第四話 この空はまだ落ちない
4-3 我は我が力の限り
天魔の襲撃を受けた居住区とその周辺の魔力観測器からの情報を元に状況を把握し、必要な増援と物資を送り出した頃には深夜二時を回っていた。結界は破られていないため大きな被害は出ないものと予想されるが、前回の襲撃との関連性を調べる必要もあって、リサとダストも念のため派遣することになった。
そして今、全ての指示を出し終えたジュリアンに増援部隊出発の最終報告をするため、ランティスはカイと共に聖騎士団本部の団長執務室を訪れている。
「ま、今回はほぼ被害なしでいけるんじゃねえの。結界強化したばっかりだったしな」
「先週の結界強化の指示……現場の判断で行ったことにするようにとのことでしたが、何か予兆があったのでしょうか」
生真面目に問いかけてくるカイを、ジュリアンは執務机の端に体重を預けながらじっと見返した。
「フォルシウス家の私兵が周辺で妙な動きをしていると、レイ家当主から報告があった。結界の強化は念のためでしかなかったんだが、やはりタイミングが良すぎるな」
「結界強化が遅れてたら、やっぱりお前が出ることになってたよな」
ランティスは苦虫を噛み潰したような表情でジュリアンを見下ろす。
「目的は……やっぱりお前の暗殺、だよな」
言葉にするのも憂鬱だったが、確認しておかないわけにもいかない。
「ああ。それが一番可能性が高いだろう」
自分のことなのにやけに淡々と頷くジュリアンは、そんなことはどうでも良いとすら思っているようだった。
「焦っている様子なのは、やはり聖騎士団の元に光の巫女の力があることをWRUが察知したためでしょうか」
「そうだろうな」
ジュリアンは両腕を組み、少しだけ眉根を寄せる。
「向こうも今日私が出ないことは予想出来ていたはずだ。つまり、今日の襲撃は陽動。リサとダストが戻る前に何らかの動きがあると覚悟しておいた方が良い」
「できる限りのことはするが……」
ランティスはちらりと扉の向こうに目をやった。
「お嬢ちゃんの方はこれ以上ないくらいがっちがちに保護されてるし、向こうさんも光の巫女の力をまた失いたくはないはずだ。問題はお前だろ。どうにか出ずに済ませることは……」
戻した視線の先で、ジュリアンが苦笑しながら首を横に振る。答えを待つまでもなく、無理だとはわかっていたことだ。
「とにかくできる限り情報を集め、準備を整えておく必要がある。第三特殊任務部隊《レイリス》からの報告にも注意を払っておいてくれ」
「……了解」
「了解いたしました」
他に確認しておきたいことは、と促すジュリアンに、ランティスはここしばらく気になっていたことを尋ねることにした。
「嬢ちゃんはどうなんだ? 制御の状況は」
それによって、今後の予定が変わってくる。正直その未来については考えたくなかったが、そろそろ向き合わなくては時間が足りないのも事実だ。
「だいぶ良いな。自発的に受け渡しできるようになるのもすぐだろう」
「てことは……出発、近いのか」
「ああ」
ジュリアンが目的を達成するためには――サーズウィアを呼んで青空を取り戻すためには、出来るだけ力の強い神器を一つでも多く持ってグロス・ディアに渡る必要がある。
「グロス・ディア行きのロサンゼルス・トランスポーテーションは動いてるらしい。第三特殊任務部隊《レイリス》が調査しといてくれた」
向こう側から戻ってくる手段については調査のしようがない。そしてそれは、調べる必要がないことでもあった。なぜならこれは、死出の旅路だ。ジュリアンがすることはサーズウィアのスイッチを押すことだけだが、それでも人一人の存在が吹き飛ぶには充分すぎるほどの規模の魔術のはずだった。サーズウィアを呼べば、ジュリアンはほぼ確実に消滅《ロスト》する。余程の幸運と世界の法則に抗うほどの強い意志がなければ。
「……そうか。なら、まずはそこを目指すことになるな。二週間以内にできる限り安全なルートを調査しておいてもらえるか」
