第四話 光の名前
4-4 作戦会議
午後、ジュリアンが様々な連絡や結界の構築作業に忙殺されている間、フィラは隣の控え室でフィアから魔術の基礎訓練を受けていた。その時間で出来るようになったことと言えば、指先につけた皮一枚ほどの、血も出ない程度の小さな傷を癒すことだけだったけれど、充分だとフィアは笑う。その基礎さえ出来れば魔術式や守護神を使わない原始的な魔術ならほとんど使えるようになるのだと。
「まあ、魔力がない限りはほとんど何の役にも立ちませんけど。でも、あなたの中にある力が解放されたら、その方法で使っていくしかありません。使うときに魔力の出力を調整した感覚を忘れないでください。扱う魔力量が増えても、コントロールの仕方は基本的に変わりません」
その後は同じ魔術を何度も反復練習した。それだけで午後は終わる。
空が赤く染まり始めた頃、カイが団長執務室へやって来て、ユリンの全住民と僧兵が冷凍睡眠に入ったと報告した。フィラとフィアも執務室へ移動してその報告を聞く。
「では、私は以後、冷凍睡眠装置の護衛任務に就きます」
カイが話し終わった後、フィアは執務机に座っているジュリアンに向かってそう告げた。
「ああ。カルマ襲撃の後は、例の任務をそのまま遂行してくれ」
「了解しました。では、失礼します」
フィアは退室する途中でフィラの前に立ち止まり、大人びた微笑を浮かべる。
「フィラ、私はこの後も任務が入っているので、しばらく会えなくなると思います。でも必ずまた会えますから、フィラも生き延びてくださいね」
「う、うん。フィアも、気をつけて」
生き延びて、という言葉に心臓をぎゅっと掴まれたような心地になりながら、どうにか言葉を絞り出した。
「ありがとうございます。じゃあ、また」
フィアはフィラを安心させるように穏やかな笑みを浮かべてから部屋を出て行く。
「私たちは広間へ行く。作戦通り、そこでカルマへの罠を張る」
立ち上がって告げたジュリアンに、カイが「了解」と言って胸に拳を当てる礼の仕草を取った。
「フィラ、行くぞ」
「は、はい」
団服を着ていても聖騎士ではないフィラは普通に返事をして、肩にティナを乗せたまま、廊下に出て行く二人の後を追う。
当然のことだけれど、城内から人の気配は消えていた。静まりかえった城内に、いつの間にか『こちら側』でも降り始めていた雨の音だけが染み込んでいく。
人気のない廊下を抜けて向かう先は、以前視察団が来た時にパーティ会場となっていた広間だった。
「なんか久しぶりだよね、このメンツ」
広間に入った三人を迎えたのは、リサのそんな声だった。
広間には既にリサとランティスが来ていた。がらんどうの広間のど真ん中に、さっきフィラがジェフと一緒に用意したクーラーボックスとウォーターサーバーと水を入れたタンク数個とカセットコンロと鍋と毛布二枚が用意されている。
「まずは作戦を確認する」
ジュリアンが言って横幅五十センチほどの積層モニターを表示させると、聖騎士たちの間にさっと緊張が走った。モニターには城内の平面図が表示されている。
「カルマの迎撃は現地点で行う。結界は補修したが、カルマ襲来の際は天魔の侵入も予想される。数は多くないはずだが、カルマと同時に相手はしたくない。戦闘時は結界で広間と外部を遮断する。最初の戦闘ではカルマの討伐は考えない。水の神器奪還を最優先に考えてくれ」
図上の広間が赤く明滅するのを見つめながら、三人の騎士は同時に頷いた。
「奪還後は即座に広間を離脱。同時に結界を再構築してカルマを封じ込める。その間に玄関広間へ移動し、水の神器の力を封印する。カルマが広間の結界を破り、玄関広間へ到達したら、その時点で玄関広間の結界を発動させ、カルマの逃走を防ぎつつそこで決着を付ける」
ジュリアンの説明に合わせて広間の赤い光が玄関広間へ移動し、またその区域が明滅する。
「正直な所、カルマの現在の実力は未知数だ。最盛期ほどではないものの、ダストを暴走させたことからも、こちらの予想を上回るスピードで回復していることが予想される。水の神器の魔力を使ってくるなら、恐らく以前とは戦闘スタイルも変わるはずだ。事前に対策を立てるのは難しい。いつも通り、カイは防御、リサは支援、ランティスと私は攻撃を担当するが、カルマの出方によって臨機応変に対応してもらうことになる。カルマとの戦闘用に開発してきた魔術もどれだけ効果があるかは不明だ。効果を見て使用する魔術は切り替えてくれ」
「了解」
カイとリサとランティスは、一斉に胸に拳を当てて唱和した。ただ見守ることしか出来ないフィラは、ふいにジュリアンから視線を向けられて思わず姿勢を正す。
「フィラとティナは戦闘中は私が用意した結界内にいてもらう。私たちが健在な内はカルマもお前たちに手を出す余裕はないはずだ。下手に手を出して死亡させるようなことは向こうもしたくないだろう。戦闘員全員が倒れるまでは安全だと考えてくれて良い」
「……はい」
