第六話 終わりの始まり

 6-5 光王庁見学ツアー 見学編

 今いる場所は聖騎士団本部の第七層、つまり最上層で、『光の宮殿』にも通路一本で行けるエリアだ。この階層には聖騎士と一部の機密に触れられる立場の者しか入れないのだとリサが解説してくれた。
「第七層にあるのは機密レベルの高い情報を扱う事務室と聖騎士専用の施設だね。さっきフィラちゃんがいたトレーニングルームも実は聖騎士団専用なんだ」
 そこまで話したところで、団長執務室へ続く廊下と交わる十字路に差し掛かってリサは立ち止まる。
「こっちの先が」
 リサが指し示したのは、フィラとジュリアンの居室から見てトレーニングルームとは逆の左側の通路だ。
「聖騎士団宿舎ね。私とかカイ君とかダストとか、自宅持ってないのが住んでるとこ。ランティスはよそに家があるからそっち帰ることが多いけど、ここにも一応寝床はあって、何かあったら泊まっていけるようになってる。んでこっちが」
 次に示されたのは団長執務室の方だった。
「団長執務室と副団長執務室と参謀執務室とその辺に付属する事務室と資料庫と団長の居室。ジュリアンが聖騎士団に入る前は、今フィラちゃんが住んでるとこは機密レベルの高い魔術実験と訓練のための施設だったんだって」
「ふうん。それでやたら魔力の遮蔽率高いんだ」
 フィラの肩の上で、ティナが思案げにしっぽを揺らす。
「そゆこと。そしてあっちは〜」
 最後に残りの一方向を指してリサは説明を続けた。
「出口だね。あっちからリフトに乗って同じ層の各区画を移動したり、エレベーターに乗って他の層行ったりね。リフトに行くまでの両脇の部屋は資料庫で、歴代の聖騎士の記録とかなんかその辺のあんまり使わないけど機密レベル高いやつがしまってあるみたい。私は見る気もしないけど、フェイルなんかはよく入り浸ってるかなあ」
 カイ辺りが聞いたら頭を抱えそうなことを言いつつ、リサはくるりとフィラを振り返る。
「この層はこんなとこかな。まあトレーニングルームはもう使ってるし、見るべきところっていっても特にないよね?」
「そうですね」
 まだフィラが見たことがない場所はほとんど資料庫と聖騎士の居室だけみたいだから、むしろ見せてくれと言うのも気が引ける。
「実は私も行ったことないんだけど、他の軍部とか経済部とかの区画もだいたい似たり寄ったりだと思うよ。偉い人の執務室と休憩室と福利厚生施設と資料室と、場合によって宿舎みたいな?」
「なるほど……」
 頷くフィラに満足そうに頷き返して、リサはまた拳を振り上げた。
「んじゃ、次は下の層行ってみますか〜」

 第七層にある魔術訓練室の奥にある、フィラが今まで使ったことのなかった扉の向こうの階段を下りて辿りついた場所は、一辺五十メートルくらいはありそうなプールだった。第六層は大きく四つの部屋にわかれていて、それぞれ特定環境下での魔術使用を前提とした訓練施設になっているらしい。
「ここも聖騎士団専用だね〜。集団戦には向かないから、そういう訓練やりたいときはもっと下層の僧兵用の訓練施設を使ってる」
 プールのあるこの部屋は、もちろん水属性が強い環境を再現するための施設だった。
「上の階の魔術訓練施設は周囲の魔力の濃度や神界との近さを疑似的に調整して魔術の訓練を行う場所で、こっちの階層は属性ごとに相性の良い環境を用意してある感じかな」
「属性の相性?」
 まだ自分の中にある魔力を使って魔術を使う練習しかしていないフィラには、周囲の属性との相性はよくわからない分野だ。
