第四章 It's rain cats and dogs

 4-5

「悪い、ここからはいったん別行動だ」
 第二センタービルに入ったところで、アレスが立ち止まって宣言した。
「何でだよ」
「依頼。受けたって話しただろ」
 タスクは視線をあちこちに動かして考え込む。
 しばらくたって、タスクはようやく合点が行って視線をアレスに戻した。
「……ああ。そんなこと言ってたっけ。ライファ助け出したら別行動って話じゃなかったのかよ」
「ああ、うん。そうなんだけどさ」
 アレスは眉根を寄せてうつむく。
「どうも俺の意図があっちに気付かれたらしい。急がないとまずい」
「依頼って、どんな依頼なんだよ」
 タスクはアレスとターナをかわるがわる見下ろして尋ねた。
「この子」
 と、アレスはターナの肩を叩く。
「『扉』の向こうに届けなきゃならないんだ。今帰せなかったらいろいろまずいんだよ。そんで、お前これ持ってけ」
 アレスはごそごそとウェストポーチを探って黒っぽいチップを取り出した。
「何だコレ?」
「困ったときに参考にするデータ。月を探すのに役立つと思うんだよな。対応した型のコンピュータ無いから読み取れないんだけどさ。一応、持って帰っといてくれ。壊れると困るし」
「何で俺に?」
 手のひらでメモリーチップを弄びながらタスクは怪訝そうに眉をひそめる。
「いや、脱出間に合わなかったらお前らだけでも先に逃げといてくれって意味で。じゃ、タスク。後頼むわ」
「待て馬鹿。後頼むってなんだよ!?」
 タスクは、ひらひらと右手を振って歩き出そうとしたアレスの襟を後ろから捕まえて怒鳴った。
「ああ、俺はたぶん捕まってもそんな酷いことにはならないから。すぐまた抜け出して合流するからライファの救出を最優先にしてくれ」
 タスクは疑わしげな仏頂面でアレスの襟を解放する。
「……どうも納得できねぇんだが……しゃあねえな」
 ため息混じりに頷くタスクに、悪いな、とアレスが謝った。

「僕あの炎使いとは初対面だったんですよ」
 一目見てライファの仲間だとわからなかったのか、という迅斗の問に、ノエル・トラバントは気を悪くした様子もなくそう答えた。
 駐車場へナナミ・チームの面々を迎えに来ていたノエルと桔梗に、その場で質問が始まった直後のことだ。
 エヴァーグリーン本部の駐車場から見える空は暗い。一雨来そうな雰囲気だ。
「顔写真は見せておいたはずだが」
 真っ先にバンを降りた迅斗が冷静に話しているのを、レルティは不機嫌に聞いていた。不機嫌の原因はノエルの隣でうつむいている。
「服装と髪型が違ったもので。……目の色で気付くべきでしたがね」
 こげ茶色の髪に赤い瞳。不思議な組み合わせの色は、生まれつき強力なイディアー能力を持っている者の特徴だ。けれどノエルの隣でうつむいている紫の髪に紫の瞳の人物は断じて違う。彼女の親が、薬を投与してもイディアー能力に目覚めなかった自分の娘に箔をつけるために、染めさせたりコンタクトレンズをはめさせたりしているのだ。全くもってふざけている。
「桔梗、怪我はないのか?」
「ええ、大丈夫です。ごめんなさい、私が不注意だったばっかりに対処が遅れてしまって……」
 申し訳なさそうに頭を下げる桔梗に、レルティはいらいらと地面を蹴った。
「いや、無事で何よりだ」
 迅斗は自分に対してこんなセリフを言ってくれた事があっただろうか。
 どうしてそんな女に優しくするのよ。
 レルティは迅斗の背中を睨みつける。
 あんな薬作ってる連中の娘なのに。
「そんな顔してたら百年の恋も冷めちまうよ」
 いつの間にか隣に立ったアクアが耳打ちした。レルティは自分の両頬をつねって無理矢理笑顔を作る。そんな笑顔でも大概の人間がだまされるということを、レルティは知っていた。
「リーダー! 提案!」
 発声はいつもどおり、とは行かなかったが、どうにか明るい声を出す。
「侵入者達が消えたのは四階で、そこから出る階段とか連絡通路は全部見張りがついてるんでしょ? だったらそこ探しに行こうよ。天理とか連れて来てさ。それと、炎使いが来てるんだったら目的はライファちゃんの奪回でしょ? ライファちゃんを囮にしよう大作戦! が有効だと思うんだけどどうでしょうか?」
 迅斗がこちらを振り向いたのに気をよくして、レルティは作り笑いをあっさりと本物の笑顔に切り替えた。
「私とノエルが四階で、アクアとカイラスがライファちゃんのところへ。リーダーは天理を連れて四階に来て、状況に応じて炎使いが現れたところに加勢に行くっていうのはどうかなって思うんだけど」
 真剣にレルティの話に耳を傾けていた迅斗がふっと微笑する。
「ああ、良いと思う」
 一瞬で笑顔を消した迅斗に、それでもレルティは自分の気持ちが高く浮上するのを感じた。
「アクア、カイラスは第二センタービル五階カフティア指令の部屋へ行ってライファを見張ってくれ。何か動きがあったらすぐに連絡を頼む」
「「了解」」
 アクアとカイラスは同時に敬礼して本部入り口へ走り出す。
「レルティ、ノエルは四階で捜索を手伝ってくれ。天理が見つかり次第合流する」
「「了解」」
「桔梗は」
 一瞬、レルティは入り口へ向かうのをためらった。続きが聞きたい。
「自室へ戻っていてくれ」
「ええ、わかったわ。気をつけて、迅斗」
 どうして桔梗は迅斗の幼馴染なんだろう。レルティはまた少し不満に思いながら、ノエルの後を追って走り出す。あんなふうに親しげに会話できるのが、すごくすごくうらやましい。
 頬に雨の最初の一粒があたって一瞬空を見上げた。
 雨はすぐに土砂降りに変わるだろう。

