第二章 Secret
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「リーダーが……反逆者?」
黒服たちのリーダーの、釈明と言うにはずいぶんと尊大な説明を聞き終わった後、ノエル・トラバントは呆然とそう呟いた。こういうとき、演技が上手くて頭の回転が速いノエルは頼りになる。
アクアはこの場の交渉はノエルに任せて、カイラスと共に一歩下がって様子を見守ることに決めた。
「そんな……にわかには……信じられませんよ、そんなこと」
「しかし、ナナミ=ハヤトがターゲットと行動を共にしていたことも、我々のターゲット捕獲を妨げたことも事実だ」
黒服の言葉からは、リーダーを失って呆然としている者を気遣うような調子は感じられない。
「あなた達がフェルゼン様の配下だってわからなかったってことは……? ほら、エヴァーグリーンの隊員服じゃないから……」
レルティが演技ではなく血の気の失せた表情で一歩踏み出して尋ねた。先ほど迅斗が傷を負っているのを見てしまったショックがまだ抜けないらしい。
「ナナミ=ハヤトは将来我々と同じ任務に就くことが期待されていましてね」
黒服のリーダー格はあくまで冷徹な調子で答えた。
「我々の何人かとは直接面識もある。そんな勘違いはあり得ませんな」
「記憶や精神を操作されたという可能性は……?」
なおも言い募るノエルに、黒服のリーダーはふと値踏みするような視線を向ける。
「ふむ……あなたのイディアー能力は相手の記憶を操作することでしたな? なるほど。確かに、そういう可能性もなくはない。その場合は……」
男は芝居がかった調子で言葉を切り、胸ポケットからシガレットを取り出して火をつけた。
「あなた方に『説得』を行ってもらった方が良いかもしれませんな。万が一記憶操作などされていたとしても、ミスター・トラバントなら修正できるはず」
黒服の男たちから視線を逸らしてうつむいたレルティが、こっそりと顔をしかめて口の動きだけで「ヤな奴ぅ」と呟くのが見えて、アクアも顔をしかめた。自身もイディアー能力者である黒服たちは、迅斗が記憶操作などされていないと予測がついているはずだ。それをあえて指摘しないのは、迅斗の記憶を操作してこちらの言うことを聞くようにしろと暗に命令しているからだ。
「良いでしょう。我々は水源地確保の命令を受けてここへ来ただけなのでね。ターゲットの捕獲任務はあなた方に続行していただきましょう」
話はこれで終わりだとばかりに、男はシガレットを地面に投げ捨てて踏みにじった。
「では、我々はこれで失礼します」
リーダー格の男が歩き始めると、他の黒服たちも一斉にそれに習う。見事なほどに統率の取れた動きだった。
男たちの気配が完全に遠くなると、誰からともなくため息が漏れる。レルティは男たちが立ち去った方角に向かって思い切り舌を出した。
「しっかし、フェルゼン様直属の連中ってのはなんでみんなあんなに感じが悪いかね。同じエヴァーグリーンのメンバーなんだ、もうちょっとふさわしい態度ってものがあるんじゃないのか?」
賢明にもひたすら沈黙を保っていたカイラスが不愉快そうに顔をしかめる。
「仕方がありませんよ。ある程度サディスティックな性向の持ち主でないと務まらないような仕事ではありますからね。彼らの仕事内容については、かなり暗い噂も聞いています。今回の任務が水源地確保のみだというのは眉唾ですね」
ノエルは肩をすくめ、力のない声で言った。
「何はともあれ、これでまた僕たちはリーダーとはぐれてしまったわけです。これからどうしますか?」
――二人の行き先がわからない以上、当初の目的地であるウィーゼ開発地区を目指すのが定石だろう――
フィニスと共に一つ先の曲がり角で待機していたティアがテレパシーを飛ばしてくる。
「迅斗、怪我大丈夫かな……?」
不安げに呟くレルティの頭に軽く手を置いて、アクアは頷いた。
「大丈夫。急所は外れてたからね、リーダーにとってはどうってことないよ」
暗く湿った空気に目が慣れるまで、少し時間が必要だった。硫黄のような匂いが鼻につく。
「……どこだ、ここ……」
脇腹を押さえながら呟くと、自分の肩を支えていたライファの手が微かに震えた。
「ごめ……大丈夫だった?」
「ああ、あと五分も休めば動ける」
ライファの手から体を起こし、迅斗は周囲を見回す。
転移した先は、どうやら地下下水道のようだった。二人が今いるのは乾いた水路の中だ。大人が充分立って歩けるほどの、下水道としてはかなり広々とした遺構だが、水の流れはおそらく久しくないのだろう。近くに一つだけ、ようやく手のひらを浸せるほどの水溜まりがあった。辺りを照らすのは、取り外されたマンホールから差し込むわずかな光だけだ。
「無理しない方が良いって」
辺りの静寂を揺らすのを恐れるかのような小声で、ライファがこちらを気遣う。
「別に無理はしていない。戦闘中はイディアー能力で肉体の能力を高めている。治癒能力も強化しているから、出血はもう止まってるんだ」
「そなの? タスクはそんなことできなかったからさ」
不思議そうに首を傾げるライファに、迅斗は小さく苦笑した。
「俺は……正式に訓練を受けているからな」
「そか」
ライファは軽く頷いて立ち上がり、周囲を見回す。
「それで、ここはどこなんだ?」
迅斗はライファを見上げて先ほどの問いを繰り返した。
「いやあそれがさははは」
ライファは後頭部を掻きながらごまかし笑いを浮かべる。
「わかんないんだよねえ」
「やはりそうか……」
迅斗は深くため息をついて立ち上がった。
「ごめんごめん。とっさに他力本願寺に転移しそうになって、あわてて座標軸ずらしたからさ」
ライファは迅斗に両の手のひらを向けてぱたぱた振りながら話し続ける。
「ま、まあなんて言うか、ほら、受け売りで悪いんだけど、アレスも『トラブルを楽しめ』って言ってたことだし、前向きにね? 解決策を考えようじゃありませんか、共に!」
迅斗はもう一度ため息をついた。
「トラブルを楽しめって、この状況をか?」
「そうそう」
ライファが調子よく相槌を打つ。
「……冗談じゃない」
「えー、絶対冗談だよ」
再び調子よく答えたライファを、迅斗は半眼で見下ろした。
――そりゃそうだあの兄はそういう冗談を言う男だろうだけどしかし今俺が言いたかったのはそういうことではなくなんというか。
いろいろと申し立てたい言葉が頭の中を巡ったが、結局ひとつも口にせずに迅斗はため息をつく。
転移した直後から感じていた複数の気配が、二人を囲むように展開している。気配の隠し方の下手さからするとたいした相手だとは思えないが、悠長に話し合っている時間もなさそうだった。
「お前は兄貴の影響を受けすぎだ」
迅斗はイディアー能力の気配を引き寄せながら、硬い口調で呟く。
「迅斗は口悪くなってきてるははは」
ライファは否定すらしない。
「まあとにかく」
ライファは言葉どおり、まあとにかく的な笑顔を浮かべた。
「じっとしてても始まらないし」
私は運動苦手だから遠慮するけど、と前置きして、ライファは複数の気配の方へと振り向く。
「迅斗、荒事は君の管轄って事でどうよ? 怪我してるところ悪いんだけどさ」
「まあ、その方が良いんだろうな」
迅斗はため息と共に体から余計な力みも抜き取って身構えた。
「お前は、どうも荒事が得意そうには見えない」