どうにか震える声を抑えて返事を絞り出した。わかっていたことだけれど、やはりフィラに出来ることは足手まといにならないようにじっとしていることだけだ。
「作戦は以上だ。質問は?」
「ありません」
「問題ない」
「ないでーす。結局カルマの出方次第だからねー」
カイとランティスとリサが口々に答え、そこでようやく少しだけ緊張が解かれた。
「一番来る可能性が高いのって明後日だっけ?」
「ああ。回復までに今日を入れて三日かかると予測されるが、早ければ五日後には中央省庁区から援軍が来る。それまでに行動を起こすとすれば、明後日からその翌日が一番可能性は高いだろう」
首を傾げるリサにジュリアンはあくまでも淡々と回答する。
「だよね。じゃ、ま、こっちもせいぜいコンディション整えさせてもらいますか」
「カルマの侵入まではこの場で待機だ。各自、戦闘に備えて必要な準備を整えておいてくれ」
「了解」
三人の騎士が再び敬礼と共に唱和して、短い作戦会議は終了した。一同はなんとなく車座になって床に座り込む。フィラも何となく空いているジュリアンの左側に、少しだけ距離を置いて腰を下ろした。
「んでさ。フィラちゃんが何で狙われてるのかって話はしちゃってオッケーなの? できれば結論聞いときたいんだけど」
ジュリアンの正面に座ったリサが口火を切る。
「フィラの中にある力は、失われた光の巫女の力である可能性が高い」
あっさり答えたジュリアンに、全員が息を呑んだ。
「い、良いのかよ。聞かせちまって」
「構わない。もう話した」
焦るランティスにジュリアンは平然と答え、リサは右隣に座ったカイと戸惑ったように目を見合わせている。フィラの膝の上でティナが身体を強張らせた。
「どうしてフィラが……証拠はあるの?」
「カルマが狙っていること。先代の光の巫女と生前に接触した可能性が考えられること。瞬間転移という魔術の発現が光の巫女の力でも考えられること。それくらいか」
「状況証拠だけ、ということですね。実際に光の巫女の力を魔力学的に観測できたわけではない」
カイがティナの態度よりもさらに強ばった表情で後を引き取る。
「そうだ。だから今まで確定できなかった。しかし、カルマが狙っている以上可能性は大きいだろう。彼女が興味を示すほどの神器は七つだけだ。地の神器と水の神器は現在カルマの手にある。風の神器は行方が知れないが、その力は封印されているはずだし、あれが人間に宿ることはあり得ない。炎の神器も同様だ。雷はここにある。残りは光と闇だけだ。闇の神器の形状は不明だが、人間が抱えられるはずはない」
「でもさ、光の巫女の力って訓練なしで引き継げるの?」
リサが小首を傾げる。
「無理だな」
「誰が訓練したんだ? 先代の巫女?」
「そんなはずはありません!」
不審げに眉根を寄せるランティスに、カイがほとんど腰を浮かせながら反論した。
「彼女は、フィラさんには自分の正体を知られたくないと言っていた……最後まで、それは変わらなかったはずです」
「最後、というのは、四年前だな」
ジュリアンに鋭い視線を向けられて、カイはたじろいだように姿勢を元に戻す。
「……はい」
「それからリタの消滅《ロスト》、フィラ・ラピズラリのユリンへの転移までに二年ある」
リタ、というのが光の巫女の――ジュリアンの妹の名前なのだろうか。
「でもよ。その間お姫さんは眠ってるだけだったんだろ?」
「その二年間でフィラちゃんに訓練してってリタが誰かに頼むとしたら、あんたかカイ君しかいないじゃん」
騎士たちの視線につられるように、フィラもジュリアンの横顔を見つめていた。
「だが、俺は頼まれていない」
その顔には、どんな表情も浮かんでいない。リタとジュリアンがどんな関係だったのか、フィラにはわからない。そして自分がそこにどう関わっていたのかも、やっぱりわからないのだ。ジュリアンがフィラの事を知らなかったのは間違いないはずだけれど。
「そうなってくるとフィラちゃんが思い出さないと結論は出ないってことになるね」
「重要なのはフィラの中にある力が光の巫女のものなのかそうでないのかだけだ。可能かどうかは後で検証すれば良い」
「でもそれを直接確認する方法は今のところないんだろ?」
「そうだ。だから今のところは、暫定的に彼女の中の力が光の巫女のものであると考えて守るしかないだろう」
話し続ける騎士たちの中で、カイだけが眉根をきつく寄せたままじっと床を見つめている。
「一応確認しとくけど、実の兄は妹から何にも聞いてないのよね?」
「聞いてない。接触があった可能性も一昨日カイから聞いた」
カイが己の名を聞いてはっと顔を上げた。
「誘導尋問で私が否定できなかっただけです」
「……仲間内で何やってんの君たち」
呆れ顔のリサはすぐにフィラに視線をやって首を傾げる。
「フィラちゃんてリタの何なわけ?」
「親友、だと言っていました。彼女のことを聞いていたのは、おそらく私とルーチェ様だけです」
カイは迷いながらも訥々とした調子で言葉を続ける。
