第三章 pool
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耳のすぐ側でいきなり金属音が響いた。勢い良く目を開けたタスクは、ベッドの側に仁王立ちになっている少女に思わず顔をしかめる。
「いつまで寝てんだい？ ドクターなんてとっくに起きて母さんの手伝いしてるってのに」
昨日酒場でウェイトレスをしていた少女は右手に頑丈そうなハンガー、左手にフライパンを持っていた。どうやらその二つを打ち鳴らしてタスクを起こしたらしい。
「……この宿じゃそうやって客起こすのかよ」
「ここは宿じゃないし、扱いは客によるね。金払わない客が優遇されるわけないと思わないかい？」
「……金」
「払ってないだろ？ ドクターってツケそのまんまで出て行っちまうような奴なんだよ。その友人なんだからあんたも扱いは同じ」
タスクはなんとなく釈然としないものを感じながら起き上がる。
「起きて着替えたら下に来とくれ。運んでもらいたいものがあるんだよ。あんた、ドクターよりは力仕事できそうだからね」
しぶしぶ一階に降りてきたタスクは、入り口近くでアレスと向かい合っている少女に思わず目を見開いた。
「ライファ！？」
駆け寄って肩をつかんで振り向かせる。少女は目を大きく見開いてタスクを見上げた。
青い色の瞳。ライファではない。
「ばっかよく見ろ。別人だ」
少女と話していたアレスが顔を上げて苦笑する。
「あの、はじめまして」
少女はタスクがアレスと知り合いだったことに安心したのか、淡い微笑を浮かべて小首をかしげた。
「この子、ターナってんだ。ちょっと依頼受けてさ」
「ちょっと待て」
タスクは低い声でアレスのセリフをさえぎる。
この状況で何を言い出すんだこの男は。依頼なんて受けている場合じゃないだろう。
「まあ聞きなさいよ。この子はねえ」
「普通に話せ、気色悪い」
アレスは小さく舌打ちした。舌打ちしたいのはこっちだ。
「ライファの姉さんみたいなものなんだ。ライファ助け出したら、俺しばらく別行動になるけどいいよな？ ちゃんとライファ他力本願寺まで護衛するよな？」
「ああ、そりゃ、もちろんするが……」
「よし。ライファ見つけるまでは仲間だ。仲良くするんだぞ、タスク」
アレスは満面の笑顔で頷いた。こういうときのアレスは、たいがい質問も反論も受け付けない。
タスクは今度こそ遠慮なく舌打ちした。
フィニスに連れて行かれた先は第二センタービル五階、ティア・カフティアの居室だった。
「ティアちゃん！ 久しぶり！ 元気にしてた？」
ライファが片手を上げて挨拶すると、窓辺に立って外を眺めていたティアが振り向いて笑う。
――見ての通りだ。お前は……元気そうだな――
「捕らわれたにしてはね」
フィニスもくすくすと笑う。
「悠斗君も元気にしてるのかしら？」
「はい。結局三年間病気知らずで」
「彼らしいわね」
フィニスの声音は昔を懐かしんでいるようだ。
――相変わらずあの妙な女言葉を使っているのか？――
「うん、そこも、相変わらず」
ライファが頷くと、ティアは仕方のない奴だな、と苦笑を漏らす。
「そういえば、何でティアちゃん私に会いたがったの？」
不意に、ティアの表情が暗く翳った。
――二週間ほど前、フェルゼンが一人で水の星に行った――
「何しに？ どうやって？」
ライファは硬い声で尋ねる。
――我々は第一センタービル地下一階に水の星への『ゲート』を開いた。お前の力を人工的に再現したものだが、今のところ最大出力でもひと一人通るのがやっとの有様で精度も低い。しかしフェルゼンはそこを通って水の星へ行った。目的は察するとおりだ。水の星維持システム捕獲。捕獲には成功し、維持システム『フォンターナ』は研究部に身柄を預けられた――
「じゃあ」
ライファは唇を噛んで視線を落とした。
「ターナは……」
――まだ処分されてはいない。フェルゼンがフォンターナのいない水の星の調査を終えるまではどうにか処分を延期させることが出来た。奴は今水の星にいる――
「フェルゼンはいつ帰ってくるの？」
――明後日だ――
ティアの言葉に、ライファは呆然と手近なソファに座り込む。
――そう絶望的な顔をするな。今水の星に帰すとフェルゼンと鉢合わせになるだろうと思ってとりあえず『地下』に逃がしておいた。今頃悠斗が拾っているだろう。あいつはどうもそういうのに懐かれる傾向にあるからな――
「……そういうのって……もしかして、私も入ってる？」
ライファはどうにか笑顔を浮かべられるだけの余裕を取り戻して、座ったままティアを見上げた。
――ああ。ついでに私もだ――
ティアが微笑する。ライファが何か言い返そうと口を開きかけたとき、それまで黙って二人を見守っていたフィニスが唇に指を当てて黙るよう指示した。
――どうした？――
