第三話 無給休暇

 3-7 動向

 翌朝、自宅に戻る人々の護衛をしながら居住区へ向かう。その分の報酬がいくらか出たので、居住区に到着した後、賞金稼ぎギルドへ報告に行くことになった。賞金稼ぎは、何か『仕事』をしたらギルドに報告する義務がある。護衛の仕事ではギルドから報酬がもらえるわけではないが、報告が少なければライセンスは更新してもらえない。仕事をしない賞金稼ぎを『飼って』おく余裕はギルドにもないからだ。
 宿の駐車場に車を置き、見張りにティナを置いてギルドを目指す。比較的大きい居住区だという前情報通り、ユリンよりも少し賑わっている雰囲気の町だった。大通りに面した建物の作りからして、違法居住区とは段違いだ。こちらはきちんとした石材やコンクリートで作られていて、短時間なら天魔の侵入にも耐えることができるだろう。遠く離れてはいるけれど、中央省庁区との流通網も確立されているらしく、通りに面した店には見慣れた既製品も並んでいた。ここへ来る途中で時折行き違った大型の武装トラックは、どうやらここから来ていたらしい。
「ここが栄えているのは、食料品の生産が盛んだからだ」
 道々ジュリアンが簡単に説明してくれた。
「ここ数日通って来たところにある大農場は、広い土地を利用して大規模なプランテーション農業を展開している。一部の大農場主が多数の人間を雇い、効率的に作物を生産しているんだ」
 そう話しつつもジュリアンはどこか複雑そうだった。
「問題がないわけじゃない。富は一極集中するし、搾取が起こりやすいシステムでもある。ここもかなり貧富の格差が激しい。たとえ結界の中に住むことが出来たとしても、貧しい者は危険な結界の外で働くしかない」
 それでもまだ仕事があり、人間を守るためのものではないとはいえ、私兵たちが張った結界を頼りに生活していける者は幸運な方なのだろう。
「私兵を雇い、農場を守るための結界を維持しつつ利益を出すためにはある程度の……かなり大きな規模の経営が求められる。その規模の農場を経営するためには大きな資産が必要になる。ここの農場主の下で働く者はまだ恵まれている方だろうな。ここに来るまで見た限りでは、光王庁の基準を満たしてはいないがちゃんと人が活動する範囲には結界が張られていた」
「だから賑わっているのかもしれませんね」
 ただ一つの農場がこの町の中心になっているのなら、そこに人が集まるのにはやはり農場主の方針が大きく影響しそうだ。
「そうだな。何年かかるかはわからないが、この町まで鉄道が延びる計画もあるから、いずれますます栄えるだろう。そうしたら少しは正式な居住区の範囲も広げられるかもしれない」
 そんな話をしながら、町の中心付近にある広場にたどり着いた。実用一辺倒の無機質な他の建物とは違う華美なゴシック様式の教会に見下ろされた広場に面して、賞金稼ぎギルドと賞金稼ぎをターゲットにしているのだろう宿や飲食店が並んでいる。
「やっほ〜ジェイ、久しぶり〜」
 ギルドにほど近いカフェを通り過ぎようとしたとき、テラス席から聞き覚えのある飄々とした声が飛んできた。立ち止まったジュリアンが、座ったまま片手を振っている女の賞金稼ぎ――リサに向き直る。
「ずいぶん早かったな」
「良い足が追っかけてきたからね〜」
 立ち上がる素振りすら見せず、リサはからからと笑う。
「ミズキさん、せめて人間扱いしてもらえませんかね」
 店内から二人分のコーヒーを手に現れた青年がため息混じりに抗議したのを、フィラは目を見開いて見つめた。
「クロウさん……」
 名前を変えているかもしれないということも忘れて呆然と呟く。こんなところで再会するなんて予想もしていなかったから、咄嗟に頭がついていかない。
「……どうも。死に損なってしまいましてね」
 クロウはどこか気まずそうに視線を逸らして、持ってきたカップをリサの前のテーブルに置いた。
「というわけで、良い足を手に入れたからさ、中央省庁区に連絡があったら引き受けますよ?」
 さっきのクロウの抗議を綺麗に無視してリサは笑う。クロウは既に半分諦めているらしく、これ見よがしにため息をついただけだった。
「それは助かるが」
 ジュリアンはちらりと感情を隠した瞳でクロウを見た。
