第六話 町を出る日

 6-7 面倒くさい男

「やあジュリアン。せっかくだから飲まないかい? ここなら盗み聞きの心配もしなくて良いでしょう」
 フランシスが団長執務室に酒瓶片手に現れたのは、視察団が来て三日目の夜だった。
「構わないが……お前の持ってくる酒はいつも安っぽいな」
 どこから持ってきたのか、合成物質しか入っていなさそうな派手なラベルの酒にジュリアンは眉を顰める。その酒を飲まなければならないのも気が進まなかったが、酔ったフランシスの相手も面倒だ。だが、聞きたい話があるのも事実だった。
「俺はアルコールさえ入っていれば味は何でも良いからね」
「……俺は味が良ければアルコールは入っていなくても構わないんだが」
「いやあ、相変わらず気が合いませんね」
 フランシスは朗らかに笑い、当然のような仕草で執務室のソファに腰を落ち着けた。グラス二つとつまみのスモークチーズまでいつの間にかテーブルの上に出ている。急ぎの仕事がないことをざっと確認して、ジュリアンは覚悟を決めた。

「ほら、もっと飲んでくださいよ。このままじゃ俺が全部飲んでしまいますよ」
 三十分ほどですっかり機嫌良くなったフランシスがちっとも減っていないジュリアンのグラスを見てにこやかに不満を述べ立てる。
「好きにしろ」
 単純に不味いから手が伸びないだけだ。気持ちの悪い甘みとアルコールの味しかしない。これ以上飲まないで済むならむしろその方がありがたい。
「それにしても、全然見かけないんですよね。フィラ・ラピズラリ」
 酒を勧めるのを諦めたフランシスは、恐らく本題だろう話題を切り出す。
「フィアに会えないから双子のお姉さんに寂しさを癒してもらおうと思ったんですが、君のとこの出来る女子二人のガードが堅くてね。姿をひと目見ることすら出来てないんですよ」
 愚痴を聞きながらその計画にティナを通して自分も荷担していたことを思い出したが、面倒くさいのでそれを話すのはやめておくことにした。
「エセル・ベックフォードとモニカ・チェンバーズか。最近一緒に仕事をしてもらっているから、仲が良いみたいだな」
 フェイルからの報告を思い出す。この三日間、ピアノの練習で礼拝堂に行っているときと寝るとき以外は、フィラはほぼずっと彼女たちと行動を共にしている。
「あの二人には政略結婚だって話してあるんですよね?」
「ああ」
「ふうん……それにしては楽しそうにガードされたな……まあ良いけど」
 本題に入りそうで入らないフランシスにため息が漏れた。わかっていたことだが、どんな状況下でもこの男は遠回しが好きだ。
「無駄話をしに来たわけではないんだろう。そっちの首尾はどうなんだ」
「なかなか順調ですよ。君のお父さんに痛い腹を探られまくって俺のしっぽはもうこんな」
 と、フランシスは指先で非常に短い様を表現してみせる。
「トカゲ本体は無傷なのか」
「俺はね。切られたのはいなくなっても困らない部下ばかりだし。でも俺の父はどうかな。前回の水の神器の件もあるし……あんまり追い詰めると自棄になりそうだからほどほどにしてほしいんですけど、その点君の父上は容赦ないよね」
「……そうだな」
 厳格で容赦のない父親の性格を思い出して、知らず眉根を寄せていた。
「やれやれ。まったく、息子二人はこんなに仲が良いってのに」
「気味の悪いことを言うな」
 今度は明確な意志をもって顔をしかめる。
「ははっ、確かに。俺だって君となんか死んでも仲良くしたくありませんでしたけど、目的が一緒なんだから仕方ない」
 まったくの同感だった。こんな面倒くさい人間と何故『仲良く』しなければいけないのか、未だに腑に落ちない部分がある。まあ、向こうも同じようなことを考えているのだろうが。
「ところでフィアのことだけど」
 フランシスの声がほんの少しだけ低くかすれた。どうやらようやく真面目な話をする気になったらしい。
