第三話 ピアノと拳銃

 3-7 レイヴン・クロウ

 ティナは家具がほとんど置かれていない屋根裏で唯一の高所である洋服箪笥の上に避難し、下界の混沌を見下ろしていた。
 もっとも、『混沌』などと言ったらきちんと系統立てて並べているつもりのフィラは怒るのだろうが。
「よし、これで全部」
 最後に引き出しの一番下からトートバッグを取り出したフィラは、満足そうに部屋を見回してそう言った。
「だよね? ティナ?」
 得意げに見上げてきたフィラに、ティナはため息をつきつつ首を横に振る。
「僕にわかるわけないでしょ」
 フィラは気を悪くするでもなく、それもそうかと呟いてバッグに荷物を詰め込み始めた。ティナは話が終わったなら、と目を閉じて瞑想を始める。
「ねえ、ティナ? これ、検査で引っかかったりしないかな?」
 前足に顔を埋めかけたところで再び話しかけられ、ティナはぱっと瞳を開いた。バッグの隣に座り込んだフィラは、片手に拳銃を持って示している。
「平気でしょ。違法に持ってるわけじゃないんだから」
 本当に全く過去のことを覚えていないのかと半分呆れながら、ティナは頷いて見せた。
「そうなの?」
「そうだよ。君はちゃんと免許持ってるよ。財布に入ってる」
 フィラは近くに落ちていた財布を拾い上げ、しばらくがさごそやった後でカードを一枚引っ張り出した。
「免許ってコレ?」
「そう、それ」
「……名前と番号しか書いてないね」
 カードをひっくり返しながらしげしげと見つめたフィラは、不満そうに呟く。
「必要なデータは電子的に書き込まれてるらしいよ。僕は詳しくないけど」
「ふうん」
 フィラは財布にカードを戻しながら頷き、ティナにはさっぱり理解できない彼女なりの秩序に従って荷造りを再開した。

 翌日、いつも通り早朝に訪れたフィラを裏門で待っていたのはリサだった。
「おはよ、フィラちゃん。いつもこんな時間なんて早起きだねえ」
 門柱脇の岩に腰掛けていたリサは、感心したようにそう言って立ち上がる。
「検査する場所、礼拝堂でもいいかな?」
「はい、もちろんです」
 リサに手渡そうと持ち上げたトートバッグを肩にかけ直しながらフィラは頷いた。
「リサさんが検査をしてくださるんですか?」
「うん、そう。一応初年兵とかには任せられない仕事なんだけど、プライバシーに関わるものも見せてもらうわけだからやっぱり女同士のが良いよねってことで。今女の聖騎士もう一人来てるんだけど、そっちはちょっとむずかしいところがあるから……私だったらフィラちゃんとも話したことあるし、少しは嫌じゃないかなって。……ジュリアンがね」
 最後に付け足すように言われた一言に、フィラは思わず動きを止める。
「だ、団長が言ったんですか? それ」
 硬直するフィラに、リサは何やら楽しげな微笑を向けた。
「そうそう、似たようなこと言ってたよ」
 ――すごく嘘っぽい。
「本当ですか?」
「ほんとほんと。あいつ素直じゃないからさ、一字一句違わずに、ってわけじゃないけど、十数年来の幼馴染みともなれば、言いたいことはわかりますとも」
 つまりそれって、リサの勝手な解釈、ということなんじゃないだろうか。
 フィラはリサの背中を疑いのまなざしで見つめながら、その後に従って礼拝堂へ向かった。