「大丈夫ですよ。今は製造元の制裁よりもミズキさんの方がよっぽど怖いですから」
 フィラは呆然としながら、ようやく『ミズキ』がリサの偽名だと気付く。
「……まあ、今のそいつより怖いものはそうそう現れないだろうが」
 無表情に呟いたジュリアンを、リサは心外そうに睨みつける。
「しっつれいな男どもだね〜。ねえエフィちゃん」
「え、ええと」
 そうですねなんて言えるわけもないフィラは困惑したように三人を見比べた。先日のことが嘘のように和気藹々と話しているけれど、隠しきれない緊張感があるような気がするのは杞憂だろうか。
「ジェイさん、これ」
 クロウが無造作にポケットから取り出した何かをジュリアンに手渡す。
「到着したのは今朝なので簡単にですが、最新のニュースをまとめておきました。お代は僕の命で結構です」
 冗談なのか本気なのか微妙なことを言うクロウに、ジュリアンは手のひらの小型チップを見つめながら何とも言えない表情を浮かべた。
「じゃあ用は済んだし行こうかクロウ君」
「もうですか?」
 自分だけさっさとコーヒーを飲み終えて立ち上がったリサに、一口も口を付けていないクロウが嫌な顔をする。
「貧乏暇なしって言葉を知ってるかな?」
「……路銀が尽きたんですね」
 じゃあこのコーヒーは何なんだとでも言いたげなクロウは、真意の推し量れない笑みを浮かべていた以前の彼とはまるで別人のように表情豊かだ。ほぼ死亡したものと思われているだろう現状では、同じ名前を使っていても聖騎士のレイヴン・クロウと結びつけられる者はほとんどいないのかもしれない。
「だって宿代と飯代倍かかるんだもん」
「……その分は稼いだつもりですが」
「だから馬車馬のように働かないとね〜、足だけに」
 クロウの抗議をまたしても華麗に無視して、リサはジュリアンに向き直る。
「んじゃ、そういうことだから」
「ああ」
「まったく。あなた方の幼なじみを尊敬しますよ。失礼します」
 ひらひらと手を振って歩き出したリサの後を、コーヒーを一気に飲み干したクロウが追いかける。
「ご、ご無事で!」
 はっと我に返ったフィラが咄嗟に言うと、リサとクロウは同時に振り返って苦笑した。
「ありがとー」
「ご親切にどうも」
 まだなんやかやと言い合いながら人混みに消えていく二人を、ジュリアンと見送る。
「……まあ、意外と良いコンビと言えなくもない……のか?」
「そう……です、ね……?」
 なんだか常に恐ろしい冗談が飛び交っていそうなのだが、お互い気にしなさそう、というところではジュリアンの言うとおり良いコンビと言えなくもないのだろうか。困惑しながらフィラはジュリアンを見上げた。
 目が合ったジュリアンは、何と言ったら良いのかわからないというような表情をしている。そうは見えなかったけれど、もしかしたらそれなりにジュリアンも困惑していたのかもしれない。ジュリアンは何とも言えない表情のまま、深くため息をつく。
「……行くか」
「そうですね」
 ジュリアンの困惑ぶりを見て逆に心が落ち着いてしまったフィラは、小さく微笑みながら頷いた。

 賞金稼ぎギルドで『仕事』の報告と必要な手続きを済ませ、道すがら消耗品を買い足しながら宿へ戻る。宿へ戻ると、ジュリアンは携帯端末でさっきクロウに渡されたチップを読みとり、何か難しい表情で考え込み始めた。
「最新のニュース、でしたっけ?」
 コーヒーを淹れてきたフィラは、ジュリアンとテーブルを挟んで向かい側に座る。
「ああ。ニュースと、それから聖騎士団の状況だ。どうやらフランシスが団長に就任したらしい」
「フランシスさんが……?」
 てっきりカイが引き継ぐのだとばかり思っていたフィラは目を見開いた。
「その代わり光王親衛隊の方には、レイ家の分家筋で軍部に出向していた者がだいぶ入ったようだ。光王親衛隊も聖騎士団もトップがフォルシウスになったので表向きはレイ家が引いたように見えるが、実際には両方とも傘下に加えたようなものだな」
「聖騎士の他の方はそのままなんですね」
 ジュリアンが空中に浮かび上がったモニターをフィラの方へ移動させてくれたので、そこに映し出された組織図を見て、聖騎士団の他のメンバーが見知った名前ばかりであることを知る。
「第三特殊任務部隊《レイリス》に一人増えているのは……」
「フィア・ルカだろうな」
