第六話 ブルーエア劇場の表と裏

 ファティマのお別れ会の当日が来た。正門でなく通用門から入ってきたアルバートは、なぜか完成のかの字も見えない大道具の手伝いをさせられていた。
「アル、ご苦労様。ところでペナンを見なかった」
 主人公の姫役をするらしいグローリアは首にかけたタオルで汗を拭いながら現れた。とてもこれから一国の王女を演じるとは思えない格好だ。
「いや、見てないけど」
「そう」
 グローリアはため息をついた。
「昨日の夜途中まで完成したと自己矛盾に満ちた言葉を吐き散らして後行方不明なのよ。役者全員が第二幕までのせりふしか覚えていないのだから、さっさとシナリオを上げてくれないと困るのだけど」
「何かすごい無計画だよな」
「まあね」
 グローリアはえらそうにうなずいた。
「仕方がないので第三幕のあたりでアクシデントを起こすしか」
 人為的なトラブルもアクシデントと言うのだろうか。アルバートは内心首をかしげた。
「とりあえず、これ」
 グローリアは作りかけの大道具の方へひらひらと手を動かした。
「第一幕の舞台になるから急いで完成しなくてはならないの。二幕の背景は十年くらい前に使われてたのを使いまわすから問題ないんだけど。ちょっと色ハゲてるけど。これが午後までに仕上がれば劇の開始時刻は予定通りになるわ」
「ふうん」
 アルバートは作業――やすりかけ――を再開しながらうなずいた。
「ところで今日のシナリオってどんなストーリーなんだ?」
「とても退屈しているお姫様の話。彼女には求婚者が二人いるの」

 一人は穏やかな性格の貴族。もう一人は少し破天荒な傾向のある隣国の王子。
 グローリア扮する主人公の姫は、開始八分前に届いたドレスを着て、開始三分前に(舞台上で)完成したお城のセットの上に立ち、日々の生活がいかに退屈なものであるかを朗々と歌い上げていた。そこへ姫君の父、つまり王様が登場する。
「姫よ、今日二人の若者がそなたに結婚を申し込みにやってきた」
 王様は良く通る低い声で姫君に呼びかける。
「それはなんとも都合の良いこと。わたくし丁度暇をもてあましていたところ。この退屈を紛らわしてくれるなら、矢でも婚約者でも大歓迎」
 なぜかすっかり部外者であることを忘れ去られているアルバートは、当然のように舞台袖でペナンと共に進行をチェックしていた。
「矢は歓迎できぬだろう、姫よ」
 王様は大真面目に言った。
「……ペナン、何とかならないのかあの台詞回し……」
「推敲してる暇なかったんですよ」
 捜しに来る人間の数が半分だからと女子トイレにこもって原稿を書いていた少女は、ひそひそ声で答えた。
 舞台上では城のセットが約九十度回転し、場面転換が行われている。
「さあ姫よ、こちらへ」
 王様は二人の若者の前へ姫君を導いた。
「二人を紹介しよう。こちらは隣国の王子、名は」
「ルイジアスと申します」
 王子は男性としては比較的高めの声で王の言葉を奪った。直後、王様にだけスポットライトが当たり、他の照明が暗くなる。
「王たるわしの言葉を遮るとは。王子は奇矯な行動を取ることがあるとの噂は真であったのか」
 せりふが終わると、スポットライトは今度は姫君を照らした。
「まあ、あの噂、真実であったのね。退屈を紛らわすには丁度良い。しばらくは退屈をせずにすみそう」
 スポットライトが消え、照明が元の明るさに戻る。
「うーん、やっぱ今のセリフはイマイチね」
 ペナンがうなった。
「そして姫よ、こちらの若者はわが国の貴族、名はフェイディアス」
「お初にお目にかかります、姫君」
 貴族の若者は優雅に礼をした。

 その後、二人の求婚者はことあるごとに対立する。ルイジアスはフェイディアスを貴族風情がと馬鹿にするなど自分勝手な言動を印象付け、その強引さでもって姫君と結婚の約束も取り付ける。
 一方フェイディアスは暇があれば哲学書を読みふけり、態度は慇懃で礼儀は完璧、その退屈な性格を余すところなく見せつけ、第一幕は終了した。
 そして第二幕は、ペナン言うところの「王子と姫で展開に困ったら嫌な感じの魔女」の法則に従うらしかった。

 フェイディアスと姫君は、夏の午後、湖が一望できる野原でデートしていた(背景はグローリアの言ったとおり、少々色がくすんでいたが、照明の青を強くすることでごまかしていた)。
「せっかくこんな気持ちの良い午後。だというのに貴方は、わたくしよりも本のことばかり。教えていただけません? その本がそんなにも面白いものなのかどうか」
 姫君は大げさな動作でフェイディアスを覗き込む。
「本のテーマは何?」
「在りのままに生きることについてです」
 顔を上げもせずに答えるフェイディアスに、姫君は肩をすくめた。
「貴方がそんな本を読んでいるなど、滑稽。在るがままというのなら、ルイジアスのほうがよほど自分に正直に生きている」
 フェイディアスはようやく本から顔を上げた。
「私は在りのままに生きるつもりはありません、姫よ。確かにこの本は繰り返し在るがままで生きよと説いているがしかし……」
 フェイディアスはふと言葉を切る。
「……ヤバイ、セリフ抜けちゃった?」
 ペナンが進行表を片手に身を乗り出す。
「在るがままで……。……在りのままに生きた蟻は、蟻のままだった……?」
 姫君とフェイディアスは、しばし無言で見つめあった。
「非常事態発生」
 ペナンは伝声管のフタを開けると、重々しく宣言した。
「フェイディアスがセリフをど忘れ。これ以上お馬鹿なことを口走る前に、至急、魔女は出動するように」
 
