第二章 The Guardian of the Garden
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「どちら様ですか」の一言もなく目標は逃げ出した。
「面が割れてるはずないんですけどねえ」
前回本部待機組だったノエルが不本意そうに呟く。
「匂いなんじゃないかい? あんたの笑顔、絶対裏がありそうだからね」
他力本願寺の本堂に土足で上がりこんだアクアが不敵に笑ってノエルを振り向いた。
「さて、油断させて一気に、って作戦は失敗だ。次はどうするんだい? 参謀殿」
「フェルゼン様の話によるとライファさんは戦闘能力はないとのこと。となると、噂の炎使いが帰ってくる前に片をつけておいたほうが良いでしょう。ですからつまり」
ノエルは言葉を切ってにこやかに微笑む。
「探しましょう」
ノエルは笑顔のまま本堂の裏手を指した。
「まずは、あの辺を」
「さて、追い詰めたよ」
裏庭の畑に逃げ込んだはいいが、見つかって包囲されてしまった。ライファとしてはかなり大ピンチだ。悠然とした足どりでこちらに向かってくる――それでもちゃんと作物をよけて歩いてきてくれるのは嬉しい――のは、額に大きな傷跡のある気の強そうな女性。勝ち誇った笑みを浮かべている。
「あんまり手荒なことはしたくないからね。おとなしく捕まってくれないかい?」
ライファはため息をついてトマトの間から立ち上がった。
「しょうがないなー。お寺壊されるのやだしね」
「ものわかりの良い相手でよかったよ。あたしはアクア」
心底ほっとした様子でアクアが名乗る。
「私はライファ。フェルゼンから聞いてると思うけど」
「うわ、あの人呼び捨てなんてあなた度胸あるわね」
大きな瞳のどこか子猫っぽい少女が、畑の向こうで呆れたような調子でつぶやいた。しかし、自分を付け狙ってる奴を様付けで呼ぶような礼儀正しい人間なんてめったにいないんじゃないかとライファは思う。
また一つため息をついてふと目を上げたとき、ライファは許しがたいものを発見した。
「ちょっとおっさん! 畑踏み荒らさないで! それ食べ物なんだってば!」
「うぉわ! すまねえ!」
指差されて怒鳴られたサングラスの男は、体格に似合わない慌てふためいた様子で後退した。
「インティリア(内側)の人間てのはその辺が無頓着でいけないわ」
「……カイラス」
アクアは低く、どすの効いた声で言うと、じろりと横目でカイラスを睨む。
「あんたは温室育ちなんだから、外に出るときは気をつけなって常々言ってるだろ」
「悪かったよ」
カイラスは大きな身体を縮めて、申し訳なさそうにライファとアクアを交互に見た。
「全く。すまないね、ライファちゃん」
小さく肩をすくめてから、ライファは首をかしげた。
「置手紙くらいさせてもらえるよね?」
「すみませんねえ」
答えたのはアクアではなく、白衣に眼鏡に細目の青年だった。
「僕達じゃあの炎使いの方には対抗できないんですよ。だから今現在いつ彼が帰ってくるか戦々恐々としているわけです。申し訳ないんですが……」
細目が笑っているように見えるせいで、申し訳なさそうにしているつもりなのだろうがとてもそうは見えない。
「まータスクはねー、確かに怒らせると怖いかな」
ライファはため息をついた。話のわからない人たちではないだろうが、時間稼ぎを許してくれる気も毛頭ないようだ。
「こっちに車がある。ちょいと狭いが、本部に着くまでは我慢してもらうよ。悪いけどね」
「……せっかく、見つけたのにな」
誰の耳にも届かないような呟きを吐き出して、ライファはアクアの指示に従った。
「おや、タスク君、今日はまたずいぶんと取り乱しているね。頭でも打ったのかな? 念のため脳波を取っておこうね」
雨垂れの跡がくっきり残った白壁には、高橋診療所、と書かれた看板がぶら下がっている。看板の方も雨風にさらされて、すっかり色あせてしまっていた。
「ふざけてる場合じゃねえんだよ。ライファがエヴァーグリーンの奴らに連れてかれた」
穏やかな男性の声に、いらいらとした青年の声がかぶる。タスクだ。
「ライファ君が?」
「はい、町でエヴァーグリーンの連中がライファのことを嗅ぎまわってたんで、あわてて帰ってきてみたら寺はもぬけの殻だし、畑にはなんか知らない足跡が残ってるし」
わずかに緊張感を増した声に、アレスが答える。
「俺達、インティリアにライファを取り返しに行こうと企んでるんです。でまあ、その間寺がお留守になってしまうんで、高橋先生が畑の世話しといてくれるとありがたいなあと」
高橋先生、と呼ばれた相手は、深くため息をついた。
「いやだと言ってもお寺をほっといて助けに行くつもりだね?」
「当たり前だ。止めても無駄だからな」
タスクがきっぱりと答える。
「こら、タスク。人に物頼む態度じゃないだろ」
アレスがタスクを小突いたらしく、タスクは痛えな殴るんじゃねえよとかぶつぶつ呟く。
「でも、止めても無駄だってことは確かですけど」
アレスはそれにはかまわず話を続けた。
「ですから、できれば何もいわずに引き受けていただきたいんですが」
高橋先生は再び大きなため息をついた。
「わかりました、仕方がないからね。お寺のことは私に任せて、自分達で納得できるようにやってみなさい」
「さすが高橋先生! 助かります。じゃあ、俺達、準備があるんでこれで」
「ああ、待ちなさい。念のため良く効く傷薬を分けてあげるから」
にわかにがさごそと立ち動く音がして、会話はそこで途切れた。
「準備できたか、タスク」
夕暮れがポンコツ君を赤く染め上げている。運転席のドアに寄りかかったアレスは、夕日を眺めながら訊ねた。
「忘れ物があったら現地調達すりゃあいいだろ」
「うわ、誰の受け売りだよそれ。アバウトだなあ」
アレスは苦笑して後部座席に積まれた荷物を振り返る。
「ま、ものなんてなくても何とかするけど。よし、じゃあ、行くか」
「おう。安全運転で行けよ」
助手席に乗り込みながらタスクが頷く。
「あらやだ。あんたアタシの運転が信用できないって言うの?」
「一分たりともできねえよ。カマ口調はよせ」
アレスはひとしきり、失礼しちゃうわねえとか愚痴ってからポンコツ君のエンジンをかけた。
「目には目を、歯には歯を。取られたら取り返す。やってやろうじゃん」
ハンドルを軽く叩いて不敵な笑みを浮かべる。
「ああ、あのスカした面した卑怯者も許しておけねえしな」
「言っとくけど、優先順位はライファが一位だからね」
「言われるまでもねえな」
二人は一瞬視線を交わすと、にやりと笑って互いの右腕をぶつけ合った。
「作戦決行は明朝七時より。目指すはインティリア、エヴァーグリーン本部だ!」
アレスが高らかに宣言する。同時に走り出したジープは、軽快なエンジン音を響かせて荒野のでこぼこ道へと乗り出した。