お話のはじまり

 File-2

 僧院は太古の昔からここに居座っていたような、古びて苔むした森の奥に埋もれているらしかった。舗装もされていない砂利道を、キャデラックは慎重に進んでいく。
「ここの植物は何割が本物なんだ?」
 鬱蒼とした森を貫く道にしては落木や木の根が少ないのを見て取って、アウルは周囲を見回しながら尋ねた。
「信じられねえかもしれねえがな、八割方は本物なんだ。ほとんどはほれ、あの潰されちまったバイオ研究所の植物園からの移植だよ。空恐ろしい生命力でな、移植されてからわずか四年でもうこの有様だ。僧院を隠してる奴はほとんどCGなんだが、草刈りにはいつも苦労してんだぜ、と。こっからは地下道だ。待てよ」
 キャデラックを道の中程で停車させたロビンは、目印がわかりにくいんだよとぶつぶつぼやきながら左手首の腕時計を何やら操作する。草むらから飛び出てきたやや大型の甲虫を、アウルはちらりと見て眉根を寄せる。動きが素早いので解り辛いが、甲虫の目の部分に巧妙にカモフラージュされたレンズが埋め込まれているようだ。レンズがロビンの瞳をちらりと捉えた瞬間、その瞳に微かに赤い光が過ぎった。
「網膜認証か」
「げ、今のが見えたのか? 本っ当〜にお前の視力は……酷いな」
「無茶苦茶目が悪いみたいに聞こえる」
 目の前の茂みがざわざわと葉擦れの音を響かせながら上へ持ち上がっていく。
「だってどうなってるんだよ、お前の目。赤外線だぞ。低エネルギー赤外線だぞ。普通見えねえだろ」
 持ち上がった茂みの下には、トラック一台がようやく通れるくらいの洞穴が開いていた。地面は奥に行くほど平らになっていて、数メートル行った辺りからはコンクリートで固められているようだった。
「例のバイオ研究所に俺もいたんだ。別に不思議はねえだろ」
「あそこそんなことまでしてたのか」
 呆れて首を振るロビンに、アウルも呆れ顔を向ける。
「ここだって随分じゃねえか。何なんだ? この大仰なゲートは」
「ウチの女王様は人間の方に敵が多いんだよ。うら、行くぜ」
 そろそろと進んでいくキャデラックの後ろで、やはり葉擦れの音だけを響かせてゲートが閉じた。暗闇だった通路に立体ホログラムの植物群が浮かび上がる。不自然に鮮やかな色彩と余りにも人工的に整った輪郭から、それほど技術力の高くないCGで描かれていることがわかる。
「工科大学の学生にでも作らせたのか?」
「まあ大差ねえ。耐G実験装置導入のときに本部と一悶着あったんだが、それで地味にぶち切れた整備班のお姫様が気分転換にって作ったんだよ。目的は偽装じゃなくて通路の照明だ。まあ良いじゃねえか。綺麗だろ? アラベスク模様みたいでさ」
 人工的な虹色に明滅するアラベスクは、通り過ぎる側から枯れ落ちるように色と輝きを失い、切れ切れになって地面へ散っていく。
「遊園地でも作れば良かったんじゃねえか」
「だな」
 技術力の無駄遣いだと呟けば、ロビンは明るく声を上げてそれを笑い飛ばした。
「ま、一応毎年案だけは出るんだけどよ。平和にならなきゃ地元民との交流も覚束ねえわけで」
 滑るように進んでいくキャデラックの周囲を、宝石のように煌めく昆虫が飛び交っている。
「見張りの虫までこの仕様か。よく見りゃ地味なのも混ざってるようだが」
「お、さすが。木を隠すなら森戦法だったんだが、お前には効果なしか。そうそう、そっちが本命の見張りってわけ。さっきも言ったが、マジな話、ウチは人間の方に敵が多いからな」
 ロビンが言い終わると同時に、さっと緑色の光が視界を覆い尽くした。アウルは目を瞬かせて明るさに目を慣らそうと努める。
「さあ、着いたぞ」
 ロビンが車を止めてサイドブレーキを引いた。順応し始めた瞳に、半分崩れ落ちた僧院の内壁が浮かび上がって来る。
 車は蔦や苔に覆われた広間の中央で停止していた。内壁は前方の二面が半分崩れ落ちており、広間の中央から伸びた巨木が高い天井を突き破って空を覆っていた。突き破られた天井からは青空とやはり巨木に突き破られた礼拝堂のドームが見える。
「これ……屋内か?」
「そ。基地の中さ。さ、降りた降りた」
 さっさと降りて歩き出したロビンを追って、アウルも車を飛び降りる。無人になった車は音もなく伸びてきた蔓に絡み取られ、草むらの中に開いた穴に吸い込まれていった。
「車庫は地下だ。面白えだろ?」
「入り口の演出といい……本当に無駄なこだわりだな」
「そう言うなって。楽しみ少ねえ浮き世なんだからよ、楽しみは自分で作り出さなきゃってわけだ。それに書類上の味方はともかく、敵が侵入してきたときにゃこれでもマジで森の中の廃墟に偽装できるんだぜ」