 荷物の検査は礼拝堂の祭壇の上で行われた。
「祭壇、こんなことに使ってしまって良いんでしょうか?」
 躊躇なくトートバッグの中身を祭壇に並べ始めたリサに、フィラはたじろぎながら尋ねる。
「んー、まあ、良くはないけど、カイ君にバレなければ大丈夫」
「バレなければって……」
 昨日のジュリアンといいリサといい、いったい聖騎士団におけるカイの立場って何なんだろう。
「あれ?」
 思わずしみじみと考え込んでしまっていたフィラは、リサの驚きの声に顔を上げる。
「どうかしました?」
 リサは何やら悩ましげな表情でバッグに手を突っ込み、ゆっくりとそれを取り出した。
「……あのさ、フィラちゃん。これ、何?」
「拳銃です」
 フィラはちらりと見ただけで即答する。
「護身用に持ってたんだと思います。問題ありますかね?」
 リサは気まずそうに拳銃を眺め、小さく頷いた。
「うん、まあ……たぶん。今まで誰かに見せてないよね?」
「今のところは、誰にも。なんだか物騒っぽい気がして。あ、ティナは知ってますけど」
 いささか緊張した様子でフィラの言葉に耳を傾けていたリサは、聞き終えてほっとため息をつく。
「そう、物騒なんだよね。やっぱ武器だしさ。口径はちっちゃいみたいだけど、使いようによっちゃかなり危険だし。使い方は?」
「心得てます……一応、一通りは、たぶん……」
 しかし考えてみれば訓練した記憶はないんだった、と思い直して、フィラは口ごもった。
「そうなんだ。えーと、失礼して財布の中も見せてもらわないとだめかな、これは」
「はい、どうぞ」
 フィラは手を伸ばして財布を取り出し、昨日ティナに聞いて確認しておいた銃器取り扱いライセンスのカードを引っ張り出す。リサはそれを受け取ると、物珍しそうに口をすぼめてためつすがめつ観察した。
「それ、本物ですよね?」
 ふと不安になって尋ねるフィラに、リサは小首を傾げる。
「え? さあ……?」
「さあって……リサさん……」
 フィラが思い切り顔を引きつらせると、リサは笑いながら片手を振った。
「うそうそ。本物だよ、大丈夫大丈夫」
「なら、良いんですけど……」
 しかしまた心臓に悪い冗談を、と、フィラはため息をつく。
「ごめんごめん。アマチュア用のライセンスって実物見る機会ってあんまりなかったからさ」
「リサさんはライセンス、持ってないんですか?」
 聖騎士は拳銃とか使わないんだろうか? 剣と魔術で戦うらしい、という話は聞いたことがあるが、だからといって銃器を使わないということはなさそうな気がする。
「うん、私は持ってないんだ。聖騎士団入団時に銃器の所持許可は全員が与えられるから、持ってるのは別に高度な専門試験受けた人くらい」
「ああ、なるほど」
 納得したところで、フィラは礼拝堂入り口の扉が軋む音に気付いて振り向いた。
「あれ? 朝礼終わったの?」
 やっぱりどことなく優雅な動作で入ってきたジュリアンに、顔を上げたリサが尋ねかける。
「カイに任せてきた」
 ジュリアンは祭壇へ歩み寄りつつ、胸ポケットからシガレットとジッポライターを引っ張り出した。
「あらやだ、珍しいわねウフフ」
 やに下がったような笑い方に、ジュリアンは嫌そうな顔をする。
「妙な笑い方をするな。何か問題はあったのか?」
「問題はないけど、拳銃を発見しました、団長!」
 リサはおどけた口調で敬礼した。
「使用目的は?」
 ジュリアンはさらりとつっこみを省略してフィラに向き直る。
「護身用です」
 ジュリアンが炎を灯すのを見つめながら、フィラはきっぱりと答えた。
「実際に使用したことは?」
「ティナの話だと、この拳銃の犠牲になったのは無数の的とゴキブリ一匹と窓ガラス一枚のみだそうですけど」
 ジュリアンはシガレットに火をつけ、一回煙を吐き出してからもう一度フィラを見る。
「……平和な話だな」
「私としては、拳銃ってだけで充分物騒な気がするんですけど……」
 眉根を寄せるフィラに肩をすくめて、ジュリアンは最前列の信者席に腰掛けた。
「魔法が使えないなら仕方がないだろう。一般市民であっても身を守る術は必要だ」
「町の外って物騒なんですね」
 検査の終わった荷物をリサから受け取ってバッグに詰め込みながら、フィラはため息をつく。
「たぶん、今お前が想像している以上にな」
 ジュリアンは面倒くさそうに煙を吐き出し、リサは検査を続行する。
「なんでフィラちゃんが銃器取り扱いライセンス持ってるんだと思う?」
 他に引っかかりそうなものはないだろうというフィラの予想通り、あっさりと残りの検査を終了したリサが顔を上げてジュリアンに尋ねた。
「魔力がないからじゃないか? 魔術が使えない以上、護身は銃器に頼るしかなかったんだろう」
 ジュリアンは答え、ふと視線を落として考え込むような仕草をした。
「……そうだな。もしもユリンから出ることがあるとしたら、護身術は身につけておいた方が良いかもしれない」
「射撃練習、しといてもらう?」
 リサは荷物をフィラに差し出しながらもジュリアンに視線を向けて尋ねる。
「ああ。幸い、レイヴン・クロウが銃器の取り扱いに慣れている。彼に頼もう。それとフィラ、拳銃とライセンスは他人に見られては困るものだ。悪いが、訓練時以外は礼拝堂に置くようにしてくれ」

 というような話し合いの結果、フィラは同じ日の午後、礼拝堂でレイヴン・クロウと会うことになった。
 名前だけ聞いて一体どんな人なんだろうと思っていたフィラは、礼拝堂で待ち受けていた青年に見覚えがあったのでほっとした。リサと一緒に初めて城を訪れたとき門を開けてくれて、フィラが城に泊まったとき部屋へ案内してくれた人だ。
 黒髪に切れ長の瞳の青年は、フィラが入ってくると信者席の一番後ろから立ち上がって、春の午後の日差し的に穏やかな微笑を浮かべた。
「こんにちは。団長から話を伺いました。レイヴン・クロウといいます」
 青年は礼儀正しくお辞儀をしながら名乗った。
「射撃の指導をと承ったのですが、フィラさんがピアノの練習に来たとき、僕が暇なら、ということでもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです。すみません、お忙しいところを……」
 レイヴン・クロウは恐縮するフィラを元気づけるように笑みを深くする。
「気にしないで下さい。聖騎士の方々はあまり射撃の練習に熱心でないので、僕は練習仲間ができて嬉しく思っているんですよ」
「ありがとうございます」
 のんびりした口調にフィラも微笑を返して、深々と頭を下げた。
「これからよろしくお願いします、先生」
「不思議な感じがしますね」
 顔を上げたフィラに、レイヴン・クロウはふと真面目な表情になって言う。
「そうですか?」
「先生、と呼ばれるのは、なんだか慣れなくて」
 首を傾げるフィラに答えて、彼はまた穏やかな微笑を浮かべた。
「クロウで良いですよ」
「クロウさん?」
「はい」
 呼びかけに応えてクロウは笑い、言った。
「よろしくお願いします、フィラさん」