第六話 町を出る日

 6-6 フランシス対策会議

「終わりましたか」
 顔を上げたフィラよりも先にフェイルが尋ねかける。
「ああ。詳しい話は執務室で」
 立ち上がったフィラが椅子をどうしようか迷っているのを見て、フェイルが「そのままで結構ですよ」と声をかけてくれた。
「では、参りましょう。これからのことについて確認しておかなくてはいけませんからね」
 フェイルの声に促されるように、フィラも団長執務室へ向かう。
 執務室へ入り、なんとなく全員で応接セットのソファに腰掛けた。フィラの斜め前に座ったジュリアンがティナを呼ぶと、すぐに白い子猫の姿がその隣に現れる。
「それで、光王様は何と?」
 口火を切ったフェイルに、ジュリアンが冷静な視線を向けた。
「結婚の許可は口頭だがもらうことができた。レイ家に預けることも了承済みだ」
「それは……ようございました」
 フェイルがほっとため息をつく。
「旦那様には?」
「もう話した。全面的に支援してくれるそうだ」
 その言葉にフィラもほっとする。話した時間はほんの少しだったけれど、何となく光の巫女としてだけではなく、フィラ自身のことも見られたような気がしていたから、受け入れられなかったらどうしようと不安だった。
「では、レイ家への移動はいつにいたしますか? 団長が不在の場合、ここでは巫女を守るには結界が心許ない。早い方が良いかと存じますが」
「そうだな。連れて行く際は私も一緒に来るのが条件だと言われた」
 さらりと言われた言葉に、フェイルが小さく目を見開く。
「そうなると、早くても中央省庁区からの視察団が帰ってからになるが」
 それに気付いているのかいないのか、ジュリアンはただ淡々と話し続けた。フェイルはすぐに表情を引き締め、いつもの調子を取り戻す。
「ユリンの安全確保は終わり、住民の帰還も本日午後から始まります。一人一人記憶の操作をする必要がございますが、一両日中には完了するでしょう。そうすれば、団長がユリンを離れることは可能です」
「ああ……では、やはり視察団の帰投に合わせてになるな」
 記憶の操作――その言葉にはまだ胸が痛むけれど、ユリンの特性を知ってしまった今では口を挟むことは出来ない。もう自分は『こちら側』の人間なのだと、嫌でも意識させられる。
「同じ列車をお使いになりますか」
「こちらが人員を割けない以上、戦力的にはその方が良いだろうな」
「かしこまりました。では、視察団のスケジュールを確認し次第チケットを手配いたします」
「よろしく頼む」
 フィラが勝手に沈んでしまう気持ちを持て余しているうちに、ジュリアンとフェイルは打ち合わせを終えていた。
「フィラ」
「はい」
 ジュリアンに名を呼ばれて、知らぬ間に伏せてしまっていた顔を上げる。
「先に話を進めてしまったが、それで構わないか?」
「はい、大丈夫です」
 ユリンを離れがたい気持ちは確かにあるけれど、反対する理由はない。それにもう、とっくに覚悟は出来ている、はずだ。だからフィラは素直に頷いた。
「光王親衛隊にもあまり長く戦力を割く余裕はない。視察団もそんなに長居は出来ないだろう。恐らく、数日以内に出立することになる」
「わかりました」
 また聞き分けよく返事をすると、何故かジュリアンの表情が微かに曇る。
「ティナの守護神登録がそれまでに受理されれば、ティナにも一緒に来てもらう」
「ちょっと待って。それ、受理されなかったら一緒に行けないってこと?」
 それまで大人しく話を聞いていたティナが、がばりと身を起こした。
「受理されなければレイ家のある区画には入れない」
「はぁ!? 何それ。何でそんなめんどくさいんだよ。人間って、ほんっと……!」
 憤慨して毛を逆立てるティナをフェイルが宥めるのを眺めながら、フィラはこっそりとため息をつく。
 これで本当にユリンとはお別れだ。いつ戻ってこられるのかはわからない。いや、それどころか、本当に戻ってこられるという保証もない。ジュリアンは戻せるように努力すると言ってくれたけれど、絶対に戻すとは言わなかった。不確実なことを確実だとは、偽ってくれなかったのだ。

