第四話 踊る小豚亭豪遊記

 4-5 酒と煙草と男と女

 踊る小豚亭に着いた頃には日はすっかり暮れていて、歓迎パーティーの準備もほとんど終わっていた。フィラはカイを二階の会場に案内した後、慌てて買ってきた花を飾り付け始める。
「すみません、遅くなってしまって」
 料理を運んできたエディスに謝ると、エディスは笑いながら首を横に振った。
「良いんだよ。事情はカイ様から聞いたからね。大変だったそうじゃないか。無事で何よりだよ」
 それ以上は話している暇もなく、フィラとエディスは遅れていた会場準備に忙殺された。パーティーが始まってからも、しばらくはフィラもエディスの手伝いを続け、結局フィラがパーティーに参加する頃には、ジュリアンの挨拶もフィアの挨拶も終わってしまっていた。
 立食形式の会食が進む中、自然と明日の打ち合わせを始めてしまったジュリアンやフィアやカイの側にはなんとなく近寄りがたく、フィラはなぜか一人隅っこの椅子でワイングラスを傾けていたリサの隣に席を取る。
「あ、フィラちゃんだ。こないだはありがとね。うちの団長が世話になっちゃってさ」
 リサは笑いながら、自然な動作でフィラにジュースの入ったコップを差し出した。
「いえ、そんなたいしたことはしていませんから」
「ごめんね」
 何を突然謝るのかと驚いたフィラは、リサの視線を追いかけてその先にいたフィアを見る。
「あの子とお話ししたかったんじゃない? 気が利かないよね、カイ君たちも」
「いいんです。これからも話す機会はあると思うし、それに……」
 フィラは言葉の続きを、オレンジジュースと一緒に飲み込んだ。
 たぶん、口に出すべきではないのだろう。双子の妹とはいえ、フィラはフィアのことを覚えていないし、フィアもフィラのことはよく知らないと言っていた。二人の間には、共通の話題なんてほとんどない。だから話そうにも何を話したら良いか迷ってしまうんだ、なんて。
 リサは黙ってしまったフィラにちらりと小首を傾げたが、すぐに視線を外して持っていたワイングラスを飲み干した。リサが間をおかずに手酌で注ぎ足したボトルを見て、フィラはぎょっとする。
「リサさん、それ、もしかして一人で?」
「ん? うん」
 リサはあっさりと頷きながら、空になったボトルを手近なテーブルに並べる。二本目だ。
「あの、そっちもリサさんが?」
 恐る恐る尋ねるフィラに、リサは片手をぱたぱたと上下させた。
「平気平気。ぶっ倒れたりしないから。まあ、ちょっとは愚痴っぽくなるかもしんないけど」
 確かにワインを二本も空けたにしては顔色一つ変えずけろりとしているけれど、本当に大丈夫なんだろうか。
「あ、そうだそうだ、何か質問あったら答えるよ? 聖騎士団の内情大暴露大か〜い、とかそんな感じで」
 やっぱり酔ってるんじゃないだろうか。
 あからさまに話題をそらし、妙に楽しそうに笑い出したリサにフィラは不信の目を向ける。
「まあ、さすがに機密事項とかヤバイ話はできないけどさ」
「ええと、それじゃ、今日クロウさんやフェイルさん、見かけませんけど、どうしたんでしょうか? ダストさんもいませんよね?」
 部屋を見回しながらフィラは首を傾げた。フィラが知っている聖騎士はジュリアン、カイ、ランティス、リサ、フィアの五人だけで、他に四、五人参加している聖騎士は全員見覚えがない。楽しく談笑しているメンバーのほとんどは城に務めている見習い兵だ。
「クロウは眠いから寝るって」
 リサはその時のことを思い出したのか、呆れた表情で答える。
「フェイルはこういうの苦手だから留守番。主人の留守にお城を守るとか、すごいやりがい感じるんだって。恐いお姉さんは『新人と馴れ合うつもりなんてないの。馬鹿騒ぎはごめんこうむるわ』とか言って居残り組」
 やだよねほんともうちょっと素直になればいいのに、とか愚痴り始めたリサの前に、さっきまで見習い兵たちと話していたランティスが歩み寄ってきた。
「おい、リサ」
「ん?」
 リサはダストに対する愚痴を中断し、上目遣いにランティスを見上げる。
「俺、ちょっと出てくるわ」
 ランティスは左手の人差し指と中指を口の前で前後させ、煙草を吸うジェスチャーをしてみせた。
「ああ、うん。いってらっさい」
 立ち去るランティスの背中を見つめながら、フィラはふと礼拝堂でのジュリアンのことを思い出す。
「そういえば、団長も煙草、吸うんですよね」
「吸ってるみたいだねえ、いまだに」
 リサは頷きながら、いつの間にグラスを空にしたのか三本目のボトルを開け始めた。
「あれ、反抗期の名残だと思うんだけど」
 止めた方が良いのか、平気だというリサの言葉を信じた方が良いのか迷うフィラの前で、三本目のボトルからワインがグラスへ移っていく。
「いやあ、あの頃のあいつは怖かった。触れなば斬らんってな感じでつんけんしてて」
 ただ飲み干しているだけかと思えば、最初の一口はじっくりと味わうように目を閉じつつ、リサは話し続けた。
「ものすごく消極的な自己主張だと思うんだよね。命令を確実に遂行するだけじゃなくて、カイ君みたいに自分の正義を忠実に貫こうとするわけでもなくて、何て言うんだろ。私にもよくわかんないんだけどさ、て言うかあいつもよくわかってなさそうなんだけどさ、煙草吸うことで自分の人間らしいところを確認してるみたいなんだよね。これだけは利害関係なく自分の意志でやってるんだぞ、みたいな」
 やけに饒舌なリサはやはり酔っているらしい。フィラは話に頷きながら、リサがテーブルの上に置いたワインのボトルをこっそり引き寄せて、自分の背後に隠した。
「だから別に煙草が好きってわけじゃないのよ。むしろ味とか匂いとかは嫌いなんだと思うな。一日一本しか吸わないもんね。わざわざ喫煙中魔術使って、服にも絶対匂いがつかないようにしてるし。健康考えてるんだったら、あいつの性格からするととっくに禁煙してるだろうし、吸ってるのに一日一本っていうのはやっぱ嫌いなんだと思うなあ」
 ふと笑みを消して、リサは手の中のワイングラスに視線を落とす。
「……あいつさ」
 ワイングラスを無意味に揺らしながら、リサは低い声で呟いた。
「あの頃、全然自由がなかったんだよね。今だって大してあるわけじゃないけど」
 リサは顔を上げ、姿勢を変えて椅子の背もたれに寄り掛かる。
「教育係がカイ君のお父さんだったんだけど、すごい厳しい人でね。そうだな……カイ君から人間味とかわいげを取り去ったような感じ?」
 そう言われても、カイのことだってよくわからないから、フィラには返事のしようがない。
「家族にもろくに会いに行かせてもらえなかったみたい。それで変なとこが変なふうにヒネちゃったんだよね」
 何とも返答しかねて、フィラはため息をつくリサをただ見守った。
「もっと別なこと見つけられればいいのにね」
「別なこと?」
 笑い出したいのか泣き出したいのか酔っているだけなのか、いまいちよくわからないリサの顔を、フィラは遠慮がちに覗き込む。リサはフィラの視線に気付いて、またいつも通りの食えない感じの笑みを浮かべた。
「そ。利害関係なく、ってつまり聖騎士団の役に立たないことで、物質的な得にもならないことで、お勉強でもなくって、それで何か夢中になれること。夢中になるほどじゃなくても煙草の代わりになるような娯楽。で、なおかつ反抗期の延長みたいな、精神的に不毛なのじゃない奴」
 リサは言い終えると同時に、グラスに残っていたワインを一気に飲み干す。
「……要するにさー」
 完全に酔っぱらった口調でリサは続けた。
「あいつ、誰かに惚れちゃえばいいのよ」

