第三章 Homesick

 3-2

 ウィーゼ開発地区を目指して、ナナミ・チームに支給されたバンは早朝の荒野を疾走していた。
「あのさ、一つ疑問に思うんだけど」
 それまで車の中を支配していた沈黙を破って、助手席のレルティが一同を見回す。運転中のアクア以外全員の視線を集めながら、レルティはティアに問いかけた。
「海を取り戻す手段があるって、エヴァーグリーンの偉いさんたちは知ってるんでしょ?」
 ――ああ――
 問いかけられたティアが、窓の外へ視線を外しながら短く答える。
「だったら何でライファちゃんたちに協力しないの? 誰にとっても海が戻ってきた方が良いに決まってるのに」
 ――普通に考えればそうだろうな。だが、現状に満足している人間にとって変化は敵だ。エヴァーグリーンの頭脳たちが海の帰還を望まない以上、『頭脳』たちの庇護の元にあるエヴァーグリーンの幹部連中も悠斗たちを邪魔する方向にしか動くまい――
「それは……フェルゼン様もですか?」
 後部座席のノエルが遠慮がちに尋ねる。
 ――何とも言えんな。私にはあの男の考えていることが、どうもよくわからんのだ。変化を望んでいないわけではないのだろうが……我々と目的を一にしているとも考えにくい――
 ティアはノエルにちらりと視線を投げて答え、また窓の外を見た。
「もうすぐサウスレグレト駅だよ。必要なら降りる準備しときな」
 薄茶色くかすんだ地平線を凝視していたアクアが言う。その言葉に、ノエルがふと顔を上げた。
「僕はそこでお別れしようと思います」
「はぁ!?」
 急に宣言したノエルに、レルティが振り返って不審の声を上げる。
「一度本部へ戻って様子を確認して来ますよ。フェルゼン様の考えていることも気になりますし」
「危なくねえのか? 大丈夫か?」
 ノエルの隣に座っていたカイラスがおたおたしながらノエルをのぞき込み、ティアも再び横目でノエルを見る。
「大丈夫ですよ。危険なことはしませんから」
 ノエルはなだめるような笑顔を浮かべて一同を見回した。
「本当に、ちょっと様子を見てくるだけです」

 レルティたちがサウスレグレト駅に着いた頃、迅斗とライファは男たちの案内で最下層地区へ向かっていた。
 水道やガス、電力ケーブルやネットワークケーブルを通すために設置されたらしい地下道は、右側に今はもう使われていない各種のケーブルや配管が通されていてひどく狭い。人一人通るのがやっとの地下通路を、一同は一列に並んで進んでいた。分厚い埃にまみれて輪郭の丸くなった配管はそちらこちらで朽ちて崩れ落ちていて、そのうちのいくつかは余り近寄りたくない匂いの液体をしたたらせている。
「迅斗さん、ホントに行くんスか? 危ないッスよ」
 先を行く若者が振り返り、もう何度目になるかわからない台詞を口にした。
「ああ。だから、道さえ教えて貰えれば、俺たちだけで」
「水くさいッスよ兄貴〜」
 迅斗のすぐ後ろを歩いていた若者が妙な具合に体をくねらせながら言う。
「地下道探検は男のロマンッスよ。俺たちをのけ者にするなんてずるいッス」
「うむ。その通りだ。共に危険を乗り越えてこそ、真の友情が育つというもの」
 しんがりを務めるリーダーの男が、無意味に重々しく同意した。
「まあそれに、普段住んでいる所の足下がどうなってるかってのも、ずっと興味はあったしな!」
 だからまあ気にするな! と、男は豪快な笑い声を上げる。鍛え上げられた腹筋から発せられた笑い声は地下道に大きくこだまし、天井から埃がぱらぱらと落ちてくる。
「……親方……」
 先頭を行く若者が、情けない声と表情で振り返ってリーダー格の男を見た。
「……すまん」
 男は小さくなって声を潜める。
「この辺崩れやすいんスから、行動は慎重にお願いするッス。もうすぐ着きますから」
「……おう」
「情けねえなあ」
 男の前を歩いていたタスクの呟きに、そのすぐ前にいたライファが振り向いて人差し指を突きつけた。
「人のこと言えんの? このケンカ好きめっ」
「うるせえよ。お前こそ足下気をつけて歩けよ」
「はいはい」
 前に向き直ったライファの「丸くなったねこの人も」という小さな呟きが迅斗の耳に届く。親しげなその調子になぜか複雑な気分になりながら、迅斗は前を行く若者の背中に続いてまた歩き始めた。