「そうそう。契約している神と周囲の自然環境によって相性があってね〜。まあ要するに水に関係する神だったら水辺が有利とかそういうやつ。ほら、ゼロから水を創造したり、空気中の水素と酸素をかき集めて水を作ったりするよりはその場にある水を使った方が楽だからさ。分子とか原子とかのレベルになってくるとイメージできないから魔術の対象にしにくいんだよね。私、化学《ばけがく》とか苦手だし」
「そ、そうなんですか……」
 そういえば以前ジュリアンの研究を横から見ていたときに、原理を理解しているとイメージしやすいから、物理が得意なら光や雷、化学が得意なら水や地、医学系なら治癒魔術と相性が良いみたいな話は聞いたことがあった。たぶん相当簡略化して説明してくれていたので実際にはもっと複雑なのだろうが、それと関係する話だろうか。そう思って話を振ってみると、リサは途端に視線を泳がせ始める。
「い、いやあ、開発系じゃなきゃそこまでの知識は必要ないからさあ。そういうのはジュリアンとランティスにお任せだね」
 妙に慌てふためいた様子に、もしかして触れられたくない話題だったのかと思っていたら、リサは「ま、まあとにかく」と苦笑いを浮かべながら話題を横に置いておく仕草をした。どうやら本当に触れない方が良い話題だったらしい。
「ここは水があるだけじゃなくて水系と相性の良い魔力が満ちるように調整されてもいるから、聖騎士と契約してる水の神とかよくここにたむろってるんだよ。うちのフィーネとか」
 リサはそう言うと、プールのすぐ側に歩み寄って両手でメガホンの形を作る。
「やっほーフィーネ、元気してるぅ?」
 リサの呼びかけに答えるように、凪いでいた水が音もなく盛り上がり、瞬く間に人の姿を作った。向こう側が透けて見える水の質感はそのままに、美しい彫像のような長い髪の女性の姿が現れる。袖口が波と泡を模したレースになっている裾の長いドレスを着ているように見えるが、それも透明な水でできているので首や肩からの曲線がどこで服に切り替わっているのかよくわからない。
「我が主、わざわざそれを尋ねなくとも、私の状態はあなたが一番良くわかっているはず」
 水の乙女はリサに顔を向けて、機械的なほど冷静にそう言った。どこもかしこも透明すぎて視線の向き先も表情もよくわからない。その人外の美に、フィラは思わず見とれてしまった。
「やっだな〜、様式美ですよ、様式美」
 リサは軽く笑って手を振ると、改めてフィラに向き直る。
「この子がフィーネ。水の神器に封じられていた神様」
「水の……」
 そういえば、水の神器を竜に渡した後のことは何も知らなかった。リサと契約しているということは、再び荒神に利用される心配はないということなのだろう。
「そうです。私がカルマの支配下から逃れるために、あなたが力を尽くしてくれたことは聞いています」
 リサと対照的な性格らしいフィーネは、受け答えの様子からするとかなりヒューマナイズの進んだ神のようだった。
「フィーネはグロス・ディアで昔から信仰されていた水の神らしいよ。神の格だけで言えば風霊戦争で世界をこんなふうにしちゃったフィウスタシアと同格だから、扱いに気をつけろって偉い人がうるさいんだよね」
 またもや気楽にとんでもない事実を口にしたリサは、フィラが固まっているのに気付いているのかいないのか、「大丈夫大丈夫、こないだのアレでほとんど力を失っててスペック通りの実力は出せないから」とか何とかわけのわからないことを言っている。
「そんでもって」
 リサはひとしきり大丈夫だと説明してからおもむろにフィーネへ振り返った。
「フィーネには〜、別に紹介しなくても大丈夫だよね?」
「フィラ・ラピズラリに関する情報なら、名前と経歴と聖騎士団団長との関係は頭に入っています。最優先護衛対象だということも」
「じゃいっか〜」
 リサの適当さにはもう既に慣れてしまっているのか、フィーネは黙って頷くだけだ。性格は正反対みたいだが、意外と相性は良いのかもしれない。
