第三章 pool

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 エヴァーグリーン本部で二人を出迎えたのは、厳しい表情の中年の男だった。広くなり始めた額を隠すこともなく髪を固めた無骨な印象の男だ。鼻に引っかかっている感じの丸縁眼鏡だけがやけに愛嬌があって似合わない。
「……父さん」
 呆然と呟く迅斗の声に、男は一瞬顔をしかめたようだった。
「迅斗。緊急事態だ。来なさい」
「彼女は?」
 男は今初めてライファの存在に気付いたように軽く眼鏡を押し上げて考え込んだ。
「ああ、じゃあ私、娯楽室行ってるよ。第二センタービル三階の」
「待ちなさい」
 迅斗が持っていた買い物袋を奪うようにして歩き出したライファを男が止める。
「これを付けていってもらう。これ以上誰かに逃げ出されてはかなわんからな」
 男はライファの手首に奇妙に有機的なデザインの腕輪をはめる。手首の形に添うように変形したそれを、ライファは不気味な思いで見下ろした。
「……何コレ」
 声にも自然と嫌悪感が混じる。
「イディアー能力制御装置だ。それをつけている限りは本部内での自由行動を許可しよう」
「どうやったら外れるの?」
 ライファは威圧的に言い放った男を見上げて首をかしげた。
「司令官クラスなら誰でも外し方を知っている。必要があるならティア・カフティアにでも頼めば良かろう。確か知り合いだったな?」
「そうだけど。……やだなあコレ。なんか気持ち悪い」
 ライファは制御装置のはめられた左腕を軽く振る。ぴったりと吸い付いた腕輪はびくともせず、ライファはますます顔をしかめた。
「まあ確かに気分のいい感触ではないが、作ったのは私ではない。恨むなら開発者を恨め。行くぞ、迅斗」
 無言のまま早足で遠ざかる二人を、ライファは呆然と見送る。二人の姿が見えなくなったところで、もう一度腕輪に視線を落とした。
「……開発者って、まさかアレスだったりとかしないでしょうね……?」

 先を歩く父親の背中が明らかに苛立っている。
「父さん」
 緊急事態、という言葉が引っかかっていた。迅斗は問いかけるように父親を呼ぶ。
「仕事中は隊長と呼べと言っておいたはずだ」
「……すみません、ゴート隊長」
 ゴートは振り向きもせずに頷いた。
「まあいい。私は七海チームに指令を与えるよう言われただけだ。水の星維持システムが逃げ出した。今回の任務はフォンターナを連れ戻すことだが、連れ戻すのが難しいと判断した場合はその場で処理してもかまわん。奴さえ処理すればわれわれは水の星への移住計画を進めることが出来る」
「何故今まで処理を見送っていたのですか?」
 質問しながら、ゴートが向かっているのがエヴァーグリーンの中心部であることに気付く。
「ティア・カフティアが反対していた。構造のよくわかっていないものを破壊することはシステムの暴走につながる可能性があると言ってな」
 ゴートは使用禁止と書かれたエレベーターの前で立ち止まった。エヴァーグリーン第一センタービル地下一階へ降りるためのエレベーターだ。このあたりは迅斗たち一般の隊員は滅多に訪れる機会のない区画だった。ゴートは扉の脇のセンサーにIDカードをかざしてエレベーターを呼び出す。
「この下はエヴァーグリーンの『頭脳』と水の星への『ゲート』がある極秘区画だ。今の帰還システムには『ゲート』を開くだけの力もない。フォンターナは水の星へ戻るため、必ずここへ戻って来るだろう。私はここの監視を任されている。お前の任務はフォンターナの捕獲または処理だが、奴がここへ到達した場合はフォンターナの処理は私の管轄となる。連絡は以上だ」
「了解」
 迅斗は敬礼して答える。
「……迅斗」
「はい」
 わずかな逡巡の後、ゴートが上司が部下に対するのとは異なった調子で訊ねかけてくる。
「……お前も、海を見たいと思うか」
「……海……?」
 突然投げかけられた疑問は全く身に覚えのないもので、迅斗は戸惑ってゴートの顔を見返した。ゴートはゆっくりと首を左右に振って視線を逸らす。
「……いや、あの娘に何を吹き込まれても信じるなと言うことだ」
「あの娘?」
「ライファだ」
 ゴートは扉の上の回数表示を凝視したまま答えた。
「……何故ですか」
 声の調子が下がっているのを自覚しながら迅斗は訊ねる。
「叶わぬ願いだからだ」
 到着を知らせるベルが短く鳴り、エレベーターの扉が開いた。
「……余計なことを言った。定刻には任務に就いてくれ。では、私はこれで失礼する」
 ゴートは小さく頷いて扉を閉める。迅斗はしばらく閉じた扉を眺めたあとで踵を返した。

