第三章 Homesick

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 サウスレグレト駅でノエルは、
「僕もすぐにウィーゼ開発地区へ向かいます。僕ひとりなら移動も早いはずですし、おそらく皆さんと同じ時期に着けるはずですから」
 と言って車を降りた。
 ノエルと別れたレルティたちは、とりあえずエヴァーグリーンのサウスレグレト支部に顔を出す。ノエルが機転を利かせてくれたおかげで、実質的に裏切り者のはずのレルティたちでもまだエヴァーグリーンの情報網を利用することが出来るのだ。
 ただし、もちろんデメリットもあった。

「ごろつき退治ぃ!?」
 役所じみたエヴァーグリーン支部の受付カウンターで、レルティが不機嫌そうに語尾を引っ張った。
 ろくな情報を与えてくれなかったくせに、きっちり頼み事だけはしてくるエヴァーグリーン支部の受付嬢に、レルティの機嫌はすこぶる悪い。
「はい、近くの遺跡に住み着いたごろつきの一団。このまま放っておいては治安状況に翳りが出ないとも限りませんので」
「何か被害が出てるのかい?」
 あまりに態度の悪いレルティを押しのけて、アクアがカウンターの前面に出る。
「今のところは共有水道の無断使用くらいですね。しかし、町の近くに居着かれてしまってはいつ被害が出てもおかしくありません」
「共有水道って誰でも使って良いんじゃなかったっけ?」
「彼らは税金を納めていませんし、この町の住民の間にも不安が広がっています」
 ほとんどクレームをつけに来たような口調のレルティに、受付嬢の笑顔はだんだん引きつってきていた。
「うーん、まあ、様子見てから決めるわ。それで良いんだったら寄り道してったげる」
「ご協力ありがとうございます」
 偉そうなレルティに、受付嬢は苦虫を噛み潰したような顔で頭を下げた。
「レルティ……頼むから、もうちょっと大人な対応をしてくれよ……」
 女性たちの勢いにおたおたしていることしかできなかったカイラスが、力なく肩を落とす。レルティは聞いているのかいないのか、肩を怒らせながらさっさとエヴァーグリーン支部を出て行ってしまった。

「でもさー、力が足りないんだよね」
 地下大広間。あまり行儀が良いとは言えない勢いで朝食の雑炊を掻き込みながら、ライファは言った。
「海を呼び戻すだけの力が足りない、という意味か?」
 こちらはきちんと行儀良く雑炊をいただいている迅斗が足りない単語を補って問い返す。
「そうそう。海ですよ、海。偉大で広大で膨大なあの海ですよ。私一人の力で移送返還できるわけないって。どっかで強力なイディアー能力の持ち主と接続して、そっちのパワーも流用させてもらわないと。おかわり」
 迅斗の三倍のスピードで雑炊を食べ終えたライファは、鍋の隣に座っている少年に椀を差し出しながら言った。
「タスクでは無理なのか?」
 隅で黙々と食べ続けているタスクをちらりと見て、迅斗は尋ねる。
「や、タスクは確かにえらい力持ってるけど、でもやっぱ所詮個人の力だから……どっか集積されてる力が必要なわけ。具体的に言うと」
 ライファは少年から返された椀を引き寄せながら不敵な笑みを浮かべた。
「……エヴァーグリーンの『頭脳』、とか?」
「なっ!?」
「親分親分、てえへんだあ〜っ!」
 慌てて立ち上がりかけた迅斗の言い分は、しかし見張りに出ていた男が広間へ転がり込んできた勢いに遮られ、表明されることはなかった。
「え、え、え、エヴァーグリーンです! 奴らが来ました!」
「何ィ!?」
 リーダー格の男が気色ばんで立ち上がり、その他の面々はすがるようにタスクと迅斗を見る。
「あいつら、俺たちに水使うなって言うんスよ……水飲めなくなったら死んじゃうッス……」
「……知り合いだという可能性は低いが……出来る限り、交渉してみる」
 ゆっくりと立ち上がった迅斗が、緊張感を滲ませながら宣言した。

