第四話 踊る小豚亭豪遊記

 4-7 聖騎士の誓い

 叙任式が始まるよりもかなり早めに到着した三人は、会場となる礼拝堂の前で、難しい顔をして話し込む三人の聖騎士と出会った。中心にいるのはもちろん団長のジュリアン・レイで、両脇にいるのはランティスとフェイルだ。
「おはようございます」
 フィラが周囲を見回すのに忙しいソニアとレックスに代わって挨拶すると、聖騎士たちはいっせいに振り向いてフィラに注目した。
「な、何ですか……?」
 何やら意味ありげな視線に、フィラはたじろいで足を止める。
「頼んじまって良いと思うんだよなあ。どうせ列車が着かないんだったらお偉方も欠席なんだろ? ユリンの町民のちょっとピアノが上手い子に頼みましたって言やバレやしないって。俺が弾いたら絶対酷いことになるんだから、な? つーかむしろ頼んでくれ、頼む」
 ランティスがジュリアンにひそひそとささやきかけるが、耳の良いフィラには地声の大きなランティスの声は筒抜けだ。
「バレないって、何がですか……?」
 何か嫌な予感がする。逃げ腰になったフィラの退路をふさぐように、ランティスとフェイルはフィラの両脇に近寄ってきた。ますます逃げ出したい衝動に駆られるフィラに、ジュリアンが正面から歩み寄る。
「中央省庁区から派遣されるはずだったオルガニストが来られなくなった。代わりに叙任式のプログラムに従ってオルガンを弾いて欲しいんだが、引き受けてもらえるか?」
 何事かと集まってきたソニアとレックスが、ジュリアンの言葉を聞いてフィラの肩越しに驚嘆の声を上げた。フィラは眉根を寄せ、どうしたものかと考え込む。
「オルガンって……ええと、礼拝堂のあれですか? ちゃんと弾けますかね?」
「メンテナンスは一昨日終了しているから、恐らく問題はないはずです」
 ソニアやレックスを意識したのか、口調を変えて答えながら、ジュリアンは小脇に抱えていた書類ケースから楽譜の束を取り出した。
「今日使う楽譜も揃っています。それほど複雑なものではないので、あなたなら初見で弾けるのでは?」
 フィラは楽譜を受け取り、ぱらぱらとめくってみる。楽譜では、まばらなオタマジャクシが基本的な和音の上を泳いでいる。
「大丈夫大丈夫、安心しろって。俺が側について指示するから、嬢ちゃんは俺の指示に従って楽譜通り弾いてくれりゃオーケーなんだ」
 楽譜に目を走らせるフィラを、ランティスが気楽な調子で励ました。
「行っちゃえ行っちゃえ、引き受けちゃえ」
「でも、それだと一緒に見れないよね」
 無責任なソニアの声援と不満そうなレックスの声も背後から響いてくる。肩の上のティナは猫のふりをしているので何も言わない。
 楽譜の曲はそれほど難しいものではない。オルガンの操作方法さえわかれば、初見でもほぼ間違いなく弾くことが出来るだろう。フィラは楽譜から顔を上げ、ジュリアンを見上げる。
「オルガンの操作方法がわかれば、弾くこと自体はそんなに難しくないと思います。お返事する前に、一度オルガンに触ってみても良いですか?」
「もちろんです」
 ジュリアンはほっとした表情で頷いた。
「あの、領主様。どうしてオルガニストの方、来られなくなってしまったんですか?」
 ソニアがフィラの背後から身を乗り出して尋ねる。
「大陸横断鉄道の列車がちょっとした事故で遅れているんですよ。下手するとあと三日は来ないでしょうね」
 興味津々のソニアに、フェイルがにこやかに答えた。事故の内容がわからないから何とも判断のしようがないけれど、なんだか笑顔で言うようなことではない気がする。
「リサとカイとダストが救助に向かってるんだけど、どう考えても今日中には無理だな」
 ランティスも何でもないことのように軽く言うが、使われている単語が不穏だ。
「救助って……大丈夫なんですか?」
 思わず声を上げると、たまたま目が合ったジュリアンが冷静に頷いた。
「確証は持てないが、連絡が来たときはさほど緊迫した様子でもありませんでした。おそらく大丈夫でしょう」
「大丈夫じゃねえのはカイの胃の方だよなー。両脇にリサとダストだぜ?」
 相変わらずおどけた調子のランティスに、ジュリアンは至極真面目な表情で頷く。
「そうだな。出発前に胃薬は渡しておいたんだが」
 しかし発言の内容はというと、真面目と言うにはどうにも微妙なものだった。
「団長……それ、もしかして冗談ですか?」
 引きつった表情で尋ねるフィラにジュリアンは軽く肩をすくめ、そしてすぐに営業用の表情に切り替える。
「オルガンまで案内します。お二人は一般観覧席でお待ちいただけますか?」
「はい、領主様」
 ソニアは礼儀正しくスカートをつまんでお辞儀をし、レックスも穏やかな微笑を浮かべて頷く。
「フィラ、がんばってね」
「応援してるわよ」
