第三章 Homesick

 3-1

「やあ、やっぱ女の子の手料理は違うねえ! 味って言うより気分がさ!」
 広間で夕食を取りながら、男たちのリーダーは至極楽しげにそう言った。男たちが嬉しそうに掻き込んでいるメニューは、しなびた野菜の切れ端だのお祝い用に飼われていた鶏をつぶした鶏肉だのをぶち込んだ粥だ。男たちと迅斗は、お代わり用の粥がまだ半分ほど残っている大鍋を囲むように車座になって座っていた。
 車座の中には、予告通り夕食抜きの刑を食らったタスクはいない。
「まさか、こんなすごい匂いのするところで食事ができるなんて思わなかった」
 次々と皿を空にしていく男たちに囲まれながら、一人食の進まない迅斗はげんなりと呟く。
「おう、もうちょっと綺麗っぽいところもあんだけどよ、たまに毒ガス出たりすっからな。……こっちの方が安全なんだよ。上はエヴァーグリーンの哨戒があるし……アウトローってのも結構つらいんだぜ?」
 迅斗の左隣に座っていた若い衆が、遠慮会釈なく食事を掻き込みながら答え、空になった皿にまた粥をよそった。
「そうか……すまなかったな、騒がせて」
 迅斗は早々に食欲を喚起するのを断念し、瞳を伏せながら皿を床に置く。ライファの作った粥は決して不味くはないのだが、異臭の漂う地下の不潔な空気に打ち勝てるほど美味いものでもなかった。ライファには悪いが、絞められた鶏にしても食欲旺盛な男たちに美味しく食べられる方が本望だろう。迅斗の周囲の男たちは、まだまだ食べる気満々の様子だ。
「まあいいってことさ。一生に一度言ってみたかった台詞も言わせてもらったしな」
 迅斗の隣に陣取っているリーダーは、迅斗の肩をばしばしと叩きながら豪快に笑った。結構容赦のない叩き方だったが、一応親愛表現のつもりらしい。
「言ってみたかった台詞?」
「『こうなったら最後の手段だ』。リーダーになったからにはってヤツだな。奥の手とか最終兵器とか、やっぱり心が躍るじゃねえか。浪漫だよな、浪漫!」
 リーダーはよくぞ聞いてくれたとばかりに、嬉しそうに椀を持ったままポーズを決めて実演してくれる。
「俺も俺も。初めて言えたんスよ、『覚えてやがれ』って。チンピラに身を落としたときから、絶対一度は使ってやるぞって心に決めてたんス! お約束を極めるのもロマンッスよね!」
 左隣の若い衆も再び鍋に手を伸ばしながら言い、残っていた粥を最後のひとしずくまで自分の椀に入れてしまった。同時に車座のあちこちから、恨めしそうな抗議の声が上がる。
「あれ? そういやライファちゃんは? どこ行ったんスかね?」
 少年はあからさまにごまかす口調で言いながら、しっかりと椀を抱え込んだ。こういう場合、流した方が良いのかきちんと答えた方が良いのか迷いながら、それでも迅斗は律儀に口を開いてしまう。
「おそらくタスクの所だろう。はぐれた仲間同士なのだから、つもる話もあるんだと思う」
 はぐれさせたのは自分だが。迅斗は軽い自己嫌悪に襲われながら、努めて冷静にそう言った。
「へえ、仲間だったのかぁ。女っ気ない奴だと思ってたんスけどねえ」
 若い衆はもごもごと口を動かしながら頷く。
「ケンカ殺法だけじゃなくて、そっち方面も教えてもらいたいもんだな」
 食べ終わったリーダーが鍋に使用済みの椀をぶち込みながら言い、幾人かが食器の回収を手伝いながら頷いた。
「ダメッス。先生は自分がケンカしたい時じゃなきゃケンカも教えてくれないッスから」
「……む。そうか。じゃあ無理だな」
 リーダーは頷きながら少年から椀を奪い、最後の一口を食べてから椀を鍋に放り込んだ。