「報告書には消滅《ロスト》した、って書いてあったそうですね」
「……ああ」
「まあ、それを信じるつもりははっきり言ってないですが、フィラ・ラピズラリにはどう説明するつもりなんですか?」
 フランシスは落ち着き払っている。フィアが何を目的に失踪したのか、確信があるようだった。フィア本人からある程度聞いているのかもしれない。そういう事態は予想出来ていたので、ジュリアンも特に否定する必要性は感じなかった。
「話すつもりはない。フィアはただ任務に出ているだけだと思わせるように、周囲にも協力してもらう。本当のことを話しても妹を失った演技をするのは難しいだろうし、嘘を教えて妙なショックを与えるのも、リラの魔力を抱えている現状では危険だ。彼女にフィアが消滅《ロスト》したという『真実』を告げないことについては、光の巫女にショックを与えないためという理由なら皆納得するだろう」
「そうですね。ま、それが妥当な線かな。俺も賛成ですよ」
 フランシスはまた不味い酒をあおり、自分のグラスになみなみと注ぐ。見ているだけで酔いそうだった。正直もう水が飲みたい。
「で、フィラ・ラピズラリの話に戻しますが」
 酔いをまったく感じさせない口調で、フランシスは話題を切り替える。
「君が会わせたくないなら無理に会う気はありませんが、明日にはさすがに彼女の魔力を探らせてもらわなければならない。それは許可してもらえますよね」
「俺は拒否できる立場にない」
「知ってますけどね……ま、一応婚約者の許可は得ておこうと思って」
 よくわからない理屈をこねたフランシスは、指先でグラスの縁を弾いた。
「ああそうだ。明日正式に通知が来ると思いますが、フィーネとの契約、リサさんに許可が出そうですよ」
 フィーネは水の神器に封じられている古い神の名だ。いつまでもカルマの影響下に置いたまま封印しておくわけにはいかないから、できるだけ早めにリラ教会の人間が契約を交わす必要があるのだが、その候補者として聖騎士団からはリサを推薦していた。
「そっちでは契約できる人間を見つけられなかったのか」
「無理でしたね。上書きで契約しなければカルマの支配を振り切れない。つまりカルマに対抗できるだけの魔力の持ち主が必要なわけで、前よりハードル上がってるんですよ……って、君にこれを言うのは釈迦に説法か」
 確かに最初から知っていたことではあるが、そう言われると同意しづらい。
「あとこれはいつ正式な通知が出るか俺にもわからないけど、君、近いうちに呼び戻されますよ」
 それはつまり、ユリン領主の任を解かれて中央省庁区に戻ることになる、という意味だ。
「ずいぶん早かったな」
 光の巫女が聖騎士団の側にある以上、遠からずそうなるだろうとは思っていたが、この段階でほぼ確定しているようなことをフランシスが言う可能性は、それほど高くはなかった。
「聖騎士団なしでの治安維持が三ヶ月も保たなかったってことです。知っていると思いますが、特に天魔相手の被害が大きくなる一方でね」
「光王親衛隊は天魔との戦闘には慣れていないからな」
「ええ、特に司令官クラスがね。知識も経験も足りないし、聖騎士団の下から移された僧兵たちからの人望もない」
 人望を得られるような上手い使い方も出来ていないしね、と、フランシスは酒をあおりながら半ば自棄のように言葉を吐き出す。
「俺も含めてその程度です。何とか持っているのも君が派遣してくれた聖騎士の力が大きい。だから悪いけど、また戦いの日々に戻ってもらいますよ」
 その話し方から、思うようにならない戦況がフランシスを苛立たせているのがわかった。
 聖騎士団が中央省庁区を追われたことで、それまで担っていた治安維持と天魔の掃討任務はフランシスが率いる光王親衛隊が受け持つことになった。聖騎士団の下についていた僧兵団の主戦力も光王親衛隊の元に吸収されたのだが、聖騎士団の下にあることを誇りにしていた僧兵団との関係が上手く行くはずもない。表向きには権力争いに勝利したと思われている光王親衛隊だが、率いるフランシスからすれば割に合わない仕事が増えただけなのだろう。
