第三章 Homesick

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 男たちと別れた先の通路は、今まで歩いてきたようなメンテナンス用の通路ではなく、普通に研究所内の移動に使われていたらしい廊下だった。分厚い埃は積もっているものの、天井も高く道幅も広く、ライファが持ったランプの明かりだけで充分歩きやすい。タスクと迅斗はライファの後方を、それぞれ通路の右端と左端に別れて歩いていた。会話はない。
 五分ほど歩いた先にはやはり半壊した扉があって、その向こうには総合病院を思わせる通路がまた続いていた。右側には扉が、左側には茶色い埃に覆われた窓が整然と続いている。
「なんだここ?」
 男たちと別れてから初めて、タスクが口を開いた。
「研究所。さっきまでのは連絡通路」
 ライファは短く説明しながら、分厚い埃に覆われた通路へ足を踏み入れる。
「なあんか、覚えあるなあ、この風景」
 前来たときはもっときれいだったけど、と呟いて、ライファはすぐ脇の壁に取り付けられていた案内図を見上げた。
「今いるのここね」
 ライファがランプを掲げて指差す地図の一点を、タスクと迅斗は一斉に見上げる。
「たぶんこの辺が研究開発区画。で、その向こうのこの部屋に発電所って書いてあるから、まずはそっち行って電源復旧して、それから研究開発区画戻って、使える端末がないか片っ端から調べる。そういう作戦でオッケ?」
「ああ、構わない」
 迅斗が頷き、タスクも無言で頷いた。
「電源復旧が難しければ」
 行き先がはっきりわかった迅斗は、ライファを追い越して先頭を歩き始めながら言う。
「俺がなんとかする」
「頼りになる〜」
 迅斗にランプを取り上げられたライファが緊張感の微塵も感じられない声で言い、タスクは無言で舌打ちした。たぶん、カッコつけてんじゃねえよ、とでも言いたいのだろう。
「ああ、迅斗。ちょっと待って」
 示された経路の通りに進もうとした迅斗を、ライファの声が呼び止める。振り向くと、ライファは動きの悪い窓を無理矢理引き開けようとしていた。タスクが悪戦苦闘するライファに歩み寄り、背後から片手で手を貸す。それで窓はあっさりと開き、舞い上がった埃にライファは咳き込む。
「大丈夫か?」
「へーきへーき」
 ライファは迅斗に向かってひらひらと振った右手で、そのまま窓の外を示した。
「結構でかいよね。この地下シェルター」
 迅斗は目を細めて窓の外を眺めやる。どこかから差し込んだ淡い光にぼんやりと浮かび上がる、窓を覆っていたのと同じ茶色い埃にまみれたビルの群れ。すぐ近くの高層ビルは建築途中のまま、鉄骨をむき出しにしている。風のない地下では動くもの一つなく、三人の息遣い以外の物音もしない。完全な廃墟だ。これが、地球からの入植後に作られたものであるわけがない。
「世界が滅びた後のようだな……」
 かすれた声で呟くと、ライファがふっと息を吐いた。
「まあ実際、似たようなものかも」
「信じてはいなかった」
 迅斗は低く呟く。ライファが問いかけるようにこちらを見上げた。
「ここが……地球だという、兄の言葉を」
「理想郷じゃなくてがっかりした?」
 神妙に頷くと、ライファも苦しそうに微笑んだ。
「だよね。理想郷どころか……ゴーストタウンって感じ」
「つーかゴーストタウンなんだろ」
 一人感慨とも感傷とも無縁なタスクが、つっこみを入れながら窓を閉める。
「さっさと行こうぜ」
「風情のない奴だねー。相変わらず」
 ライファも半眼で呆れながら振り向き、一行は研究開発区画へ向かって歩き始めた。

 研究開発区画の向こうにある発電所。大規模な機械に覆われた部屋を前に、ライファはどこから手をつけたらいいかわからない、という表情で動きを止めた。迅斗はライファとタスクを扉の前に残して、一人コンソールへ歩み寄る。その裏側の表示とケーブルを辿って、起動装置を突き止め、その脇にしゃがみ込んだ。イディアー能力を使い、バッテリーの反応を探る。
「大丈夫そう?」
 近付いてきたライファが迅斗の手元を覗き込みながら尋ねた。
「大丈夫だ……ちょっと待っててくれ」
 迅斗は頷き、イディアー能力の強度を高める。自家発電装置は当然のごとく止まっていたが、機構そのものは保たれていたようで、迅斗のイディアー能力に反応してくれた。起動装置を開始地点として、順々に巨大な機械群がうなりを上げ始める。
「すごいすごい」
 ライファが手を叩いた。
「精密機械のくせにまだ死んでなかったんだね」
 何だかひどい台詞だと、迅斗は思って肩を落とした。

