第六話 終わりの始まり

 6-4 光王庁見学ツアー 解説編

 翌朝、光王庁に戻る車の中で、フィラは昨夜ティナに大きくなった姿を見せてもらったという話をした。
「……昨日まで言ってなかったのか……」
 呆れた声で呟くジュリアンの声に、ティナは聞こえなかったふりをしてフィラの膝の上で丸くなる。目を閉じているが、睡眠は必要ないはずだから完全に狸寝入りだろう。
「他の人間に見せるなという話は忘れないでくれ」
「わかってるよ。そもそもフィラ以外に見せたいなんて思わないし」
 狸寝入りしていたはずのティナはあっさりと演技を放棄してそう答えた。
「そういえば」
 ジュリアンはそれ以上追求するつもりはないらしく、あっさりと話題を変える。
「光王庁内部の構造を説明するよう、リサに頼むつもりでいる。今の状態からすると、聖騎士団本部内なら出歩いても大丈夫そうだからな」
 フィラははっと顔を上げてジュリアンの横顔を見た。
「あ、それ、頼もうと思ってたんです。実は今住んでいるところが何階なのかもわかってなくて」
「あそこは聖騎士団本部の第七層だ」
 ジュリアンの回答が「何階」という形式ではなかったことに、フィラは思わず一瞬言葉を失う。
「……確かに、構造から教えてもらった方が良さそうですね」
「ああ。迷いやすいからな。いざという時のために、覚えておいた方が良い」
 そう言われると何だかとても複雑そうだ。教えてもらってもすぐには覚えられないかもしれないという不安を感じているうちに、車は光王庁に到着していた。

「やっほ〜フィラちゃん、久しぶり〜!」
 トレーニングルームで運動していたフィラの前にリサがいつも通りのテンションで現れたのは、その日の午後すぐだった。
「結婚式で見かけて以来じゃない?」
「そうですね。ご無沙汰してました」
 トレーニングウェアのまま頭を下げるフィラに、リサは明るく笑う。
「いやあ、しかし色々あったよね〜。何度かもう駄目かと思ったよ。特に二人して暴走した時とかさあ」
 へらへらとしか形容できない笑い方をしながら話しているが、リサがもう駄目だと思ったくらいだからたぶん相当悪い状況だったのだろう。改めて襲ってきた恐怖を振り払うように、フィラは緊張感のないリサの顔を見上げた。
「あのとき、リサさんもいたんですか?」
 ほとんど意識がなかったためにあの場に誰がいたのかさっぱりわかっていないフィラは、もしそうならその時の状況を聞けないだろうかと少し期待を込めて尋ねてみる。
「私は入れてもらえなかったな〜。あのときはほとんど立ち入り禁止みたいな扱いだったからねー。でも魔力の動きでだいたい何が起こってるかはわかるからさ。えらいことになってんなあって」
 リサは気楽な調子で肩をすくめながら、更衣室に向かって歩き始める。
「途中からこりゃヤバイってんで外部に魔力が漏れないように結界張る方には参加したけどね。それでも知られちゃいけない人にも一部漏れたかなあ。まあ、それも記憶操作で誤魔化されたんだろうけど」
 リラの魔力のありかも、ジュリアンが暴走したことも、どう考えても絶対に外部に漏れてはいけない情報だ。わかっていても記憶操作と言われると、記憶がない間の心許なさを思い出して不安になった。リタがフィラの記憶を消そうとしたとき、エステルを亡くしたばかりだったフィラは確かに同意していたはずなのに、それでも記憶がないことはすごく怖かった。
「んでさ、今日は光王庁見学ツアーだよね?」
 先を行くリサが振り返って尋ねてくる。一瞬反応が遅れたせいか、右肩に乗っているティナから気遣うような視線を感じて、フィラは慌てて重苦しい思考を振り払った。見学ツアー、という名目が正しいのかどうかよくわからないが、するべきことは要するにそういうことなのだろう。そう思って頷くと、リサはにやりと悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。
「フィアちゃんがいたらお任せ出来たのに残念だなあ。あの子すっごい向いてそうじゃん、こういうの」