 かくして、魔女の支配地で下らないシャレを言ったとかいう理不尽な理由で姫君はさらわれた。
 当初の予定では、姫君とフェイディアスの仲が少し親密になり、貴方のことを誤解していたようだと姫君が歌うことになっていたと言う。そしてその甘い歌に腹を立てた魔女が姫君をさらうことになっていたのだった。

 第二幕は、感情に任せて姫に救出を誓ったルイジアスと、責任を感じて救出を誓ったフェイディアスが共に魔女の居城を目指すところで終わった。――ちなみに、フェイディアスが責任を感じるシーンは、予定変更の影響で非常に不自然だった。

「リーリア!」
 舞台裏に戻ってきたグローリアは、大道具係の少女に控え室まで引っ張っていかれた。
「これ、賢者の学院から。さっき学院の人が届けてくれたの」
 渡された封筒を開いて、中の手紙に素早く目を通す。
「……わざわざありがとう。ところでアルバートはどこ?」
「アルバートさんならさっきペナンと一緒に舞台袖に」
「ありがとう」
 グローリアは手紙を懐に突っ込むと、忍び足で走って舞台袖に直行した。
「アルバート! お父様への連絡が間に合ったの。そろそろ来るはずだから迎えに行くわ。一緒に来てくれる?」
 小声で、しかしうむを言わさぬ調子で言うと、グローリアはアルバートと共に劇場の外へ走っていった。

 劇場の外に走り出たグローリアは、頼りなげな表情で辺りを見回す。劇場前広場の大噴水は、待ち合わせ場所に使われることが多く、いつもどおりにぎわっていた。
 その中で一人だけ違った雰囲気を持つ青年にアルバートは目を留めた。青年は噴水のふちに腰掛けて、ぼんやりとパンくずをついばむ鳩を眺めていた。
「……まさか……」
 ちょっと若すぎるんじゃないか。
 アルバートは力なく考える。
 しかしあの青い髪はどう考えても。
「お父様!」
 グローリアが青年に駆け寄る。アルバートはやっぱりそうだったのかとつぶやきながらついていった。
「……ああ。久しぶりだな」
 青年は眠そうにグローリアを見上げた。
「時差ボケ?」
 グローリアは淡々と訊ねた。
「……時差? 二時間くらいしかないが。いや、そうじゃなくて仕事のせいだな、むしろ。相手が吸血鬼だったものだからすっかり昼夜が逆転していて……」
 青年はあくびをかみ殺した。
「どちらさまだ?」
 今度はアルバートの方を見上げる。
「アルバート・ディル・グリア。王宮近衛隊青騎士よ」
 グローリアが答えた。
「アル、この人が私の父。正式名はラルセス・フェルミリア・ガールドだけれど、ほとんどのひとは悪魔の狩人ラウ・ガールド、で記憶していると思うわ」
 グローリアの紹介を受けてラルセスは軽く頭を下げる。
「お若いんですね……」
 アルバートは思わずつぶやいた。
「確かに二十代前半に見られることが多いな」
「でも三十一歳だけど。ところで」
 グローリアは両手を打ち合わせた。
「時間がないわ。お父様、ついて来てくれる」
「ああ」
 グローリアはラルセスを引っ張って劇場へ戻っていった。

「リヴィウス!」
 いくつかの正体不明の扉や通路を抜けた先で、グローリアは呼びかけた。
「連れて来たわ」
「……早かったな」
「貴方もね」
 ものの数秒で物陰から姿を現したリヴィウスに重々しく言う。
「お父様、この人よ」
 ラルセスはうなずくとリヴィウスの方を向いた。
「斬る前に確認しておく。呪いは一つだけ。自身の魔力を失うことになってもかまわない。そういう条件でいいんだな?」
 リヴィウスが黙ってうなずくのを確認すると、ラルセスは剣を引き抜いた。
「リーリア、お前はもう行け」
「どうして?」
 グローリアは不思議そうにラルセスを見上げる。
「子供には精神衛生上良くない。斬るわけだし」
 グローリアは黙りこんだ。
「……わかったわ」
 数秒後、グローリアはうなずいた。
「お父様、眠かったら寮に行ってミス・ネズリに私の部屋を聞いて。そこで寝てて。今は一人部屋だから問題ないと思う。それじゃ、あとよろしく」
「ああ。どんな悪巧みをしているのか知らないが、お前もがんばれよ。法に触れない程度にな」
「善処するわ」
「万一触れるときはばれないようにな」
「はい、お父様」
 今の忠告は王宮近衛隊のメンバーとしては注意すべきか否か悩んでいるアルバートを引っ張って、グローリアは退場した。

 グローリアがアルバートを引っ張って行ったのは、舞台裏でも役者控え室でもなく、大ホールが一望できる通気口の中だった。
 大ホール壁の彫刻の瞳に当たる所から通気口の口が開けている。
「リーリア、こんなとこで何するんだ?」
 舞台上では、魔女を倒したフェイディアスが、姫君を迎えに塔への階段を昇っている最中だった。
「タイミングはばっちりね」
 グローリアはふっと笑むと、崩れた壁からコードの束を引っ張り出す。
「男性は低い方からバス、バリトン、テノール。王様は重々しくバス、落ち着きのないルイジアスはテノール。フェイディアスはバリトン」
「何、言ってるんだよ」
「解説。ところで、このコードは劇場地下室のパワーストーンから来ているの。パワーストーンは魔力を生み出すもの。劇場の魔法装置は皆このコードを伝ってくる魔力で動いているわ。照明も、幕の上げ下ろしもね」
 グローリアは邪悪な微笑を浮かべたまま、ポケットからはさみを取り出した。
「ちなみに、大ホールの魔法装置の動力は、全てこのコードからの魔力に頼っているわ」