「誰か来るわ」
表情を引き締める三人の前でセンサー音がロック解除を知らせ、扉が開いた。
扉の向こうには白い狼が座っていた。
「……あ。天理」
ライファは肩の力を抜いて手招きする。
――知っているのか？――
同じくほっとした様子のティアが首をかしげた。
「こっちに連れて来られるときの車で一緒だったから」
――ああ、そういえばこいつも行ったんだったな。……天理は七海一族の護衛だ。今は迅斗を守っているようだが、以前は悠斗の守護をしていた。よく懐いていたな――
「そうだったんだ。私、アレスが悠斗だった頃のことはよく知らないから」
ティアの笑顔がそこはかとなく楽しげなものに変わる。
――『そういうの』仲間だ――
どうりでシンパシーを感じると思った、と笑いながら、ライファは天理の頭をなでた。
その頃、『そういうの』に懐かれる傾向にある当の本人は酒場の二階で熱弁を振るっていた。
「まずタスクが入隊希望ってことで侵入、ライファの居場所を噂かなんかで聞きだす。通信機で俺にその居場所を教えてくれれば俺はエヴァーグリーンのコンピュータに侵入して追っ手の位置を確認しつつタスクをライファの居場所までナビゲートする。もちろん俺らも同時進行でライファの居場所を目指す。途中で合流してライファのイディアー能力で脱出。以上が作戦の概要ってことでいいな？」
アレスとタスクが泊まっていた部屋。二つのベッドに二人づつ座って、一同は最後の話し合いをしているところだ。
話し合いが始まる前に軽く座席争奪戦はあったが（おっさんがやっぱり華やかな女性の隣がいいねえとターナの隣に座ろうとしたところを、おっさんエロじじいだからダメだとアレスが蹴っ飛ばした）、話し合いはおおむね和やかに進んでいた。
「俺はイディアー能力者じゃないし、けっこう親しくしてた人間とかもいるんで入隊希望てのは難しいが、タスクの顔知ってんのは迅斗とその周辺くらいだから噂を聞くくらいなら大丈夫だと思うんだよな」
「誰だ迅斗って」
重要な役割を押し付けられたタスクはしかめ面で尋ねる。
「こないだの雷使い」
「なるほど。まあ悪かねえんじゃねえか。しかし、顔知られてるんなら変装くらいは必要だろう」
「……変装……」
おっさんの言葉にアレスがにやりと笑った。
「オイ、またなんか妙なこと考えてるんじゃないだろうな」
急に不安にかられたようにタスクが身を乗り出す。
「アンタ、アタシのこと何だと思ってんのよ」
「少なくとも変人ではあるだろ」
「失礼ねえ。アンタほどじゃないわよ。まあいいわ。ほれ、その頭に巻いてる鉢金を外せ。前髪下ろせば充分別人に見えるって」
「……それだけでいいんだな？」
タスクはまだ警戒を解かない。
「化粧でもするか？」
「やめろ」
じゃれあう二人を半眼で眺めつつ、おっさんは仲良いねえとターナに話しかける。ターナは穏やかな笑顔でそうですねと頷いた。
「さて、タスク。これが例の推薦状だ」
おっさんは適当なところで激しく脱線しつつある若者二人を止める。
「ドクターのよき理解者にしてファン、それでいてインティリアでも五本の指に入る資産家のレーナ・ディーリア氏の直筆だが、効果は明後日の朝までだ。それを忘れるなよ」
手品のように取り出した封筒をタスクに差し出しながら、おっさんはにやりと笑った。
「おっさん、一つ質問があるんだけど」
「ん？ 何だドクター」
おっさんは顔だけアレスに振り向けて先を促す。
「タスクが騒ぎを起こしたらレーナさんの立場がまずくなるんじゃ？」
「だから効果は明後日の朝までなんだ。なあに簡単なことさ。あとで偽造だったってことにしちまえばいいんだよ。レーナさんに確認の連絡が行くまでに一日だけ時間を稼いでやる。その間はレーナ・ディーリア氏の推薦状付きじゃむげに扱うわけにもいかねえからな、エヴァーグリーンの連中もちゃんと相手してくれるはずさ。その間が勝負だ」
タスクは（珍しく）神妙に頷いて封筒を受け取った。
「いいか、しっかり学も考えもない野心だけの男を演じるんだぞ」
アレスが念を押す。
「ああ、それはいいんだが、お前らはどうやって侵入するんだ？」
タスクは向かいのベッドに座っているアレスとターナを順に見ながら尋ねた。
「インティリアに入るまでは俺が前使ってたカードあるからな。ターナは妹だってことにすれば何とかなるし。機械はだませないが人間相手なら……ばれなきゃごまかせるだろ」
「……当たり前だろうが。……つかまんなよ」
逆に言えばばれたらごまかせないということだ。タスクは深くため息をつく。
「もちろんだ。タスクもドジるなよ」
「ふん、誰に向かって言ってんだよ」
「タスクに向かって言ってるに決まってんだろ。イモ焦がすのとはわけが違うからな」
「うるせえよ」
またじゃれあい始めた二人に、おっさんは若いって良いねえと呆れ半分の呟きをもらした。