いつかその時が来るまでに、ジュリアンが少しでも生き残る意志を得られれば良いと思っていた。けれどそれがサーズウィアを呼ばないという選択に繋がることだけは何としても阻止しなければならない。それがジュリアン自身との約束だからだ。ジレンマを抱えたまま、結局どうしたら良いかわからずにここまで来てしまった。
「……了解」
苦い言葉をどうにか吐き出す。最初から止める言葉など持ち合わせてはいない。戻ってこいという言葉も、きっと届かない。それを届けることができる人間には一人だけ心当たりがあったけれど、でもジュリアンは彼の愛する少女にすら何も告げずに去るつもりなのだろう。あんなに求めたくせに。あんなに――他の全てを犠牲にしてでも守りたいと命をかけて示したくせに。
「出立の許可は出そうなのか」
たとえフィラの心を深く傷つけることになっても、そのためにジュリアンの怒りを買うことになったとしても、全てをぶちまけてしまいたい。そんな衝動を押し隠しながら、淡々と話を進めていく。
「いや。恐らく無理だ。脱走することになるだろうな」
ただでさえ困難な道を阻むのが同じ信仰を掲げているはずの仲間だということがやりきれなく思えた。
「……了解。できる限りバックアップはするが……ダストにはどうする。話すか」
「ダストはその前に聖騎士団を離脱する可能性がある。確認出来次第対応を相談する」
ジュリアンが光王庁を脱走した場合、追っ手として差し向けられる可能性が高いのはダストだ。ダストを味方に引き込んでおけば出立の安全性は大いに高まる。けれどそれもダストが先に聖騎士団を離脱するならば、無用な心配だった。
「……寂しくなっちまうな」
軽く言ったつもりだったのに、声にどうしようもない感傷が滲んでしまう。
「お前は結婚するんだろう」
いつも通りの淡々とした口調の中に、ふと今までジュリアンから感じたことのない何かが混じった気がして、ランティスは思わず足下に落ちていた視線を上げた。
「寂しいなんて言ったら失礼なんじゃないか?」
ほとんど聞いた覚えのない冗談じみた口調より、そこに微かに滲む羨望の方に虚を突かれる。ランティスは一瞬言葉を失ってまじまじとジュリアンの顔を見つめ、でもすぐに取り繕うように口を開いた。
「……いろいろ準備があるからなあ。一年は先の話だぞ」
「それには間に合わせてやるさ」
ジュリアンはふっと目を伏せて、何かを押し殺すように微笑を浮かべる。
「晴れると良いな。結婚式」
「……おう。お前にも出席してもらいたいんだけどよ」
それは無理だ、と言葉にはしなかったけれど、微かに苦みが混じった笑みには穏やかな諦念が滲んでいた。
「カイは来てくれるんだろ?」
誰かと未来の約束を交わしたい気分になって、明らかな人選ミスだとわかっていながらカイに視線を投げる。目が合ったカイはいつも通りの生真面目な様子で頷いた。
「生きていれば、必ず」
「お前ならそう言ってくれると思ってたよ」
予想通りの言葉に肩をすくめながら、ランティスは力なく笑った。
「なーんかこないだからやな感じだよね」
輸送列車のコンパートメントでダストと二人きりになった瞬間、リサが心底嫌そうにそう呟いた。
「ダストちゃんさあ、どう思う? 今回のコレ」
向かい合わせに座りながら、ダストも負けずに顔をしかめる。
「その呼び方やめて。馴れ馴れしい。きな臭いとは私も思うわ」
「だよねえ」
リサは抗議の方は綺麗に無視して、同意の方だけ軽く受け取った。いつものことなのでダストも微かに眉根を寄せただけで会話を続ける。
「裏取引でもあったんじゃない? 和平の条件はジュリアン・レイの命とかなんとか」
「うわ、ありそー」
大げさにのけぞるリサのこういうわざとらしいところは、ダストは余り好きではない。それを伝えたところで悪化するだけだということは、もう嫌と言うほどわかっているけれど。
