第二章 The Guardian of the Garden

 2-1

 つまり、そもそもの不幸はそれが七海迅斗であったという一点に起因する。

「セミだ……」
「セミだね」
「ああ、セミだ」
 他力本願寺の本堂で一身に注目を浴びているのはセミだった。ライファ、タスク、アレスの三人はセミを囲んで寝転がっている。
「夏の風物詩よねえ」
 アレスが言えば。
「なんでこんなとこに迷い込むかな、こいつ」
 ライファも首をかしげる。
「ここでミンミン鳴かれてもやかましいからな、外に放してくるぞ」
 そしてタスクがそのセミをつまみ上げる。
「あ、なんか、意外とかわいいかも」
 タスクがつまみ上げたセミを正面から眺める形になったライファが言う。
「かわいい?」
 セミをつまみ上げたままの姿勢で、タスクは心底理解できない様子で顔をしかめた。
「ほら、瞳がつぶらでさ」
「これ、つぶらか?」
「うん」
 タスクはますます眉根を寄せてセミと睨み合った。
「……わからん。………………。……ま、どうでもいいか。放してくる」
「行ってらっしゃい。ちゃんと木のあるところで放すんだよ」
「……面倒くせーなー」
 そう言ってはいてもちゃんと木のあるところまで運んで行ってくれることがわかるので、ライファはあえてそれ以上は言わない。
「アレス、午後の予定は?」
「買い物。今日はそんな買わなきゃならない物多くないけどな。タスクはポンコツ君の見張りに連れてくから、ライファ洗濯頼む」
「りょーかい。ちょっと買い物行くのにもポンコツ君引っ張り出さなきゃいけないから大変だよね」
「引っ越す気ないけどね」
 アレスはうつ伏せに寝転がった姿勢のまま、器用に肩をすくめてみせた。

 時は二日ほどさかのぼる。

 エヴァーグリーン本部の一角にある小会議室は緊張感に満ちていた。
「この報告書が真実であるならば、そこから予測される事実は重大だ」
 エヴァーグリーン幹部、フェルゼン・プロフェートが醸し出す雰囲気のせいである。幹部の中で最も若いこの男は、そのくせ幹部の中で最も恐れられている人物でもあった。
 何で迅斗はこんな怖い人に気に入られているんだろう(多分勤務態度が真面目だからだろうけど)。
 レルティ・ロンリエはつくづく不満に思う。
 一週間ほど前に完了したハルデリス博士捕縛に関する報告書を片手に一同を見回す姿は非常に威圧的だ。
 見た目は良いのだ。サングラスだかゴーグルだかよくわからないもので覆われているので目元は確認できないけれど、顎のラインはまあ綺麗だと思うし髪だってサラサラだし。
 でも怖い。いい感じに低い声はいつも冷淡で機械じみてるし表情は動かさないし。目元が見えないせいでますます無表情に見えるし。
 アンドロイドだって言われたら多分私は信じる。
「レルティ・ロンリエ」
「は、はいっ」
 まあ、恐怖感を与えるもっとも大きな原因は、彼がレルティの給料に決定権を持つ直接の上司であるところなのだが。
「その少女は行方をくらます前にペットボトルの水を地面に撒いていた。それがどのような意味を持つ行動であったのかは不明。そういうことだな?」
「はい、その通りです」
「身体的特徴は記憶しているか」
「はい。髪の色は薄い青。年齢は十六、七と思われます。髪は長く伸ばしていて、服装は」
「服装は結構。了解した。では、七海・チーム、次の任務を与える」
 フェルゼンはゆっくりとナナミ・チームの面々を眺め渡した。
 もったいぶらないでさっさと終わらせてください、あなたといると肩が凝るんです。
 レルティは心の中だけで祈る。
「その少女を捕獲し、エヴァーグリーン本部へ連れ帰ることだ」
「彼女は犯罪者か何かなのですか?」
 うわー迅斗、さすが度胸あるー。と感嘆しつつも冷や汗が流れるのを止められない。あせるレルティの視線の先で、フェルゼンは珍しく薄い笑みを浮かべた。余計怖い。
「フォンターナ移住計画にはどうしても彼女の協力が必要なのだ。名は桐生雷花(キリュウ ライファ)。第一回フォンターナ移住計画において大きな責任を担っていた者だ。本来、その責任を投げ出して逃亡した者に二度目の機会は与えられない。しかし、彼女の能力は他では代用不可能でな。七海、行ってもらえるか」
「……了解しました」
 迅斗は無表情で一礼すると、部屋を出るよう他のメンバーを促した。