「この扉ッス」
 長い通路を三十分も歩いた先に、その扉はあった。黒い金属製の重そうな扉には、鎖で厳重に封印されていた跡があったが、今は封印が解かれて半開きになっていた。
「同じだね」
 ライファが懐からメモリーチップを取り出し、扉に描かれたロゴと見比べる。
「ルーキス博士が所属してた企業の……」
 ライファは目を細め、ロゴの下に書かれていた細かい文字へ顔を寄せた。
「……うん、何かの研究機関があったみたいだ。たぶん、イディアー能力関係の」
「読めるのか?」
 使われているのは迅斗にも馴染みのあるアルファベットだが、意味を読み取ることはできない。
「なんか覚えてたみたい」
 ライファは軽く肩をすくめ、背後の一同へ振り返った。
「どうする? 案内は入り口までって約束だったよね?」
「ん? まあ、この辺はこいつしか来たことないしな」
「この先は案内できるほど知ってるわけじゃないスから……行ってみたい気はするんスけど」
「人数増えると危険も増えるかもなあ……」
「どうする?」
「どうするよ?」
 男たちはざわざわとささやきかわす。
「俺は少人数で行った方が良いと思う」
 迅斗は一歩踏みだし、ライファの隣に立って意見を言った。
「じゃ、俺とライファだな」
 タスクが迅斗を睨み付けながら呟く。
「そだね。迅斗も来る?」
 タスクの迅斗に対する警戒心に気付いているのか気付いていて無視しているのか、ライファは気楽な調子で小首を傾げた。
「……行く」
 露骨に信用できないから来るなと言っているタスクの視線を受けながら、迅斗は低く答える。
「ライファ、良いのかよ」
「何が?」
 聞き返したライファの笑い方に、迅斗は確信した。ライファはわかって言っている。タスクの不信感を知った上で、あえて無視しているのだ。
「……信用できんのか?」
 迅斗を睨み付けたまま、タスクは低く問いかけた。
「できるできる。だって似てるもん」
「似てるって誰とだよ。アレスとか?」
 それを聞いたライファが浮かべた微笑みは、実に小悪魔的なものだった。迅斗は嫌な予感に鳥肌が立つのを感じる。
「いんや。タスクと」
「なっ!?」
「おい、ちょっと待て」
 流石に聞き流せず、絶句するタスクに代わって迅斗も口を出す。
「どこが似てるって言うんだ?」
「似てる似てる」
 ライファは心底楽しそうに笑いながら、右手を上下にひらひらさせた。
「結構ケンカ好きなとことかさー」
「俺はケンカは好きじゃない!」
 絶対肯定してなるものかとばかり、迅斗はライファに詰め寄る。
「うっそっだ。タスクとタイマン張ってるときめちゃくちゃ楽しそうだったじゃん。初めて会ったときも、昨日もさ」
「そんなことはない! 断じてない!」
 大声は危険なので声を潜めながらも、迅斗は必死で言いつのった。
「あと割と直情径行なとこも似てるよね」
「そんなことはないはずだ!」
「絶対似てねえよ、なあ?」
「ああ、似てない!」
 ついにタスクまで加勢して、二人はライファに前言を撤回させようと一致団結して訴える。しかし、返ってきたのは実に楽しそうな笑顔だった。
「とまあなんとなく仲良くなったところで行きますかー!」
 ライファは二人の反論をさらりと流して、半開きの扉へ向き直る。
「おう、気をつけてな!」
「無事をお祈りしてるッス!」
「先に戻って夕食準備しておくからな、楽しみにしとけ」
 男たちに見送られながら、ライファはさっさと扉をくぐる。
「ライファ、話はすんでねえだろ。絶対似てないしそもそも俺と似てたら信用できるってどういうことなんだよ!」
 早足で追いついたタスクが、ライファの肩を掴んで引き留めた。
「器用じゃないってこと。嘘つき通すの、無理そうだから。絶対どこかでぼろが出そうじゃない?」
 肩を掴まれたライファは軽く肩をすくめ、やはり楽しそうな笑顔を浮かべたままでそう言った。