「誰も出ないよ」
 断続的に三回ベルを鳴らして、アクアはゆっくりとカイラスへ振り向いた。
「留守ってことは、どうなんだ?」
 サングラスをかけたままでも、カイラスが目をしぱしぱさせているのが手に取るようにわかる。
「どうなんだろうね」
 アクアは首をかしげた。
「とにかく、端末から司令室に問い合わせよう。カフティア指令がどこに居るのかをね。ここから近くてあたし達でも使える端末って言うと……」
「娯楽室、だな」
 カイラスがあごひげをしごきながら答える。
 アクアとカイラスは娯楽室へ向かってマラソンを再開した。

 同じ頃、娯楽室では一般隊員たちが壁際に避難していた。半数ほどは昨日から非番で引き続きだべっていた隊員たちだ。全員出入口付近に固まっている。
 娯楽室の扉は六角形の部屋の三辺に三つ。一つはタスクの入って来た扉で、すぐ側にタスクが立っているので誰も近寄らない。もう一つは隊員たちが集まっていた位置からは遠かったので、皆一つの扉の前で固まる形になっている。
 タスクとライファは娯楽室の真ん中、円形に配置されたソファのさらに内側に、向かい合って立っていた。
「おお、アレが奇妙な……」
「そしてシュールな……」
「さらになんとも喧嘩好きな……」
 壁際の隊員たちからひそひそとささやき合う声が聞こえる。
「……おいライファ。なんなんだよこの反応は」
 中央に仁王立ちしたまま、タスクは半眼でライファを見下ろした。
「ここで例の歌を歌ったりしました」
 対するライファも半眼で微笑しながらタスクを見上げる。
「馬鹿野郎。何てことしやがる」
「野郎は男性に対する呼称でしょー?」
 ライファが不満そうに抗議の声を上げた。
「うるせぇな。今は男女平等の時代なんだよ」
「……そのセリフすら陳腐に聞こえる今日この頃です……」
 ギャラリーの一人からぼそりと入れられた呟きに、ライファは親指を立てて答える。
「ナイス・つっこみ」
 タスクはライファの視線をたどって余計なことを言った人物を探した。
「うわー、こっち見たぞー!」
「ににににに逃げ逃げ逃げ」
「逃ーげーろー!!!」
 隊員達は口々に叫びながら、確保していたたった一つの扉へ殺到する。
 ちょうどそのタイミングで別の扉から入って来たアクアは、隊員達の醜態を呆れ果てて見送りながらぼそりと呟いた。
「何言ってるんだい? とっくに逃げちまったよ。……あっちが」
 タスクたちは残り一つの扉からさっさととんずらしてしまっていた。アクアはため息をついて後から入って来たカイラスへと振り向く。
「司令室に問い合わせる必要なくなっちまったみたいだね。あっちのが一足速かったようだ」

 娯楽室から走り出たタスクとライファを迎えたのはフィニスだった。
「いったんティアの居室へ来ていただくわ。そこでライファちゃんのイディアー能力制御装置を外して、悠斗君……じゃなかった、アレス君ね。彼と合流して、あなた方のいるべき場所へ帰還していただく、という形になるわ」
 先頭に立って走りながらフィニスは手早く説明する。
「ここから司令官専用通路に入るわ」
 廊下の途中の目立たない扉の前でフィニスは立ち止まった。IDカードを何故か袖口から取り出して認識させる。
「あなたたちはここでまた行方をくらませるのよ」
 フィニスは楽しそうな声音でそう告げた。

 ――……侵入者が悠斗だとしたら、最初にセキュリティシステムに引っかかったのは納得がいかないだろう――
 脳裏に響く声に、迅斗は一瞬足を止めかけた。
 天理は三階にある迅斗の自室にはいなかった。既に捜索に駆り出されている可能性も否定は出来なかったので、まずは第一センタービル四階へ向かおうと連絡通路へ出た。そこで偶然、ティア・カフティアのテレパシーの領域に踏み込んでしまったらしい。
「共犯者への合図だったのではないか?」
 強まり始めた雨脚に、明りのついていない連絡通路は暗かった。夕日の残光に浮かび上がった輪郭が、声でようやくゴートのものだと知れる。
 ――侵入者は通信機を持っていたとの話だ。合図は必要あるまい――
「どちらにせよ、三年前に奴を始末できなかったのは私の責任だ。これ以上失態を重ねるわけにはいかん」
 ――悠斗はお前の息子だろう、ゴート――
 迅斗は足を止めた。
 これは、作戦会議ではない。個人的な会話だ。
 聞いているのは、まずい。
「迅斗」
 引き返そうと踵を返した迅斗に、ゴートが後ろから呼びかけて来た。
「何か……?」
 迅斗は大きく動揺した心臓を叱咤しながら足を止めて振り向く。まさか気付かれていたとは思わなかった。
「侵入者は地下一階極秘区画を目指す可能性が高い。私は極秘区画の監視任務に戻る。お前は四階の捜索に協力してくれ。侵入者と戦闘状態になった場合の対処は任せる。戦闘ならお前でも例の炎使いには対処できるはずだな」
「はい」
 戦闘能力ならば、負けない。自信がある。
「では任せる」
 厳格な父親は、浅く頷いて踵を返した。