第二章 Secret

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「テメエら、どこから入って来やがった?」
 迅斗が身構えたことで、『複数の気配』は隠れるのを諦めたようだった。曲がり角の向こうやらマンホールやらから現れたのは、青年期から壮年期にかけての、人種も服装もばらばらの十数人の男たちだ。
「くそ。なんだってこう、包囲されてばっかりなんだ?」
 ライファを壁際にかばいながら、迅斗はぶつぶつと嘆く。
「まだ二回目だけど……まあ、あんまり経験したくはないよね」
 ライファもため息混じりに呟き、返事がないことに業を煮やした壮年の男が拳を握って一歩踏み出した。
「何くっちゃべってやがる! 質問に答えろ!」
 やせ形の頬のこけた男はいらいらと怒鳴り、それを受けた迅斗が一瞬困惑した視線をライファに投げかける。
「ああ、えーと。そこ?」
 視線の意味を『質問の答えは?』だと判断したライファは、首を傾げながらすぐ側の水溜まりを指差した。
「ふざけんな! もういい、侵入者だ! やっちまえ!」
 あまり気の長くなさそうな壮年の男の指示に、男たちは好き勝手な叫び声を上げながら飛びかかってくる。統率も何もあったものではない。
「挑発してどうする!」
「してないよ!」
 男たちへ向き直りながら叫んだ迅斗に、ライファも負けじと叫び返す。
 直後、雷鳴と閃光が地下水道を駆け抜けた。

「私闘でイディアー能力使用……隊則違反だな」
 雷を放った右手をゆっくりと下ろしながら、迅斗が憮然として呟く。
「もう抜けたんじゃないっけ、エヴァーグリーン」
 耳栓をしていた手を下ろしながらライファは答えた。
「ああ、そういえば。もう関係ないのか」
 頷いた迅斗の前には、男たちが累々と横たわっている。半分は大音響と閃光によるショック状態で、もう半分は運悪く雷を受けてしまった者だ。
「それに、今のって私闘かな?」
「いや……正当防衛なのかもしれないが、なんだか弱いものいじめをしてしまったような気がして……」
「な、なんか私にはよくわからない悩みだけど……」
 本気で考え込んでいるらしい迅斗に、ライファはどうなぐさめの言葉をかければいいのか迷う。というか、どこをなぐさめるべきなのかがよくわからない。
「うう、くそぅ……」
 手をこまねいているうちに、先ほど指令を出していた男が頭を振りながら立ち上がった。
「や、野郎ども、撤退だ……」
 男がそこはかとなく意気消沈した声で言うと、男たちは互いに手近にいる仲間を助けながら逃げ出し始める。
「どうする? 追いかける?」
 しばらく経って、遠くから幾重にも反響しつつ聞こえてくる「覚えてやがれー」という捨て台詞に耳を澄ませながら、ライファは迅斗を振り仰いだ。
「あまり関わり合いになりたくない」
 肩が凝っていそうなため息と共に迅斗は答える。
「……同感」
 ライファは肩をすくめ、迅斗に習ってため息をついた。

