第一章 It seems to be silly

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 物語の多くは人生の途中から始まる。
 それまで積み重ねてきた人生を糧として、物語は紡がれる。
 桐生雷花(キリュウ ライファ)の物語も、その例外ではなかった。

「ちょっと聞いて頂戴よォォォ!」
 壊れかけて半分は廃屋と化した寺に、口調こそは女のものだったが明らかに男性の声が響き渡った。寺の門の上にはでかでかと達筆で「他力本願寺」と書いた札が掲げられている。
「どうしたのアレス」
 本堂に駆け込んだアレスに、本来なら仏像が占めていたはずの場所に鎮座ましましているテレビを拝んでいた男女のうち女のほうが顔だけ振り向かせて尋ねる。
「食料庫にネズミが侵入したのっ! ああ……ジャガイモどもと共にアタシの心もズタボロだわぁ……今日のメニューはなんと! ステーキだったのに添え物のポテトが……」
 ひとしきり嘆いた後、アレスは姿勢を正し、ついでに声のトーンも下げた。
「ライファ、被害はジャガイモだけにとどまらないんだ。明日にでも町へ行って食料と猫を買い込んでこなければ。わかったかな、タスク君」
 タスクと呼ばれた青年はテレビから目を離しもせずに肩をすくめる。
「今日の分くらいなら畑掘り返せばまかなえるんじゃない?」
 水色の髪を長く伸ばし、アラビアあたりの衣装を模したらしい服を着たライファは、赤い瞳の十六、七の少女だった。
「一食分くらいならイモも残ってると思うよ」
 畑を指差して言うライファにアレスはうなずいてみせる。
「そうだなぁ。じゃあちょっくら掘り返してみよう」
 アレスは漆黒の髪を短く切った整った容貌の青年だった。黒い瞳は切れ長だが優しげで、鼻筋も通っている。口調が気分によって女口調になりさえしなければ、さぞかしモテていただろうというのがライファの評価だ。本人は「これで十分モテモテなのにィ」と言い張っているが。
 さて、ジャガイモを掘り返すことに決定したアレスはまっすぐタスクのほうへ歩み寄る。
 濃茶の跳ね回る髪を鉢金で顔にかからないようにしている青年はうるさそうにアレスを振り仰いだ。本人が不器用なせいで鉢金をすり抜けた髪が、強い光を宿す赤い瞳にかかっている。
「手伝うよな、タスク」
 アレスは満面の笑みで言った。タスクはあぐらをかいて座っている床から立ち上がるどころか、ため息と共に再びテレビに向き直る。
「人に物頼む態度じゃねぇな」
「あら」
 アレスは心外そうに口元に手をやった。
「別にィ、アタシ、アンタの手料理食べてあげるだけの度胸は持ち合わせてるからぁ、明日っからアンタも食事当番の当番表に組み込んであげても良いのよォ」
 タスクは心底嫌そうに眉をひそめてから立ち上がる。
「わかったからカマ口調はヤメロ。気色悪い」
 二人は騒がしく言い合いながら本堂から出て行き、ライファはノイズを映し始めたテレビを最近調子悪いなぁこいつとか言いながら小突いた。

 翌日。屋根無しジープに乗った三人は、荒野に真っ直ぐ通った轍だけのでこぼこ道を走っていた。辺りに緑はなく、地面はひび割れている。
「今日ってさあ、エヴァーグリーンの部隊が一つ町に来てるらしいからおとなしくしてよーね。特にタスク」
 ライファが後部座席から身を乗り出して言う。言われた本人は不満そうにそっぽを向いた。
「治安維持組織なんて名前からしてタスクと相性悪そうだもんなあ。俺も面倒起こさない方がいいと思うけど」
 運転席のアレスがのんびりとライファに賛成の意を表せば、タスクは聞きたくもない様子で鉢金を目元まで下ろし、昼寝を始める。
「もー、全くしょうがないなあ、この人は」
 ライファは大げさにため息をつき、バックミラー越しにアレスと苦笑しあった。