「確かに得意そうですね」
 竜化症や魔術の使い方について説明してもらったときのことを思い出して、フィラは深々と頷く。
「でしょ? 記憶力めちゃくちゃ良いからさあ。私なんて自分が使うもの以外さっぱりわかんないよ。特に歴史とかその辺がダメッダメだね。どの石像を誰が作ったかとか何度聞いても覚えられない」
「えっと、今日のツアーってそういう……?」
 結婚式の時に見た奥の礼拝堂には確かに歴史的な価値のありそうな彫像が並んでいたけれど、今日案内してもらう目的がそういう方向性なのかというとなんだか微妙な感じだ。
「いやいやいや。そんな人選ミスうちの団長はしませんよ。案内頼まれたのは〜、非常口とか? なんかその辺?」
 非常にアバウトな認識だったが、フィラの方も似たようなものだ。
「な、なるほど……?」
 納得して良いものか迷ったけれど更衣室についてしまったので、フィラはそれ以上の追求は諦めてトレーニングウェアから着替えることにした。リサは更衣室の外で待っていると告げ、ティナを連れて先に出て行く。
 大急ぎで着替えたフィラが更衣室を出ると、機嫌よく音程の外れた鼻歌を歌っていたリサが振り向いた。
「本当はあっちこっち案内してあげたいんだけど、とりあえず聖騎士団本部内しか連れて行けないからさ、まずは立体地図見ながら説明して、そのあとこの周辺案内する感じで良い?」
「もちろんです」
 自由に出歩いて良い立場ではないことはわかっている。今日の案内がエセルとモニカではなくリサなのも、きっと護衛を兼ねているからだ。
「じゃあまずは適当なミーティングルームで説明しますか〜!」
 リサは元気よく拳を振り上げ、再び先に立って歩き出した。

 光王庁は独立した区画が積み木のように組み合わさって出来た巨大な建造物である、というのがリサのアバウトな説明から理解できただいたいのイメージだった。山のような見た目に違わず、地上一階に当たる部分が一番広く、上に行く程狭くなるらしい。とは言っても、説明用の立体ホログラムを見る限りでは最上層も充分広大だ。
 地下は主に鉄道の乗り入れ口や駐車場、物資の保管庫があり、その下に天魔が結界を破って入ってきた時に備えた地下シェルターが存在しているが、リサもそこには入ったことがないという話だった。
 今フィラがいる聖騎士団本部は、光王と光の巫女の住居や謁見の間がある最上層の『光の宮殿』のすぐ下の、五角形のフロアの一角を占めているらしい。その他の四つの区画は光王親衛隊と軍部と経済部と文化部で、それぞれ神祇官が統括しているという話だった。
「聖騎士団本部は七層だけど、その下は僧兵の詰め所とか宿舎とか福利厚生施設とか事務局とかの区画がいろいろあって結局かなり下層まで占めてるね〜。他の四つのセクションもそんな感じだけど、軍部と光王親衛隊と聖騎士団は共用部分も多いから、単独ででかいのはやっぱ経済部と文化部かな」
 白いテーブルの上に浮かび上がった立体ホログラムの光王庁全図には細かく各部署の名称が表示されているが、細かすぎてとても覚えられそうになかった。
「で、だいたい地上部分の上三分の二くらいはそんな感じだけど、下三分の一は一般の人の戸籍とか税金とかなんかその辺扱ってる役所みたいな部署ね。その辺りは外部の人でも結構出入りできるから、フィラちゃんも来たことあるんじゃない?」
「はい、何度か。あんまり覚えてないですけど……」
 覚えているのは、エステルがものすごく広い建物の中で人混みに翻弄されつつさまよい歩きながら「こういうのをたらい回しって言うんだよ」と遠い目で呟いていたことだけだ。
「おーざっぱな構成はこんな感じ?」
 何か聞いときたいことある? と顔を覗き込まれて、フィラは少し考え込んだ。
「建物のことじゃないんですけど」
「おお、何でも聞いて〜」
 リサが楽しげに立体ホログラムをつつき回すと、つつかれた区画に関する説明が現れたり消えたりする。良く出来てるなと感心しながら、フィラは小首を傾げた。