「とりあえず、まずはベルトラムを捕獲した町へ行って情報収集ですね」
 眼鏡に白衣のノエル・トラバントが廊下を歩きながらにこやかな笑顔で言う。
「情報収集のほうは僕とレルティでがんばりましょうか」
「あの炎使いとまた一戦やらかすことになりそうだからね。迅斗にはそっちでがんばってもらわないと」
「姐さんも戦力じゃない」
 他人事のように頷くアクアにレルティは首をかしげた。
「坊ちゃんと互角の相手じゃあたしには荷が重いねえ」
 アクアは肩をすくめて苦笑する。
「情報収集がスムーズに行くとはあまり思えない。あの町はエヴァーグリーンに搾取されているという意識が根深いからな」
 貴重な物資を分け合うことは人として当然のことなのに、と、迅斗は嘆息する。
「一週間くらいはかかると思って準備しておいてくれ。出発は明朝七時だ。何か質問は?」
 迅斗は一同を見回し、特に疑問も出ていないようなので解散を言い渡した。

「思った以上に進まないねえ」
 ナナミ・チームの移動式本拠地であるバンの後部座席に寝転がったまま、アクアがあくび混じりにつぶやいた。
「待機組だと、アレだ、暇だな」
 運転席でハンドルにもたれかかっている体格の良いサングラスの男が同意する。あごひげとあいまって子供にはよく泣かれる容姿だ。
「レルティとノエルはそろそろ帰って来るはずだが」
「そういや坊ちゃんは何してるんだい?」
 昼飯のときから見かけないけど、と、アクアは首をかしげる。
「天理に今回の目標の匂い嗅がせて追っかけとるよ」
「やれやれ、フェンリルを警察犬代わりとはね」
「なあ、アクア、前から思ってたんだけどよ」
 運転席の男――カイラス――は振り向いてサングラスを外した。意外と小さくて迫力のない瞳に、毎度の事ながらアクアは小さく笑みを漏らす。
「フェンリルって犬っころとどう違うんだ?」
「大違いさ。そもそもは狼だしね。イディアー能力のある狼なんだよ、天理の一族は。知能も高いしね。で、北欧神話のでかい狼になぞらえてフェンリルって呼ばれてるってわけ」
「ほー、そりゃ、初耳だ」
 別に誰も隠しちゃいなかったんだがね、とアクアは苦笑する。
「お、帰ってきたな」
 前に向き直ってもう一度サングラスをかけたカイラスは、ふとフロントガラスの外を見て口の端を持ち上げた。
「たっだいまー」
 上機嫌に声を張り上げて、レルティがバンに入ってくる。
「ようやくまともな情報を手に入れることができましたよ。やはりエヴァーグリーンのメンバーであることを隠しておいてよかったですね。ああ、カイラス君、西大通りから町の南東へ抜けてくれますか」
「坊ちゃんは待たないのかい?」
 後部座席にへたり込んで指示を出すノエルにアクアは起き上がって訊ねる。
「情報がガセじゃないかどうか確かめるだけですから」
 暑い中で町を歩き回っていたせいか、ノエルの声には覇気がない。
「そうか? じゃ、行くぜ。リーダーはなんかあったら連絡してくるだろ」
 カイラスは自信たっぷりにそう言い放つと、バンのエンジンを始動させた。

 ポンコツ君こと愛用ジープを置いておいた場所へ戻ってきたアレスは不思議そうに首をかしげた。――五十度ほど。
 別にポンコツ君が消えていたわけではない。消えていたのはポンコツ君を見張っていたはずの(単に助手席で昼寝をしているだけとも言う)タスクの方だ。
「あいつが勝手に動くなんて……」
 ほとんど物扱いである。
「どこ行ったんだ?」
 後部座席に買ってきた品物を放り込んで周囲を見回す。
(……発信機でも付けときたくなるなあ)
 アレスはため息をついて運転席に座り、エンジンをかけた。

 アレスがタスクを発見したのは、滅多に人の来ない一角にある広場で、側にいたのは黒髪の青年と真っ白な狼だった。ジープを止めておいた場所のすぐ近くでなければ見つけられないところだ。
「何やってんだ? タスク」
 タスクと黒髪の青年の間に流れる険悪な空気にたじろぎながらもブレーキをかけてポンコツ君を側に止める。
「そこのスカした野郎がライファの居場所を教えろって言うんだよ」
 心底不機嫌そうなタスクの声からは、そろそろ限界間近な様子が見て取れた。
「……参ったなあ。あのさ、おにーさん」
 ポンコツ君の運転席から黒髪の青年に向かってアレスは言う。
「こいつ、切れると周りの被害考えないから持って帰っていい?」
「キリュウ ライファの居場所を教えるならな」
 威圧的に告げる青年にアレスはやれやれと肩をすくめた。
「悪いけど、それはできない相談。ほれタスク、乗れ。帰るぞ」
「待て!」
 青年が命じたことで決心が付いたらしい。タスクはドアを開けもせず助手席に飛び乗った。
「じゃーそういうことで」
 タスクがちゃんと乗り込んだことを横目で確認すると同時に、アレスは深くアクセルを踏みつける。
「危ねえ!」
 電柱をぎりぎり五センチほどでよけたアレスにタスクが叫んだ。