 二人はフィラに向かって口々に言うと、ティナと一緒にフェイルの案内に従って、礼拝堂へと入っていった。

 パイプオルガンの演奏台は、巨大なパイプが幾本もそびえ立っている本体よりもいくらか祭壇寄りの位置に置かれた、比較的丈の低いパイプ群の後ろにあった。前後をパイプに挟まれた演奏台は、譜面台を照らす明かりが一つあるきりで薄暗い。一般観覧席からはパイプに隠れて見えない位置だが、こちらからはパイプの間から全体を見渡すことができる。せっかくフィアの晴れ舞台なのに見られなかったら残念だな、と思っていたけれど、祭壇に近いこともあってもしかしたら一般観覧席で見るよりもよく見物できるかもしれない。
 観覧環境に満足したフィラは、三段もある鍵盤を試し弾きしたりノブ型のストップを押したり引いたりして、最低限の操作と手順を考えた。
「大丈夫そうか?」
 様子を見守っていたジュリアンが心配そうに尋ねる。
「そうですね……たぶん、音色を途中で変えたりはできないと思うんですけど」
 鍵盤の操作はともかく、音色や音質を変えるストップの操作はぶっつけ本番では無理そうだ。
「十分だ。当日いきなりでそんな高度な注文を出す気はない。引き受けてもらえると考えて良いんだな?」
「はい」
 フィラは頷きながら譜面台に楽譜を開き、演奏台に腰掛ける。不思議と初めて弾く気がしなかった。もしかしたら、失われた記憶の中で同じ型のオルガンを弾いたことがあったのかもしれない。
「……大丈夫だと思います。なんとなく、操作方法、思い出せそうな気がするんです」
「思い出す、か……」
 ジュリアンはふっとため息を漏らし、ランティスの肩を叩いて踵を返す。
「私は開式の遅れを告知してくる。ランティス、後は頼んだぞ」
「おう。任せろ」
 ランティスは立ち去るジュリアンの背中に向かって、にっと笑って親指を立てた。

 開式前に三回通して練習する時間を与えられたおかげで、フィラはほぼ内容を暗譜した上で式に臨むことができた。
 ランティスの指示に従い、開式を合図する曲を弾き、続いて進行役の騎士であるジュリアンとフェイルの入場に合わせて入祭の聖歌を伴奏する。その後ジュリアンが今日の式の目的を説明し、新たな騎士に与えられる剣が運び込まれるところまでオルガンの出番は無しだった。
「あれ、聖騎士全員に支給される剣な。魔術招応力が高いんで、結構重宝するんだぜ」
 光王に次ぐ聖職位である神祇官としての資格も持つというジュリアンが剣に祝福を与えている間、ランティスが小声で教えてくれた。しかし、魔術招応力とか言われてもよく意味がわからない。訊いてみてもますますわからないだけなんだろうな、と思ったフィラが黙っている間にも式は進む。
 祝福の儀が終わり、合唱台の僧兵たちがアカペラで聖歌を歌い始めた。静かな緊張感を漂わせた歌声に、客席も静まりかえる。
「いよいよ主役のご登場だ。よく見といてやれよな。妹さんの晴れ舞台なんだから」
 ランティスは囁き声でそう言うと、フィラを促してパイプの影を縫い、そっと祭壇の脇に回り込んだ。本来ならここもオルガンの伴奏があったらしいのだが、ランティスはそれよりもフィアの晴れ舞台を見てほしいとその部分を削ってくれたのだ。
 礼拝堂の中には薄く靄がたゆたっているようだった。高い天井はいつもより多くの明かりが灯されている今日も薄闇の中に沈み、信者席に座った見習い兵やユリンの人々の顔もぼんやりと霞んで見分けることができない。
 主祭壇の周辺だけは、式が始まる前に開けられた天井の明かり取りから差し込む細い光がスポットライトのように照らしていたので、くっきりと浮かび上がって見えた。祭壇の前に立つジュリアンの背中は、バラ窓から差し込む色とりどりの光に淡く染まっている。
 ジュリアンは祭壇の上に置いた剣から視線を上げ、厳しい表情で前方を見つめた。ランティスとフィラが身を潜める石像の影からは、その視線の先に何があるのかはわからない。ただ張り詰めたその横顔が見えるだけだ。
 合唱団が一際大きな声で呼ばわった。右手の扉から入ってきたフィアは、合唱団の呼びかけに応え、祭壇の方へ一歩一歩確かめるようにゆっくりと進んでくる。
 フィアは祭壇の前まで進んだところで、左の胸に右手を当てて跪いた。祭壇とフィアの間には、十メートルほどの距離が開いている。ジュリアンは祭壇の剣を取り上げ、前に進み出た。
「光神リラの騎士たることを望む者、汝に聖騎士の剣を与えよう」
 ジュリアンがよく通る声で宣告する。フィアは跪いたまま、ジュリアンが差し出した剣を、両手で捧げ持つように受け取った。そして剣の高さを変えないように体だけを起こして立ち上がり、腰に剣を帯びる。
「汝、真実聖騎士たることを望むならば、光神リラの御前(みまえ)にてその誓いを奉じよ」
