十月 天高く羊さま肥ゆる月

3日 姫様が嫉妬!?

「彼は私の一番の親友だからね。やっぱり思い悩んでいれば心配にもなるよ」
 王子様はそうおっしゃいました。
 午後の紅茶を姫様と二人召し上がっている時のことでした。その前の会話は、お声が小さかったのでわたくし聞きそびれてしまったんですけれどね。
「ええ、わかりますわ。でも、わたくしといるときにうわの空はおやめになって。妬きますよ、ルーイ」
「そうかい? それはぜひ妬いて欲しいな、エテルン」
 王子様はそれはそれは嬉しそうでしたが、わたくしはぶっ倒れそうでした。

 お小さい頃から手塩にかけてお育てした(まあ、私の方が年下なんですけど)姫様が! 殿方とこんな、ふふふ不埒な会話を! 妬くだの妬かぬだの! あり得ません!

9日 エレウス様と世間話

 エレウス様恐怖症を克服してから、何かとおしゃべりする機会が増えています、エレウス様。
 今日もお仕事がはけてから、お城に入り込んでしまった羊さまを追い出しつつおしゃべりいたしました。
 なぜ私が羊さまのおせなに乗るのがそんなに好きなのか、というテーマでございました。

「だいたい彼らは乗用羊ではない。乗り心地だって良くはないはずだ」
「いいえ。とってもふわふわしてて……良い気持ちです」
 わたくし、羊さまのおせなに乗せていただいた時の幸せな気持ちを思い出して、うっとり夢見心地でお答えしました。
「そ、そうか……? そういうものなのか……?」
 エレウス様はたじろいだように見えました。
「ええ、もちろんですわ」
 そして上機嫌に笑いかける私から視線をそらされました。なんだかちょっと怯えてるみたいな態度だったのですが……。

 あれれ?
 もしかして、エレウス様も私のことが怖かったりするのでしょうか。
 いやいやいや……まさか。エレウス様に限って!
 いかに言動が羊フェチであろうとも、勇敢な騎士様が私のような小娘に臆するなんて、そんなはずありませんね。
 へんなこと考えてしまいました。

15日 お誘い

 今日はなんと! エレウス様からお誘いを受けてしまいました。
 今度の休日、乗用羊さまの牧場に連れて行ってくださると言うのです!
 喜んでお受けしたい! ……ところだったのですけれど、その日はちょうど女中仲間のみなさんとお茶会を開くことになっていたんですね。

 ところがところが、そう言ってお断りしようとしたら、そのお茶会を企画してくださった客間女中のイーヴァさんがスゴイ勢いでダッシュしてきたんです。

「ごめんなさいねリーニさんその日実は急に新しい石炭(コール)が納入されることになっちゃってまあ無理をすればお茶会も開けないこともないんだけどやっぱり石炭の臭いをさせたままのティータイムは気分がよろしくないでしょう、だからお茶会は延期です、どうぞ遠慮なく迷いなくとどこおりなく行ってらっしゃいな、わたくしたちはおみやげ話を心底楽しみにしておりますからおほほほほ」
 一息でした。超早口でした。口を挟む隙なんてアリの這い出る隙間ほどもございませんでした。口元は笑ってましたが、目は本気と書いてマジでした。
「え、ええ、それではええと、よ、喜んで?」
 イーヴァさんに気圧されて、わたくし思わずうなずいてしまったのです。

 一方エレウス様はと言いますと、「それは良かった」と言いつつもなんだか微妙〜なお顔をされてました。
 お受けしない方が良かったのかなあ……? それはなんだかちょっと傷つくぞ!

 それにしても、客間女中の皆さんは接客のために早口言葉まで練習されているんでしょうか? あのよどみなく聞き取りやすい見事な早口……わたくし、思わず聞き惚れてしまいました。

22日 デート!?

 明日の乗用羊さま見学のお話、もちろん姫様にご報告いたしました。休日とはいえ、姫様に黙ってお出かけするわけにはまいりませんもの。

 姫様は満足げに微笑みながらおっしゃいました。
「初デートですね、リーニ。おめでとう」

 ななななんですって!?
 ははは初デート!?
 た、確かに……殿方からのお誘いで二人っきりででかけるのなんて、わたくし生まれて初めてです。……が。
 うわーん、どうしよう! なんだか急に動悸がどきどきしてきました! 今からこんなんで、明日……私、生きて帰れるのでしょうか……?

