第五話 挿話
5-7 手持ちのカード
食堂を出たカイは、廊下で待ち構えていた人影に顔をしかめる。
「そんなにわかりやすい表情は見せない方が良いと思いますよ」
暗がりにいても、その佇まいだけでわかる。
「なぜ、生きている?」
低く問いかけたカイに、相手の男――かつて聖騎士レイヴン・クロウだった男は微かに喉で笑った。そしてついてこいと促すように顎を動かして、カイの返事も待たずに歩き出す。
向かった先は、砦の外だった。結界の内側とはいえ、夜も更けたこの時刻に外に出ている人間はほとんどいない。歩哨のいない裏庭で、クロウは静かに足を止めた。
「先ほどの質問の答えですが」
振り向きざまにクロウは前触れもなく話し始める。
「なぜ生きているのかと言えば、死に損なったからですね。ミズキさんから聞いていませんか?」
「クロウに聞けと言われた」
正直に答えると、クロウはあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。カイの知る限り、クロウは部下を叱るときでさえ妙に穏やかな笑顔を浮かべたままだったはずだ。あれが演技だったのか、それとも何か心境の変化があったからこうなっているのか、どちらなのかカイには予想することもできない。
「まったく……」
心底呆れ果てたというように首を振ってから、クロウは改めてカイに向き直った。
「どこから話せば良いんでしょうか?」
「戦闘中行方不明《MIA》になった直後から」
全部じゃないですか、とまた嫌そうに顔をしかめて、クロウは少しだけ考え込む。
「まず僕が|再生されし子等《リジェネレイテッド・チルドレン》だってことは……それも知らなかったみたいですね」
「生きているのに戻ってこない時点で可能性があるとは思っていた」
そうでなければ、言われた時点で斬りかかっていたかもしれない。明確な殺気を感じたのか、クロウは勘弁してくれというように眉尻を下げた。
「今は敵対する意思はありませんよ。体よくミズキさんの使い走りにさせられていますが、以前より余程心穏やかに暮らせてはいますからね」
カイが知っているレイヴン・クロウという騎士より、よほど感情表現が豊かなのもそのせいか。考えてみても、クロウの内心を推し量ることは出来そうにない。
「行方をくらましたということは、WRUの任務を遂行するつもりだったんだろう」
「ええ。聖騎士団団長ジュリアン・レイの暗殺任務をね」
右手が無意識に剣の柄を探す。クロウはそれに気付いたようだったが、今度は表情を変えなかった。
「WRUでは、実は小規模なサーズウィアを呼ぶ技術は確立されています。もちろん、普通の人間どころか|再生されし子等《リジェネレイテッド・チルドレン》ですら支えられる者はほとんどいませんから、僕を含めて使用出来る個体は二つだけですが」
「つまり、戦闘中行方不明《MIA》になったときの神界との交錯は」
「僕の仕業です」
クロウはあっさりと罪を認める。良心の呵責などまるで感じていない風情だったが、まだ激昂するには早いとカイは自分を戒めた。
「その後、ユリンで神界との交錯を呼んだのも僕です。魔術の使えない環境下で団長を仕留めるつもりでした」
言葉を切ってじっと反応を見るようなクロウを、カイも表情を消して見返す。その先に続く言葉は、予想出来ているつもりだった。
「リサさんが亡くなったのはそこでです」
あっさりと言い切ったようだったのに、クロウはどこかほっとしたように息をつく。
「後は聞いていますよね?」
そうであってくれと祈るような調子だった。こんなにわかりやすい男だっただろうかと思わず裏を疑ったが、では裏に何があるのかと考えるとそれも全くわからない。とりあえず相手の出方を見るしかないと、カイは黙って頷いた。
「そんなわけで、最終的に僕は敗北し、蘇ったリサさんに脅されて、使いっ走りにされているというわけです。ミズキさんについての詳しい話は聞かないでください。あの人は何も話してくれませんからね」
それでも彼らは行動を共にしているのだ。脅されているとクロウは言うが、リサが去る者を追うとは思えない。つまり、互いに自由な身分を手に入れたその上で、共にいることを選んだということだ。二人を結びつけるものが、カイには理解出来ない。
