺さず、何のためらいもない回し蹴りを繰り出した。
「あんた! 変身してないのになんでそんな動けるのよ!?」
 重力を無視したジャンプで回し蹴りを避けたイエローが空中でわめく。
「決まってんだろ、戦隊ヒーローだからだ! つーか変身してるし!」
「してないって」
 ツッコミを入れてくれやがったのは味方のはずの白猫だった。無視して銃を持っていない方の手で剣を抜く。もともとは別の魔法少女が持っていたステッキだ。いろいろ貼り足して剣に改造しようとした春馬を白猫が泣いて止めようとしたのも今は良い思い出。もちろん、白猫の苦情に春馬が耳を貸すことはなかった。
「たぁっ!」
 着地の瞬間を狙って剣を振るう。
「っ!」
 すんでで避けたイエローはすぐさま体勢を整え、踏み込みと同時に春馬の顎を狙ったパンチを繰り出す。スピードの乗った拳をわざわざバク転で避け、立ち上がった瞬間に拳銃の引き金を引く。飛び出してくるのはただのBB弾だが、顔に向かって高速で何かが飛んでくる恐怖と無駄にでかい発射音は、平和慣れした日本人の足を止めさせるには充分だった。イエローが怯んだ一瞬の隙に懐へ入り、みぞおちに拳を叩き付ける。変身後ならほとんどダメージも受けないし痛みも感じないと知ってからは、こういうことに対するためらいがなくなった。むしろさっさと勝負を決めてしまった方がお互い疲労が少なくてすむ。そして何よりかっこいい。様式美は大事だ。
「きゃあぁっ」
 魔法少女イエローの細い体が派手に吹き飛ぶ。ここが舞台だったら子どもたちの歓声が上がっているところだ。そう考えるとますますテンションが上がる。すかさず後を追い、尻餅をついた少女に至近距離で拳銃を突きつけた。
「勝負あったな。大人しく変身道具を渡してもらおうか」
 下唇を噛んで俯くイエローに低い声で言い渡す。まるで悪役の台詞だが、根底に正義の心があれば別にいいじゃんというのが春馬の持論だ。魔法少女イエローの表情が悔しげに歪んだ。
「そんな銃……どうせおもちゃじゃない!」
 イエローは素手で拳銃を払いのけ、立ち上がりざまに足払いをかけてくる。様式美を理解しない奴だ。不満を舌打ちに乗せながら飛び退く。
「『本物』を見せてあげる! 来たれ我が手に、太陽の力!」
 虚空から出現して魔法少女イエローの手に集まった金色の光が、物理的な圧力を伴って辺りを真昼のように照らし出す。イエローはその手を春馬に向かって突き出し、裂帛の気合いと共に叫んだ。
「マジカル・サニー・ハリケーン!」
 金色の光が星形の特殊効果をまき散らしながら渦を巻いて迫る。
「くっ!?」
 横に転がって直撃を避けたが、風圧がちょうどまずい角度とタイミングで当たってきてヘルメットが脱げた。ころころと屋上の端まで転がっていくヘルメットへ素早く視線を走らせて舌打ちする。これは青春レッドの変身が解けたという状況に当たるだろう。ピンチだ。春馬自身は何のダメージも受けていない、というかむしろヘルメットのせいで狭まっていた視界がもとに戻って戦闘力アップしていたりするのだが、ここはピンチということにしておいた方が熱い。
「ち、しょうがねえ。不本意だがやるしかねえか」
 一瞬でそう判断すると、春馬はくるくると拳銃を回しながら立ち上がり、鏡を見て何度も研究した角度で構えた。そして喉に不自然に力を込め、叫ぶ。
「変わるわよ!」
 唐突な裏声と拳銃が放つ輝きに魔法少女イエローが怯んだのが見えた。視界を覆い尽くすピンクの光がイエローの必殺技の残滓を掻き消す。手の中で拳銃が光り輝いてみにょんと伸び、先っぽにルビーっぽい巨大な宝石がついたマジカルワンドという名の変身道具に変形する。せっかく真っ赤に塗装しても毎回これでどこかが剥がれるのだ。ああ、また塗料代がかさむ。マジョーラカラーは高いのに。