「じゃ、俺はちょっと猫を物色してくるから。ライファは食料頼むな。タスクはどうするよ」
「寝てる」
 即答。アレスはすうっと目を細めてジープの扉に腕を乗せ、助手席に座ったままのタスクを覗き込んだ。
「ほう」
 アレスは殺気に近いものを込めて笑いかけるが、タスクはあさっての方向を見て知らんぷりだ。
「じゃあちゃんとポンコツ君見張っておけよ。ポッポナイナイされたら大変だからな」
「……ポンコツ君?」
 視線だけやって訊ねるタスクに、アレスはジープを軽く叩いて示す。タスクはその様子を横目で確認し、面倒くさそうに頷いた。

「マリー久しぶりー。なんか今日この町寂しげだけど何で?」
 黄ばんだカーテンにパイプ椅子。取り柄は日当たりの良さだけ、といった殺風景な喫茶店の中。カウンターに座ったライファが首をかしげた。
「あああ。なんか猟奇殺人が起こっててさあ」
 不穏なセリフをさらりと返したのはカウンターの向こうに居る少女だ。年のころはライファと同じくらいで、赤毛を一本の三つ編みにしてくたびれたフレアースカートに白いエプロンをかけている。
「みんな外に出たがらないんだよねー」
「猟奇殺人?」
「そー。なんか今んとこ被害者みんなイディアー能力者って判定出てる人ばっかなんだけど。なんか刺されててさ。その傷のとこがこう……変な風になってるんだって。溶けてるような感じ?」
「ふうん?」
 ライファは眉根を寄せた。
「イディアー能力者ってことは私危ないんじゃん」
「だよね。気をつけてね」
 マリーは言いながらトーストと紅茶の乗ったトレイをライファの前に置く。
「デンジャラスで貧乏な君に奢りね。もうちょっとしたら混みだすからさっさと食べて出てって」
「冷たいなぁもう。町の人外出たがらないんじゃないの?」
「それでも混むところは混むんだって。うち評判いいんだから」
「おいしいもんね、ここのトースト」
「褒めたってこれ以上安くなんかしないわよ」
「わかってるわかってる」
 ライファは苦笑しかけて、ふと動きを止める。
「もしかして、エヴァーグリーンが来てるのってその猟奇殺人のせい?」
「うん、そのせい」
「そっかぁ……そりゃあ、オオゴトだぁ……」
 ライファは気の抜けた調子でつぶやいた。天井に備え付けられたプロペラが、生暖かい風をその頬に送った。

 食料の買出しを終える頃には太陽もだいぶ西に傾いていた。
 ちょっと遅くなってしまったかもしれない。
 そう思って、早く待ち合わせ場所にたどり着こうと普段使わない路地裏へ入り込んだ。のだが。
 失敗、でしたよマリーさん。
「ははは」

 袋小路に追い詰められた哀れな獲物はむなしく嘘笑いを空の向こうへ放った。
「逃がすと思うかい?」
 白衣に眼鏡に痩せ型の体型に狂気の笑み。絵に描いたようなマッドサイエンティストは両手に持ったメスをきらめかせながら悠然とした足どりでこちらへ迫ってくる。
「メ……メスって切るものじゃん。刺された傷って何さ……」
 行き止まりの塀にびったり張り付いた姿勢でだらだら冷や汗を流しながらライファは笑う。その首筋にメスが押し当てられた。
「うわ、待ってください先生」
 白衣と見れば先生と言ってしまう自分が少し悲しい。いや、それどころじゃないんだけど。
「私の実験に参加できるのだ。名誉なことだろう?」
「いや、もう既に不名誉のカタマリなんで今さらそんなものいらないです。不名誉万歳。命あっての物種」
 何とかメスを持った腕を押し返そうと手を添えて力を込めた瞬間。ライファとマッドサイエンティストの間に、炎の矢が降ってきた。