第四章 It's rain cats and dogs

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 アレスとターナはもう一度天井裏に上り、内壁と外壁の間を通って第二センタービル地下一階へ降りた。そこから機密レベルの高い司令官専用通路へ偽造のIDカードで侵入し、第一センタービル一階、使用禁止と書かれたエレベーターの前へ至る。
「さすがにここには手が回ってるか……」
 センサーに偽造IDカードを連続で三枚かざしたあと、アレスはやれやれと肩をすくめた。
「ターナ、ちょっと下がっててくれ。うん、もう一歩下がったほうが良いな」
 アレスは指示を出しながら、センサーにウェストポーチから取り出した小型の装置を取り付ける。取り付けたあと、すぐ目の前まで走って来たアレスにターナは小首をかしげた。
「おっさんにもらった小型爆弾だよ。爆発力は大したこと無いんだけど……」
 アレスの言葉を遮るように、どん、というお腹に来る音を立てて小型爆弾が爆発する。アレスは説明を中断してポーチから小型のバールを取り出し、ひび割れたセンサーを壁から剥がし取った。露出したコードの内の何本かが音もなく奥へと引っ込んでいく。
「いまの……は……?」
「ここの地下にもいるんだよ」
 一瞬こちらを振り向いたアレスはすぐに笑顔を消し、センサーの下に右の拳を当てて目を閉じた。ターナは複雑な気分でそれを見守る。アレスはじっと意識を集中しているようだった。やがてアレスの右前腕からさっきコードに見えたのと同じもの――蔓――が伸びて、露出したコードの間へ入り込んでいく。
 小さなモーター音が下から近づいてきてエレベーターの扉が開くまで、アレスは動かなかった。
「よし、行こう」
 扉が開ききったところでアレスは蔓を戻して袖口を直す。背中を押されてエレベーターに乗り込みながら、ターナは水の星を思った。
 潮の流れ。魚達の回遊。ひとの目からは隠された大地と、そこに生きる動物達。
 海の中の植物。彼らが繰り返し訴える言葉。
 気付かないうちにアレスの右腕をじっと見つめていたらしい。ターナの視線に気付いたアレスが苦笑を浮かべる。
「だから、たすけてくれるのですか?」
 ターナは目を上げて尋ねた。
「そうでもある……かな。半分くらいはね。もう半分は、俺にとって水の星がとても大切なものだから。いつか、海を見るために。そのために君の力が必要なんだ。それに……」
 アレスはエレベーターの壁によりかかって目を伏せる。
「それに、君はライファにとって大切な人だろ? 理由なんていくらでも見つけられるよ、きっと」

 地下に降り、湖を渡って装置に辿り着いたところで通信機から呼び出された。
『アレス、もう地下についちゃったの? 大丈夫? 危なくない?』
 急き込んだ調子でライファが尋ねる。
「ああ、平気だよ。ライファ、今どこにいるんだ?」
 湖は静かだった。さっきアレスが投げ込んだ薬で、植物達は眠ってしまったらしい。
『ティアちゃんの部屋だけど』
「そっか。そこならしばらくは安全だな」
 アレスはゲート発生装置の操作パネルを片手で動かしながら話している。
『そっちはどうなの? 『頭脳』は攻撃してきてない?』
「大丈夫、薬で眠らせたからしばらくは安全だよ」
 あれって動かなくなるけどちゃんと眠ってるかどうかはよくわからないじゃん、とライファがぶつぶつ言っているのがかすかに聞こえた。
『ねえ、そこで捕まったらいくらなんでもどうにもならないんでしょ? いったん逃げなよ。危ないって。動かなかったらどうするつもりなの?』
「動かすさ。無理矢理にでも。それに時間がないんだ。ターナなしでは水の星は長く維持できない。前に言っただろ?」
 通信機の向こうのライファが沈黙する。
『……ごめん。私にもっと力があればよかった』
 ようやく聞こえた声は、絞り出すような苦しげな声だった。
「気にすることないさ。それを言うなら俺なんてイディアー能力そのものがないんだし」
『……何でアレスは……』
 苦しそうな声のまま、ライファが尋ねかける。
『私たちの手助けをしてくれるの? 海、見たいからって言ったって……命まで懸けるようなものじゃないんじゃないの?』
「はは。もしかして俺って実はすごい奴? 大丈夫だって、あと五分で開くから」
 アレスが笑う。こんなときなのに、アレスには特に緊張した様子もない。
『……バカ』
 呆れたような、すねたような声でライファが呟く。
「……俺さ、けっこう知識欲激しいんだ。無茶な実験も自分を実験台にしてやってただろ? これも似たようなものなんだよ。心配かけて悪いけど。それに、命懸けはちょっと大げさだろ」
『馬鹿!』
 大音量で怒鳴ったのだろう、通信機の音が割れた。ライファは通信を切ったらしい。アレスは手を止めると、通信機を憮然とした表情で見下ろす。
「やあねえ。ティアちゃんといいライファといい愚かだのバカだのって」
 けれど通信機をポーチに押し込んだアレスの横顔は、また穏やかな微笑を浮かべているようだった。
「……まあ……自業自得かもしれないけど」

