第四章 It's rain cats and dogs

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 迅斗と買い物に出かけた日の翌朝、カーテンを開けると外はよく晴れていた。朝日を反射して輝く水の星を見上げながら、ライファはどうやって逃げ出そうかと考えた。

 ――雨が降るなんて、思いもしなかった。

「入隊希望者が来ているんですが、上の方はばたばたしていてそれどころじゃないと。レーナ・ディーリア氏の紹介状を持っているので追い返すわけにもいきませんし。……どうしましょう?」
 ティアの居室まで紹介状を持ってやって来た若い隊員は、酷く緊張した様子でそう言った。
「ここで十一箇所目なのね。こういうの、たらいまわしって言うのよ? 知ってる?」
 手渡された書類に目を通しながら、フィニスがくすくすと笑う。
「は……はい。一応、知識としましては」
 若い隊員は硬い声で答えた。仕事机に座ってネットワーク端末をいじくり回しているティアを時々ちらちらとうかがう。
「どうするの? ティア。今度はゴートさんにでもまわす?」
 ――奴に回すと後がうるさい――
 若い隊員をからかって楽しんでいるフィニスに、ティアは若干呆れながらテレパシーで返事をした。
「じゃあどうするの? あんな大事件があった後ですもの。今は接待兼監視を引き受けてくれるような暇な人はいないと思うけど」
 だからそれを今調べてるんだ、と、ティアは頭の中だけで答えてネットワーク端末の画面をスクロールさせた。
 ――……ライファの世話係の如月桔梗が暇だろう。ライファは私が預かれば良い。あと戦力的に余裕があるのはナナミ・チームか……そうだな、レルティかノエルか……接客ならノエルだろう……ノエルに頼むか――
 ティアは顔を上げて若い隊員と視線を合わせる。思い切り怯えられたが、まあいつものことだ。
 ――ディーリア氏のところへの確認の伝令はもう行っているのか?――
「いえ、まだです!」
 上ずった声で答える隊員にフィニスが後ろを向いて肩を震わせた。
 ――ではお前が行け。入隊希望者の相手は如月桔梗とノエル・トラバントに頼んで……いや、いい。今私が連絡した。機密に触れないエリアの案内くらいはしておいても良いだろう――
「はい」
 ――ではお前はディーリア氏への確認を急いでくれ――
「了解しました」
 若い隊員は、びしっという擬音が聞こえそうな勢いで敬礼してからティアの居室を出て行った。
 ドアが完全に閉まったのを確認してから、ティアは半眼でフィニスの方へ向き直る。
 ――笑い過ぎだ、お前は――
「だって、あまりにもセオリー通りの反応なんですもの」
 フィニスは笑い続けながら、どうにか返答をひねり出した。

「足取りはつかめたか?」
 迅斗は移動式本拠地でもあるバンの運転席から、聞き込みに出ているナナミ・チームの面々に尋ねた。 
『さっぱりだね』
 通信機の向こうからカイラスのくぐもった声が答える。
『地下入っちまったらなかなか手がかりもつかめないんだよ。なんせあそこも非協力的な住民が多いからねえ』
 アクアが横から口を出したらしく、カイラスが返せとか何とか騒いでいるのが聞こえた。
「レルティの方はどうだ?」
 任務中くらいは緊張感を持ってくれと願いながら、迅斗はレルティに尋ねかける。
『はい、こちらレルティ・ノエル組で〜す! やっぱり手掛かり無いです。ねえリーダー、水の星維持システムが本部に戻って来るんなら、本部が手薄なのってマズイんじゃないの? うちら以外のチームもほとんど聞き込みと本部外の捜索に出てるみたいなんだけど?』
「……レルティ、本部に戻りたいのか?」
 ゆっくりと足と腕を組みながら、迅斗は冷ややかに尋ねた。
『ちっが〜う! 違います! あのねー、私たち、本部の中でも少数精鋭部隊ってことになってるじゃない。人数少ないじゃない。聞き込みより拠点防衛の方が向いてると思うのよ。どうでしょうリーダー? ノエルも賛成してるよー』
『あ、リーダー、ちょっと』
 なんなのー、今良いところなのにー、と、ノエルに通信機を奪われたらしいレルティが騒ぐ。このチームの面々はそんなに通信機が好きなのか? と、迅斗は半ば投げやりに考えた。
『今、カフティア司令が僕と桔梗さんに入隊希望者の案内を頼むと』
「そうか、わかった。ノエルはそちらの任務についてくれ」
 レルティを一人で聞き込みに回らせるのは不安だな、と思いながらも迅斗は許可を出す。
『はい、了解しました』
『で、リーダー! 私の案は不採用なの!?』
 通信機を奪い返したらしいレルティが早口で尋ねてくる。
「もう少し様子を見たい。本部へ帰還するかどうかは何事もなければ二時間後に決定する」
『りょうか〜い』
『じゃあ、僕はこれで』
『あ、うん。またね、ノエル』
「レルティ」
 かすかに聞こえるやり取りに耳を澄ました後で、迅斗はバンの防犯装置を作動させながら呼びかけた。
「以後の聞き込みには俺が同行する」
『えっ? ほんと!? ありがと! すっごい嬉しいよ』
 返ってきた声は、なんだかえらく弾んでいた。

 係員とかみ合わない会話を延々と交わした後、タスクが通されたのは質素なソファと机が据え付けられた待合室だった。
 タスクがソファに座り込んだ数分後、待合室に紫色の髪の女性と白衣の男が入って来た。紫色の髪の女性は、タスクの正面に腰掛けるとにこやかに微笑する。
「今レーナ・ディーリアさんの所へ確認が行きました。確認が済み次第正式な入隊手続きに入りますから、それまで少し本部内をご案内しますわ。とは言っても、一般公開されている地区だけですけれど」
「誰だお前」
 尋ねた後でアレスが礼儀正しくするように口を酸っぱくして言っていたことを思い出したが、タスクは一秒でまあいいかという結論に達した。面倒だ。
「失礼しました。私は如月桔梗と申します。そちらはノエル・トラバント」
 桔梗の背後に立っている白衣の男が、紹介を受けてにこやかに一礼する。
「それで、貴方は?」
「バジルだ」
 タスクは昨日アレスが適当に考えた偽名を名乗った。
「植物の名前ですねえ」
 白衣の男が真意の知れない笑みを浮かべながら頷く。タスクは何となくこの男のことが好きになれない気がした。
「しかし珍しいですね。エクスティリア出身の方がディーリア氏のような資産家とお知り合いだなんて」
「地下の酒場で会ったんだよ。ディーリア氏が地下に入り浸ってるってのは有名な話なんじゃないのか?」
 タスクはノエルを睨みつけるように見上げながら答える。
「なるほど。……しかしディーリア氏もギャンブラーだなあ。身元も不確かなんでしょう? 貴方は」
「ノエル!」
 桔梗がたしなめるように叫んだ。
「そんな言い方、失礼よ」
「……ああ、そうですね。すみません。大事件が起こったばっかりなんで、ちょっとぴりぴりしてて」
「ごめんなさい、不愉快な思いをさせてしまって」
「まあ、わからなくもねえよ」
 こちらに向き直って頭を下げる桔梗に、この男今すぐぶん殴ってやりたい、と思いつつもタスクは何とか自粛する。
「では、そろそろ参りましょうか」
 桔梗はその場の緊張をほぐすように、やわらかな笑顔を浮かべて立ち上がった。