第一章 It seems to be silly

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「ちょっ! 前髪焦げたー!」
 ほっとしたのと腹が立ったので見当違いなことをわめくライファをかばうように、飛びすさったマッドサイエンティストの前に着地したのはタスクだった。口の端に人を食ったような笑みを浮かべ、右腕を突き出す。その手のひらに新たな炎の塊が生まれつつあった。
「誰だか知らねえが覚悟はできてんだろうな?」
 白衣の男は小さく舌打ちして間合いをとる。
「なんだ? こっちから行っていいのか?」
 タスクは余裕の表情でわざとらしく驚いて見せると、姿勢を低くして踏み込んだ。白衣の男は炎を紙一重で避け、その反動を利用してメスを投げつける。タスクは頭だけ振って素通りさせた。
「いいのかよ、武器手放しちまって」
「手放しなどするものか」
 男は薄く笑んで右の手で持ち手の形を作る。それに沿うように現れ出たメスに、タスクの笑みが深くなった。
「なるほど、貴様も能力者ってわけだ」

「……なんか、楽しそうだな、あいつ」
 塀を乗り越えるのにタスクのように簡単にはいかなかったアレスが、肘をすりむきながらライファの隣に降りてきてつぶやいた。
「……ほんと。男ってどうしてこう勝負事が好きなんだろ」
「……アレと一緒にしないでくれる? 俺は違うよ?」
「うっそっだ。アレスあれと同じ顔してるもん。高橋先生と囲碁で勝負してるとき」
「……マジで?」
 アレスが嫌だわあ今度から気をつけなきゃとかつぶやき終わるころ、タスクは少し押されがちになっていた。

 もともと周りに被害が出ないように戦うのは苦手なのだ。全力をぶつけるわけにも行かず、かといって駆け引きも得意でないタスクは、次々に投げつけられるメスをかいくぐりながら何とか隙を見つけて一発叩き込もうと考えていた。
 しかし、なかなか隙が見えない。
「ハハハハハハハ! どうしたのです! 良いのは威勢だけですか!?」
 相手の挑発の言葉に、もともと温和とは対極的な位置にあるタスクはとっとと切れた。
「……気に喰わねえな……。……やってやる」
「待て待て待て、ここは市街地で」
 アレスの制止の言葉が終わるよりも前に。
 凄まじい爆発音が。
 街に響き渡った。

「……タスクって、自制心とか無いのかしらねぇ……」
「なさそう」
 目の前には焦げ付いた白衣の男(だったもの)と、うっとうしげに前髪をかき上げるタスク。辺りにはもうもうと砂埃。
 泣きそうなアレスのつぶやきに、ライファは深く共感した。
「とりあえずさっさと逃げないと。エヴァーグリーン来てるってのに、これだけ騒ぎ起こしてしかもイディアー能力者だってばればれじゃマズイよね」
「うん……でもちょっと遅かったみたいだなー。通報しといたのが裏目に出たつーか……」
 アレスが遠い目をしつつも指差す方向を見ると、ちょうど路地の角から複数のエヴァーグリーンの制服が現れたところだった。
「今から逃げるの無理だよね」
「でしょうねー……」
 遠い目をして語り合うアレスとライファの視線の先で数人のエヴァーグリーン兵士が立ち止まる。その中から一人だけ、かなり若い男が歩み出てきた。多分十六、七歳だろう。
「この騒ぎは貴様の仕業か?」
 黒い髪に切れ長の黒い瞳。整った容貌だが、与える印象は冷たい。
「いや、こいつは襲われてたこの女性を守っただけでですね、これは正当防衛って言うか……」
 青年は明らかにタスクに向かって尋ねていたのだが、タスクに答えさせるととんでもないことになるとわかりきっているアレスは横から口を挟んだ。
 しかしそんな配慮にはまるで無頓着なタスクは、自分より若干背の低い相手を見下すような態度で睨みつける。
「……スカした面しやがって気に喰わねえ……。……ぶっ殺す……」
「……って待てタスク何言ってる?」
 小さな呟きを聞きとがめてアレスはぐるりとタスクを振り向いた。
「気にいらねえな。かかって来いよ。相手になってやる」
「うわータスク何エヴァーグリーンにケンカ売ってんだこの瞬間湯沸し器ー! ライファも居るってわかってんのかアホンダラー!」
 アレスがタスクの挑発にエヴァーグリーンの青年より素早く反応して叫ぶ。
「……アレス。黙ってろ」
「何でお前が俺に命令するんだよ! お前の食ってる食事の半分はだなー」
 タスクはごちゃごちゃと文句を言い続けるアレスを押しのけて前に出た。
「かかって来ないのか?」
「いい度胸だな。後悔しても知らんぞ」
 青年は不敵な笑みを浮かべながらタスクの方へ歩み寄る。
「ほざけ」
 ある程度距離が縮まったところで。
 二人は同時に地を蹴ってぶつかり合った。

