第二章 Secret

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 起きあがった男は、二人をちらりと見て「こいつらとは戦えない」と、低い声で言い放った。
 目を見開いたライファが、何度かの逡巡の末にようやく言葉を口にする。
「タスク? ……だよね?」
 力なくかすれた声で呆然と呟いて、夢遊病者のようにふらりと一歩踏み出したライファを腕で制しながら、迅斗は鋭く『彼』を睨みつけた。
「どうしてお前がここにいる?」
 考えてみれば、ライファとタスクがどんな関係なのか迅斗は知らない。かつての仲間に攻撃をしかけるとは思えないが、こちらに敵意を抱いている集団に属しているらしい事実は充分警戒に値する。
 しかしタスクは、身構えた迅斗にも大して興味を示すことなく、自分の寝床へ戻っていった。
「なんか要求があるなら呑んでやりゃいいだろ。いちいち俺をわずらわせんな」
 タスクは面倒くさそうに男たちに言うと、だるそうな動作で再び寝転がった。投げやりな調子からは、ライファに対する気遣いはほとんど感じられない。ライファが、小さく息を呑んだのが分かる。
「……変なの」
 数秒の沈黙の後で、ライファはぽつりと呟いた。
「なんで迅斗が、タスクから私をかばってるの?」
 静かな口調が、逆にライファの感情の激しさを物語っていた。迷いのない歩調のライファに軽く押し退けられても、迅斗はそれを止める気にはなれず、そのまま見送ってしまう。ライファの奇妙な迫力に押されたのか、男たちも黙って成り行きを見守っている。
 男たちの間を通ってタスクに歩み寄ったライファは、その側にゆっくりと腰を下ろした。
「ねえ、タスク。ここで、何やってるの?」
「なんだよ。関係ねえだろ。俺にかまうな」
 仲間だったはずの少女に対する乱暴な物言いに、迅斗は思わず気色ばむ。
「貴様! 何を言って……」
「迅斗はちょっと黙ってて」
 間髪入れず、ライファが迅斗の言葉を遮った。迅斗は思わず神妙に黙り込んでしまう。
 ライファは皆が注目する中、ごく当たり前のような動作でタスクの襟をつかんで起き上がらせた。
「……ライ……ファ?」
 エヴァーグリーン侵入時のタスクを知る者から見て、あまりにも怖いもの知らずな行動に、迅斗は恐る恐る声をかける。タスクが暴れ出すことを案ずるべきなのに、なぜだか今はライファの方が危険なような気がする。
「何やってるのって聞いてるんじゃない。関係ないって何よ」
 ライファは迅斗の声が耳に入ったのか入っていないのか、内容の割に静かな口調で問いかけた。
「うるせえな! どこで何してようが俺の勝手だろ!」
 タスクが勢いよくライファの手を振り払って、結構いい音が広場に響き渡った。誰も口を突っ込めないようなせつなの沈黙の後に、ライファはゆっくりと振り払われた手を下ろす。
「……うん、そうだよね、そんなのタスクの勝手だよね」
 ライファが大きく息を吸う。怒鳴り声の予感に、タスクとライファ以外のほぼ全員が反射的に身をすくませた。
「でも私は嫌だから! 自分でした約束さえ放っぽってぐーすか寝てて、そんなの逃げてるだけじゃない!」
 タスクが一瞬反論したげに身じろぎするが、ライファが息を吸う方がわずかに素早い。
「そんなことの言い訳にアレスを使わないで! そういうの、腹が立つの! タスクの馬鹿! バーカバーカバーカ。今日の夕食作ってあげないから。お腹空いてると思うけど! じゃあね! グッバイアディオスさよーなら!」
 立て板に水のごとくだった。まくし立てるだけまくし立てると、ライファはすっくと立ち上がって踵を返す。
「……ヒステリー起こしてごめん。ちょっと頭冷やしてくる」
 あっけにとられていた迅斗にすれ違いざまにそう宣言すると、ライファは早足で広間から出て行った。その瞳がわずかに潤んでいたことに気づいてしまって、迅斗は複雑な気持ちでライファの背を見送る。
「……なんだアレ」
 ライファの姿が通路に消えて、ようやくその場の空気がゆるんだところで、タスクが呆然と呟いた。
「お前が一番わかってるんじゃないのか?」
 迅斗はタスクに向き直り、冷たい口調で言う。
「うるせえよそうだよわかってんだよ口出すなてめえは! 関係ねえだろ!」
 寝床に座ったままやさぐれた口調で怒鳴るタスクに、迅斗は口の端だけで笑った。
「俺に八つ当たりか。よほど余裕がないようだな」
「……こっ、んの野郎……っ!」
 タスクは勢いよく起き上がり、迅斗に向けて右手を突き出した。その手のひらに炎の塊が出現する。
「……決着をつけるか」
 人の悪い笑みを浮かべた迅斗の周りにも、電気的な火花が飛び散った。
 それを見たちんぴらたちが、いっせいに壁際へと退避する。

