第四章 It's rain cats and dogs
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エヴァーグリーン本部第一センタービルの地下一階。深度で言えば第二、第三センタービルの地下五階に相当する、直径百メートルはあるだろう広大な大空洞。大空洞を支える柱のようにも見える中央の巨大な装置は、水の星への『ゲート』発生装置だ。装置の周囲は人工的な湖になっている。その水面からコードのようなものが延び、あるものは『ゲート』発生装置に繋がり、あるものははるか上空の天井へと消えていた。
ゴートはそれらがコードではないことを知っている。あれらは――あるいは彼らは――植物だ。イディアー能力を持ち、三百年の間、何度も世代交代を繰り返しながら同一の意識を保っている。生まれつき高い共感能力を持っているので、個体ごとの意識に明確な境界線がないらしい。
そしてそれは、エヴァーグリーンの『頭脳』でもあった。
ゴートはゆっくりと広間の中心へ歩き出した。湖に近づくと、それに反応したように正方形の真っ黒な足場が一定の間隔を置いて姿を現す。同時に水面から触手のような蔓が延びてきてゴートの服の裾に触れた。自分達に敵意を持っていないかどうかを探っているのだ。
――ゴート――
装置まであと数メートルのところまで近づいたとき、不意に頭の中に声が響いてゴートは立ち止まった。
「ティア・カフティアか」
ここにはいない話し相手に向かってゴートは話しかける。
「何の用だ」
――侵入者だ――
一瞬、湖がざわり、とうごめいた。
――現在第一センタービル五階にいる。ノエル・トラバントが追っているが、彼のイディアー能力では対抗は難しい。協力してやれ――
『行け』と言う指令と『行くな』という指令が同時に頭の中で響いた。『頭脳』の意見は割れているらしい。
「しかし指令、私にはここを守ると言う任務が……」
――ゴート・レザード――
頭に響くティア・カフティアの声は冷淡だ。
――私は頼んでいる訳ではない――
「……侵入者は……悠斗、なのですか」
ティア・カフティアは沈黙した。湖が再びざわめく。
「……愚かな奴だ……」
ゴートは低く呟いて、ゆっくりと踵を返した。
「反逆者は、処理せねばなるまい」
「どこへ……行く、つもり……なんですか?」
バジルを名乗る青年に引っ張りまわされて息を切らせながら桔梗は尋ねかけた。
「俺が知るかよ」
青年の返答は短い。
「……しつこいな」
青年は小さく舌打ちして行く手に向かって左手を振る。同時に出現した炎は、まるでそこに可燃物があるかのように激しく燃え上がった。
「射撃はしないように! 桔梗さんに当たってしまうかもしれない」
炎の壁の向こうからノエルの声が聞こえる。
「どっちだ、アレス」
青年は腕時計に向かって怒鳴った。
『二メートルくらい戻って右の扉。パスコードは……いや、いい。今開いた』
大きさの割りに高性能なスピーカーからくぐもった男性の声がする。青年は桔梗の腕をつかんで早足で指示された扉へ向かった。
「バジルさん! あの炎を消してください。このままでは火事になってしまうわ!」
よろめきつつ後ろを振り向いて桔梗は懇願する。青年は、ならねえよ、と不機嫌に答え、桔梗の腕をつかんだまま扉に入った。
「ディーリア氏からの紹介状で油断しました。もっと危険物の検査や犯罪者データとの照合をしておくべきだった」
ノエルは消火活動にいそしむ隊員を後目にバジルを名乗る青年と桔梗が消えたあたりへ向かった。片手には隊員の一人から奪い取った通信機を持っている。妨害電波の多い本部内からなので切れ切れだが、通信機はナナミ・チームの移動式本拠地とつながっていた。