「午後の仕事の前に対策会議するよ!」
 昼休みを残り十五分ほど残したところで、突然モニカが立ち上がって言った。
 午前中の残りの時間でアメリのレッスンを受けたフィラは、午後はまたフェイルのところで事務仕事を手伝うことになっていた。食堂でタイミング良く出会ったエセルとモニカに引き摺られるようにして事務室で昼食を取ることになったのが、つい三十分ほど前のことだ。
「明日から中央省庁区の援軍改め視察団が来やがります」
 ものすごく正直に敵意を剥き出しにしながら、モニカに続いて立ち上がったエセルが『対策会議』と書かれた積層モニターを全員から見える位置に表示させる。フェイルは呆れたような笑みを浮かべながらも何も言わず、ティナは興味なさそうに余った椅子の上で身体を丸めた。
「カルマに対抗できる魔術師が派遣されるってことはつまり、当然フランシス・フォルシウスが含まれるわけで。フランシス様が来るんだったら、フィラさんには絶対会わせないようにしないと! というのがこの会議の趣旨です」
 男性陣の冷めた態度を物ともせずに、モニカが眼鏡を煌めかせる。
「え……な、何でですか?」
 思わず困惑した声を上げてしまった。以前ならともかく、光王庁に正式にフィラの存在が報告された今、フランシスを避ける意味があるのだろうか。
「何でって、会いたい?」
 頭の上に疑問符を浮かべるフィラに、エセルがこれまた不思議そうに尋ねる。
「いえ、遠慮したいですけど……」
 会いたいか会いたくないかと言われれば、もちろん会いたくない。少し会話するだけでも疲れる人だと、一度会っただけで嫌というほどよくわかっていた。
「でしょ!? あのスケコマシ、中央省庁区で働いてるときにフィアさん口説いてるの見たことあるもん」
「あっさりフラれてたけどね。五つも年下の女の子に」
「十五歳にあっさりかわされる二十歳とか、肉食系ヘタレだよね」
「見てる分には目の保養なのに、残念な男」
 モニカとエセルは情け容赦なくフランシスをこき下ろす。聖騎士団と光王親衛隊が対立しているせいなのだろうか。周りに思われているほど仲が悪いわけではない、と、以前ジュリアンは言っていたけれど。
「でもあの口先男を、フィアさんならともかくフィラさんがあっさりいなせるとは思えない!」
「ということはうちらが守らなきゃしょうがないですね。こういうとき男どもって基本的に役に立たないし」
 盛り上がる僧兵二人は『男ども』の一人であるところのフェイルが思い切り苦笑していることなどお構いなしだ。
「フィラを守る話なら僕も協力するよ」
 それまで興味なさそうに丸まっていたティナが、『守る』という単語に反応したのか身体を起こした。
「ティナちゃ〜ん! 君とは一度じっくり話をしたいと思ってたんだよ。あ、ちなみに団長の守護神登録、新規申請したのは私、モニカ・チェンバーズです。近日中に正式登録されるから待っててね」
「ふうん。良いけど、早くしてよね。フィラについて行けないと困るから」
「そのクールなとこ猫っぽくて超可愛い! 撫でて良い!?」
「やだ」
 情熱的に身を乗り出すモニカを冷たくあしらうティナを横目に見ながら、エセルはフィラに向き直る。
「フィラさん、とりあえず食堂の手伝いは免除になったんだよね?」
「はい。フランシスさんに見られたら何言われるかわからないから面倒だって……団長が」
「あの人そんなこと言うのか……いや、事実だけど」
 エセルは意外そうに眼鏡のフレームを押し上げた。
「じゃあそこでの危険はないとして……視察も事務室までは来ませんよね?」
「ええ。ここは部外者は立ち入り禁止ですから。基本的には会議室に資料を持っていってそこで精査してもらうことになります」
 エセルに視線を向けられたフェイルはにこやかに頷く。
「んじゃ、この部屋は安全だ。ご飯もここでうちらと一緒に食べてもらえば大丈夫っしょ」
 ひとしきりティナとじゃれ合って満足したモニカが話に入ってきた。
「あとはピアノの時間かぁ……午前中は礼拝堂でピアノの練習とレッスンすることになったんだよね?」
「礼拝堂も視察される予定ですが、レッスンの時間と視察の時間をかち合わせるつもりはございませんよ」
「そりゃそっすよね。じゃあそっちもオッケー、と」
 モニカが何かにチェックを入れるように、空中に丸を描く。
「出来ればあのおっかないマダムにも協力してもらいたいところだけど……」
 おっかないマダムがアメリのことだと、フィラにもすぐわかってしまった。
「話せる気、する?」
 難しい顔のエセルに、モニカが複雑そうな表情で首を傾げる。
「しない。超コワイ。っていうか、なんであの人あんな迫力あるしゃべり方するんですか!」
「もとは軍楽隊の指導教官だったらしいですからね」
 平手でデスクをばしばしと叩くエセルに、フェイルが慈愛に満ちた微笑みを向けた。若干憐れみが含まれているような気がするのは、気のせいだと思っておくことにする。その方がたぶん平和だ。
「第三都市の……? あー……それは……ああなりますね……」
「ガラ悪いことで有名だよね、第三都市の自警団。あそこから上がってきた報告書不備多かったな〜……」
「脳筋どもめ……」
「こらこら、悪口はやめなさい」
 すぐに口を出したフェイルが、なぜフランシスの悪口の時には何も言わなかったのか……それも深く考えてはいけない気がする。
「はーい、ごめんなさーい」
「ともかく、この部屋で仕事してる間とレッスンの時間は安全だから、あとは移動中ですね」
「ばったりかち合うとかあの人得意そうだな。うえっ、やだやだ。ティナちゃん上手く避けられそう?」
「出来ると思うよ」
 再びティナを撫でようとしたモニカの手からするりと逃れながら、ティナは答えた。モニカは恨めしそうに自分の手とティナの毛並みを見比べる。
「あいつの魔力派手だし、ジュリアンもあんまり視察団にフィラを会わせたくないみたいだから協力してくれそうだし」
「よっし、心強い味方ゲットー!」
 撫でるのを諦めたモニカが拳を握りしめ、フェイルはその様子を見て苦笑する。
「ていうかコレ、団長も巻き込んだことになるのでは……?」
 ふと我に返ったようなエセルの呟きは、誰にも拾われることはなかった。

 翌日の昼過ぎには、中央省庁区から派遣された視察団が到着した。と言っても、フィラは彼らの前に出ることはなかったので、その姿さえも見ていない。情報源はエセルとモニカの噂話だけだ。
 そうして厨房の手伝いを免除されたフィラは、残りの数日間を、午前中はピアノのレッスン、午後はフェイルたちの手伝いというスケジュールで過ごすことになった。