「ったあく、エヴァーグリーンの連中も共有水道くらいでぐだぐだとやかましいのよね」
「そう言ってやるなって。共有水道とはいえ、一応法律上では税金払ってる奴だけが使用権があるわけで」
 相変わらず不機嫌を背負ったままのレルティを、カイラスがため息混じりにたしなめる。荒野のど真ん中を貫く共有水道は地下を通っていて、メンテナンス用のマンホールが半分砂に埋もれつつそこここに配置されていた。レルティたちが今立っているのは、そのうちの一つ――砂に埋もれないよう、地上二メートルほどの高さになるようコンクリートの円筒を埋め込み、その天辺にマンホールの入り口を設置した地下水路への入り口――の前だ。移動に使ったバンをマンホールのすぐ側に停車して、レルティ、アクア、カイラスの実働部隊三人が車から降りた。ティアとフィニスと天理はまだ車の中で待機している。
「さっき誰かが様子窺いに来てたみたいだけど……さて、どう動くやら」
 アクアがコンクリートの円筒を見上げながら首を傾げた。
 ――レルティ――
「ん?」
 頭の中にティアの呼び声が響いて、レルティはぐるりと車の方へ振り向く。
 ――実は昨夜、奇妙な精神波を感じたんだが……――
「精神波? 何ですか? それ」
 車の中の姿が見えないティアに向かって、レルティは尋ねかけた。
 ――よくわからんのだが、結構強力だったぞ。だいぶ距離があったのに感じ取れたからな。その精神波の発信源が、どうもこの辺りの地下だった気がするのだ――
「つまり、強力なテレパシー能力者がこの辺りにいるってことかい!?」
 アクアがのけぞる。
「勘弁してくれよ……」
 カイラスもげんなりと空を仰いだ。
 ――そうとも限らんぞ。私が思うに……あっ!? こら、待て! どこへ行く!?――
 ティアの落ち着き払った声音が突然崩れ、車の中がにわかに騒がしくなる。
「な、何?」
「天理が……吠えてるね」
 アクアが呆然と状況分析を始めた次の瞬間、車から真っ白な狼が飛び出してきた。狼は上機嫌でしっぽを振りながら、レルティたちの方へ突進してくる。
「ななな何!?」
 今度こそ完全に狼狽したレルティが、叫びながら飛び退いた。天理はレルティたちの間を素通りし、マンホールの向こう側へ走っていく。
「何だあいつ? またたびでも見つけたのか?」
「そりゃ猫だろ……」
 ひそひそと囁き合うカイラスとアクアを置いて、レルティは天理を追いかけた。天理は機嫌良くしっぽを振りながら、盛んに吠え立てている。
「わ、おい、ちょっと待て……お前がいるって事は……」
 コンクリートの向こうから聞こえてきた声に、レルティは思わず歓声を上げた。
「迅斗ー!」
 コンクリートの円筒を回り込み、その影に立っていた青年に飛びつく。
「会いたかったわ!」
「うわっ!? てめっ、誰だコラ! 放せっ!」
 迅斗に飛びついたはずなのに、何故かあり得ないくらい粗野な叫び声が返ってきた。
「へ?」
 レルティは一瞬停止した思考を即座に再起動し、体を離してまじまじと相手を見つめる。
 濃茶の跳ね回る髪を鉢金で顔にかからないようにしている、いかにも不機嫌な表情をした赤い瞳の青年。明らかに迅斗ではない。
「誰? あんた」
「それはこっちの台詞だ! 何なんだよ、お前はよ。いきなり飛びついて来やがって。ヘンタイか?」
 男は不機嫌全開で言い募る。
「ヘンタイですって!? 何なのよあんたこそ迅斗はどこよ!」
「テメェの目は節穴か!? そこにいんだろうが! 目の前に!」
 男に指差されて初めて気付く。ほんの数メートル離れたところに、迅斗は所在なさげに立っていた。
「あ、迅斗ー!」
 レルティは改めて笑顔を作り、迅斗に向かって両手を振る。その両脇の天理とライファは、視界には入っているがアウト・オブ・眼中だ。
「おい迅斗。何なんだよ、この頭花畑女は」
 しかしレルティの幸せ気分は、あっという間にぶち壊された。
「ちょっと、何迅斗のこと呼び捨てにしてんの!? しかも花畑って何よ!」
「うっせーな。ちょっと黙ってられねえのかよ」
「はいはいはいはーい! 事態が紛糾してきたから一時休戦お願いしま〜す!」
 一触即発な雰囲気でにらみ合う二人に、黙って様子を見守っていたライファがついに仲裁に乗り出した。
「会うの初めてだっけ、この二人?」
「いや……一応、二度目のはずだが……」
 振り向いたライファに、迅斗が恐る恐る答える。
「覚えてるわよ。ライファちゃんと初めて会ったとき、迅斗とどんぱちやってた野蛮人よね」
 あくまでも敵対的なレルティに、タスクは「やるかこの野郎」的な視線を向けている。
「あっでもほら、自己紹介はまだだったよね。あのときそんな雰囲気じゃなかったし」
 ライファはさりげなくタスクとレルティの間に体を滑り込ませてぱたぱたと右手を振った。
「というわけでご紹介しまっす。こちらタスク。私の仲間で炎使いのイディアー能力者ね。乱暴でケンカ好きだけど悪い奴じゃないから、仲良くしてやって。そんでもって迅斗、レルティちゃんの紹介は任せた」
「あ? ああ」
 未だ事態の把握に至っていないのか、迅斗の反応は鈍い。
「彼女の名はレルティ・ロンリエ。俺の……仲間だ。よろしく頼む」
「……よろしく」
「いいええ、こちらこそ〜」
 遅れて駆けつけたナナミ・チームの面々が見守る中で、タスクとレルティは必要以上に固い握手を交わした。ぎりぎりと音がしそうな勢いだった。