「ライファの居場所を探っていたようです。恐らくは彼女の仲間の炎使いだと」
『すぐ本部に戻る。出来るだけ刺激……ないようにしてくれ。今本部には奴に対抗できる戦闘要員はいないだろ……。やけになって全能力を開放さ……たら大惨事になる』
「了解しました」
聞き取りずらい迅斗の指令に頷いて、ノエルは白衣のポケットに通信機を突っ込んだ。炎使いが入っていったと思われる扉を調べる。
扉の向こうは第一センタービルへの連絡通路だった。機密レベルは決して低くない。ためしに打ち込んだ一般隊員用のパスコードはあっさりと拒否される。
――どういうことだ?――
ノエルは迂回路へ急ぎながら自問した。
エヴァーグリーン本部のセキュリティシステムは外部とは接触を絶っている。と言うことはさっきの警報の侵入者が本部に設置されている端末からシステムをハッキングしているのか、もしくはエヴァーグリーン内部に手引きしている者がいるのか。
どちらにしろあまり歓迎できる事態ではないが、内通者だけは勘弁して欲しいと、ノエルは切に願った。
「なんか騒がしいね?」
紙コップを片手に部屋に入ってきたティアに、ライファが首をかしげる。
――そうだな。フィニス、状況を調べてくれるか――
ティアはごく冷静にそう言うと、仕事机に紙コップを置いてその隣に腰掛けた。
フィニスはなぜかくすくす笑いながら内線電話を取り上げる。まあ、だの、そんな、だの大変楽しそうにやり取りしたあと、フィニスはティアとライファの方へ振り向いて笑った。
「侵入者だそうよ。現在そっちこっちに炎を撒き散らしながら逃亡中ですって。すごいわね」
――では忙しくなるな――
いけしゃあしゃあとティアがのたまう。
――ライファ、悪いがしばらく娯楽室の方で待機していてもらえるか――
「いいよ。侵入者って、タスク?」
首を傾げるライファに、ティアは紙コップの中身をすすりながらふと真面目な表情になって頷いた。
――ああ。他数名だ。フィニス――
顔を上げて机から飛び降りたティアに、フィニスはくすくす笑いを引っ込める。
――ライファを娯楽室へ送ったら第一センタービルから第二センタービルへの連絡通路へ来てくれ。人払いをする――
「了解」
フィニスは淡い微笑を浮かべたまま敬礼した。
「奴を刺激しないように! 人質の安全を第一に考えてください!」
同じ頃、第一センタービル五階ではノエルが鼻息も荒く指示を出していた。
真っ直ぐの廊下で、前後をエヴァーグリーンの隊員に囲まれたまま炎使いは鼻で笑う。
「まるで猛獣扱いだな?」
「似たようなものでしょう」
肩で息をしつつもノエルは不敵な笑みを浮かべる。追い詰めてやったぞ、と言う、会心の笑みだ。
「……めんどくせえな。人がせっかくおとなしくしといてやったってのに」
隊員の何人かがびくりと身をすくませた。確か、娯楽室でライファの歌を聞いていた面々だ。
「言っとくが、先に俺達に手を出したのはお前らだ。言い訳は聞かないからな」
「バジルさん!」
桔梗が悲鳴を上げるのと、廊下が一気に火の海になるのが同時だった。
うわーだのぎゃーだのお助けーだのと好き勝手な悲鳴を上げて隊員たちが退避する。
「ま、待て!」
結界を張って(それでも相当熱かったが)どうにか踏みとどまったノエルは、炎の向こうに姿を消した炎使いに向かって叫んだ。
「桔梗さんを傷つけでもしたら、僕はあなたを許さない!」
「だからそういうことするとうるさい奴がいるんだって」
炎使いが律儀にぶつぶつと答えているのを、桔梗はほとんど小走りで引っ張られながら聞いた。
