五月 わたくし腹をくくりましたの月

6日 いまだに信じられないかというと

 実はそうでもないのです。
 そういうつもりで日記を読み返してみれば、わたくし実は結構エレウス様になつかれてたんじゃ、と思える箇所がいくつもいくつもございましたから。

 でもでも、やっぱりしらふで健康なときに言っていただかなくては不安でたまらないんです! だから本当は、今すぐにでも問いただしに行きたい! ……の、ですが。

 エレウス様の風邪は、もうすっかり良くなったそうです。なぜ伝聞なのかと申しますと、あれきりお会いしていないからなのです。
 エレウス様は私の里帰りに付き合っている間とぶっ倒れている最中にたまりにたまってしまったお仕事でおおいそがしのおおわらわ。ハチメンロッピの大活躍中なのです。邪魔するわけにはまいりません……

 ……ただ勇気が出ないだけとも言う。
 だからこうやって日記をめくってはエレウス様が本気の証拠を探して探して探し出して、必死になって安心しようとしているわけなのです。……なんですか、なんなんですかこのチキンハートは! 書いてて情けなくなってきましたよ!
 私のチキンやろー馬鹿ヤロー! ほんと馬鹿、馬鹿ヤローです! エレウス様の気配がする方を向こうとするだけで爆発しそうになっている場合ではございません! 勇気を出せ! 勇気を出すのよリーニ!

9日 背中を押されまくる

 本日は姫様の主催したお茶会がありまして、そこにヤン様も出席してらしたんです。
 なぜかもう、皆さん恋の歌ばっかりリクエストされて、しかも歌われる歌歌われる歌ぜーんぶ恋が実って両思いなそれはそれは幸せな歌ばっかりだったんです。もしくはそれを祝福する歌とか。
 しかもしかも、それだけじゃなくってみんなして「リーニに聞いてほしい」とか「リーニの幸せを願って」とかリクエストの頭にくっつけやがるのですよにやにやしながら! 何の嫌がらせ! どんな拷問!
 わたくしもう恥ずかしくって恥ずかしくって、穴はないけど掘ってでも入りたくなるくらいいたたまれませんでした。

 でも、最後にヤン様がご自分で選んで歌われたのは、恋のお歌ではなかったんです。
 ヤン様が選ばれたのは、伝説の勇者様のご活躍を歌ったバラッド……空飛ぶ羊さまに乗った勇者様の勇気を称える歌でした。数々の幸運と自らのお知恵でいくつもの冒険を切り抜けてらした勇者様が、最後の最後の大ピンチ、運に見放され知恵も尽きたその時に、今までで一番の勇気を振り絞って羊さまと共にピンチを脱出されるシーンを歌ってくださったんです。

 ヤン様は今の私に一番必要なものを、きちんとわかっていらっしゃったのですね。
 そうです。運に見放されたわけでもないのに、いいえ、むしろこんな幸運に恵まれた人間も滅多にいないだろうってくらい恵まれていて幸せなのに、何をぐずぐずしている必要があるのでしょう。
 私に必要なものは勇気! それも古の勇者様のようなご立派な勇気などではなく、ほんの小さなささやかな、でも自分で幸せを掴むためには絶対に必要な勇気なのです!

 姫様もヤン様も皆様も、ちゃんと勇気を出すことができるはずだって、私に教えてくださったのですよね!
 そうよリーニ! 女は度胸! やる気出てきました!
 こうなったらもう、一世一代の大勝負です! 見ていてください姫様! このリーニ、姫様の侍女の名に恥じないよう、立派に見事に完璧に、これ以上なくやり遂げてみせますとも! 私がんばります! 明日のリーニはひと味違いますよ!