「……あのおにーさん雷撃能力者デスカー。帯電しちゃったよ俺ハハハ」
 タスクを止められずライファの横に戻ってきたアレスは疲れ切った声で笑う。
「同類だよね、あの人。タスクと」
「だな」
 目の前では炎と雷が間断なく飛び交っていて、これで大地を操る能力者でも居たら怖いものトップスリー揃い踏みだなあなどとライファは思ってしまう。地震・雷・火事・親父、という、アレ。大地を操る能力者が怖い系親父だったら完璧だ。
「どうやって逃げる? ライファ」
 ぼんやり眺めているとアレスが横目で問いかけてきた。
「そだねー、小麦粉とミネラルウォーターを犠牲にすればまあ何とか」
「もったいないなあ」
「タスクに言って」
「うん、そうする」
「帰ったらすぐお風呂だね」
「タスクは後回しで。外で待たせとく方向で」
「だね」
 二人は頷き合うと、行動を開始した。
 アレスは小麦粉の袋を乱暴に開封し。
 ライファはペットボトルを開けて逆さまにし、手近な地面に水溜りを作った。

 その瞬間のことを思い出すと今でも心臓が縮む思いがするのだと、三日ほど後にレルティ・ロンリエは述懐した。
 ナナミ・チームのチームリーダーである七海迅斗が戦っている向こうで、迅斗の相手である野蛮そうな男の仲間たちがなにやらごそごそやっていた。そのときはこちら側が風下になっていて、迅斗も当然こちらを守るように戦っていたからこちら側に居た。
 それが奴らの狙いだったのよ、と、レルティ・ロンリエはこぶしを握る。
 野蛮そうな男が炎を繰り出すタイミングを狙って、黒髪の男が白い粉をぶちまけた。ダスト状のものが燃え上がれば爆発が引き起こされる。粉塵爆発というヤツだ。
 迅斗の判断が一瞬でも遅れていたら私達も一緒に黒焦げになるところだったんだから! と、レルティは机に握りこぶしを叩きつける。本部の机は値段だけあってその程度の衝撃ではびくともしないが、昼休みに興奮するのはやめて欲しい。恥ずかしい。
「ちょっと聞いてんの姐さん!」
「聞いてるさ。で、逃げられたんだろ?」
 アクアが先を促すと、レルティは不機嫌に頷いた。肩上で切りそろえられた薄茶色の髪が揺れる。
 迅斗が咄嗟に張った防御結界で粉塵爆発をやり過ごして、この爆発では向こうの被害の方が大きいんじゃないかと思って見てみれば。
「影も形も無かったのよー!? こんなことってあると思う!?」
「もう一人能力者がいたってことだろう? 空間転移能力者なんてそうざらに居るとは思えないが……」
 アクアは長くなり始めた前髪をかき上げてつぶやいた。
「ま、ベルトラム・ハルデリス博士は捕まえることができたんだからいいじゃないか」
「……そうだけど……でも、ハルデリスなんて小物捕まえるのにわざわざ出向いたのにその上ケンカ売ってきたやつに逃げられるなんて迅斗可哀想で……」
 結局それか、やっぱりね。と思いつつ、アクアはレルティに耳打ちする。
「ハルデリスの人体実験について告発したのはあの坊ちゃんなんだよ。それでハルデリスはパトロンを失って狂気に陥っちまったわけだから、あの子今回のことには結構責任感じててね。自分から行くって言ったのさ」
「迅斗が?」
 目を丸くするレルティに、自然と笑みが浮んだ。
「生真面目なことだねえ」
「……惚れ直したかも、私」
 レルティは頬を染めてうっとりと両手を組み合わせた。

「いやー、爆発するとは思わなかったなあ。びっくりだ」
 ジープのハンドルを楽しそうに操作しながらアレスは笑った。
「……考え無しどもが。結界張ってなかったらお前ら今頃真っ黒焦げだぞ」
「真っ黒焦げだって。かわいいなあタスク。確かタスクに焼きイモさせたときの結果発表がそんな感じだったよね」
 後部座席で、かわいいとはお世辞にも言えない猫――白だか灰色だかわからない色で、痩せこけて目ばかり大きい――をなでながらライファも笑う。三人も猫も小麦粉をかぶっていてそこはかとなく粉っぽい。
「バレたかなー?」
「大丈夫だろ。あのマッドサイエンティスト捕まえんのに上の方のが来るわけないからな」
 ふと不安げに視線を曇らせたライファに、助手席からタスクが答えた。
「エヴァーグリーンも結構アバウトなところあるからね。横から入ってきてしかも取り逃がした相手のことなんかわざわざ報告しないと思うよ」
 アレスもバックミラー越しに笑いかける。
「だといいけど。……もとはと言えばタスクが喧嘩っ早いのが悪いんだからねー。反省するように」
 タスクは肩をすくめて地平の彼方に目をやった。