 ……そうです、そうだわ。忘れてしまいましょう。
 名案です! ナイスアイディアです! それが一番です!
 忘れるのよ、忘れてしまうのよリーニ!
 姫様のお言葉を忘れるなんてとんでもないけど、こればっかりは! 覚えていては身の破滅! 私に明日はありません!
 忘れなければ! 夜明けまでに忘れなければ! なんとしても!
 忘れるぞ〜忘れるぞ〜忘れるんだ私ののーみそ! いつものトリ頭っぷりを今こそ発揮するときだー!!

23日 乗用羊さま見学会

 ついに決行結構こけこっこーです。
 ……あ、これ、私が言ったんじゃありませんよ。王子様です、王子様。あの方けっこう感覚がオヤジです。
 姫様はうっとりと「そこがいいのよ」なんておっしゃってましたが、わたくしそこの良さだけは理解できません。これがもしや、噂に聞く「あばたもえくぼ」というやつなのでしょうか。
 ……う。なんか腹立ったしーなあ。

 それはともかく、羊さまです、羊さま。今日の主役は羊さま!
 昨日のアレを思い出さないように、なにがなんでも羊さまのことで頭をいっぱいにしておこうと決意しつつ、エレウス様に乗用羊さまの牧場へ連れて行っていただいたんです。

 乗用羊さまの牧場は、お城から少し離れた、騎士団の訓練所の近くにございます。
 お城で飼育されている羊さまたちと違って、のっぱらではなく岩場で生活されてるんです。夏毛と冬毛の生え替わりも自然にまかせていますので、今の時期でも乗用羊さまだけはふわっふわ。

 数だってそれほど多くはないのですが、とても元気に岩場を飛びまわっておいででした。
 ……岩場、というより、断崖絶壁なんですけどね。下から見上げると首が痛くなっちゃうくらい。それでもてっぺんは雲に隠れて見えないくらい。
 それはそれは急峻な、とっても手厳しそ〜うな崖でした。ええ、そりゃあもう、エレウス様なみに。

 伝説の天翔る羊さまと違って、今の羊さまたちは自由自在にお空を飛びまわることなんてできないはずなんです。ちょびっと浮かび上がるくらいがせいぜいだって、私だって知識としては知っております。でもそこで見た羊さまたちは、本当に思うさま岩場中を飛びまわっているように見えました。

 すごい! 本当に身軽で気軽で軽快でふわっふわでびゅんびゅんなんです!
 羊さまってあんなに素早く動けるいきものだったのですね!

「近くで見たいのではないか?」
 崖下でぽーっと羊さまのご勇姿に見とれていた私に、エレウス様はおっしゃいました。
 もちろん見たいです! 当然です、当たり前です、宇宙の真理です! だって岩場を飛びまわる羊さまは、それはそれは優雅で壮大で神秘的だったんですもの。

 エレウス様は、いつもご自分で世話をされているという羊さまを呼んでくださいました。
 お城で使われているのは見たことがないのですが、羊さまをお呼びするには犬笛みたいな短い笛を使うのですね。音が鳴らないところも犬笛みたいです。
 ……っていうかあれ、犬笛なんじゃ……さ、さすがにそんなことお尋ねできませんでしたけど。

 エレウス様に呼ばれて飛び降りてきたのは、ぐるぐるの大迫力な角をくっつけた、ひときわでかくて優雅で偉そうな羊さまでした。
 ちゃんと地面に足をつけていても、エレウス様より頭一つ分高い位置に目が来るくらい大きいんです。お城の羊さまたちの倍はありそうでした。
 そのお姿と言ったら……なんと申しますか。もちろん羊さまですから、もふもふとして眠そうなわけなんですけれども……う〜ん、言葉で表現するのは難しいのですが、なんだか眼光が違うのです。堂々としているというか、貫禄があるというか、宇宙の神秘と通じてそうっていうか、電波系……いやいやいや。違う違う違う。
 ……凛々しい。そう、凛々しいのです。
 可愛らしい羊さまのお姿でありながら、まとうオーラは紛う方なく伝説の天翔る羊さまの末裔!
 ご立派でした。わたくし感動いたしました。

 エレウス様は羊さまの頭を軽く撫でて、それからひらりと飛び乗りました。
 素晴らしい羊さま。それを乗りこなすエレウス様も……いつになく素敵に見えて……わたくし、不覚にもうっとりしてしまいました……。

 一緒に乗ってみるか、というお誘いは……その、おそれおおくてお断りしてしまったのですけどね。
 だいたい二人乗りなんて恥ずかしくって耐えられません! のーみそが沸騰してしまうに決まってます! おかげで昨日の姫様の余計なヒトコトまで思い出してしまってもう羊さまの頭の角よりも私の頭の中のほうがぐるぐるのとげとげです。
 ……エレウス様は平気なんでしょうか。ううう、考えるだになぜか胃が痛い。