月の船

 まばらに農家が散らばる農村は、戦があったことなど微塵も感じさせない、長閑な村だった。気だるい午後の光の中、農家の裏庭で糸を紡いでいた老婆に、遺骨を探しに来たのだとグリースは告げた。
「戦死者のことなら、村外れのペドロ爺さんに聞きなされ」
 老婆は糸から顔を上げもせずにそう言った。
「変わりもんの爺さんでな、慰霊塔を建てて、周りに戦で死んだもんの骨を集めておる。もしかしたら、あんたの探していなさるお骨のことも知っておるやもしれん」
「ありがとうございます」
 グリースは話す間も休むことなく糸を紡ぎ続ける老婆の手をぼんやりと見つめながら呟く。老婆はグリースなどそこにいないかのように、なおも平然と糸を紡ぎ続ける。
 グリースはそっと詰めていた息を吐き出すと、老婆が示した村外れに向かい、馬の腹を蹴った。

 ペドロという老人は異教を信仰する者なのだろう。身長の三倍程度の高さの慰霊塔は、グリースの知らない様式で建てられていた。細長い円錐形の天辺には雄牛の頭蓋骨がかぶさり、そこから下は人骨がびっしりと積み重ねられている。全身が揃った骨は皆、慰霊塔のふもとにきちんと人の形を取るように並べられていた。
 この地でいったい何人の戦士が命を落としたのだろう。グリースが葬儀を行う海底の墓場に勝るとも劣らない膨大な数の骨が、慰霊塔の周りを取り囲んでいる。
「戦争が終わってようやっとここに戻ってきたら、まわり中白骨が散乱しとったんですわ」
 呆然としていたグリースの背後から、ふいに嗄れた声が話しかけてきた。
「村の者と協力して、できるだけここへ集めたんですが、まだ時折見つかります。畑の作物が異常に生長するときは、大体その下に骨が埋もれてるんです」
 振り向くと、朴訥とした老農夫がさっきまでのグリースと同じように慰霊塔を見上げていた。
「私、西の港から王様の骨を探しに来たんです」
 老人はグリースの瞳を覗き込み、もう一度口を開いた。
「できるだけ遺品も一緒に添えて置いてるんですがね、盗賊どもが値の張りそうなものは全部持って行っちまいまして。王様の持ち物なんかは残っていなさらんでしょう。この間来たどなたかの家族は、右奥歯に宝石を埋め込んでいたとかで見つけなさったようですがね。そういう、骨に何か特徴は?」
「いえ、特には」
「そうですか」
 農夫は微かにため息をつく。
「……見つかると良いですなあ。そうすりゃわしの苦労も報われると言うもんですわ」
 グリースはゆっくりと遠ざかる農夫の背中から視線を上げて、よく晴れた空を見上げた。冷たく澄んだ空気の向こうで、空は鮮やかな青に輝いていた。

 グリースは一つ一つの骨を子細に眺めながら、慰霊塔の周囲を巡る。外周から少しずつ、中心に建つ慰霊塔へと近づいていく。乾いた音を立てる骨たちは、故郷の海に葬られた骨たちとは違うもののようだ。彼岸に送られることなく朽ちていく骨たち。月の船に乗ることができない魂。この地に並べられた骨たちと違って、海中の死者たちの何と安らいで感じられることだろう。
 自らの思考に沈んでいたグリースの目の端で、何かがちらりと光った。農夫が骨と一緒に並べておいた武具やお守りの類など、遺品の一つが陽の光を反射したのだろう。そう思いながら無意識にそちらへと視線を向けたグリースは、思わず小さな叫び声を上げた。
 光の元は古ぼけた真鍮製のメダイユだった。金に換えられるほどの価値もないもの故、盗賊たちの略奪を免れたのだろうそれは、頭蓋骨の一つに絡みついた、なじみ深いグリースのメダイユだったのだ。
 グリースは熱に浮かされたような歩調で歩み寄り、跪いた。鎖の絡まった頭蓋骨を両手で押し頂いて頬を寄せた。グリースの頬を涙は伝い、なおも伝い落ちて乾いた骨を濡らす。
「やあ、見つけなさったかね」
 他の一角で骨を並べ直していた農夫は、グリースの隣にやってくると朴訥とした口調で呟いた。
「良かったですなあ。これでようやくその魂も月の船に乗れるわけですな」
 答えることも叶わず、嗚咽の声すらも上げず、グリースは涙を流し続ける。
「このあたりの骨はみな野原の真ん中あたりで見つけたものです。その辺りは激戦区だったようですが……その方も勇敢な戦士だったんでしょう」
 農夫は答えがないことには頓着しない様子で、淡々と話し続けた。グリースが泣きやむまで、ただ話し続けた。

