第六話 町を出る日

 6-5 父と子

 団長執務室では、フェイルが待っていた。
「お待ちしておりました。準備は出来ております。午前八時半には通信を開始いたします」
「ああ、ご苦労」
 慇懃に頭を下げるフェイルに、ジュリアンも静かに頷く。あと十分ほどで、と思うと何だか緊張してきた。こっそりと深呼吸するフィラに、ジュリアンが向き直る。
「フェイルから聞いていると思うが、お前が礼拝堂に転移してくるまで、転移能力について俺は知らなかったことになっている。それと」
 ジュリアンは不自然に言葉を切って、不本意そうに目を細めた。
「既に事情を知っている聖騎士とエセル・ベックフォード、モニカ・チェンバーズ両名、そして私の両親以外には、これが政略結婚であると明言するつもりはない」
「えーと……つまり?」
 ちょっと聞くのが怖かったけれど、恐る恐る先を促す。
「つまり、他の人間には……恋愛結婚だと」
 言いにくそうに視線を逸らされて、フィラも固まった。
「……で、でもそれ、信憑性ないですよね?」
 フィラはともかく、ジュリアンが恋愛結婚するなんて、相手が誰でも信憑性がなさそうだ。そして自分の容姿や立ち居振る舞いが信憑性をさらに薄くするものであるという自覚もある。
「ああ。どうせ誰も信じないから口先だけで良いし、演技をする必要もない。例え誰も信じなかったとしても、光の巫女本人がそう言うなら、そう扱うしかないからな」
「そう……ですか」
 自分で自分の思考に落ち込みながら、フィラは力なく頷いた。ジュリアンに想いを返して欲しいなんて求めるつもりはカケラもないけれど、それでも隣に並ぶことを考えてしまえば不釣り合いすぎて頭を抱えたくなる。
「団長、そろそろ移動を」
「ああ。通信室は隣だ。行くぞ」
 フェイルの言葉で打ち合わせは終了し、フィラはジュリアンについて通信室へ移動した。
 団長執務室の隣の入ったことのない部屋が通信室だった。何かを照射しそうなライト型の装置が二隅の天井に取り付けられ、その装置がない側の半分の床に大きく魔法陣が描かれている。四方の壁にも用途のわからない装置や回路が埋め込まれていて、時折そこに虹色の光が走っていた。
「そこに」
 と、ジュリアンはライト型の装置が向けられている空間を指差す。
「向こうから送信された立体映像が表示される。こちらからはこの術式の上の映像と音声が送信されるから、基本的には対面で話しているのと変わりないと思ってくれ」
「わかりました」
 緊張で喉がからからになるのを感じながら、フィラは頷いた。
「では、私は外で待機しております」
 フェイルが頭を下げて部屋から出て行く。防音がしっかりしているのだろう、扉を閉めてしまうと外の音が一切聞こえなくなる。
「術式の上に立ってくれ」
「はい」
 手足の動かし方もわからないくらい緊張しながら魔法陣の上に立つと、ジュリアンがその様子を見て苦笑した。
「そんなに緊張するな。相手も同じ人間だ」
「や、それは、わかってるんですけど」
 むしろ、だから緊張しているのだろう。同じ人間だから、簡単に嘘を見破られてしまいそうで。
「大丈夫だ。お前は聞かれたことにだけ答えれば良い」
 フィラに微笑を向けてから、ジュリアンは魔術を発動させるための集中に入る。細波のような虹色の光が魔法陣に描かれた回路を駆け抜け、魔術を発動させるのを、緊張に冷たくなった指先を握りしめながら眺めていた。
 虹色の光が消えると、さっきジュリアンが指し示した空間に、立派な椅子に座った優しげな顔立ちの老人の姿が浮かび上がる。光王だ。見るのは初めてだが、服装と雰囲気でわかった。金糸の細かな刺繍が入った純白の法衣はその立場に相応しい荘重なもので、手に持った黄金の杖にも手の込んだ彫刻が施されている。見事な白髪の上には略式の白い帽子が乗っていて、長い眉毛の下からは色素の薄い茶色の瞳がこちらを見透かすように鋭い光を放っていた。
「朝早くから呼び立てしてすまなかったな。ジュリアン・レイ」
「お気にかけていただいて光栄です、光王猊下」
 ジュリアンがごく自然な動作で左胸に手を当てて跪いたので、フィラはそれに倣ったものかどうかものすごく迷う。こんな時の礼の取り方なんてさっぱりわからない。
「うむ。楽にして良い」
「ありがとうございます」
 ジュリアンが立ち上がってくれたので、ほんの少しだけほっと息をつくことが出来た。
「その少女がフィラ・ラピズラリか」
 光王の視線がフィラを捉える。思わず背筋を伸ばして呼吸を止めるフィラに、怖がらなくて良いと言うように微笑を向けて、光王はジュリアンに向き直った。
「光の巫女の力を引き継いでいる可能性がある、ということだったな」
「はい。報告書に記しましたとおり、転移の魔術を使用した際に私が確認いたしました」