「その場合、私の命もついでに狙われるんでしょうね」
ダストは小さくため息をつきながら、窓枠に肘をついて顎を支えた。
「なんで?」
「私は元々向こうの戦略兵器。向こう側としてはこちらに私がいることは脅威になるけれど、取り戻したいと言えばそれは敵対する意志があるということになる。なぜなら私の使い道は破壊しかないから。それで妥協点を探るとしたら、私を消すしかないでしょう?」
噛んで含めるような説明は、半分は自分に言い聞かせるためのものだ。
「おっかな〜い。その理屈で言ったら私も消されるんじゃん?」
言葉の割に妙に楽しそうなリサに、ダストはまた不機嫌に眉根を寄せた。
「そうね。覚悟しておいたら?」
「絶対やだ〜」
意味もなく笑い転げるリサに、ダストは深くため息をつく。
「……一つ、聞いておきたいんだけど」
「んー?」
まだ笑いの残るリサの瞳を、ダストはじっと見つめ返した。その奥にあるリサの真意を見通すように。
「もしもサーズウィアを呼ぶ許可が下りなかった場合、ジュリアン・レイは光王庁を裏切るつもりなのよね?」
投下した爆弾に、ふっとリサの瞳が細められる。敵を見据えるときの強い視線に、自然とダストの身体にも力が入った。
「……その質問に私が答えるとでも?」
「別に。答えなくても良いけど。どうせ私はそうなる前に聖騎士団を脱退するし」
そこに込められたあからさまな殺意を、ダストは意識的に無視する。当然わざとだと気付いているはずのリサは、あっさりと不穏な気配を引っ込めた。相変わらずの切り替えの速さだ。
「あ、そーなの? じゃあ結局あっちに行くことにしたんだ」
「ええ。サーズウィアが来てからじゃ手遅れだもの。ルーチェが守りたかった世界を守るには……」
そう呟いた瞬間に、ゆっくりと列車が動き始めた。目的地に着けばすぐに休みなく働くことになる。今のうちに仮眠を取っておかなくてはならない。
「でもさ、ルーチェが守ったってことはさ、言い換えればルーチェを殺したのはあの世界ってことになるよね? 憎んでないわけ?」
ベンチにごろりと横になりながら、リサが軽い調子で問いかけてくる。けれど調子が軽いからと言って、それが本気の質問でないことにはならない。
「憎いわよ。だから本当に守るために命をかけるかどうかは行ってから決める」
だからダストも寝転がりながら本気の答えを軽く返してやる。
「今ならわかる気がするの。なぜルーチェがあの偽物の世界を守ろうとしたのか」
「へえ。そりゃまたどういう心境の変化ですかね」
ベンチに寝転がって天井を見つめていても、リサが皮肉げな笑みを浮かべていることは容易に想像出来た。
「ジュリアンを見ていて思ったのよ。私も誰かを愛せるかもしれないって」
それを聞いた瞬間、リサは盛大に噴き出す。
「やだ何その台詞ー! 今時映画でも見ないってあははははは!」
わざとらしい笑い方が不愉快で、ダストは笑い転げるリサを不機嫌に横目で睨み付けた。
「あなた本当に失礼ね。喧嘩なら買うわよ」
リサは笑いながら片手を広げて突き出してみせる。
「……何よ、その手は」
「え、五十万で売りましょうっていう意思表示?」
なんだかもう睨み付けているのも馬鹿馬鹿しい気がして、ため息と同時に瞳を閉じた。
「あなたって本っ当に馬鹿ね」
「あっははははは、知ってる知ってる」
眠りに落ちなければならないのに、それを妨害するように遠慮のない笑い声が響く。あなたも寝なさいよ、と言いながら自分に眠りの魔術をかけた。
「やーしかし、そういうことなら君には向こうに行くまで生き延びてもらわないとね」
魔術で無理矢理落とした意識の端に、リサの言葉が引っかかる。
「私たちは我が力の限り神と民のために戦わなきゃいけないわけですし?」
眠りに落ちるダストの耳に聞こえたのは、そこまでだった。人工的に作られた世界の中で生きる作られた命たちも『民』の内に入るのだろうか。そんな不毛な疑問も、眠りの闇に吸い込まれていった。