 迅斗は早足で四階への階段を上った。上りきったところで、見張りをしていた隊員が迅斗を呼び止める。
「あ、ナナミさんですよね?」
「ああ、そうだが」
 ノエルかレルティが伝言でも頼んでいたのだろうかと思いながら、迅斗は隊員の方へ向き直った。
「中央司令室……エヴァーグリーンの頭脳から指令が入っています」
「中央から……直接?」
「はい」
 一般隊員に直接指令が下されるなど余程のことだ。迅斗は意識を引き締める。
「至急第一センタービル地下一階へ向かうようにとのことです。一階からの直通エレベーターで行けるようにしておくそうですので」
「わかった。伝言感謝する」
 敬礼したまま言い放った隊員に頷いて、迅斗は踵を返した。

 ゲート発生装置についた扉のオブジェが薄く発光しているのを見上げて、アレスは操作パネルの前から立ち上がった。水の星へのゲートはまるで薄青い鏡のようだ。
「さあ姫君。これで扉は開いた」
「……アレス……わたしは……」
 ターナは胸に両手を当てて呟く。どう言えば、伝わるだろうか。
「わかってる。でも今は無理なんだろう? 大丈夫だから。ちゃんと月を見つけてみせるから。だから、今は行ってくれ」
 アレスの言葉に、ターナは微笑んだ。
「……ありがとう。……ほんとうに」
 目を閉じる。アレスは、きっと謝って欲しいんじゃない。そう思うのは、自分がそう思っているから、かもしれないけれど。
「……ライファに……」
「ん?」
「あなたが、あやまることなんかなにもないって。それから、ありがとうって……つたえて、くれますか……?」
 アレスが心底嬉しそうな笑顔を浮かべたのでターナはほっとする。
「オーケイ。伝えとく。じゃあ、またな」
「はい。じゃあ、また」
 頷いて、ターナは歩き出す。扉の前で一度立ち止まり、呼吸を整えて一歩を踏み出した。
 扉の向こうは一面の水だった。冷たい、水の星だった。

 ターナが扉の向こうへと消えるのを見送って、アレスはもう一度操作パネルを動かした。座標軸を元の数値に戻した上で、用意しておいたプログラムを流す。次にゲートが作動した時、自動的に制御プログラムを消去するプログラムだ。次にゲートが作動するのは明日。フェルゼンが帰ってくるときだ。それまでにこのプログラムを発見し、解除するのは難しいだろう。
 あとはゲートを閉じるだけだ。ゲートを閉じるかどうかの確認メッセージにイエスで答えながら、アレスはホルスターから拳銃を引き抜いた。
 振り向きながらセーフティを外し、ゆっくりと銃を構える。
「やっぱり、あんたが邪魔しに来るんだな」
 湖に浮かび上がった足場の上には、ゴートが立っていた。