10日 そしてまた羊さまののっぱらで

 今日は意識的に早起きいたしました。会える予感がしたんです。
 予感?
 いいえ、むしろ確信でした。エレウス様はそこにいるって。私を待っててくださるに違いないって。
 だからわたくし走りました。全力疾走でした。ノンストップでした。

 羊さまののっぱらにエレウス様の姿を見つけた時……あの時、私はいったい何を考えていたでしょうか。
 ……うーん、今となってはよくわからない。
 とにかく、何かが頭の中で弾けてスパークしちゃったんですね。
 気がついたら全力疾走の勢いのまんま、エレウス様に抱きついちゃってました。

 うわー、うわー、うわー! こうして文字にしてみると恐ろしいですね勇者ですね勢いって怖いですね!
 エレウス様はほとんど体当たりみたいな勢いでぶつかってきた私をちゃんと抱き留めてくださいました。しばらくなんにも言葉が出てこなくて、ただただエレウス様にすがりついちゃってたんですけど。
 なんで我に返ったんだっけ……?

 ああ、そうです、そうでした。羊さまです。いつの間にか羊さまの群れが私たちを取り囲むように移動してきていて、ものすごい至近距離で鳴き声がしたんです。それはそれはのどかでのんきで平和そうな鳴き声でした。それで二人はっと我に返って顔を見合わせて、思わず笑っちゃったんですね。きっと緊張の反動だったのでしょう。エレウス様も緊張してたんだなあ……なんかちょっと嬉しい。

 ひとしきり笑い合ったあとで、エレウス様は私の手を取って言いました。
「ミス・メーメエ。答えを聞かせてもらえるだろうか」
「ええ、もちろんです、エレウス様」
 ここまで来たらあとには退けません! 声がひっくり返ろうが舌を噛もうがどもりにどもってしまおうが言うべきことはしっかり言わねば! わたくし腹をくくりました!
「私、エレウス様と結婚します」
 言ったー! 言ったぞう! 私はやり遂げた!!

 そのあとのことは……無理! 書けません! いくらなんでも無理です! だってわたくし初めてだったんです! その……く、くちづけなんて。

 きゃー書いちゃった書いちゃった! もう二度とこのページめくれない! 恥ずかしすぎて!
 もうダメもう無理もう不可能! 私、私、私、走ってきます!!

15日 クソジジイ様襲来

 姫様に報告して、我がことのように喜んでいただいて。実家に報告しなければと手紙を出したのですが、手紙は途中でユーターンして戻ってきました。……ええ、宛先ごと。

 今度はこちらから行くって言ってたのは聞きましたけど、早過ぎやしませんかお父様! しかも妹たち六人全員に昔からよく仕えてくれていた使用人たちもみーんなまとめて引き連れて! 家族がこんな盛大に大盛りでやって来るなんて、それこそ結婚式のときくらいだと思うのですが! でもでも明らかに、この人たち私がエレウス様のプロポーズをお受けする前に故郷のお屋敷を旅立ってますよ?
 なぜですかなんでなんですかホワイですか!? いったいどんな虫の知らせが働いたんですか!?

 私は明日エレウス様のご家族にご挨拶に行くための準備でめいっぱい手一杯でゆっくり話す時間もなかったのですが……これは改めて問いつめるべき謎のような気がします!

16日 ご挨拶

 エレウス様のご両親に、ご挨拶してきました。
 エレウス様と一緒にメリーさんのおせなに乗って、ふわふわかぱこぽ、ご領地まで連れて行っていただいたんです。のんびり景色を眺めたり他愛のないお話しをしたりしながら……やっぱりものすごく緊張したんですけどね。エレウス様はエレウス様で、いつもの仏頂面をどこに売っ払ってしまったんですかってくらい穏やかな顔してるし……は、恥ずかしい……。よく数時間も耐えられたと思います。今日の私は偉かった!