 ロビンは軽く手を振りながら、礼拝堂のドームが見える方へ歩いていく。
「まずは、女王様に謁見だな。その後でテストパイロットを五人殺したじゃじゃ馬様のところにご案内だ」
「……んな情報いらねえよ」
 ぼやきながら広間を出ると、そこは中庭に面した回廊だった。中庭にも植物は繁茂し、廃墟を今にも呑み込もうとしているようだ。天を衝く巨木はここにもそびえ立ち、枝葉を大きく広げているから、この僧院は上空からは森にしか見えないだろう。
「ここも八割は本物か?」
「いや。この辺はセキュリティと女王様の手足がほとんどのはずだ。詳しい内訳は俺も知らされてねえ。ま、この基地の最重要機密だからな……っと、おいでなすった」
 回廊の途中で足を止めたロビンの視線を追って、アウルも中庭へ視線を投げた。木々を覆っていた蔦や木々が、二人の視線を避けるように妙に生物的な動きで道を開く。その奥から蔦に運ばれて現れたのは機械仕掛けの玉座だった。
「ロビン・レッドブレスト少尉」
 機械仕掛けの玉座には機械仕掛けの女王が座っている。顔のほとんどは仮面のような装置で覆われていて、見えるのは口元と顎のラインだけだ。全身のほとんども様々な機械装置やチューブで覆われているが、薄く紅を引いた唇と艶を含んだ声は大人の女のものだった。
「また騒音公害の苦情が来ていたぞ」
 機械仕掛けの女王は金属の籠手のような右手で仮面を押し上げ、からかうような笑みを含んだ緑色の瞳でロビンに流し目を送る。仮面を取った女王は、その名にふさわしい恐ろしく怜悧な美女だった。
「いやー、すいませんねえ。親友に相棒を紹介しようと思ったらついつい気合いが入り過ぎちゃって」
 ひれ伏したくなるような美貌をものともせずに、ロビンはいつものへらへらとした調子で緩い笑みを浮かべる。
「つい、で近隣の住民の評判を落とす真似はしないでくれないか」
 女王が流し目を冷たい半眼に変えると、ただでさえ威圧的な雰囲気が有無を言わさぬものになった。それにはさすがのロビンもごまかし笑いを引っ込める。
「……反省してます」
「ふん。どうだかな」
 小さくため息をついてから、女王は表情を真顔に戻し、今度は真正面からロビンを見据えた。
「ブルーバード少尉の機とスクッラは格納庫《ハンガー》だ。案内してやれ」
「了解しました」
 ロビンは真面目に敬礼すると、「こっちだ」と言って歩き出す。自己紹介の必要はなさそうだと判断したアウルも、それに続こうとした。
「小型飛空艇《バード》の説明は後で良いからな。ああ、言い忘れていた。ブルーバード少尉」
 ロビンに続いて礼拝堂へ向かいかけていたアウルの背に、女王のどこか楽しげないろを含んだ声が投げかけられる。名指しされたアウルは立ち止まり、肩越しに女王を見遣った。
「ようこそ、人類防衛機構飛空騎士団第二十八分隊へ。私は隊長のレジーナだ。よろしく頼む」
 アウルは仕方なく女王に向き直り、形式通りの礼を取る。
「アウル・ブルーバード少尉です。よろしくお願いいたします」
 レジーナは目を細めて笑い、機械化された右手で仮面をかぶりなおした。宝石のような仮面の瞳に赤い光が灯るのを横目に、アウルは前に向き直って大股でロビンの後を追う。雑草の生い茂った石畳の回廊をさらに奥へと向かうと、突き当たりに開けっ放しになったアーチ型の木の扉が見えた。その向こうはやはり丈の高い草木に覆われていて見通せない。
「アウル、悪ぃけど、こっから先は一人で行ってくれよ。俺はパイロットでも整備兵でもないから入れねえんだ。行ったらお姫様に撃ち殺されちまうからな。軽〜く自己紹介してくるだけで良いからさ」
 扉の前で立ち止まったロビンが情けない声と表情で訴える。
「お姫様って整備班のか?」
「そ。何故か異様に嫌われてるんだよ」
 派手なサングラスの下でロビンの瞳が悲しげに翳るが、わざとらしすぎて同情する気にもなれない。
「ナンパでもしたのか」
 冷たく言い放つと、ロビンは大げさにのけぞった。
「何故知ってる!」
「お前馬鹿じゃないのか」
 あごが外れるんじゃないかというくらい大げさに口を開けて驚いてみせたロビンは、一瞬後に復活して盛大に拳を突き上げる。
「酷い! お前俺のこと何だと思ってるんだよ」
 見たままだろうとため息をつくが、ロビンの嘆きは止まらない。
「本当、幼馴染みだってのに久しぶりに会っても優しい言葉一つないんだから嫌になるぜ! もっと俺に優しくしろよ!」
「嫌だね」
 相手をしていてもらちが明かないと判断したアウルは、ロビンの抗議を無視して木の扉をくぐる。細い石畳の道に沿って奥へ向かううちに、ロビンの声は聞こえなくなった。
 代わりに聞こえてきたのは、葉擦れの音と微かな歌声だ。

