第四章 It's rain cats and dogs

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 気に食わない。
 迅斗は食堂の椅子に深く腰掛けながら思った。
 ゴートに聞いた水の星維持システムの特徴。外見は十六、七歳の少女。青銀の髪に青い瞳。そして、「戦闘能力は無い」。
 ライファといい維持システムといい、確かに彼女達の協力がなければ水の星への殖民計画を進めることは出来ないのだろう。それはわかる。だがそのやり方が気に入らない。戦闘能力の無い女性を無理矢理従えるようなやり方は。まして今回の任務は維持システムの『処理』だ。
 一度不満を覚えてしまうと、疑念は次々と湧いてきた。
 たとえばハルデリス捕獲の任務を無理矢理引き受けたとき。ナナミ・チームはそれまでインティリアの治安維持のみを任務としていたが、ハルデリスが「人体実験」を繰り返していたのは、比較的豊かだと言われているエクスティリアの地方都市だった。そこへ行くと言ったとき、フェルゼンも、そして誰よりもゴートが強く反対した。エクスティリアンは非協力的だ。「外」での任務に慣れていない者には荷が重すぎる、と。
 結局、エクスティリア出身の隊員が二名もいるのだからと押し切ってハルデリス捕獲の任務に就いた。
 もしかしたらフェルゼンとゴートは、自分にエクスティリアの現状を知られたくなかったのではないかと思う。豊かな都市であるはずの場所で迅斗が見たのは、前時代的で今にも崩れ落ちそうな建物、ほとんど干からびかかっているのに値段だけは高い食物や道端で眠る人々だった。インティリアとはあまりにも違う。エクスティリアの人間がエヴァーグリーンに搾取されているという意識を持っていることは知っていた。だが、思ってもみなかったのだ。エクスティリアでは豊かな方だと言われている都市が、インティリアより豊かでないなどということは。
 エクスティリアンが非協力的なのはちょっとした誤解が生じているためだと教えられてきた。その誤解を解くこともエヴァーグリーン隊員として重要な役割だ、とも。
 けれど、たぶん。これは、もっと根が深い。
 不意に、物思いを断ち切るような乱暴さで目の前にカップが現れた。
「ブラックコーヒーはあんたでいいんだね?」
「ああ」
 不機嫌さを隠そうともしない店員に気圧されながら、迅斗は頷く。
 薄いコーヒーを口に運びながら、迅斗はまた自らの思考に沈んだ。
 ここ、インティリア地下でもそうだ。軽食を取ろうと裏通りに面した酒場に入った途端、「CLOSED」の札を持った店員がこれ見よがしに舌打ちをして「間に合わなかったか」と呟いた。
「インティリアンはこっちのメニューだよ」
 出されたメニューには、相場の三倍近くの値段が書かれていた。
「ちょっとー、これ、高すぎない?」
 それを見たレルティが、思わず、と言った調子で声を上げた。
「政府が出してる財政資金と同じ割合だよ! 文句があるなら出て行きな! あんたらがいるだけで客足遠のくんだから。全くいい迷惑だよ」
 迅斗とレルティが着ているエヴァーグリーンの制服をじろじろ見ながら、店員は足音も荒く厨房へ入っていったのだった。

「レルティ」
 どろっとしたホットチョコレートをチュロス――ドーナツの親戚だろうか?――につけて食べているレルティに、迅斗はいささか辟易しながら呼びかけた。たぶん、美味しいのだろう。食べる人が食べれば。しかし迅斗にとっては見ているだけで胸焼けしそうな光景だ。甘ったるい匂いがここまで漂ってくるのもいただけない。
「ん?」
「地下やエクスティリアと言うのは、どこでもこんな風なのか?」
 小声でそう尋ねると、レルティはしばらくチュロスの先でチョコレートをかき混ぜながら考え込んだ。
「そうだねー。ここまで露骨なのは地下ではさすがに珍しいけど。エクスティリアだったら普通かも」
 レルティはあっけらかんと笑う。
「……お前は、平気なのか?」
「何が?」
 心底不思議そうに首を傾げられて、迅斗は自分が何となくいらつくのを感じた。
「お前は、もともとはエクスティリアの出身だろう。それなのに……こんな……」
 迅斗は薄汚れた床に視線を落として言葉を探す。
「……扱いを……」
「でも今はインティリアンだし?」
 レルティは食べかけのチュロスを皿に置くと、あごの下で両手を組んで迅斗をじっと見上げた。
「ねえ迅斗。私、エクスティリアンだった頃はインティリアンのこと大嫌いだったけど、イディアー能力があることがわかってインティリアンになれてからは嫌いじゃなくなったんだよ? でも同時にエクスティリアンに抱いていた仲間意識とか、そういうものは消えちゃった。そういうもんじゃない? だから今、エクスティリアンにインティリアンとして扱われても別にどうも思わないよ。私だって昔インティリアンのお嬢さんに意地悪したことあるし、気持ちはわからなくもないんだ」
 迅斗はゆっくりと息を吐き出した。ため息に聞こえないよう、慎重に。
「そう簡単に、割り切れるものなのか?」
「そりゃあ、人それぞれなんじゃない?」
 レルティはぱっと笑顔になってチュロスを手に取る。
「真面目だなあ、迅斗。私、迅斗のそういうとこ大っ好きだよ」
 迅斗は今度こそ遠慮なくため息をついた。レルティはよくこういう言葉を口にする。どこまで本気なのか、どれほどの重みを持った言葉なのか、迅斗はいつも判断に困るのだ。
「……悪い。先に外に出ていてもいいか? どうもここは落ち着けない。それと、二時間経った。一度本部へ戻る」
「うん。おっけ。すぐ食べちゃうから、ちょこっとだけ待ってて」
 レルティは最後の一つになったチュロスを手に取りながら頷いた。迅斗は手早く使用済みの食器をまとめ、代金とチップを置いて席を立った。