 そんなことを考えている間にも変身は続いていた。何度体験しても慣れることのない体が縮んでいく感覚、スーツの上から絡みつくピンクやワインレッドのなんかすけすけの布、白のレースのふりふり。適当に絡みついたところでぺかーんと効果音が鳴って戦隊スーツが次元の彼方に消え、代わりに絡みついた布が、白とピンクと深紅とワインレッドの薄布を重ねたグラデーションふりふりのミニドレスに変化する。戦隊ヒーローならピンクにしか似合わなさそうな服装に変化するのは不本意だが、メインの色が赤系なので許す。最後にかかとを打ち鳴らしてイヤリングだの胸元のでかいリボンだの腕輪だのの各種アクセサリーの装着を終えれば、それで変身完了だ。
「燃える炎の青春レッド! マジカル☆スプリング参上!」
 変身完了と同時にちょっぴり内股変形ピースのポーズを決めて叫んだ。こういうのは恥じらったら負けだ。自慢じゃないし本意でもないが、スーツアクターのバイトでピンクだってやったことはある。今の自分は黒髪ショートのやや吊り目の美少女で、袖口も襟元もスカートの裾もひらひらで文句の付けようのない元気印の魔法少女だ。それにふさわしい立ち居振る舞いというものは、もちろんある。
 ちゃんと自覚通り可愛らしいポーズを決めてやったはずなのに、空飛ぶ白猫は心底不満そうに「だから戦隊ヒーローじゃないって言ってるだろ!」と苦情を述べ立ててきた。いかに自分が魔法少女らしく振る舞ったか熱弁してやりたいところだが、事態がややこしくなるので無視する。
「さあ、勝負を決めるわよ!」
 未だ自分のものとは思えない白い細腕でマジカルワンドを振りかざし、春馬は嬉しそうに宣言した。戦隊ヒーローじゃないのは惜しいところだが、種も仕掛けもなしに特殊効果付きの必殺技をぶちかませるのは人生でそうそう体験できることじゃない。これぞ男のロマン。高揚する心に反応するように、ワンドの先の宝石に赤い光が集まっていく。視線の先で顔を引きつらせる魔法少女イエローはもはや散り際の台詞を考える以外にすることはない巨大化済みの敵役と同じ。
 すっと手首を返して自分の顔の近くへワンドを引き寄せる。緊張感を保つため、ほんの一瞬だけ溜めの時間を作り、深く息を吸い込んだ。
「くらえ、青春の火花!」
 下腹に力を込めて気合いの声を上げる。振り切れるテンションゲージ、全身がかぁっと熱くなる。勢いのままに右足で踏み込み、同時に切り裂くような弧を描いてワンドを前方に突き出す。全身を覆う熱気が突き出した両腕を螺旋状に伝ってワンドの光と呼応する。すかさず叫ぶ。
「ミラクル・リチウム・スターマイン!」
「もっと魔法少女らしく戦えー!」
 派手な爆音と白猫の絶叫をお供に、炎の花が炸裂する。円錐状に広がりつつ前進する少し暗めの深紅の中心から、燃焼するマグネシウムのような強烈な白い光の花びらが広がり、腕で顔をかばったイエローの全身を飲み込んだ。
「きゃああぁあああっ!!!」
 白い光に悲鳴ごと飲み込まれ、輪郭すらも真っ白に塗りつぶされる刹那、魔法少女イエローの髪に輝いていたひまわりの髪飾りがはじき飛ばされて、さっき春馬が脱ぎ散らかしたコートまで転がって止まった。イエローの体はそのまま屋上のフェンスにぶつかって止まる。変身解除の光に守られていたので中の人は無事だろうが、ショックで目を回しているようだ。
 もはや反撃はないと判断した春馬は、イエローに背を向けてポーズを決めながら変身を解く。このシーンはあくまで悠然とやるのがコツだ。ああ、ここに子どもたちがいたらきっとやんややんやの大喝采なのに。そのままゆったりとした歩調で歩み寄り、コートを羽織り髪飾りを拾い上げる。