 アレスは酒場の女将に頼まれたミネラルウォーターを買って、暗いスーパーマーケットの外に出た。スーパーマーケットのある一角は、『地下』ではあったが地形的には地上に属しているため、インティリアの高層ビル街がよく見える。
「すげえよなあ、このハイテクっぷり。電磁波が見えそうだぜ」
 ペットボトルが入った袋を抱えたまま、アレスは上を見上げて嘆息した。
「……あの」
「ん?」
 控えめな声に呼ばれ、アレスは周囲を見回す。喧騒にかき消されそうな声が、どこから発せられたものなのかわからなかった。
「おねがいが、あるのです」
 さっきよりは幾分かはっきりした調子で声の主が呼びかける。今度こそ正しい方向に振り向いたアレスは、わずかに目を見開いた。
 声の主は少女だった。ライファと似た色の髪に、空に浮ぶ水の星と同じ色の瞳の。
「お願い?」
 首をかしげると、少女は切羽詰ったような調子で頷いた。
「わたしを、とどけてほしいのです」
 アレスは苦笑して、頭ひとつ分小さな少女の目線に合わせて腰を曲げる。
「どこへ?」
「とびら、の、むこうへ」
「報酬は期待できるのかな?」
 少女は不安げな表情で首を横に振った。アレスはどうしたものかと考え込みながら少女の瞳を見返す。
 いかにも世間ずれしていなさそうな少女だ。少なくとも、こんな治安の悪いところに放っておくことは出来ない。しかし、彼女の願いに応えるのも難しかった。ライファのことがなければ何とか手助けくらいはしてやりたいのだが、今は他人の面倒を見ているだけの余裕はない。まして、『扉の向こう』がどこなのかもいまいち要領を得ない。
 ライファ。
 扉。
 不意に、目の前に立つ少女とライファの面影が重なる。アレスは少女の長い髪を一房手にとって眺めた。間違いない。ライファと同じだ。
「珍しい色の髪だね。地毛?」
「……はい……」
 髪を手にとったままで尋ねると、少女は戸惑ったように頷く。何故少女が自分に声をかけて来たのかがわかったような気がして、アレスは笑った。
「では姫君、不肖この私が、扉の向こう側まで貴女のナイトを務めさせていただきましょう」
 少女は急に態度を軟化させたアレスに戸惑うように瞬きする。やがて呆然とアレスを見上げた少女は、ゆっくりと、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう」

 扉から聞こえてくる声が仲間のものであることを確認してから、迅斗は自動扉のセンサーに手を伸ばす。
 娯楽室に入ってきた迅斗を最初に見つけたのはアクアだった。円形に配置されているベンチから立ち上がって首をかしげる。
「どうしたんだい? リーダー」
「次の任務を与えられた。本日十七時に出動する」
 迅斗は娯楽室を見渡しながら答える。娯楽室にはアクアとライファのほかにもレルティとカイラス、ほか数人の他チーム隊員がいた。ギターを抱えて座っているライファを取り囲むように座っている。
「そうかい? じゃあライファの歌を聴いてく暇はあるね」
「ライファの……歌?」
「そう、弾き語り」
 答えたのは娯楽室備え付けのギターを調弦していたライファだった。
「弾けるのか?」
「もちろん」
 ライファは満面の笑みで頷く。
「君のお兄さんに教えてもらってさ。ま、下手くそなんだけど」
 ライファはそう言うと、少しだけ得意そうにべろろんとギターをかき鳴らした。娯楽室の面々がいっせいに拍手する。ライファはそれに答えるように数回頷き、ギターの腹で二回リズムを取ってから歌いだした。

  一つ ひとより喧嘩好き
  二つ 不毛な喧嘩好き

 軽快なリズムで奏でられる歌は、内容はふざけているがなかなか上手だ。カイラスは調子よく手拍子をとり始めた。下らないと思いつつ、迅斗もつい耳を澄ませてしまう。

  三つ きみょーな喧嘩好き
  四つ シュールな喧嘩好き
  五つ いつでも喧嘩好き
  六つ 無謀な喧嘩好き
  七つ なんとも喧嘩好き
  八つ やっぱり喧嘩好き
  九つ 苦労をかけまくり
  十で とうとう牢屋行き?

 最後の和音を弦を軽く叩くようにして短く止めたライファは、実に楽しそうな笑顔で顔を上げた。
「と言うのが、タスクのテーマソングです」
 娯楽室の面々は、始まる時よりさらに盛大な拍手を送る。
「……タスクって……あの炎使いか?」
 カイラスが笑いながら訊ねた。
「うん、あの炎使い。正しいと思わない?」
「話し聞く限りじゃ正しいような気がするな」
「上手いじゃない。ライファちゃん」
 ライファとカイラスの間で話が弾みかけたとき、迅斗の背後から女性の声がした。
「あ、フィニスさん。いつからいらしてたんですか?」
 勢いよく振り向いた迅斗の後ろからライファが尋ねる。
「歌が始まってすぐよ」
 黒髪を長く伸ばし、左側の前髪にだけ赤いメッシュを入れた泣きぼくろの美人はなんでもないことのように答えた。気配を全く感じなかった迅斗はつい顔をしかめる。
「ティアがあなたに会いたいと言うから探していたの。一緒に来ていただけるかしら?」
「はい、もちろんです。ティアちゃん、元気にしてました?」
 ライファは立ち上がってギターをもとあった場所に戻した。
「相変わらずよ」
「なつかしいなあ。せっかくだから会いたいなって思ってたんです」
 二人は和やかに会話を続けながら娯楽室を出て行った。
 残されたメンバーの間にはなんとなく微妙な沈黙が舞い降りる。
「……ティアちゃん? ……誰?」
 沈黙を破ったのはレルティだった。
「呼びに来たのがフィニス様なんだからカフティア司令以外考えられないだろう」
 迅斗は立ちっぱなしだった自分を気遣うようにベンチに空きを作った隊員に片手で拒絶の意思を示しながら答える。
「……ちゃん付けするか、アレに」
「カイラス、司令に対してその指示代名詞は何だ」
「でも坊ちゃん、確かに司令はちゃん付けってタイプじゃないよ……」
 背もたれに深く寄りかかりながら、アクアがため息をついた。