「フィアはどこにいるんですか?」
 どう返事をしたものか迷っているうちに、フランシスの思考は別の方へ向いたらしい。
「俺は知らない。彼女の判断に任せている」
 連絡する手段については、いずれフィアの方から接触があるはずだが、当分はこちらから働きかけるつもりはなかった。
「君、フィアがたかだか十六歳の女の子だってわかってる?」
「……ああ」
 フランシスはグラスを手の中で弄びながら顔をしかめる。機嫌が悪いのを隠そうともしていないが、手元は安定しているから、酔っているわけではなさそうだ。
「お前はどうしてフィア・ルカを聖騎士団に送り込んだんだ」
 他人をそんなふうに心配するフランシスが珍しくて、ならばなぜ光王親衛隊より危険な任務に就く可能性が高い聖騎士団に入れたのかと疑問に思った。
「勝手に志望してたんですよ。まあ、そうして欲しいとは思ってましたけどね。これだけ離れていると俺にも聖騎士団の動きがわからないから。彼女なら俺個人の意志を理解してくれていますしね」
 光王親衛隊隊長ではない、一個人としてのフランシスに従いたいとフィア本人も言っていた。それは取りも直さず、フィアがフランシスの個人としての意志を理解しているということを示している。フランシスも認めているのなら、フィアが彼の真意を理解しているというのは事実なのだろう。だが、フランシスが個人としての意志を簡単に他人に悟らせるとは思えなかった。
「お前とフィアの関係は何なんだ?」
 フィアがフランシス個人の意志に従って行動しているだろうということは、実のところ聖騎士団に招く前から何となくわかってはいた。それでもなぜフランシスが家族にすら打ち明けられないはずの秘密を共有する相手にフィアを選んだのかは、当事者である二人に聞かなければわからない。
「そうですね……俺の片思い、かな」
 不味い酒をゆったりと味わいながら、フランシスはわざと焦点をずらしたようなことを言った。
「そういうことを聞いてるんじゃない」
「そういうことですよ。見透かされたんです」
 ふっと、その表情から笑顔が消える。
「たかだか十四歳の女の子に、俺が聖騎士団に情報を流していることと、その目的がバレてしまったんです」
「よく……消そうと思わなかったな」
 その事実が公になることは、フランシスにとって致命的だ。ここでこんな話をしていることも、以前フィラと接触したときの行動も、フランシスにとってはかなり危ない橋なのだとジュリアンは知っている。
「それも先手を打たれたんです。自分を殺すための魔術のスイッチを、彼女は俺に渡したんですよ。俺に自分が気付いているということを伝える前に。その上で協力するから自分の命は好きに使ってくれて構わないと言われたんだ……あれに勝てる気はしない。そりゃ、恋にも落ちますよ」
 勝てる気がしないというのは理解できそうだが、それがなぜ恋に繋がるのかは、今のジュリアンには理解できそうになかった。それを察したのだろう、フランシスはどこか哀れむような微笑を浮かべる。
「君に恋愛の話なんか振っても不毛ですね。失礼しました」
「わかってるならやるな」
 ただでさえ面倒くさいのに、という感情を乗せて呟くと、フランシスは場違いに朗らかな笑い声を上げた。
「そんなこと言ってられるのも今のうちですよ」
 皮肉げな笑みを唇の端に乗せたまま、フランシスはまたグラスを傾ける。
「枷を外された以上、君だって人としての感情をいつまでも避けて通れるはずがない。そのときになったらせいぜい苦労すると良いですよ。俺みたいに」
 フランシスが何に苦労しているのかは今ひとつ理解できなかったが、何となくそれは嫌だと、ジュリアンは割と本気で考えた。