 今度は跪きこそしなかったが、それでも左胸に手を当てて礼をするジュリアンの姿はまるで舞台劇の登場人物のようで、まったく現実感がない。
「その後魔力は封じられて、現在は確認できない、ということだったが」
「はい、間違いございません」
「報告書を見た限り状況証拠は揃っているようだが、こちらでリラの魔力を確認できるまでは、その少女を光の巫女と認めるわけにはいかぬ」
 ジュリアンを見つめる光王の眼光が、少し鋭くなったような気がした。
「確定するまでの彼女の身の振り方だが、光王庁に任せるのか、あるいはレイ家の養子にするのかな?」
「いえ、私が、妻に迎えるつもりです」
 探るような口調にも表情一つ変えることなく、ジュリアンは静かに言い放つ。
「……光の巫女だと確信があると言うことか?」
 さらに表情を険しくしながら、光王はひたとジュリアンを見据えた。
「個人的な感情からです」
「光の巫女の意志を無視して妻に迎えることは許可できない」
 誰も信じはしないとさっき言われた通り、光王がそれを本気にした様子はまったく見られない。光王は小さくため息をつき、フィラに視線を移した。
「フィラ・ラピズラリ」
「は、はい」
 ひっくり返りそうになる声を抑えつけながら、どうにか真っ直ぐ顔を上げる。
「聖騎士団団長ジュリアン・レイの妻になることはそなたの意志に叶っているのか」
「はい……そう、です」
 なんとかそれだけ答えたけれど、緊張しすぎて目眩がしてきた。これ以上立ち続けているのはきついかもしれないと思ったところでジュリアンがさりげなく腕を差し出してくれたので、素直に袖を掴む。演技の一環なのだろうが、今はそれがありがたい。
「ふむ……」
 その様子をどう捉えたのか、光王は思案げに目を細めた。
「それが光の巫女の意志ならば、私は反対は出来ぬ。そしてその少女が光の巫女でないのなら、ますます口を出す権利はないだろう」
 光王は杖に体重を預けるように身を乗り出す。
「聖騎士団団長がそのつもりならば、彼女の身の振り方も決まるな。レイ家当主と相談をする必要があるだろう。ランベール・レイも来ている。直接話をすると良い」
「ありがとうございます」
 再び略式の騎士の礼を取るジュリアンに、光王はゆったりと頷いた。
「言い忘れていた。その少女の身元について、前領主のラドクリフには既に確認が行っているが、知らないの一点張りだ。明日到着する光王親衛隊の術士が報告書の裏付けを取るため、ユリン内の調査をすることになっているが、異存はないな」
「ございません」
「よろしい。では、ランベールを呼んでこよう」
 重々しい仕草で立ち上がった光王が見える範囲から出て行って、フィラはそこでようやく息をつくことが出来る。
「大丈夫か?」
「すみません。ものすごく緊張してしまって」
 顔を覗き込まれて、慌ててジュリアンの腕から手を放した。
「いや、上出来だ。助かった。気分が悪いなら休んでいても構わないが」
「大丈夫です。朝食もちゃんと食べましたし」
 それは理由にならない、と自分で思ったが、ジュリアンもたぶん同じことを考えたのだろう。非常に微妙な表情をされた。そうこうしているうちに、誰かが向こう側の魔法陣に入ってきて、重厚な椅子に腰掛ける。
 白髪交じりの淡い金髪にグレーの瞳の、壮年の男性だった。光王よりもいくらか簡略化された法衣を纏っている。リサがジュリアンは母親似だと言っていたとおり、確かに顔立ちはあまり似ていない。笑顔になっても恐らく甘さは感じられないだろう、厳しさと知性を感じさせる顔立ちだ。佇まいも、背負ってきた重責に相応しいのだろう威厳と自信を感じさせるものだった。
「フィラ・ラピズラリ、だったな」
「はい」
 名前を呼ばれて姿勢を正す。不思議とさっきよりも緊張しなかった。穏やかそうな光王よりも、はるかに張り詰めた緊張感を纏っているのに、何故だろう。
「私はランベール・レイ。ジュリアン・レイの父だ」
 冷たい無表情を崩さないまま、ランベールはじっとフィラを見据える。
「息子と結婚すると聞いた。不肖の息子だが、よろしく頼む」
 声も表情も冷たいままだったけれど、不思議と表面だけの言葉とは思えなかった。
「いえ、その、私の方こそ、お世話になります」
 頭を下げながら、気付く。さっきよりも緊張していないのは、ランベールの纏う緊張感が『団長』をしているときのジュリアンと似ているからだ。親子だと知っているからそう思うのか、本当にそうなのかはよくわからないけれど。
「ジュリアンと二人で話がしたい。申し訳ないが、席を外してもらえるか」
 ちらりとジュリアンを見上げると、「そうしてくれ」と言うように頷かれたので、フィラは改めてランベールに向き直り、「はい」と返事をした。
「外にフェイルがいる。一緒に待っていてくれ」
 魔法陣から出ようとしたフィラに、ジュリアンが声をかける。
「わかりました」
 それに一つ頷いて、部屋から出た。