 精密機械のくせにまだ壊れていなかったのは、自家発電装置だけではなかった。
「お、三台目で起動するなんて、さすが軍事用シェルターに設置されただけあって頑丈だねー」
 いくつもの密閉扉をこじ開けたり蹴り開けたりIDセンサーをごまかしたり焼き切ったりしながら辿り着いた研究開発区画で、ライファは満足そうに情報端末を操作している。
「なんか馴染みのあるOSで良かった良かった」
 ぼんやりと見守るだけの男二人に背中を向けて、ライファはキーボードを叩いた。
「メモリーチップにも……ちゃんと対応してますよ、と」
 ライファがたかたん、とキーを叩くと、それに反応してコンソールの下から四角い凹みのついたトレイが飛び出してくる。ライファはその一瞬だけ妙に神妙な顔になって、トレイにメモリーチップを置いた。そのままコマンドを送ってトレイを格納し、メモリーチップの解析を始める。
 緊張感に満ちた沈黙の後、ライファはため息をつきながら額の汗をぬぐった。
「これにて無事完了」
 画面には全く意味をなさない記号の羅列が表示されている。
「ちゃんと読み取れているのか? 暗号化が解けていないように見えるんだが」
「大丈夫。テキストデータじゃないから、読み取るには私がデータもらわないと駄目ってだけ。今ダウンロードするから」
 ライファは鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で迅斗に答え、ヘッドギアをかぶってキーボードを操作し始めた。ヘッドギアをかぶった途端にライファは急におとなしくなり、手を出せない迅斗とタスクは黙ってその背中を見守る。
 長すぎる沈黙に落ち着かなくなった迅斗がちらりとタスクの様子を窺うと、タスクは感情の読み取れない無表情でライファを見つめていた。エヴァーグリーンの研究室にいたライファを悠斗――アレスが連れ出したことは知っているが、その二人とタスクがどこでどうやって出会い、信頼関係を築いてきたのか、迅斗には予想することさえ出来そうにない。タスクが何故ライファに協力しているのか、今何を考えているのか、手がかりは一つもない。
 考え事に没頭していた迅斗は、ライファがモニターの映像を切り替えたのに気付かなかった。気付いたときには、ライファはもうヘッドギアを外していて、モニターに映る水の星――フォンターナをじっと見上げていた。
「……アレス。私……月を、見つけたよ」
 ライファはヘッドギアを膝の上に持ったまま、ぽつりとそう呟いた。

 それから広間に戻るまで、ライファはほとんど口を利かなかった。夕食の時も彼女は一人でぼんやりと物思いに耽っていて、男たちは戸惑ったように遠巻きに様子を窺っている。
「迅斗さん、何かあったんスか、ライファさん?」
 道案内をしてくれた若者が、お代わりもそこそこに小声で迅斗に尋ねた。
「当面の目標を一つ達成したからだろう……おそらく。実のところ、俺にもよくわからない」
 タスクに聞いた方が早いんじゃないか、と付け加えると、若者はだって先生怖いんスよ〜とかなんとか泣き言を言う。言われてふとタスクの方を見てみると、こちらも自分の考えに耽っていた。タスクの場合、考え事をしているのか単に不機嫌なのか見分けがつかないから、確かに怖いと言えば怖いのかもしれない。不機嫌なのではなく、ライファと同じことを考えているのだろうと予測は出来るが。
 アレス、と呼びかけたライファの、どこか苦しげな声音を思い出す。
 またふくれあがってきた罪悪感をなだめるために、迅斗はそっと息を吐いた。

 その夜、ライファは夢を見た。
 夢の中では、水が果てしなくどこまでも続いていた。ライファの身体はその水に溶け、どこまでもどこまでも広がっていった。
 ――淋しい――
 胸を締め付けるのは、たった一つ覚えている淋しいという感情。その感情ごと、ライファは水の中にいる誰かを抱きしめていた。
(なんか、グレートマザーって感じ?)
 ライファは思って、少し笑う。その気配は水を揺らし、抱きしめている誰かのところまで伝わっていく。
 ――淋しいだけじゃない。ちゃんと、感じてる――
 痛みなのか、拒絶なのか、よくわからないけれど、確かに淋しさだけじゃない、別の何かを、ライファは全身で感じていた。そこまで冷静に考えられるようになって、ふと気付く。
 そうだ。この感情は、ライファ自身のものじゃない。
 ――ターナ――
 淋しさの本来の持ち主に、ライファはそっと呼びかけた。
 ――私達を、拒絶しないで――
 ――淋しい――
 ライファの声が聞こえないのか、夢の中のフォンターナはただ嘆き続ける。
 ――淋しいなら、帰ろう――
 ――どうして? どうしてきずつかなければならないの? どうして……――
 フォンターナは泣いている。たった一人で、呼びかけるものすべてを拒絶して。
 ――傷つくのは、一人じゃないから。一人じゃないからぶつかり合って、どこかで傷つかなくてはならない。どんなに傷ついても、どんなに拒絶してもどんなに寂しくても、私達は一人じゃない。必ずどこかと、そして誰かとつながってる。だから、帰ろう……フォンターナ。そこが帰る場所だと、私たちが思えるその場所へ――
 ライファは必死で呼びかける。
 けれど最後までフォンターナが答えることはなく、ライファの言葉は混濁した潮の流れに溶けていってしまう。
 ――ターナ――

 自分自身の、フォンターナに呼びかける声で目が覚めた。寝言言っちゃってたかな、とちらりと思う。
(やだなあ、聞かれてたら結構恥ずかしい台詞も言ってたのに)
 思い切って目を開けると、夜明けの光が埃まみれのガラス越しに広間へ降り注いでいた。そこらじゅうにごろごろ転がっている男どもは、全員熟睡モードのようだ。どこかから歯ぎしりといびきと尻を掻く緊張感のまったくない音が聞こえてくる。寝言は誰にも聞かれていないようだ。めでたしめでたし。
「さて、次の目標はちょっと難易度高めかな?」
 ライファは呟きながら伸びをして、関節をぱきぽき鳴らした。