「私にはリサが理解できない」
そんな心情が、思わず口をついて出ていた。クロウは心外そうに眉を跳ね上げてカイを見る。
「僕だって理解してはいませんよ」
切れ長の瞳を探るように細めながら、クロウは微かに首を傾げた。
「あなたが理解出来ないのは、リサさんが自分自身に執着しないところでしょう。そこは確かに僕にも理解出来る部分はあります。しかし……」
迷うように言葉を切って、クロウは視線を床へ落とす。
「リサさんがあなたに執着している部分については、僕は理解できません。その点についてはあなたの方が理解できるのでは?」
「どういう意味だ」
こういう持って回ったやりとりにも本当は慣れなければならないのだとわかってはいても、どうしても対応できない。クロウに対してというより自分自身に苛立ちながら、カイは問い返した。
「僕からはね、あなたのリサさんに対する執着がそれと同じように見えるからですよ」
ふっと顔を上げたクロウの表情に、今までに見たことのない微笑が浮かぶ。なぜか共感されているように感じられたけれど、今の話のどこに共感できる部分があったのかさっぱり理解出来なかった。困惑するカイに以前浮かべていたものと似て非なる穏やかな微笑を向けながら、クロウはさらに言葉を続ける。
「無い物ねだりはよくありません。手持ちのカードで考えてみることをおすすめします」
――話にならない。いや、たぶん、話になっていないのは自分の方だ。手袋越しに爪の硬さを感じるほどきつく手を握りしめて、カイは俯いた。
「僕からご説明できるのはその程度ですね。そうそう会う機会はないと思いますから、聞いておきたいことがあるのであればお答えしますが」
「いつまで……」
言いかけて口を閉じる。それを問うことに意味があるのか、見失ってしまったからだ。クロウはカイの心の内を推し量るようにじっとその迷う様子を見つめていたが、やがてまた困ったように微笑する。
「僕がミズキさんと行動を共にするのは、恐らく僕が賞金稼ぎギルドでそれなりの地位を得られるまでです。彼女はずっと前線で戦いたいようですが、僕はとっとと引退したいので」
竜化症もこれ以上悪化させたくないですし、とうそぶいて、クロウは軽く肩をすくめた。
「他にご質問は?」
「……いや」
そうと答える他どうしようもなくて、カイは力なく首を横に振る。
「時間を取らせて悪かった。私はこれで失礼する」
「いいえ、こちらこそ。わざわざご足労いただきありがとうございました」
最後だけは聖騎士団にいた頃と同じ、穏やかで底の見えない微笑を浮かべて、クロウはわざとらしく騎士の礼を取った。同じ礼を返す気にはなれなくて、カイは小さく頷いて踵を返す。
「そういえば、彼女を殺す約束はしたんですか?」
ちょうど歩き出したタイミングを見計らったように質問が投げかけられて、カイは一瞬、不覚にも動きを止めてしまった。
――なぜ知っている? あの会話を聞いていたのか、事前にリサに聞いていたのか、それともそれが理解出来るということなのか。
瞬間的に沸騰したどす黒い感情を、カイは無理矢理抑えつける。
「お前には関係ない」
それでも答えた声にはあからさまな敵意が滲んだ。背後で微かにクロウが笑んだ気配がしたが、わざわざ振り返って確認する気にもなれない。
何かに追われるように早足で部屋に戻り、扉を閉めてベッドに座り込んだ。
わからない。理解できない。ずっと、ずっとそうだった。仕方のないことだと諦めてきた。歩み寄る方法がわからなくて、生きていて欲しくて、でもどんなに願ってもリサと同じ願いを共有することは出来なくて。
「くそっ!」
苛立ちを拳にこめて、膝に撃ち込む。けれどその痛みも、気分を紛らわせてはくれない。
手持ちのカード。そんなものは持っていない。リサが自分と同じ執着を持ち合わせているとは思えない。そんなものがあるとすれば、それはきっと彼女を拾って育ててくれた聖騎士団への恩だけだ。だからこそリサは孤独な戦いに身を置こうとしている。他の選択肢などない、他に出来ることなどないのだと簡単に割り切って、たったひとりで。
リサに生きてほしいと願っていた。それは叶えられたはずだ。死にたくないと、リサは言った。なのに飢えた獣のように、それでは足りないと心のどこかが叫ぶ。
この上いったい何が足りない?