「私も……有名なピアニストの弟子だということしか……。それ以外の言動から、そのピアニストがエステル・フロベールなのではないかと思ってはいましたが……」
ティナがぴくりと反応したのが、膝に乗せているフィラにはわかった。
「フィラさんのことも遠くから見かけたことはありますが、顔が判別できるほどではありませんでした。何より、リタ……様は、親友である彼女には何も知られたくない、巻き込みたくないと常々仰っていました。だから、まさか……」
「彼女は違うと信じて、名を調べようともしていなかった、ということか?」
ジュリアンに視線を向けられると、カイはやはりつらそうに目を伏せてしまう。
「はい……申し訳……ありません。私が隠し立てしていたばかりに、何もかもが後手に回り……言い訳のしようもありません。この上はどのような罰も」
「ま、いーじゃん? ここで守り切れれば取り返しのつかない被害はなかったことになるわけだし? このまま聖騎士団が光の巫女の後ろ盾ってことになれば中央に復帰も出来るし!」
重くなりかけた空気を、リサの明るい声が断ち切った。
「しかし、放っておけばフィラさんはフランシス様と結婚させられるのでは?」
重さを振り払ったはずの空気が、一瞬にして凍りつく。
「……直球で来やがったな、カイ」
ランティスが呻き声を上げるが、その隣のジュリアンは相変わらず平然としていた。
「俺が先に結婚してしまえば済む話だ」
何を言っているのかわからない、という表情で騎士三人が固まる。一瞬びくりと震えたティナは、次の瞬間にはジュリアンの前に飛び出して全身の毛を逆立てていた。
「お、お前! ふざけんなよ!」
ティナの叫び声を合図にしたように、三人の騎士が勢いよく立ち上がる。
「そ、そうだよ! 何いきなり結論出してんの!? フィラちゃんの意志は!? 最初っから無視する気!?」
「リサの言う通りです! 最終的に他に手段がないとは言え、勝手に話を進めるのは! 物事には順序というものが!」
「そうだ! 今回ばかりは俺もカイに同意するね!」
詰め寄られたジュリアンは投げやりにため息を吐き、「プロポーズならもう済んでる」と軽く答えた。
「何ィ!?」
ジュリアンに向けられていた視線がいっせいにフィラを見る。
「ちょっとこれマジ話なわけ!?」
「そんな話僕だって聞いてない!」
「いいいいいいつの間に!?」
「よろしいのですか!? 他に選択肢がないとしてもせめて拒絶の意思表示くらいは団長も許してくださるはず!」
リサとティナとランティスとカイにそれぞれ言いつのられて、フィラは思わず身を引いた。
「い、いや、あの、私は……」
助けてくれ、という視線をジュリアンに送ると、ジュリアンは心底嫌そうにため息を吐いて騎士三人を見上げる。
「事情は説明した上で了承を得たつもりだ」
「そうなの?」
すっかり気圧されてしまったフィラは、リサの疑問にもただ小刻みに頷くことしか出来ない。
「なんだぁ……」
「い、いやしかし、そういうことならめでてえよな」
「そうですね。非人道的な手段に訴える必要がなくなったのは……」
カイの言葉はリサの肘に突かれて途切れたが、聞きとがめたティナは険しい表情になる。
「あいつらなんかすごい不穏なこと言ってるんだけど。本当に良いの?」
「うん、他に選択肢もないし……」
与えるつもりもない、と、ジュリアンも言っていた。カイが言いかけたのも要するにそういうことなのだろう。無理矢理にでも手に入れたい力なのだったとしても、フィラに居場所を与えてくれた側面もある気がしているから、不思議と嫌だとは思えない。むしろジュリアンにその『非人道的な手段』を取らせずに済んだことにほっとしている。結婚なんて、具体的には何もイメージできないけれど。
「んでさー、ちょっと興味あるんだけどフィラちゃん?」
フィラの前で腰を落としたリサが、イイ笑顔で迫ってくる。
「な、何でしょうか……?」
嫌な予感が全身を駆け抜けた。腰が引けているフィラに、リサはさらににやあと笑って見せる。
「なんつってプロポーズされたの?」
「答えなくて良い」
フィラが口を開く前にジュリアンが速攻で遮った。
「即答で遮んなきゃいけないくらい恥ずかしい台詞だったわけ?」
リサの笑顔は深まるばかりだ。
「え、ええと……」
「うわ、すっごい聞きたい!」
視線を彷徨わせるフィラの耳に、ジュリアンのうんざりとしたため息が聞こえた。
「お前たちには緊張感ってものはないのか? なんでこの状況でそんな話題に食いつけるんだ」
「えー、だって、暇と言えば暇じゃん? 政略結婚でも相手がフィラちゃんだとなんか気になるんだよね。根掘り葉掘り聞きたい」
リサのその台詞に、物凄く危険な雰囲気を感じる。
「あ、あの、私、夕食の準備しますね!」
フィラは身体を反転させ、食料が置いてある一角へ駆け寄った。
「あ、逃げた」
リサの残念そうな声が後ろから追いかけてくる。もちろん、聞かなかったことにした。