第二話 ラン 〜The alien〜

 目的のものはすぐに見つかった。薙ぎ倒された木々の向こうに、それは横たわっていた。
 森の木々に半ば身を沈めて佇む鉄の魚。
 流線型の黒光りする物体は、テオの持っている知識ではそうとしか言い表すことができなかった。魚は上空から斜めに突っ込んできたのだろう。はるか後方ではへし折られた木々が白い傷口をさらし、三十メートルほど離れたところからは、地面がえぐられた跡が黒い道筋となって残っている。道は魚に近いほど幅を広め、深さを増していた。
「リョク、ここで待っていろ」
 恐らく摩擦によるのだろう黒く変色した草の上に手綱を落とし、テオは一人だけで鉄の魚に歩み寄る。下三分の一ほどは土に埋もれていたが、それでも見上げるほどの大きさだ。テオは注意深く周囲を一周し、徐々に半径を狭めながら接近した。動きがないのを確認し、そっと手を触れる。
 冷たい感触は、村に葬ることを許されなかった母の遺体を旅の商人たちが運び出して行った、その棺を思い出させる。クスファムの村では建物や箱、乗り物などに鉄が使われることはない。鉄は商人たちを象徴するものだ。
 ふいに、目の端で何かが動いた。テオははっと我に返って飛び退き、素早く鉄の魚の表面に視線を走らせる。動いたのは、鉄の魚の表面に開いていた小さな瞳だった。黒光りするそれは、まるで生き物の瞳のようにじっとこちらを見つめている。テオは剣の柄に手をかけ、姿勢を低く取って魚の瞳をにらみ返した。
 鳥の鳴く声がする。魚の体の向こうからは、レプカが土を蹴る微かな物音。耳元を羽虫が通り過ぎる。
 羽虫が通り過ぎても羽音はやまなかった。羽音が次第に大きくなり、金属の擦れる音が混じる。羽音と金属音は、鉄の魚の内部から聞こえてきた。テオは音のしたあたりに視線を走らせる。警戒した視線の先で、魚の皮膚が割れる。黒い表皮と金属の肉を持つそれは、地面に向かってゆっくりと開いた。中からは人の気配。テオは剣を抜く。
 開ききった魚の腹の中で、誰かが身を起こした。ぎこちなく立ち上がってこちらを見下ろしたのは、テオと同い年くらいの華奢な少女だった。日焼けのない白い肌に薄茶色の髪と瞳。まるで地下で育った植物のように、色素が薄い。
 視線が合う。少女は不思議そうに一つ瞬きをする。
「お前、何者だ?」
 テオは剣を構えたまま誰何した。
「私の名は、ラン」
 緩い傾斜を描いて地面へ伸びる魚の皮膚に、少女は頼りなげな歩調で足を踏み出す。地面に降り立った少女の背丈は、テオより頭半分ほど低い。
「あなたの、名前は、何?」
 少女はゆっくりとした片言で首をかしげた。
「……テオだ」
 ぶっきらぼうに答え、少女が武器を持たず、魔法を使う気配もないのを確認して剣を収める。ふとうつむいた少女の服装は、テオが見たことの無いものだった。白い光沢のない、けれど目の細かい生地で作られた膝丈まで長さがある長袖の服。襟や袖に金属が使用されている。胸元には不恰好な水晶。よく見れば時折奇妙な光が走る。靴は膝まで届くほど長い、服と同じ生地で作られたものだ。
「……私」
 少女が顔を上げる。
「ユリンの町へ行かなくてはならない。そこが、どこにあるか、あなたは知っている?」
 怪しげな発音に、テオはかすかに眉根を寄せた。
「ユリンは此の方より遥か西、最果ての地にある。この大地の果てる場所だ。わかるか」
「大丈夫。私、あなたの言っていること、理解できます」
 頷く少女を見下ろして、テオは思案する。危険な人間ではないと思う。だが確証はなく、村人たちのよそ者に対する風当たりは強い。村へ連れ帰って良いものか、どうか。
「どこから来たんだ?」
「私は『楽園』の外から来ました」
 少女はためらうことなく、真っ直ぐにこちらを見上げる。
「……楽園?」
 そんな呼び方は聞いた事が無かった。
「……ごめんなさい。私、ここの人たちがここのことを何と呼んでいるのか知らない。楽園の最も外側は鋭く切り立った崖を構成している。見たこと、ありますか」
 テオの様子から通じていないことを察して、少女は何とか説明しようとする。
「一度だけな」
 テオは短く頷いた。
 切り立った崖の下は一面の雲海で、この先には世界は無いのだと皆が言っていたことを思い出す。それに異を唱えたのはテオの母親唯一人だった。あの崖の向こうにも『外』の世界があるのだと。
「その、外側から来たというのだな、お前は」
 確認するように問いかけると、少女は僅かに目を見開いてから頷いた。
「はい」
 テオは深く息を吐く。
「俺の住んでいる村の者はよそ者には厳しい」
「知っています。楽園の集落は、皆そうだから。そこへ行くつもりはありません」
 少女はごく穏やかな調子で言った。
「最果ての街まで一人で行くつもりなのか?」
「必要なことです」
 テオは目を細めて少女を眺める。この穏やかさは強い決意から来るもの。そう、思う。
「何のために行くんだ?」
 少女は顔をしかめ、胸元の水晶を握り締める。
「届けなければならない。私は……今できることがそれしかない」
 拙い言葉から得られた情報は僅かだった。
「……この辺りには最近異変が起こっている。一人で行くのは危険だろう」
 剣の柄に触れると、テオを勇気付けるように、レーファレスが小さく火花を返した。
「俺も共に行く」
 少女が目を見開く。
「何故?」
 心底不思議そうな様子で首を傾げる少女に、テオはふと微笑を漏らした。
「変わり者だからな、俺は」
 答えにならぬ答え。少女は一瞬目を閉じてから、嬉しそうに微笑を返した。
「ありがとう、テオ。では、まず、どうするのですか?」
「とりあえず俺は一度村へ戻って支度を整える。お前は……そうだな……」
 この少女を村へ連れて帰って良いものか。先ほどの疑問が再び浮んでくる。
「村はここより西にある?」
 黙ってしまったテオに助け舟を出すように、少女は首を傾げた。
「ああ」
「では、その村が見えるところまで行きます。一緒に。村へ入らなければ騒ぎにはならないでしょう?」
「……そうだな」
 見張りの丘ならば大丈夫だろう。村の周囲で危険のなさそうな場所を思い浮かべ、テオは頷いた。
「では、私は行く準備をします。少しの間、待っていて下さい」
 少女はそう言って鉄の魚の中へ戻る。
 それを見送りながら、テオはちらりと灰色の空を見上げた。今日も空は晴れてはくれないらしい。
 少女の旅に付き合うことにしたのは気まぐれからではなかった。昨夜、魔術を使った。獣避けのような『まじない』ではない、契約と代償によってレーファレスの力を借りた『魔術』を。
 二度と魔術を使わないと誓うなら命までは取らない。
 そう告げた者は、テオが魔術を使った事に既に気付いているはずだ。このまま村にとどまり続けるのは危険だった。剣の柄にかけた右手に、無意識に力が入る。
「待たせてしまってすみません」
 視線を落として考え事をしていたテオの耳に、少女の声が飛び込んできた。片手に、黒い取っ手の取り付けられた金属製の箱を持っている。
「ああ。では、出発しよう。……鉄の魚はこのままでいいのか?」
 鉄の魚を見上げて問うと、少女もテオと共に鉄の魚を見上げて別れを惜しむように目を細めた。
「これは、もう動かない。多分、二度と。後は、朽ちて行くのを待つことしかできません」
 しばらくそうやって鉄の魚を見上げてから、少女はテオに向き直って微笑んだ。
「行きましょう」