 フィアが深く頭を垂れると同時に、ジュリアンは祭壇の上空へ左手をさしのべながら前を退いた。どういう仕掛けなのか明かり取りの窓がさっと大きくなり、圧倒的な量の光が堂内へなだれ込んでくる。
 光は祭壇とフィアの間の空間に向かって、真っ直ぐに降りていた。視界を真っ白に染め上げる光の中、フィアは大きく息を吸い込み、光の中へと進み出る。何度か瞬きして無理矢理目を慣らしたフィラは、フィアが光の中心でまた左胸に手を当てて跪くのを見た。
「我は我が剣と魔力に懸け、我が導き手たる光神リラの御前に厳かに誓わん。我が生涯を神に捧げ、我が任務(つとめ)を忠実に全うせんことを」
 光の滝を全身で受け止めながら、フィアは宣言通り厳かに誓いの言葉を紡いでいく。
「我はすべて民に害なすもの、世に毒となるものを絶ち、悪しき魔力を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。我は心より民を助け、我が手に託されたる人々の幸(さいわい)のため、楯となり剣となりてこの身を捧げん」
 フィアは顔を上げ、光の先を、天上を見上げる。声に一際力が籠もる。
「我が身は神に捧げられたるものなれば、我は我が力の限り神と民のために戦い、驕らず、裏切らず、強き心を持ち、戦友と神に誠実であり続け、死地においてなお迷わざることをここに誓う」
 誓いの言葉を終えたフィアが再び頭を垂れるまで、不思議な沈黙が場を支配していた。フィラも魅入られたようにフィアから目が離せないまま、息さえ潜めて耳を澄ましていた。
 聖騎士の誓いなのだから、大げさな文句で飾られていることは納得できる。けれどこの、悲壮感すら漂う様子は一体何なのだろう。礼拝堂と儀式が醸し出す特殊な雰囲気のせいばかりではないのだろう。フィアには確かに覚悟があるようだった。本当に命すら投げ出してしまいかねないほどの、強い覚悟が。
 ――まさか。
 きっと、自分もこの場の空気に圧倒されてしまっているのだ。
 フィラは首を振って嫌な考えを振り払う。明かり取りの窓は再び大きさを減じ、薄闇の戻ってきた祭壇の前には、いつの間にかジュリアンが再び進み出ていた。ジュリアンは自らの剣を抜き、フィアの肩を剣の峰で軽く三度打つ。
「光神リラの御名に依って、我、汝を聖騎士となす。勇ましく、誇り高く、そして誠実なれ」
 朗々と響く承認の声が、フィアが今この瞬間に聖騎士団の一員となったことを示した。じんと熱く締め付けられるような感動に、フィラは思わず胸を押さえる。フィアを見下ろすジュリアンの表情からは、どんな感情も伺うことができない。
「嬢ちゃん、戻ろうぜ」
 ランティスに促されて、フィラは石像から身を引いた。
「さっきのは聖騎士団誓詞っつって、聖騎士団に入団する奴はみんなあれを暗記して誓いを立てることになってるんだ。あれ、実は聖騎士の役割として一般的に認められていた内容を、ナイチンゲール誓詞に当てはめたのが慣例化しちまったやつでさ」
 演奏台に戻りながら、ランティスは小声で説明する。
「言っちゃなんだがパロディみたいなもんだ。結構適当な成立なのに、みんな真面目に宣誓してんだよなあ」
 ランティスはそう言って、照れくさそうに頭を掻いた。
「ランティスさんは? 真面目に宣誓したんじゃないんですか?」
 パイプとパイプの間の暗がりに滑り込みながら、フィラは首を傾げる。
「俺? 俺は……あー、と。そうだなあ、うん、真面目に宣誓してたかも。してたな、うん、してたしてた」
 明後日の方向を向きながら、ランティスはやはり照れくさそうに答えた。
「カイさんは……聞くまでもないですよね」
「だな」
 次の質問をするまでに、勇気を奮い起こすための時間が少し必要だった。一度唾を飲み込んでから、フィラは改めて口を開く。
「……団長は?」
 ランティスの表情から笑みが消えた。
「あいつは……人前では宣誓してねえんだ」
 眉根を寄せ、パイプ越しにジュリアンの背中を凝視しながらランティスは答える。
「誓いは一人で立てたっつってたな。誓詞そのまんまの文句で誓ったのかどうかは知らねえし、本当に誓ったのかどうかもわからねえ。でもたぶん、誰にも聞かせられないくらい本気だったんじゃねえかと、俺は思ってる」
 話し終えた後、しばし黙って厳しい横顔を見せていたランティスは、突然何かに気付いて表情を崩した。
「あれ? やべ、言って良かったのかな、コレ?」
「私に聞かれても……」
 フィラは楽譜の次に弾くページを開きながら、困惑して口ごもる。
「わり、ヤバいかもしれんから口外無用な。頼むわ」
 ランティスは顔の前で両手を合わせ、懇願するように片目をつむった。
「わかりました」
 フィラは半分呆れて頷きながら、鍵盤の上に両手を置く。閉祭の歌の伴奏が終われば、フィラの仕事はすべて終わり、叙任式も幕を閉じるのだ。