「まあとりあえず、火事とかなんかあったときは最悪でもここまで来ればフィーネが何とかしてくれるから、非常口みたいな感じで覚えといてよ。だいたいはジュリアンとティナちゃんで何とかすると思うけどね〜、何があるかわかんないから」
「は、はい」
 妙に真剣に目配せしてくるリサに、フィラは何か他に意図があるのかと考えながら頷いた。
「この下の層からはフィラちゃんの事情について知らない人も出入りできるから、案内はここまでかな。第五層には備品とか魔術具とかの倉庫があって、第四層は魔術具のメンテとか開発とかの技術関係、第三層が各地の天魔の情報とか集めてるとこで、第二層が会議室とか作戦室とかで、第一層が外部とのやりとりしてるとこね。そっから下は僧兵なら誰でも出入りできる区画になってて、購買とか食堂とか聖騎士も僧兵も使える福利厚生施設があって、その下が訓練所とか僧兵の宿舎とか僧兵に関する事務関係って感じかな」
 一気に説明してしまうと、リサはすごくやりきった表情で両手を腰に当てる。
「以上。何か質問はありますかな?」
「大丈夫です、先生」
 微笑むフィラに、リサは「じゃあ戻ろっか」と楽しそうな笑みを向けた。

 フィラをジュリアンの部屋まで送って聖騎士団宿舎に戻る途中、リサは向こうからやってきたダストと行きあった。眉間に皺を寄せて早足で歩いてきたダストに、リサは片手を上げて声をかける。
「やっほーダスト、相変わらず難しそうな顔してんね〜」
 顔を上げたダストは眉間の皺を消して、代わりに呆れ返った表情を浮かべた。
「あなたは相変わらずのんきそうな顔してるわね」
 遠慮なく返してきたダストに、リサは満足げに笑う。
「まーね。今フィラちゃん案内してきたとこ」
 いろいろと省いた説明だったが、ダストはその意味を正確に理解したらしい。
「あなたの案内はいい加減そうね。いざという時あの子が困らないと良いけど」
 辛辣な評価をこれまた遠慮なくぶつけてきた。
「ひっどいなあ。ちゃんと案内しましたってば」
「……それも準備の一環なのよね」
 何の、とはリサは聞き返さない。代わりに無言で肯定を示す笑みを浮かべてみせた。
「準備が出来てるなら、私はそろそろ約束を果たしに行きたいんだけど」
「好きにしたら?」
 冷淡だと思われかねない回答だとはわかっていた。けれどダストは今までリサに見せた中で一番やわらかな笑みを浮かべる。
「そうするわ」
 リサの背後でダストが用がありそうな場所は団長執務室しかない。その意味を考えれば、彼女はここに来るまでにとっくに覚悟を決めていたのだろう。何かが吹っ切れたような笑みだった。必死で演じようとしていた頃より、よほどルーチェにそっくりで、でもやっぱりダストでしかない微笑み。
 そのまま別れの言葉を口にすることもなく、リサとダストは当たり前のようにすれ違い、反対方向へ歩き出す。
 ――今までしてきた中で一番マシな「今生の別れ」かもしれない。
 自室へ戻りながら、リサはそんなことを考えていた。
 きっと今のダストは許せるだろう。ルーチェが生きていた頃には許せなかった、誰かを求める気持ちを。そしてもし彼女が誰かを求めるようになったなら、その時彼女はその人のために生きることを選ぶに違いない。ジュリアンと同じように。
 あのクソ真面目で根が善良な騎士どもは、リサと違ってどうせ消えるなら求める相手の目の前で消えない傷を残していなくなりたいなんて躊躇いもなく思うことはできないはずだ。きっと彼らは思いとどまる。最後の一線で。
「いいことじゃん。最大限支援させてもらわないとね」
 いつも通りの不敵な笑みを浮かべながら、リサはそううそぶいた。