 少年がリーダーに向かって盛大に抗議の声を上げた頃、話題の人であるタスクは下水の外で、砂に半分埋もれた戦車の砲塔に腰掛け、ぼんやりと星空を眺めていた。マンホールを登ってきたライファは戦車のキャタピラに足をかけて、タスクの隣に持ってきた皿を置く。
「はい、これ夜食」
「……夕食は抜きなんじゃなかったのかよ」
「夜食だっつってんじゃん。ほら、食べなよ。なんかやつれてるよ」
 タスクは何か言いたげに口を動かし、けれど結局何も言わずに皿を受け取った。
「タスク、旅に出たいんでしょ」
 キャタピラに立ったまま両肘を天板について、ライファはタスクを見上げる。
「でもお前はあの寺とか庭とか植物達が好きなんだろ」
 タスクは粥をすくいかけた手を止めてライファを見返す。
「うん。……でも。でも私、タスクの邪魔になるのは嫌だな」
「何今さらしおらしいこと言ってんだよ」
 半眼で呆れた声を出すタスクに、ライファはむっとすることもなく微笑した。
「あのね、高橋先生がさ。月を探すのもいいけど、私が私の役目を果たした後も人生は続いていくんだから、ちゃんと将来のことも考えておきなさいって」
「ふうん。まあ、高橋は言いそうだな」
 タスクは興味なさそうに頷いて、食事を再開する。
「先生って付けなよ。一番お世話になってるくせに」
「うるせぇよ」
 食べ物を口に入れたまま、タスクはもごもごと答えた。迅斗あたりが見ていたらきっと嫌な顔をしただろう。なんとなくそういうところ潔癖そうだから。
「まあ、それでね。私、全部終わったら高橋先生の助手しながら看護の勉強でもしようかなって考えてるんだ」
「……で?」
 タスクは粥を飲み下し、次に一口を運ぶ合間に相づちを打つ。
「……だから……だからつまり、タスクもさ、全部終わったら……旅に出なよ。路銀が尽きたりとか怪我して療養したくなったりとか、単にホームシックになったときにでも……帰って来てくれればさ。それだけでも、結構寂しくないし」
「……そう……だな……」
 タスクの皿から、結構な勢いで粥が減っていく。インティリアからも主要なオアシスからも離れた砂漠の真ん中。今は風も凪いでいて、不思議と心地よい沈黙が辺りを支配している。
 タスクは黙々と粥を食べ続け、あらかた片付けたところでようやくライファに答えた。
「……考えとく」
 皿を回収しようと手を伸ばすライファに、タスクは珍しく感情を押し殺しているような微妙な表情を向ける。
「お前も、あんまり無理すんなよ」
「してないよ?」
 タスクは無表情のまま黙ってライファを見下ろし、やがておもむろに右手を伸ばした。
「何?」
 額にかざされた指の隙間から見えるのは、タスクの微妙に呆れを含んだような無表情だ。意図がさっぱり読めなくて、ライファはゆっくりと首をかしげる。
 わけがわからないライファに向かってタスクは大げさにため息をつき、いきなりべしんとでこぴんをかました。
「ったー! 何すんのよ!?」
「別に」
「別にってあのねえ! 結構痛かったよ今の!」
 ライファは大声で訴えつつタスクの左手から皿を奪う。
「ああ。結構思い切りやったからな」
「何なのよ!?」
「無理すんな。……ってことだよ」
 皿の端と端をつかんだまま、二人はしばし見つめ合った。
 こいつの無表情ってもしかして照れ隠しなんだろうか。ライファは思って、こちらは間違いなく照れ隠しのための大げさなため息をつく。
「……タスクに心配されるなんて、よっぽど重症だよね」
「まあな。付き合いもそれなりに長くなったからわかるってとこもあるんじゃねえかとは思うが」
 照れているのはお互い様だと気づいたらしいタスクが、ようやくいつもの人を食ったような微笑を浮かべる。
「……でもさ、タスクって気づいても心配とかしないタイプじゃん。熱でもあるんじゃないの?」
「ねえよ馬鹿」
 しんみりした空気は一気に崩壊した。
「ばっ、馬鹿とか言わないでよせっかく心配してたのに!」
「いらんところ心配したりするから馬鹿なんだよ馬鹿」
「ひっどーい! 何てこと言うのよ!」
「お前だってさっき俺に向かって四回も馬鹿って言ったじゃねえか」
「何よソレ数えてたの? 言い返すなんて大人げないじゃない。……なんてゆーかタスクってやっぱさ……」
 ライファはため息をつき、皿を手にキャタピラから飛び降りた。
「……ありがとね」
 振り返って、ライファは笑う。
「明日はちゃんとタスクの分もご飯作るよ」
「……そりゃどうも」
 戦車の上のタスクは、不本意そうに礼を言った。

 その頃、地下の広間では男たちが迅斗を取り囲んで、迅斗がライファから預かっていたメモリーチップを眺めていた。
「おおおおお、こんなちっこいのに辞書何冊分もの情報が!?」
「オーバーテクノロジーってやつか!」
「……それを言うならハイテクじゃないスかね」
 男たちは好き勝手なことを好き勝手にしゃべりまくる。
「このロゴに見覚えがある者はいないだろうか?」
 メモリーチップの隅に印刷されたロゴを指しながら、迅斗は周囲に尋ねた。
「ロゴッスか? んん? 俺どっかで見たッスよ、このロゴ」
 若者の一人が身を乗り出す。
「どこだったかなぁ、来たばっかの頃だったと思うんスけど……」
「来たばっかり? つーとアレか、最下層区に迷い込んだ時か? 俺はこれには見覚えねえし……考えられるとしたらそんときだぜ」
 頭を抱えた若者に、リーダーがリーダーらしく助け船を出した。
「そこへ、案内してもらえないだろうか」
 迅斗は勢い込んでリーダーに詰め寄る。
「お、おう? 入り口までならまあいいけど……今にも崩れ落ちそうなデンジャラスな遺跡があるだけだぜ? 危なっかしいからそいつ以外は入ったことねえし」
「充分だ」
 迅斗は頷いて、メモリーチップをライファのハンカチで包み直した。
「是非、案内を頼む」