考えろ、考えろとほとんど呪いのように自らに言い聞かせた。
生きていてほしかったのはリサだけではない。ジュリアンにも、ランティスにも、フェイルにも、そして先代団長にも生きていてほしいと願い続けてきた。そのためなら自分は命を捨てても良いとさえ。
諦めかけていたジュリアンの生は、きっと大丈夫だと今は信じている。生きて帰ってくることをジュリアンは望んだ。カイもそれを素直に嬉しく思えたし、そこにリサに対して感じるような苛立ちはもちろんない。その違いはどこから来るのか。
――わからない。
だって二人は、最初から余りにも違いすぎる。
けれど、そこで考えるのを止めてしまってはいけないのだとも思う。何かあるはずだ。共通点、相違点。そのどこかにきっと、何かが。
二人は強い。レイ家の被保護者《クリエンテス》の中では特に魔力の強い一族だったセルス家出身のカイでさえ、あの二人には一度も勝てた例しがない。クロウが自らの力を隠していたために、その二人に対抗できるのはダストだけだと思われていた。
訓練生時代から頭一つ飛び抜けていたリサは、カイと共にジュリアンの訓練相手にあてがわれることも多く、だからこそ三人は自然と幼馴染みと言える関係になった。その後敵方の戦略兵器として鹵獲されたダストが運用試験を兼ねて訓練に参加するようになったが、あの頃のダストは人間らしい感情も反応も示さなかったので、戦闘シミュレーションマシンのひとつくらいにしか認識できていなかった。
リサがジュリアンとダストを同族嫌悪だと評したことがあったが、あの頃はジュリアンとリサの方が余程同類に見えていたことを思い出す。他者のために命を削っていく、そのやり方は、まるで何かに追い立てられているようだった。そうでなければ生きていけないとでもいうような。
わからない。カイにとって他者のために命を使うことは、自らの意思で立てた誓いだ。他の道があることは知っていた。でもあの二人にとっては、そして後で人間らしい感情を表すようになったダストにとっては、そうではなかったのだろうか。サーズウィアを呼ぶためにあの力を与えられたジュリアンも、戦うためだけに作られたリサとダストも。
ではジュリアンが、そして恐らくは旅立つ前のダストが変わったのは何故だったのだろう。
何か答えが、すぐそこに答えがあるような気がする。ジュリアンが変わった理由は、フィラ・ラピズラリと出会ったから、で間違いないだろう。でも、その条件はダストには当てはまらない。同時期だったのだから、何かしら関連はあるはずなのだが。
そこまで考えたところで、カイはついに白旗を揚げた。これ以上はどう考えても答えは出そうにない。
――恋の悩みだったらいつでも相談しろよ。
行き詰まった頭の中、ふいにランティスの言葉が記憶の底から浮かび上がる。ジュリアンとランティスとアランとカイが久しぶりに集まったとき、ジュリアンの私生活について根掘り葉掘り聞きながら(なぜそんなことをする必要があったのかカイには未だによくわからないが)、言われた一言だ。
恋。
なんだかそれとは非常にかけ離れたもののような気がするが、相談できる相手と言えばランティスしかいないだろう。カイは鉛のように重く感じられる手を上げて、ほとんど使ったことのない個人用の携帯端末の電源を入れた。