「聖騎士団と光王親衛隊と軍部と経済部と文化部って、どんな役割分担があるんですか?」
「ん〜、そうだなぁ……」
 リサは斜め上に視線を投げてうなり声を上げる。
「聖騎士団が天魔対策で、光王親衛隊が中央省庁区の治安維持で、軍部がWRUとの戦争とかの対人戦専門って感じかな。経済部と文化部はそれぞれその下にいろんな部署抱えてて、外政から内政まで全部やってるから外から見るとどうやって分けてんのかよくわかんないんだよね」
 そこまで言ったところで、リサはふいに内緒話をするようにフィラの耳元に顔を寄せてきた。
「ぶっちゃけて言うと」
 小声で囁かれたフィラは、思わず息を詰めて耳を澄ませる。
「国庫を握っててレイ家の利益代表なのが経済部、教育関係握っててフォルシウス家の利益代表なのが文化部、軍事力握っててゴルト家の利益代表なのが軍部って感じかな。聖騎士団と光王親衛隊は昔軍部が力をつけすぎたときにレイ家とフォルシウス家が結託して格上げした感じだから、実質的にはそれぞれ経済部と文化部、ってかレイ家とフォルシウス家に付属してる感じだね」
「家の……」
 全く公正な感じを受けない言葉を、フィラは思わず呆然と復唱してしまった。
「そうそう、歴史的にね。光王もこの御三家からしか出てないし、光の巫女だってほぼそうだし。ユリンではあの辺が貴族とか言われてるみたいだけどさ、あながち間違いでもないわけよ」
 少し皮肉げな笑みを浮かべながら、リサは肩をすくめる。
「まあでも、今んとこは上手く行ってるかな。この国で働くとしたら光王庁関係か、レイ家の関連企業かフォルシウス家の関連企業かゴルト家の関連企業かって感じだし、関連企業とそこの労働組合と各家は被保護者《クリエンテス》と保護者《パトロヌス》の関係だから、御三家揃ってればほぼ民意は拾い上げられるってわけ。腐敗が始まったらあっという間かなって気はするけど、一応御三家でお互いの監査はやってるしね」
 話を聞きながら、最近家庭教師から習った政治経済関係の話題を思い出してきた。
「立法は神祇官五人と光王、行政は経済部と文化部で分担、司法は光王直轄の神官団が担当してるんでしたっけ」
「うん、なんかそんな感じ。立法が神祇官五人と光王ってのは最終決定がそこって話で、その前の調査とか根回しとかはあっちでもそっちでもうちでもやってるけどね」
 一般教養として教えられただけでは遠い世界のこととしか思えなかったのに、それが自分のすぐ側で実際に行われていることだと思うとなんだか不思議な感じがする。フィラは思わずまじまじと立体ホログラムの光王庁を見つめてしまった。
「他にご質問は?」
 リサは気取った様子で眼鏡を押し上げる手真似をしてみせる。
「えっと、各区画の行き来はあのリフトで?」
「そうそう。外壁を一周してるやつと、五芒星を描くように各区画を結んでるやつね」
 リサが話しながら何か魔術を使うと、立体ホログラムの中の該当する通路が白く光り始めた。幾何学的な形が、まるで魔方陣のようだ。
「で、交差する地点に上下移動用のエレベーターがある、と」
 リサの操作に従って、今度は各階層の魔方陣をつなぐように縦に輝く柱が現れる。
「非常用階段もエレベーターの隣にあるんだけど、ほとんど使われることはないかな。火事とか毒ガステロがあっても防護扉とか結界とかで被害が広がらないようになってるからねー」
 すごくあっさりした口調で怖いことを言われてしまった。
「他には何かある?」
「そうですね……今のところは……」
 一通りの説明はしてもらったような気がする。
「よっし、じゃあ次は歩き回って見てみますか!」
 元気よく立ち上がったリサは、そちらの方が好きそうだ。
「よろしくお願いします」
 立ち上がりながら微笑んだフィラに、説明の間中ずっと退屈そうに身体を丸めていたティナも立ち上がって定位置の肩に飛び乗る。
「まっかせっなさ〜い!」
 既視感を覚える角度で拳を振り上げたリサは、踊るような足取りでミーティングルームを出て行った。