 広間を飛び出したライファは、小さくため息をついて手近な壁に寄りかかった。部屋の中では、ぎゃーだのお助けーだのこっちに向けるなぁあだの外でやれーだのいいぞそこだやっちまえ! だのフックフックアッパー! 負けるな大将ぅお! だのと、ちんぴらたちが好き勝手なことを叫んでいる。貴様避けるんじゃない! と叫んでいるのは迅斗で、てめぇこそちょこまかうぜえんだよ! と怒鳴り返しているのはタスクだ。
「……何やってんのよあいつら」
 しばらくその喧噪に耳を傾けた後、ライファは両手で頭を抱え、深く深くため息をついた。

 同じ頃、エヴァーグリーン本部の一室で桔梗も頭を抱えていた。エヴァーグリーンと裏でつながりのある製薬会社社長の娘と言うことで、桔梗に与えられた部屋は他の隊員と違って広く、天井も高いし設備も良い。貴重な木材で作られた重厚なデスクが、桔梗と桔梗の前に立つ男を隔てている。
「迅斗が……怪我を?」
 蒼白な顔で訊ねる自分の主人を、デスクを挟んで正面に立つ男は無表情で見つめていた。
「どうして、どうしてあなたがいながら……!」
「私の任務はハヤト=ナナミを守ることではなく、フェルゼン様の周囲を監視することです」
 幼なじみの七海迅斗の事となるとどうしても理性を失いがちな主人を、黒服の男は事務的な口調でたしなめる。
「ええ、ええ……わかっています」
 紫色に染められた長い髪をかき上げて、如月桔梗は何度も頷いた。暗いサングラスのレンズを通しては彼女の髪は生来のものと同じ黒にしか見えないが、両親の命令で染めたその髪を彼女がひどく厭っているということを、男は知っている。
「フェルゼンの意図はわかったのですか?」
「いいえ。我々は会議への同席は認められませんので」
「水資源を独占するためという理由は分かるけれど、水の星維持システムを壊してしまっては何が起こるか分からないのに……」
 桔梗はいらいらとデスクの端を叩く。
「逃亡されたカフティア指令とフィニスさんの行方は?」
「わかりません。フェルゼン様も見失っておられるようです」
「そう」
 桔梗は瞳を閉じながら深く息を吐いて、やがて決意を固めた様子で顔を上げた。
「ライファさんたちの目的は、先日悠斗さんと会ったときに確かめられました」
 炎使いの侵入騒ぎが一段落した後で分かったことなのだが、桔梗のポケットにいつの間にかメモリーチップが入れられていた。メモリーチップの中には悠斗からのメッセージが記録されていたから、おそらく桔梗が人質から解放される直前に入れられたのだろう。
「迅斗がその目的に同調しているなら、私もせいいっぱいサポートしたい」
 桔梗は立ち上がり、男のサングラスをまっすぐに覗き込んだ。
「迅斗のことで何か情報があれば、すぐに私に知らせて下さい。私は引き続き、フェルゼンの目的を探ります」