 翌日には、グリースは来る途中に立ち寄った商港へ戻っていた。骨の入った箱を抱えて探すのは、故郷の旗をなびかせた船だ。南の国への出航準備を進める帆船の間を、王の骨を預けるのにふさわしい船を探してさまよう。
 最初に目にとまった海竜旗の船の前で、グリースは立ち止まった。一段低いマストに翻るのは、議会にも名を連ねる貴族の旗だ。甲板で荷の積み卸しを指示している若者にも見覚えがある。グリースと王の仲を知る貴族の三男坊で、彼自身ともグリースは何度か会話を交わしたことがあった。
「あんた、船に乗ったのか?」
 グリースが声を掛けると、青年は大きく目を見開いてグリースを見下ろした。
「こちらへは、北の浅瀬を渡って参りました」
「北の浅瀬を? 馬で渡れるなんて知らなかったなあ」
 素直な感嘆の言葉に、グリースは小さく苦笑を漏らす。
「これを、都へ持ち帰っていただけないでしょうか」
 グリースが差し出した箱を、青年は不思議そうに見つめる。
「陛下の御遺骸です。他の方の骨は見つけられませんでしたが……」
「国王陛下の……?」
 甲板から桟橋へ降り立った青年は、箱に伸ばしかけた手を止めて呆然と目を瞬かせた。
「できませんか?」
 グリースは箱を差し出したまま、穏やかな微笑を浮かべて見せた。
「い、いや。いいけど……俺たち、これから南の航路を大きく回ってくから……遅くなるかもしれないぜ?」
 戸惑いたじろぐ青年に、グリースは微笑みをなだめるようなものに変える。
「だから頼むのです。私はまた北の浅瀬を通って都へ戻ります。私の方が後になってしまっては、陛下をお迎えすることができませんもの」
 青年は探るようにグリースの瞳を覗き込んだ。その瞳を見つめ返しながら、グリースはこの青年はどこまで知っているのだろうと考える。
「……そうか。わかった」
 長い逡巡の後で、青年はようやく微笑を浮かべた。
「じゃあ、お預かりするよ。あんたが見つけたって事は黙っていた方が良いのかな?」
「ええ、お願いします。ありがとう。あなたの船が、良い風と波に導かれますように」
 青年に箱を手渡しながら、グリースも初めて演技ではない笑顔を浮かべる。
「ああ。あんたの旅にも、幸多からんことを」
 青年は日焼けした腕に箱を抱え込みながら、穏やかに笑ってそう言った。

 グリースはその船に乗っていた商人に疲れ果てた老馬を売り払い、新しく若い馬を買った。気性の荒い馬だったが、なぜかグリースには懐いてくれたので、商人は相場よりも安い値で取引に応じてくれた。
 船よりも先に港へ帰り着こうと馬を急がせる。王を迎えるのは、自分の役目だとグリースは思う。最後の夜を共に過ごして送り出したのだから、自分がその帰還を迎えるのだと。
 最後の行程は夜通し走り続けた。駆けることが嬉しくてたまらないらしい馬は、グリースの逸る心に応えて飛ぶように走った。
 ふと空を見上げれば、透き通るような碧空に白い月が浮かんでいる。駆けるほどに濃くなっていく故郷の空気に、グリースは深く息を吸い込んだ。

 王の遺骨が見つかったという知らせは、すでに港町に届いていた。議会は功労者であるグリースを呼び出し、礼と労いの言葉をかけたが、王の骨を探し出したのが誰であるかは公表しなかった。グリース自身もそれを望まず、またいつものように呪いと葬儀を施す日常へと戻った。

 そして、その日はやって来た。先駆けの船が港中に告げて回った、王の帰還の日が。
 グリースは夕方近くに庵を出、神殿から海へと続く階段の上で船の入港を待っていた。淡い霧が海上を漂い、沈みかけた太陽もその霧を茜色に染めるだけで、決して暖めて消し去ってはくれない。月は既に南の空高く浮んでいる。見通しの悪い海の彼方を、それでもグリースは見つめ続ける。もうすぐ、あの人が帰ってくる。
 霧の彼方に船影が見えるよりも先に、遠く鋭い笛の音が届いた。王の帰還を告げる角笛の音だ。淡い残光に包まれた海の上を、角笛の音は誇らしげに渡ってくる。神殿の向こうの港に集った人々が、それに応えて歓声と感謝の祈りを上げ始める。高らかな祈りの歌が、薄暮の空に朗々と響き渡る。
 グリースは階段を駆け下り、ためらうことなく冬の海へ飛び込んだ。両手を広げ、霧の向こうの船影へ向かい、愛しい人の名を大声で呼ばわった。
 その胸元で、細い月が揺れた。