「うわぁ……膝が笑ってる」
 扉を閉めた途端に力が抜けそうになって、思わず声を漏らしてしまう。外で待っていたフェイルが、いつの間に用意したのか折りたたみの椅子を広げながら苦笑した。
「どうぞ、座ってお待ちください」
「ありがとうございます」
 とてもこれ以上立っていられそうになかったので、素直に言葉に甘えることにする。座り込むと、思った以上に疲れているのがわかった。身体が重い。
「坊ちゃまが旦那様とお話しになるのも久しぶりでございます」
 隣の壁により掛かったフェイルが、半ば独り言のように口を開いた。
「これを機会に、もう少し打ち解けていただければ良いのですが」
 フェイルの視線を追いかけて、通信室の扉を見る。その向こうでどんな会話が行われているのか、少し、気になった。

 フィラが出て行くのを見送って、ランベールに向き直った。改めて騎士の礼を取りながら、じっと視線が注がれているのを感じる。
「ユリンでの任務、ご苦労だった」
 こちらの真意を伺うような沈黙の後で、ランベールは重々しく口火を切った。
「カルマの襲撃を防ぎきったのは大きな功績だった。手引きをした者がフォルシウス側だったことも判明している。今回の件、レイ家にとっては立場を取り戻すための良い手がかりとなるだろう。良くやったな」
「恐れ入ります」
「フィラ・ラピズラリという少女についても報告は受けている。光の巫女である可能性が高いという話だが、婚姻を決めた以上、お前には確信があるんだな?」
「はい」
 昨夜提出した報告書はもう頭に入っているのだろう。問いかけるランベールの調子は断定的だった。
「……マルグリットと親交があったのか」
 ややためらいが感じられたが、それも確認だった。父がリタを愛称で呼ばないのは、これがプライベートな会話ではないからなのだろう。
「はい。カイ・セルスが確認しております」
「顔を上げろ。お前から見て彼女はどうだ」
「どう、とは」
 言葉に従って騎士の礼を解きながら、ランベールの瞳を覗き込む。質問の真意が理解できなかった。
「マルグリットが友情を抱くような精神の持ち主なのか、ということだ」
 奇妙なことを聞かれている。それとも、それによって彼女が本当に光の巫女であるか判断したいのだろうか。
「そう……思います」
 リタのことはよくわからない。カイやリサの方が余程リタのことを理解しているだろう。それでもフィラの素直な優しさやしなやかな強さは、リタのことも惹きつけたのではないかと思える。
「お前にとってはどうだ。フィラ・ラピズラリはお前の妻に相応しい女性なのか」
 そんなことを聞かれるとは思っていなかった。答えを探す胸の内に、苦い感情が広がる。思わず目を伏せていた。
「むしろ……相応しくないのは私の方でしょう」
「光の巫女でなかったとしても同じことが言えるのか」
 淡々と問いかけるランベールが何を求めているのかはわからない。けれど、答えなど一つしかなかった。
「当然です」
 そうだ。嘘と血に塗れた自分が、彼女に相応しいはずがない。
「……そうか」
 ランベールはどこか疲れたようにため息をついた。
「ならば、あの娘をレイ家の一員として迎えよう」
「ありがとうございます」
 また、頭を下げて騎士の礼を取る。質問の意図は最後までよくわからなかったけれど、とりあえず合格点は貰えたらしい。少しだけ肩の力が抜ける。
「レイ家はこの婚姻を全面的に支援する。必要な案件があれば遠慮なく回してくれ」
 父がその言葉を違えることは恐らくないだろう。いつでもランベールは、決断を下した後には断固とした処置を執る。
「お心遣い、感謝いたします。早速ですが、一つお願いが」
「何だ」
「週に一度は、彼女にピアノのレッスンを受けさせていただきたい」
「ピアノの……?」
 今日初めて、ランベールの声に訝しげな色が混じった。
「光の巫女という枷から解き放たれたとき、必要となるはずだからです」
「……そうか。わかった。手配しておこう。人選はセレスティーヌに任せて構わないな」
 元女優兼歌手であるセレスティーヌは、確か音楽業界にも知り合いが多かったはずだ。
「はい。よろしくお願いいたします」
「ああ。私からも一つ条件を出したいのだが」
 いつになく控えめな切り出し方に、思わず顔を上げた。
「何でしょうか」
「フィラ・ラピズラリをレイ家に預けるつもりなら、お前が直接連れて来い」
 一瞬虚を突かれたジュリアンは、すぐに我に返ってまた頭を下げる。
「……はい」
「日取りが決まったら連絡してくれ。では、また会おう」
「失礼いたします」
 通信は向こう側から切られた。ゆっくりと姿勢を正し、深くため息をつく。フィラほどではないが、自分も緊張していたのだと気付いた。強張った身体をほぐすように一度全身の力を抜いて、それから扉に手をかける。廊下で待っていたフィラが、音に反応して顔を上げた。