「バジルさん、あの、いったいどこへ……」
「タスク」
炎使いはぶっきらぼうに桔梗の問いをさえぎる。
「……え?」
「バジルって誰だよ」
自分で名乗ったくせにそんなことを言う。
「え……と……。タスクさん?」
「あ?」
炎使いは立ち止まり、目の前の扉をこつこつ叩きながら上の空で返事した。
「本当に、どこへ行くつもりなんですか?」
「知らねえ」
やけにきっぱりと答えられる。
「で……では、何のためにこんなことを?」
「仲間が捕まってるんだよ」
真剣な表情で扉に手をかざしながらタスクは頷いた。
「助けに来たんだが、頭脳労働は俺の担当じゃない。行き先考えるのは別の奴の仕事だ」
ふざけているのか真面目に話しているのか、真剣なままの表情からは読み取れない。
「仲間って、ライファさんの……」
「み〜つ〜け〜ま〜し〜た〜よ〜……」
地の底から響いてくるような声がして、桔梗は思わず全身の毛を逆立てた。振り向くと、焼け焦げた白衣にすすけた顔のノエルが通信機片手に廊下の角から姿を表したところだった。
「しつけえよ!」
タスクは飛び上がって怒鳴ると目の前の扉を思い切りよく蹴り飛ばす。鉄製の扉が真夏のチョコレートのようにぐにゃりと曲がってもぎ取れるのを、桔梗は目を丸くして見つめた。
「そう……言われましても……!」
桔梗の腕をつかんで走り出すタスクを、ノエルは息も絶え絶えになりながら再び追いかけ始める。
「タスク……さん、このままの……ペースじゃ、ノエルさんが、ついてこれなくなってしまいます!」
「……それでいいんだって」
一人だけ落ち着いた呼吸のタスクが、ぼそりと桔梗の悲鳴に答えた。
第一センタービル四階。もはやどこをどう通ってきたのか桔梗には思い出せない。
『その角を右だ、で、最初の扉』
腕時計から聞こえる指示に従って、タスクは小部屋へ滑り込んだ。
「おお、タスク、ご苦労さん」
小部屋に設置されている情報端末の前に座っていた青年が立ち上がって笑いかける。声はくぐもってこそいなかったが、腕時計から聞こえて来ていた声と同一のものだった。その側に立っている、黒髪を肩上で不揃いに切った少女も控えめな笑みを浮かべる。
「お前すげえなあ。本部ん中上を下への大騒ぎだぜ? どうやったら一人であそこまで撹乱できるんだよ。あ、人質の人はもう解放しても……って桔梗ちゃんじゃないか!」
こちらに視線をやった青年は大きく目を見開いて身を乗り出した。その仕種で、桔梗は彼が七海悠斗――迅斗の兄であることに気付く。
「……お……お久しぶり……です」
どうして彼がここにいるのだろう。混乱したまま桔梗は頭を下げた。
「あ、ああ……。……久しぶり」
悠斗も半ば呆然とうなずきを返す。
「のんきに挨拶してる場合か!」
タスクが怒鳴った。
「うわ、タスクに言われるなんて大ショックだ」
「……お前なあ! 緊張感ってもんはないのか!」
「だからタスクには言われたくないって」
なんだか妙な雰囲気になった二人に、黒髪の少女がおろおろと視線をさまよわせる。
「み……見つけましたよ……。い……今、司令室に、連……絡を……」
自動ドアが空気の漏れる音と共に開いて、ノエルが姿を現した。
「ノエル!」
唐突に悠斗が怒鳴った。
「え、あ……あれ? 何であなたが……」
悠斗の方を見たノエルが目を見開く。
「桔梗を頼むっ!」
悠斗はぼんやりしていた桔梗を思い切りノエルの方へと押し出した。
「ちょっ! 悠斗さん!」
「た……頼むって……」
ノエルが咄嗟に桔梗を受け止めたが、受け止められたほうも受け止めたほうも驚いたり呆然としたりで反応は鈍くなる。悠斗はその隙にタスクと少女を引きずって、向かいの扉から姿を消した。