 戻ってきたテオは、家畜小屋にレプカを入れて餌を与えると、真っ先に長老のところへ報告に行った。巫女はテオの報告を社の簾の外で聞いた。
 報告が終わり、話題はテオが連れてきた見知らぬ少女の処遇に移っていく。
「彼女が村に災いをもたらさないという保証は無い。なれば、望みどおり最果ての街へ行かせてやるのが良き選択だろう。ついでに俺も出て行くとなれば、この村にとっては厄介ごとが二つ同時に無くなる事になる」
 テオが淡々とした口調で告げた。
「唐突な話じゃな。どういう心境の変化だ?」
 長老が問いかける。
「二日前魔術を使った。俺がこの村に安住する条件については母が話していた通りだ。どの道この村に居続ける事は出来ない」
「そうであったか……」
 深い、ため息混じりの長老の声が耳に届いた。
「お主らの旅に幸多からんことを祈ろう」
 旅の幸いを祈っているのだろう、長老の衣が擦れる音。
「報告は以上だ。今日中には村を出る」
 感情の揺れの無いいつも通りのテオの声だ。同時に布の擦れる音がして、テオが立ち上がったのがわかる。
「村の者に挨拶は」
「……必要あるまい」
 低く呟く様な答えが聞こえて、巫女はゆっくりと一つ、瞬きをした。

 社から出てきたテオは、待ち構えていた巫女に僅かに眉を上げる。
「何か用か」
「村を出て行くと聞いた。よそ者はやはりよそ者だな。ちっとも腰を落ち着けようとしない……。……もう、戻っては来ないのか?」
 巫女はかすかに緊張を感じながら、一気に疑問を吐き出す。
「わからない」
 予想外の答えに、巫女は軽く目を見開いてテオを見上げた。
「今、村の外では異変が起こりつつある」
「……異変、か」
「そうだ」
 ただならぬ気配を漂わせる単語に、巫女は表情を曇らせる。
「昨夜、獣に襲われた」
「それで、魔術を?」
 テオが頷く。
「最初、知らない獣だと思った。だが、あれは元はこの辺りに生息していた獣たちだと思う。何が彼らの姿さえも変えてしまったのかはわからないが、最近獣たちが凶暴化していたことはお前も知っているはずだ。おそらく異変はそれだけではないだろう。商人たちは信用するな。自分たちを養っていけるだけの作物を作っておいた方が良い」
 真摯な表情のまま、テオは一気に言い放った。常ならぬテオの饒舌さに、巫女は戸惑う。
「しかし、何故突然……」
 テオは目を伏せて首を横に振った。
「わからない。しかし何かが起こりつつあることは確かだ。できればその原因を探って来たいと思う。それから」
 テオは言葉を切ってふと視線を逸らす。
「……探りたいことは、他にもある」
「お前は、いつも何かを探ってばかりいる」
 巫女は迷った末、仕方なく微笑を浮かべてテオを見上げた。
「好きにするがいい。村のことは任せろ。神のお告げを預かる者の言葉になら、村の者も耳を貸すだろう」
「……シセナ」
「なんだ」
 巫女は真っ直ぐにテオの瞳を見上げる。
「今まで、いろいろと世話になった」
「……今生の別れの様な事を言う」
 あまりにテオらしくない言葉に自然と苦笑が漏れた。
「私を名で呼ぶのはお前だけだ。必ず、帰って来い」
「……ああ。ありがとう」
 最後に一つ微笑して、テオはレプカの待つ小屋へ歩み去る。その背に向かって、巫女は風の神の加護を願った。