「とにかく、思いがけず合流できて何よりだ」
 どうやら穏便に事が進みそうだと判断した男たちが姿を現し始めたところで、迅斗が無理矢理まとめに入った。男たちは不安混じりの好奇心いっぱいの視線をレルティたちに向けているし、レルティたちも警戒心を含んだ疑いの眼で周囲を見回している。
「彼らはエヴァーグリーンだが、俺の仲間だ。危害は加えない。安心して良い」
 迅斗はまず男たちに向き直り、そう宣言した。男たちは帽子を投げ上げたり指笛を吹いたりして喜びを表明する。迅斗は次にレルティたちへ向き直り、男たちを紹介した。
「彼らは俺たちが大変世話になった方々だ。彼らの協力で、例のメモリーチップのデータを解読することができた。だから、多少のことは大目に見てやって欲しいんだが……」
「そりゃあもちろん。もともと共有水道の不法使用取り締まりなんてやる気なかったし」
 沈黙を保つティアたちとナナミ・チームを代表して、レルティがにこやかに頷いた。
「大将、信用できる人たちだってんなら、俺らのアジトに案内しましょうか? 立ち話もなんだし。良いよな、お前ら!」
 それを見たリーダー格の男も、仲間たちを見回して尋ねかける。男たちは歓声で同意を示し、かくしてレルティたちも男たちのアジトである地下の大広間へ案内されることになったのだった。

「んー、こっからだったらサウスレグレト駅よりウィーゼ開発地区の方が近いかな」
 一通り別れてからの状況を確認し合った後で、話し合いは今後の行動についてへと移行する。レルティは地図上に現在地を指し示しながら迅斗の顔を覗きこんだ。
「真っ直ぐ行っちゃう? どうせノエルと合流するためにも行かないといけないし」
「そうだな。必要な物資はもう揃えてあるんだろう?」
「ばっちりよ。……まあ、一人余計なのが増えちゃったから食料の予備とか少なめになっちゃうけど」
 レルティにもの言いたげな視線を向けられたタスクは、広間の隅で我関せずの態度を貫いている。
「まあでも、データはもう吸い出し完了したんだろう? だったらノエルと合流するだけだから、足りなくなるって事はないと思うよ」
 アクアが横からレルティをなだめた。
「それより、問題はノエルと合流した後だろ?」
 ――エヴァーグリーンに侵入して『頭脳』の力を流用する、か。なかなかの難関だな――
「侵入だけならナナミ・チームが捕まえましたってことで連れて行けばオーケーなんだろうけどな」
 ティアの言葉に、カイラスも眉根を寄せる。
「ノエルの意見も聞きたいところだな」
「だよね。そういうの一番得意なのってノエルだし」
 ――そうだな。ノエルと合流してから考える、というのも一つの手だろう――
 迅斗の言葉にレルティが同調し、ティアも重々しく頷いた。
 ――時にライファ、お前、以前よりもイディアー能力が強くなっただろう――
「え? そう、かな?」
 ティアに突然話を振られて、油断していたライファはうろたえる。
 ――昨夜のフォンターナとの交信、かなり遠くまで精神波が響いていた――
「……つまり、ね、寝言聞かれた?」
 ――うむ――
 恐る恐る尋ねるライファに、ティアは満足そうな笑顔を浮かべて頷いた。
 ――なかなか良いことを言っていたではないか――
「うわ! やめてやめて言わないで! 恥ずかしいから、ホント! 聞かなかったことにして! ティアちゃんお願い!」

 ライファが慌てふためいて懇願し、ティアがさてどうしようかなとか意地悪く答えた頃、エヴァーグリーン本部では、ノエルが桔梗に「あなたについていきます!」と詰め寄られて困っていた。