 エレウス様のご両親はとっても素敵な方たちでした!
 エレウス様、どうやら外見はお母様似で、性格はお父様似みたいです。お父様は少し猫背で少しふくよかな、穏やかで優しそう〜で知的な雰囲気のお髭のおじさま。お母様は背が高くてほっそりとした切れ長で涼やかな目のとても綺麗な方。エレウス様と同じ、収穫期の麦の穂みたいな真っ直ぐの金髪を顎の高さですっぱりと切ってらして、とても格好良いんです。

 一通り挨拶を終えたあと、エレウス様とお父様は居間で燻製用のチップを作りながら世間のお話。私はお母様にお庭の案内をしていただいちゃいました。散策しながら、エレウス様の小さい頃のお話をいろいろと聞くことが出来て楽しかったです。
 エレウス様のお母様……聞きしにまさる豪傑でいらっしゃいました。エレウス様に剣技を教えたのも、狩りを教えたのも、乗羊を教えたのも騎士としての心得を「骨の髄まで叩き込んだ」(お母様談)のも最初はお母様だったんですって。
「その代わり、教養を叩き込んだのは全部テシウス(エレウス様のお父様のことです)なのよ」
 そう言って微笑まれたお母様のお声には、たっぷりの愛情と尊敬がつまっていました。

 良いな良いな! 素敵です! 貴族のご家庭としてはちょっと変わっていますけど、でもでもほんともう、理想のご夫婦って感じで! お互いに尊敬し合えるご夫婦って最高に素敵ですね!
 私もいつかあんなふうになれるのでしょうか? ……ち、ちっとも実感湧かないですけど。

18日 妹たちよ……

「もう決まっちゃったの!?」
 妹たちは声を揃えました。私がエレウス様のプロポーズをお受けしましたって、家族のみんなに正式に伝えた時の話です。お父様は手紙でご存知だったんですけど、妹たちには伝えていなかったみたいです。
「はやーい」
「はやすぎー」
「見たかったのにー」
「つまんなーい」
「もっかいやってよー」
 ……誰に似たんでしょうこのミーハー根性。というかなぜ、プロポーズもプロポーズの承諾も確定済みな予定の中に含まれてるんですか?
「見てればわかるよ、お姉様」
「みんなそうなるもんだって信じてたもん」
「わざわざ隠して持ってくることなかったねー」
 そう言って妹たちが取り出したのは、なんと少しだけ今風に直されたお母様の婚礼衣装だったのです!
「あやつめが覚悟を決めたら、わしらがおるうちにさっさと式を挙げてもらおうと思ってな!」
 お父様もそっくりかえってそう言いながら、私好みに取りそろえた嫁入り道具一式を出してくださいました。
 な、なんだか明日にでも結婚式を挙げられそうな勢いですね? 展開がはやすぎて、わたくしなんだかついて行けません……。

21日 明日にも結婚? もちろんできるよ、と王子様

 いやでもしかし、それではあまりに急というものです。どうして皆さん何ヶ月も前から決まってたみたいに準備が良いんですか?
 エレウス様と二人で、「変ですね〜」「妙だな」と首を傾げてしまいました。私の態度はあからさまにバレバレだったと思うんですけど、エレウス様のお気持ちが周りにバレていたとは思えないんですよね……私にもサッパリわかりませんでしたし……うーん、不思議。

 まあでも、お父様や妹たちもせっかく来てくれたことですし、式は早い方が良いかなって。
 それで両家の家族に姫様王子様も交えていろいろいろいろ話しあった結果、来月十九日……姫様がご結婚されてからちょうど一年のその日に、式を挙げることに決定いたしました。
 そして日記を読み返してみてふと気付いたのですが、エレウス様のプロポーズをお受けした日は、ちょうど私とエレウス様が出会ったその日付だったんです。おおおおお! これ、スゴイ偶然じゃないですか!?
 これはもう、ぜひとも記念日として記憶しておかねば!

 さてさて、いろいろ日取りが決まって忙しくなってきました! 今日から今から準備にとっかからないと! いくら王子様が明日にでも大丈夫とか豪語してらしても、やっておきたいことやらなきゃいけないこと片付けるべきお仕事は山ほどあるのです。張り切っていくぞー! 私がんばります!!