「どう? 迅斗?」
 天井のマンホールから突き出した足に向かって、ライファは問いかける。
「周りは砂漠だ」
 足先がわずかに揺れながら答え、直後に迅斗がマンホールの縁から飛び降りてきた。
「ここから出るのは得策じゃなさそうだな」
 身体についた砂を払い落としながら迅斗は言う。
「じゃあ……えーと」
「もう一度転移してもらった方が良さそうだ。ウィーゼ開発地区へ行けば、ノエルたちとも合流できるだろう」
 冷静に判断を下す迅斗に、ライファは出会ってから初めて頼りになるという印象を抱く。
 ――しかし。しかしだ。
「ごめん。……転移するのはいいけど……地図なしイメージ画像なしじゃムリだよ。行き先の風景が頭に思い浮かべられるなら、多少座標がずれてても行けるけど……ここどこだかもわからないから座標すら定まらないし。……ごめんね」
「となると、さっきの連中に地図を貸してもらって、場所を確認するしかないわけか……?」
 迅斗は力の抜けるような事を、自信のなさそうな調子で言う。頼りになる印象はすでにかき消えてしまっている。
「聞いてくれると?」
「……は、思わないが」
 二人は情けない心持ちで顔を見合わせた。
「ということは、力づくで?」
 ライファは半眼で尋ねる。
「それは嫌だ」
 迅斗は心底本気で嫌そうに答え、男たちが消えた方角へ視線をやった。
「……ともかく、頼むだけ頼んでみよう。できる限り穏便に済ませられるよう、努力はしなければならんだろう」
「……なんか新鮮な意見」
 ライファがぽつりと呟くと、迅斗は再びライファに視線を戻す。
「……いつもはこういう時どうやって解決してたんだ……?」
「アレスが頼んでだめだったら、タスクがすごむ。それでだめならそのまま乱闘かな」
「……お前」
 呆れたような視線に、ライファは慌てて両手を振った。
「いやいやいや、アレスああいう人たちと仲良くなるの上手いから、大概交渉でどうにかなるのよ?」
 それに対する迅斗の答えは、「なら、いいんだが」というなんだか素っ気ないものだった。

 男たちの跡をつけるのは容易なことだった。さっき雷撃を食らった者が残す、イディアー能力の残滓を追いかければ良かったからだ。
「しかし、彼らはこんな所に住み着いているのか?」
「そうなんじゃない?」
「危険区域だぞ」
 壁にかけられた看板を指して、迅斗は顔をしかめた。
「読めなかったんじゃない? 読めても気にしなさそうだけどね。エヴァーグリーンが指定してる危険区域って、半分くらいはあんまり見られたくないものがあるってことだし」
 ここがどうかは知らないけど、と、ライファは首を傾げる。
「あれだけの人数がいれば、一人くらいは読める者もいるんじゃないか?」
「どうかな? さっきの人たちの服装からすると、まともな教育受けようにも受けられなかったって感じだから。タスクだって字読めんしね」
『ここより先危険区域』と書かれた看板の前を、ためらいもなく通りすぎながらライファは答えた。
「お前は読めるんだろう?」
「うん、まあね」
 一つため息をついて迅斗も後に続く。通路は相変わらず乾いているが、天井が少し低い。ライファは変わらず歩いていくが、迅斗は背を屈めなければならなかった。
「じゃあ、お前が教えてやれば良かったんじゃないのか?」
 しばらく歩いた所で低く問いかける。
「ははん」
 ライファは笑った。
「無駄」
「無駄って……」
「だって覚える気全然ないんだもん、あいつ。知り合ってしばらくはアレスが教えようとしたこともあったんだけどね」
 ライファが不自然に語尾を途切れさせる。ライファの前に出ながら視線を上げると、通路の向こうに広間が見えた。何本か高さの違う下水道がその地点で合流しており、高い天井はガラス張りだ。砂埃に厚く覆われて幾枚も割れたガラス天井から、ホールに陽の光が降り注いでいた。
 男たちは、その場所にいた。
「ぎゃ! 追って来やがった!」
「やっぱり嵐が過ぎ去るのを黙って隠れて待ってれば良かったんスよ親方〜!」
「うるさいうるさい! イディアー能力者だって知ってりゃ俺だって手出したりしなかったぞ!」
 いち早く迅斗たちの姿に気づいた若者が騒ぎ立て、ほかの男たちも騒然として立ち上がる。よく見れば、幾人かは包帯を手にしていた。さっき雷撃を食らった者の手当をしていたのだろう。
「待ってくれ、ちょっと頼みたいことが」
「こうなったら最後の手段だ……!」
 どうにか交渉に持ち込もうと張り上げた迅斗の声は、リーダーらしい男の大声にむなしくかき消された。
「先生、お願いします!」
 男たちは二人に向かって道を作るように、二つに分かれて壁際へ退避する。
 その奥の、一番偉そうな位置の寝床に陣取っていた男が、面倒くさそうにその身を起こした。

 なんだかどこかで見た覚えのあるシルエットだと、迅斗は思った。