  空の向こうに何があるの?

(この言葉は……)
 丈の高い木が途切れ、ドーム状の天井が見えたところでアウルは呆然と立ちすくむ。格納庫であるここすらも、見た目は植物に覆われた廃墟だ。蔦に覆われた天井は崩れ落ち、ステンドグラスが填まっていたはずの窓ももう枠組みしか残ってはおらず、その向こうに葉末を透かして深い空の青が広がっている。崩れた天井から斜めに差し込む光が、蔓や蔦に覆われた青い戦闘機に降り注いでいる。上空から発見されないためのカモフラージュなのだろうが、本当にこれが飛ぶのかと近くで見ているものまで騙されてしまいそうだ。

  鳥たちの目指す楽園
  常春の聖域
  忘れられたエデンの園

 アウルはゆっくりと周囲を見回しながら進み、歌声の主を探した。
 幼さを残した透明な少女の声で歌われるのは故郷の言葉だ。ロビンと二人きりで話すときにすら使わない、もう何年も口にすることも耳にすることもなかった故郷の言葉。もう何年も聴いていなかったのにするりと聴覚に滑り込む、懐かしい言葉で歌われる歌。

  なぜ私は空を飛ぶの?

 手前からは見えない位置に置かれていた一機の戦闘機の上で、アウルの視線が止まった。降り注ぐ陽光を浴びて、ほとんど植物に覆われた機体の翼だけが青く輝いている。その翼の上に、少女が一人座っていた。
 歌っているのはその少女だった。翼の上に片足を投げ出した姿勢で座り、天井の隙間から見える空を一心に見上げながら歌っている。まだ幼さの残る年頃に見えるが、くすんだブルーの飛行服はもう何年も着古したもののようだ。やっと肩に届くほどの長さの青みがかった銀髪と白く整った横顔は、青瑪瑙のカメオに彫り込まれた女性像のようにどこか幽霊じみた美しさをたたえていた。

  いつか空へと帰るため
  その空へ帰るため
  私は飛ぶ

 少女は一つ一つの言葉を慈しむように、ゆったりと歌い続ける。

  空の向こう
  空の果て
  私は飛ぶ
  私は飛ぶ

 なぜ、と疑問に思うことすら忘れて、アウルはその歌に聴き入った。

  私は飛ぶ
  私は飛ぶ
  私は飛ぶ……

 迷うように何度も同じフレーズを繰り返した後で、歌声はふつりと途切れた。歌い手が続きを忘れてしまったのかもしれない。
 アウルがはっと我に返った瞬間、同時に風もやんで足下で草が鳴る音がやけに大きく響く。少女はその音に一瞬肩を揺らして、それからゆっくりとこちらへ振り向いた。
「誰?」
 明るい、しかし深みのあるマリンブルーの瞳がじっとアウルを見下ろす。
「本日付で着任した飛空騎士団少尉、アウル・ブルーバードだ」
 狼狽を隠すように、アウルは無感動な調子で定型通りの自己紹介を始めた。
「ここの機体には不慣れなので、これからいろいろと世話になる。よろしく頼む」
 少女は心の奥底まで見透そうとするように見据えていた瞳を伏せ、音もなく戦闘機から飛び降りた。そのままアウルの目の前に立った少女は、警戒心などかけらも感じさせない無表情でアウルを見上げる。
「砂倉ソラです。よろしくお願いします」
 ソラと名乗った少女は生真面目に敬礼しながらなぜか不思議そうにアウルを見つめた。
「さっきの歌……」
 その余りにも真っ直ぐな瞳に押されるようにこぼれた言葉に動揺して、アウルは唇を引き結ぶ。
「歌……?」
「いや、なんでもない。明日からよろしく頼む」
 ソラはやはり不思議そうに小首を傾げたけれど、それ以上聞き返してはこなかった。