「また一つ、お宝ゲットだな。何個目だっけ?」
「二十二個目。お前は本当に優秀な魔法少女だよ……」
 春馬は髪飾りを軽く投げ上げてかっこよく空中キャッチし、疲れ切った白猫に向かってニヒルな笑みを浮かべてみせた。
「褒め言葉として受け取っておくぜ」
「皮肉だ、皮肉」
「さーてと」
 白猫のツッコミをいつも通り無視して気絶しているイエローに向き直る。変身が解けた魔法少女は、やっぱり『少女』ではなかった。
「おい坊主、起きろ。大丈夫か?」
 屋上のすみで目を回しているのは、この中学の制服である学ランを着た少年だ。つんつんの黒髪に生意気そうな顔立ち。運動神経は悪くなさそうだし、背もこれから伸びるだろう。なかなか見所がありそうだ。
「お前な〜、制服で夜出歩くなよ。補導されっぞ。家どこだ」
 拳銃の形に戻ったワンドの先で頬をつっついてやると、少年はがばりと起き上がって銃に手を伸ばした。余裕でそれを避けて立ち上がる。
「油断させてひったくろうなんて百年早ぇんだよ。変身後でも素の俺に負けたの忘れたか?」
「負けてねえし!」
「ばーか、拳銃頭に突きつけられた時点で負けだろ。ほら、帰るぞ」
 屋上の扉を押し開けてやると、少年は憤懣やるかたない様子でこちらへ歩いてきた。
「お前、なんでそんな強いんだよ」
 ふくれっ面で扉を通り抜けていく少年の頭をわしゃわしゃとかき混ぜる。
「口の利き方なってねえなあ中坊。年上に質問するときはどうするんだ?」
「なんでそんな強いんでございますか!」
 全身から不満のオーラを噴出させる少年を階段に押しやって、屋上へ続く扉をきちんと鍵まで閉めた。立つ鳥跡を濁さずだ。学校の職員さんに迷惑をかけてはいけない。
「ヒーローになるのが夢だからな。鍛えてるんだよ」
「ふん。馬っ鹿じゃねえの」
 真面目に答えてやったのに生意気な感想が返ってきてかちんと来る。
「その馬鹿に負けたのはどこのどいつだっけ〜?」
 わざと揶揄するような口調で言ってやると、少年は階段を下りながら面白いくらい頭をかきむしった。
「うるせー! あんた別に戦隊ヒーローらしい戦い方してないじゃん! なんか正義っぽくなかった!」
「人の美学に口出すな。俺はこれでいいんだよ」
「弟子にしろ」
「あ?」
 話の流れが読めなくて立ち止まる。
「俺にアクションを教えろ! ください!」
 振り返ってこちらを見上げた少年の顔は真っ赤だ。後ろからついて来た白猫が重く深いため息をつく。大方「こんな奴の弟子になりたいなんて物好きな」とでも思っているのだろう。
(嬉しいこと言ってくれるじゃねえか)
 春馬はにやりと笑った。これでスカウトする手間が省ける。
「いいぜ。ただしバイトOKの高校に合格したらだ」
「は? なんで……?」
 妙な条件に戸惑う少年に、春馬はコートのポケットから取り出した名刺を突きつけた。
「スーツアクターのバイトだろ? 紹介してやっから条件満たしたら連絡よこせ」
「……がう」
 呆然と名刺を受け取った少年が何やらぶるぶる震え始める。
「どうした?」
 不審に思って顔を覗き込むと、少年はさっきよりもさらに真っ赤な顔で春馬を睨み付けた。
「違ぇよ! 馬鹿! あんたの弟子になりたいって言ってるんだよ!」
 全力で叫ばれた。これはさすがに警備員が来かねない。春馬は慌てて魔法少女に変身し、そのまま何だかんだと文句を言い続ける少年を小脇に抱えて逃げ出した。

 数年後、少年がアクション俳優としてデビューするのはまた別の物語。