 店を出る迅斗の背中をぼんやりと視線だけで追いかけて、レルティはチュロスの先でゆっくりとカップの底をさらった。
「……でもたぶん、エクスティリアンだった頃に会ってたら、私迅斗のこと好きにならなかっただろうな……」
 インティリアンの無知を罪だとなじれるほど、自分はインティリアンのことを知らなかった。

「あら、ティアさん?」
 ロビーに設置された自動販売機の前に立っていた隻眼の少女に、桔梗が不思議そうな声を上げた。
「……彼女は?」
 桔梗が声をひそめて尋ねる。もっとも、すぐ側にいるタスクには丸聞こえだ。
 ――ライファなら私の部屋でフィニスが監視している――
 声が頭の中でしたので、タスクは一瞬動揺しかけた。
「でも、フィニスさん、戦闘能力ありませんよね?」
 ――ライファにもないし、お前にも無い――
 隻眼の少女はちらりとこちらに目をやって、薄く微笑を浮かべる。
 ――どちらにしろ、警備兵に呼び止められずに私の部屋まで行ける人間などそう多くはない――
 タスクは少女の言葉にも表情にも気がつかないふりをして、腕時計に視線を落とした。一見ごてごてとしたデジタル時計だが、実際はアレスが作成した小型通信機だ。スイッチが入っていなければ、解体されて検査でもされない限り普通の腕時計と見分けはつかない。桔梗が本部内の案内を始めてからひたすらタスクの周囲の音を拾ってアレスに届けている。しかし、この少女の言葉まで拾っているかと言うと――……疑わしい。かなり、疑わしい。
 タスクは小さく舌打ちした。
 ――そう心配するな。今から私も部屋へ戻る――
 隻眼の少女はわずかに身をかがめて自動販売機から紙コップとストローを引っ張り出した。
 ――では失礼する――
 少女は軽く頷くように一礼する。
 桔梗は上りエスカレーターへ姿を消した少女を見送ってから、タスクの方へ振り向いた。
「ここはロビーです。第一、第二、第三センタービルのちょうど中央に位置しています」
 にこやかに微笑して、それではこちらへ、とタスクを促す。
「第一センタービルは機密レベルの高い区画なのでご案内できませんけど、隊員たちが寝泊りしている第二センタービルの一部をご案内しますね。あ、先ほどまで案内させていただいていた区画は第三センタービルと言って、主に一般業務を行っている区画です」
 桔梗はにこやかに解説しながらタスクをロビーから第一センタービルへと伸びる廊下へ誘導した。
「なあ、あれ、なんて読むんだ?」
 廊下へ入ったところで、タスクは立ち止まって壁に設置されたプレートを指差す。
「第二センタービル一階連絡通路です。あの、もしかして外国の方なんですか?」
 タスクは憮然として桔梗を見下ろした。
「文字読む訓練を受けたことがないだけだ」
「……あ。……すみません、私……」
 桔梗ははた目にもわかるほど狼狽して頭を下げる。むしろそこまでおろおろされるとこちらの方が居心地が悪い。タスクは半ばうんざりと別の話題を探した。
「ところでさっきのちっこいのは誰だ?」
「ちっこいの……」
 さっきから黙って後ろをついてくるだけだった白衣の男が、思わず、といった調子で呟きを漏らす。
「片目が変な風になってる奴」
「ティア・カフティア司令ですよ」
 まだ申し訳なさそうにしている桔梗に代わって白衣の男が答えた。
「エヴァーグリーンの司令官。つまり僕達の上司です。あなたもエヴァーグリーンに勤めるつもりがあるのなら、彼女の機嫌は損ねない方がいいでしょうね」
 もっと詳しい話を聞きだそうとタスクが口を開きかけたとき、いきなり天井近くのランプが赤く点滅しだした。一瞬遅れてブザーがけたたましく鳴り渡る。
「何だ、この音」
 不安げにランプを見上げる桔梗にタスクは首をかしげた。
「侵入者です」
 桔梗はランプを見上げたまま答える。
「……維持システムでしょうか」
「さあ……」
 眼鏡を押し上げながら尋ねたノエルに答えて、桔梗は廊下の先へと歩き出した。
「とにかく、一度司令に対応を……」
 その言葉を遮るように、タスクは素早くノエルと桔梗の間に割り込む。
「ふうん。じゃあ、ライファはティア・カフティアって奴の部屋にいるんだな?」
 タスクはノエルと桔梗が何か反応するより早く桔梗を羽交い絞めにした。咄嗟に身構えたノエルに向かって、タスクはじろりとガンを飛ばす。
「あんまり手荒な真似するとうるさい奴がいるんだよ。めんどくせえからそこをどけ」
 ノエルはタスクの左手の炎の塊にちらりと視線をやり、それから悔しげに道を開けた。
「つまり、あなたは斥候だったということですね」
 ノエルは両手を上げながらもタスクを鋭く睨みつける。タスクはそれには答えず、通信機の向こうからアレスが出してくる指示に従って手近な非常用通路に滑り込んだ。