 結局リサ以外とはほとんど会話をすることなく、歓迎パーティーは幕を下ろした。せっかくカイが誘ってくれたのに、その機会を活かせなくて申し訳ない気分になる。とにかく帰り際だけでもフィアと話をしたくて、フィラは聖騎士たちが帰る頃合いを見計らって踊る小豚亭の出口に陣取った。
「フィラさん!」
 フィアの姿を見つけたフィラは、一瞬先に呼びかけられて笑ってしまう。
「今日、あんまりお話しできませんでしたね」
 他の客の邪魔にならないよう、店の外に出て、ぎりぎり店内の光に照らされる辺りまで寄って通路を空けながら、フィアは残念そうに言った。
「明日、叙任式の後。よろしければ少しお話ししませんか?」
「はい。かまいませんよ」
 つられて敬語を使ってしまったフィラは、あれ、と一瞬動きを止めて考え込む。
「良かった。せっかく会えたのですから、フィラさんとお話したかったんです」
 嬉しそうに瞳を輝かせるフィアに、フィラは勇気を出して尋ねることに決めた。
「ね、フィア。私たち、同い年なんだよね?」
「ええ、双子ですから」
「だったら、敬語、やめない?」
「え? あ」
 フィアは慌てて口元を押さえる。
「……気になります?」
「ちょっとだけ」
 フィアは申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「すみません。ちょっと願掛けみたいなことをしていて」
「そうなの? 事情があるんならいいけど。あ、でも、私は敬語使わなくてもいいよね?」
「もちろんです!」
 フィアは拳を握って力強く頷く。
「あ、そうだ。よろしければこれをどうぞ」
 フィアは拳を解いて、肩から提げていた鞄を探り始めた。興味津々で覗き込むフィラに差し出されたのは、懐紙に包まれた甘い匂いの何かだ。
「これは桜餅といって、私が一番好きなお菓子なんです。お口に合うと良いのですけど」
 柔らかな重さのそれを手渡して、フィアは踵を返した。
「それでは、また明日」
 歩きながら振り向いて手を振るフィアに、フィラも手を振り返す。
 その後しばらく聖騎士や見習い兵や普段通り一階に来ていた人々を見送った後で、フィラはフィアがくれた懐紙を開いた。
「……ピンク色の……もち?」
 店内からこぼれる光の下で『桜餅』を観察する。しっとりとした葉っぱに包まれた、少しでこぼこした薄桃色のお菓子。見たことのない食べ物だ。どんな味なのだろうと恐る恐る一口食べてみたフィラは、中身を見てショックを受ける。
「く、黒い!」
「……何一人で面白いことやってんの」
 店の中からのっそりと出てきたティナが、呆れた声でつっこみを入れた。