 死んだことになっているフィアが復帰するためには、顔も名前も公表されることがない第三特殊任務部隊《レイリス》は都合が良いのだろう。
「対外交渉はフランシスの得意分野だ。そのあたりや組織運営は奴が受け持つんだろうが、天魔との実質的な戦闘や僧兵たちとの関係については俺がユリンにいる間ずいぶん苦労していたようだから、カイとランティスの管轄になるな」
「上手く行きそうですか?」
「多分」
 明言を避けつつも、ジュリアンは少しほっとしているようだった。
「実際に兵を動かすのがカイとランティスなら、僧兵にも不満は溜まりにくいはずだ。そこさえクリアできれば、フランシスなら何とか出来るだろう」
「頼りになりますね」
「……つけあがるから本人には言うなよ」
 普通なら言ってあげれば良いのにと思うところだが、相手がフランシスだと微妙に反論できない。
「それと……WRUの情報も集めてくれていたようだ」
「WRUの情報?」
「WRU内部の状況だ。レイ家が密かに支援していたレジスタンスが中心となって武装蜂起したらしい」
 そう言いながらジュリアンが見つめるモニターには、奇妙な記号が並んでいるだけに見える。
「あの、もしかしてそこに書いてあるんですか?」
「さすがに機密情報だからな」
 読みとりながら話しているみたいなジュリアンに恐る恐る問いかけると、彼は苦笑しつつ頷いた。ジュリアン以外の誰かが見ても壊れたファイルにしか見えないのだろうということは何となく想像がつくが、ジュリアンがそこからどうやって情報を読みとっているのかは、フィラにもわからない。
「WRUは鎮圧のために|再生されし子等《リジェネレイテッド・チルドレン》を差し向けたらしいが、予想を超える範囲と勢力で対応出来てはいないようだ」
 ジュリアンは淡々と話しているが、それは紛れもなく紛争で、殺し合いだ。想像もつかない世界の出来事だけれど、それでもどこか薄ら寒い気持ちになってフィラは身震いした。
「……父の計画は上手く行っているようだ。ここまで光王庁を掌握したということは、WRUとの交渉も大詰めを迎える時期だろう。そしてこの状況下では、WRUも強くは出られない」
 しばらくモニターを睨みつけた後で、ジュリアンはそう結論づける。
「近いうちに、最終的に光王庁がサーズウィアを認めるかどうか結論が出るだろう」
 ぴりっとした緊張感が走って、フィラは思わず姿勢を正した。
「……認めてもらえると良いですね」
 そのために払った犠牲を考えると、手放しでは喜べない。それでも、そう祈らずにはいられなかった。
「そうだな。もし認められなくても止めるつもりはないが」
 厳しい表情でそう言ってから、ジュリアンはふっと穏やかな笑みを浮かべる。
「大丈夫だ。父上なら……必ず実現できる」
 親子の情だけではない力強い信頼に、フィラはほっと肩の力を抜いた。
「そうですね。お父様なら、きっと」
 ジュリアンはその言葉に頷いて、浮かび上がっていたモニターを消していく。
「ここを離れたらしばらくは最新の情報を得るのは難しくなる。今後の動きが気になるところではあるが、父を信じて進むしかないな。しかし……」
 ジュリアンは言葉を切って、クロウに渡された情報チップを見つめた。その表情はどこか複雑そうだ。
「天魔の動きについてもだいたいまとめられている。これで必要な情報はだいたい集まったから、今夜はちゃんと睡眠時間が確保できそうだ。クロウに感謝しないとな」
 この町に宿泊する一晩の間に、ジュリアンは出来るだけ多くの情報を集めるつもりのようだった。クロウがまとめておいてくれた情報は、その時間を短縮するためにかなり役立ったのだろう。
「クロウさんも頼りになりますね」
 ここまでの経緯を思うと複雑な気持ちになるし、それはつまり敵に回せば恐ろしいという意味でもあるけれど。
「そうだな……」
 ジュリアンはふと迷うように視線を泳がせてから、それを振り切るようにぐっと唇を引き結ぶ。
「WRUの鎮圧のスピードが、予想以上に遅いことから考えて、|再生されし子等《リジェネレイテッド・チルドレン》の一部も武装蜂起に同調した可能性が高い」
 だからクロウが再びWRU側につくことはほぼないだろう、と、ジュリアンは半ば祈るように呟いた。